(3話)
部活帰りに美容院に寄って、腰まであった髪を数年ぶりに切った。
「おはよっ!」
前を並んで歩くスガと大地に後ろからそっと近づいて、ワッと声をかける。大地もスガも大して驚いてなさそうな顔をして振り返ってから、私の顔を見るなり二人して目を見開いた。
「髪! なんで……」
「おー、バッサリいったなぁ」
「暑くて邪魔だったからさ。……変?」
切ったばかりの髪を撫でながら言うと、二人してブンブンと首を振った。
「ほんと!? よかった! こんなに短くしたの久々だったからドキドキしちゃった」
ホッと胸を撫で下ろしながら言うと、何か言いたげなスガと目が合った。
スガが口を開いた瞬間、後ろから田中の大きな声が聞こえた。
「なー!!! ナマエさん髪切っちまったんですか! なんで!!!」
そう言って田中は膝から崩れ落ちた。
「黒髪! ロング!!」
続けて隣に居た西谷も崩れた。
「なんでって……暑かったから……」
「「ジーザス!!!」」
「田中! 西谷! うるさい!!」
大地の罵声が飛び、相変わらずのやり取りに思わず口元が緩む。ふとスガが何か言いたそうだったのを思い出し振り返ると、スガは旭たちと話しているようで、もうこちらは見ていなかった。
……気のせいだったんだろうか? 内心首を傾げながらも、その後は朝練の準備に追われ、結局スガとは話せないまま朝の部活を終えた。
***
放課後になり、一日のまとめに日直の日誌を書いていると、ふと手元が暗くなった。手を止めて視線を上げると、スガは少しだけ神妙な顔をしてこちらを見下ろしていた。
「どしたの? 日直だから部活先行っててねーって言ったのに」
「ん……」
スガは少し困ったような、拗ねたような、なんとも言えない顔をしてから、私の前の席に座った。
なんだか話があるような雰囲気は感じたけれど、とりあえず日誌を片付けることにした。本人も言いづらそうだし、話を聞くのは後にしよう。
「……なあ」
「ん? なあに?」
日誌に視線を落としたまま続きを促すように返事をするが、続きはやって来ない。不思議に思い顔を上げると、やはりスガは難しい顔で眉間に皺を寄せていた。
「……なにさ。変な顔しちゃって」
「……髪」
「髪? え、なに。やっぱり変? 似合わない?」
「いや、そうじゃなくて。似合ってるけど……」
「けど?」
「……なんで切ったんかなーって思ってさ……」
「……暑かったからって、朝も言ったべさ」
「いや、そうなんだけど……」
むむっと少し難しそうな顔をして、スガは更に眉間に皺を深くした。
「……なんか、あったんじゃねーの?」
「なんかって……何?」
「それはほら、……分かんねーけど。でもなんとなく……最近なんか変だったし」
茶化す風でもなく、いつになく真剣に見つめられ、私はそっと視線を落とした。
「なんもないよー。……まぁ、しいて言うなら、何もないから、かな」
少し笑いながら言った。
嘘は言ってない。別に告白して振られたわけでも、烏養さんに恋人ができて失恋したわけでもない。
ただ単に手を離しただけ。ただそれだけだ。
とはいえ、気持ちに区切りをつけるのに『何か』が必要だった。
昨日の夜は、海外ドラマのように、大きなアイスを抱えながら、泣けると評判の恋愛映画を観て号泣してみた。結構泣いた。でもやってみたら案外楽しかったし、気分が晴れてなんだかスッキリした。目が腫れなくてよかった。
今日も部活帰りにお姉ちゃんと待ち合わせして、お姉ちゃんの奢りで傷心ケーキバイキングに行く予定だ。なんならその後カラオケにも行く。
そうやって、とりあえず思いつく限りのことを手当たり次第にやってみている。髪を切ったのだってそのうちの一つ。流石に失恋して髪を切るのはベタだなと自分でも思ったけど、気分が変わるならそれだけでよかった。
