- ナノ -


(プロローグ 1話)


 梅雨が明け、期末テストが終わった。もうすぐ暑い夏がやって来る。


「ヤバくない? もう夏になるんだよ!? この間二年になったばっかりなのに! 早くない!? ヤバすぎくない!?」
「お前の語彙力もヤバくない? まぁでも本当にな……インハイも終わっちまったし、なぁ……」

 はぁ、とため息をつきながら幼馴染の黒尾が呟く。

「でも引退しないんでしょ? 春高までまだまだこれからじゃん?」
「いや、お前。んなこと言ってたらあっという間に秋よ?」
「まだ夏にもなってねぇっつーの!」

 べしっと黒尾の背中を軽く叩きながら言うと、黒尾がギロリと睨んだ。

「きったねー言葉使うなよ。女の子でしょーが」
「うっさいなぁ。クロはおじいちゃんみたい」
「ナマエちゃんや、おじいちゃんにうまか棒買って来ておくれ」
「えー、やだ」
「お前さぁ、ちょっとは老人を労われよ」

 ゲラゲラ笑いながら話していると、部屋の主である弟の研磨が鬱陶しそうな視線を向けた。

「……ねぇ、どうでもいいけどなんで俺の部屋に集まるの」
「え? そりゃお前、研磨の部屋が一番快適だからじゃね?」
「そうそう。各部屋に分散するとエアコン代もかかるし。ママに怒られるもんねー?」

 ねー? と黒尾と顔を見合わせながら言うと、言っても無駄だと悟ったのだろう、研磨はあきらめたようにため息をついて、そのまま手元のゲーム機へと視線を戻した。




 しばらくの間、ナマエは黒尾と一緒に研磨の部屋に設置してある家庭用ゲーム機へと向かっていたが、早々に飽きてしまったため、今は部屋から持ち込んだ漫画を読んでいた。

「あ、そうだ! これ貰ってきたんだったー」

 そう言いながらカバンの中を漁る。聞いてもいないのにナマエが心の声を口に出すのは今に始まったことではないので、研磨も黒尾も特には反応はしなかった。だが、取り出した『物』を見て、黒尾は「おっ」と声を上げた。
 
「何、お前バイトなんてすんの」
「んー? 部活入ってないと夏休みって超絶ヒマだからさー。去年は何もしないで終わっちゃったし、今年は何かしようかなーって。ほら、私来年は受験だから。遊べるのって今年だけじゃん? 青春だよ、せいしゅん」

 中学までは部活に入っていたため、夏休みもそれなりに忙しかった。だが、昨年は本当に何もすることがなく、一方この二人はもちろんのこと、友人達も部活が忙しく、誰もナマエと遊んでくれなかった。要するに寂しかったのだ。なので今年はバイトでもしてやろうと思い、コンビニに置いてあるバイト情報誌を貰ってきたというわけだ。

 すると、黒尾は感心したように頷いてから、コントローラーを置いてナマエの方へ向き直った。

「じゃあナマエチャンさ、夏の間だけでいいからマネージャーやんね? 青春ついでに」
「マネージャー? バレー部の?」
「そう、夏って合宿がいくつかあんだろ? うちマネ居ねえからちょーっとキツイんだよね。ナマエちゃんがやってくれたら助かるんだけどなー」

 甘えた声でそう言われ、ナマエは「うーん……」と唸り声を上げた。

 別にやりたくないわけではない。研磨や黒尾と一緒に居るせいかバレー部のメンバーとは面識もあるし、仲もそこそこ良い方だと思う。自分なんぞでみんなの役に立つというなら手伝いたいという気持ちもある。

 ……でも、正直言ってちょっとだけ面倒くさい。

 そんな気持ちを見透かしたように、研磨が口を開いた。

「ナマエには無理だと思うよ」
「はぁ!? どういう意味よ!!!」

 聞き捨てならない台詞に、ナマエは思わず語気を強めた。

「言ったとおりの意味」