せっかく好きな人ができたのに、嫌な思い出だけで終わらせてしまうのが淋しかったし、なんとなく『特別』なことをしてみたかった。
おかげで、だいぶ気持ちが楽になった。良い思い出になったとまではいかないけれど、良い経験ができたとは思う。なので、今は強がりではなく、本当に大丈夫だ。
そんなことを考えながら顔を上げると、スガは難しい顔をしたままだった。できるだけ明るく聞こえるように言ったつもりだったが、逆に深読みさせてしまったのかもしれない。
「あ、ゴメンゴメン。意味深な言い方しちゃったかな。えっと……最近私、ダメダメだったから。ちょっと気分を変えたくてさ。髪切ったら、何か変わるかなって思って。……それに、気合いも入れたかったしね」
「気合い?」
「そ。春高行くんだからさ、気合い入れんとね」
夏休みが終わり、もうすぐ地区予選が始まる。今が一番大事な時期だ。私が今やらなきゃいけないことは、一番考えなければいけないことは、もう分かっている。
「……とは言っても、私にできることなんて応援くらいだけどさ。むしろ他に何にもできなくて役立たずで嫌になっちゃうくらい」
ハハハ、と笑いながら言うと、スガが勢いよく立ち上がって、座っていた椅子がガタリと音を立てた。
「んなことねーって! いつもドリンク作ってくれたり、スコアつけたり、色々準備してくれてんじゃん! ナマエがそうやって支えてくれてるから俺は頑張れるんだし! ナマエが居てくれるから――」
あまりの勢いにポカンと口を開けながら見上げていると、視線に気づいたのか、スガはハッとした顔をして、慌てた様子で再び椅子に座った。スガの顔がみるみるうちに顔が赤くなっていく。
「……や、その、もちろん清水とか谷地さんもだけど、マネのみんなが居てくれるから、俺たち選手は安心して前だけ見てられるっていうか……」
顔を真っ赤に染めながらも、茶化すふうでもなくまっすぐな言葉を向けられ、スガの誠実な人となりを改めて思い知る。自信をなくしかけていたせいか、鼻の奥がツンと痛んだ。
「……うん。ありがとう。……実は最近ダメすぎてちょっと自分を嫌いになりそうだったから、そう言ってもらえると、すごい嬉しい……です」
気恥ずかしさを感じながら呟くと、スガはムッとした顔をして口を尖らせた。
「んなことで嫌いになんかなるなよ……」
「うん。ごめん」
拗ねたような顔が、少し子供っぽくて可愛かった。
「スガはいつもそうやって言ってくれるね。……この間朝練中に具合悪くなっちゃった時もありがとう。心配してくれたの、ホントは嬉しかった。なのに『平気だってば!』なんて突っぱねてごめんね。おんぶして貰うの逃しちゃったね」
照れ隠しに少しおどけて言うと、スガも少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「んなもん、いつでもしてやるって」
「じゃあダイエットしとく。スガを潰さないように」
「ダイエットなんかしなくてもナマエなんか軽々持ち上げてやるよ」
そんなことを言いながら、腕まくりをして力こぶを作って見せた。スガがいてくれてよかった。今日が始まる前よりもずっと心が軽くなっているのを感じる。誰かに認めてもらえることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
「……春高、行こうね。全力で応援するからね」
そう言うと、スガはいつものニッとした笑顔を向けた。
***
春高予選を勝ち上がり、私たち烏野高校排球部は、あの白鳥沢を倒し本戦へとコマを進めた。
あれから四ヶ月が経ち、短い髪にもすっかり慣れた。急に切られて色んな方向に向いていた毛先もようやく馴染んで、思いどおりにスタイリングできるようになってきたところだ。鏡を見るたびに感じていた違和感も、もう今は感じない。
烏養さんへの気持ちも、だいぶ落ち着きつつあった。
「お疲れ様でーす、烏養さん、コレ今日のスコアね」
いつものように部活帰りに坂ノ下商店に立ち寄り、ファイル一式を差し出すと、烏養さんは読んでいた雑誌を置いてファイルに手を伸ばした。
「あれ、今日はタバコ吸ってないんだ?」
「成長期の学生が利用するんでね」
「お、偉いねー。感心感心」
「誰かさんがうるせーからな」
「あら、それは誰のことかなー?」
笑いながら肩をすくめると、烏養さんも小さく笑った。
「スコアありがとな。ほら、早いとこ帰れよ。もうすぐ陽が落ちるぞ。危ねーだろ」
「大丈夫。多分このあとみんなも来ると思うから、同じ方向の子に送ってもらうよ。体育館出る時に『あとで行くから待ってて』って言われたんだ。だからちょっと待たせてね」
体育館でのやりとりを思い出しながら言うと、烏養さんは大きくため息をついた。
「ったく……早く家帰ってちゃんとしたメシ食えって言ってんのに」
「まあまあ、みんな春高に向けて自主練頑張ってるからお腹空くんだよ。みんな頑張ってるもんね。私も見習わないと……」
最近は掛け持ちの手芸部にもあまり顔を出さず、みんなと同じようにバレー部に専念している。そのおかげか、なんとなくメンバーのみんなとの一体感のようなものを感じている。
私も少しは、みんなみたいにバレー部の一員になれているだろうか。
「お! ナマエまだ居た」
「スガ、おつかれー。そろそろ来るかなって思ってた」
「大地が肉まん奢ってくれるってよ」
「ホント? いいんですか〜? 主将」
「いいって言った覚えはないんだがなぁ……」
大地は少しだけ困ったように眉を寄せながらも、みんなに肉まんを奢ってくれた。
「ほら、それ食ったら帰れよ。帰ってちゃんとしたメシ食え」
「はーい」
「あと、陽が落ちたらすぐ暗くなるから、そいつ誰か送ってけよ」
烏養さんが私を指差しながら言った。
「じゃあ――」
「あ、俺が送るよ」
同じ方向の人に頼もうと声をかけようとした瞬間、スガがスッと手を上げながら言った。
「……スガんち、逆方向じゃないっけ?」
「いいべよ! 用があんの!」
子供のように口をムッと尖らせるスガが可愛くて、小さく笑う。
「じゃあお願いします」
「おう!」
***
スガと並んで歩きながら、夕焼けの空を見上げた。こうして二人で歩くのは久々だった。
「肉まん美味しかったね。私、久しぶりに食べたかも。ご飯食べれるかな」
「俺は余裕」
「スガって食べなさそうなのに意外と食べるよね」
「男の子だかんなー」
隣を歩くスガをチラリと見上げると、視線に気付いたのか、ふと目が合った。
「ん?」
「なんかこうやって二人でいるのって久しぶりだなって思って」
「あー、確かに。いっつも俺ら三人プラスナマエの四人か、清水入れての五人だもんな」
「うん。なんかちょっとだけ照れんね」
へへ、と笑いながら言うと、スガも同じように笑った。
「あ、そういえば何か用だった?」
「ん?」
「スガ、待っててって言ってなかったっけ?」
帰り際に待っていてと声をかけたのはたしかスガだったはずだ。ひょっとしたらこうして送ってくれたのも、何か話したいことがあったからなのかもしれない。
「いや、……あー、うん……」
なんとも煮え切らない返事に、思わず眉を顰める。
「なに、どしたの」
「いや、ちょっと待って。ちゃんと話す」
足を止めて小さく咳払いをしてから、スガは深呼吸を一つした。
「……あのさ」
「は、はい」
改まった雰囲気に、思わず敬語になってしまった。私を真っ直ぐに見つめる目がほんの少しだけ鋭くて、怖くて、そっと目を伏せた。
ほんの少しの沈黙が流れ、再びスガを見上げると、スガはゆっくりと口を開いた。
「……俺たち、付き合わん?」
「へ?」
思ってもみないことを言われ、面食らって変な声が出た。
無言で見つめ合いながら、今言われたことを頭の中でゆっくり繰り返す。
――『付き合う』って、そういうことだよね。
ひょっとして冗談だったりするだろうかと様子を窺うが、スガは変わらず真剣な顔で私を見つめていた。その様子から、冗談の類ではないことが見て取れた。
「えっ……と……」
……スガのことは好きだけど、多分そういう『好き』じゃない。烏養さんを好きだった時みたいな、そういう気持ちは、スガには持ってない。
……だから、今答えを出せと言われたら、きっとそれが答えだと思う。
スガを傷付けずにやんわりと答えを告げるにはどうしたらいいだろう。スガは良い奴だし、大好きだ。できれば傷つけたくない。それに、春高を控えた今、波風を立てたくないという気持ちもある。
……でも、それはただの自分のエゴで、優しさじゃないんじゃないか。どう答えても、答えは変わらない。なら、スガが真っ直ぐ伝えてくれたみたいに、こちらも真っ直ぐ向き合う方が誠実なんじゃないか。ハッキリした答えを示さずに、良い人で居ようとするのは、それこそ失礼だ。
――そうだ。やっぱりちゃんと言わなきゃダメだ。
覚悟を決めて口を開きかけた時、スガの手が私の口を塞いだ。
「ちょ、やっぱタンマ! タンマ!」
「んぐっ……!」
急な『タンマ』に、思わず固まる。
「わ、悪い! ……えっと、返事、今じゃなくていいから! その……ほ、保留! 保留な!?」
スガは慌てた様子で私の口元から手を離し、そう告げた。
「保留……?」
「ほら、急に言われて今答え出せって言われても、ナマエも困るべ? だから、その……保留……ってことで……」
「……保留」
『保留』の意味を噛み締めるように繰り返す。とりあえず、今すぐ答えなくてもいいんなら、ちょっとありがたいかも。保留なら、今までどおり友達として接する分には問題ないんだろうか。逆に脈無し感が出ちゃうかな。かといって急に態度を変えるのも変だし……。
「……ひょっとして、考えるまでもなくダメだったりする……?」
黙り込んだ私を、別の意味に受け取ったらしく、スガは恐る恐るといったように問いかけた。
「違っ! 別に、その……スガがダメなわけではなくて……。ただ、スガはずっと友達だったから……いきなりで、ちょっとビックリしちゃって」
ぶんぶんと首を振って答えると、スガはホッとした表情で息を吐き出した。そして、先ほどと同じ真剣な顔をして、再び真っ直ぐに私を見つめた。
「ナマエが好きなんだ。……一回でいいから、考えてみてくんね? 割と、真面目に」
真っ直ぐに射抜かれて、思わず呼吸が止まる。
真っ直ぐに気持ちを伝えることが、どれだけ難しいことなのか、烏養さんに何も伝えられなかった私が一番よく分かってる。だからこそ余計に胸を打たれた。
スガはいつも誠実で、真っ直ぐで。それなのに自分ときたら、傷付けないようにやんわりと、なんて、失礼極まりない。結局自分が悪者になりたくないだけじゃないか。
ちゃんとスガと向き合いたい。友達としてしか見たことなかったけど、ちゃんと、私なりに真剣に。
「……分かった。ちゃんと、考える」
噛み締めるようにそう呟くと、スガはホッとしたように息を吐き出してから、いつもと同じ笑顔を向けた。
「んじゃ、帰るべ」
そう言って歩き出すスガの隣りを歩く。意外にもあっさりと切り替えられ、気まずくなったりしないかと思っていた私は拍子抜けしてしまった。
――私はちょっと照れくさかったりするんだけどな。
そんなことを思いながらコッソリとスガを見上げると、耳の後ろ辺りが赤くなっているのように見えた。夕陽のせいなのか、はたまたスガも照れているのか。
顔が燃えるように熱い。きっと真っ赤な夕陽のせいだと自分に言い聞かせながら、スガの隣を俯きながら歩いた。
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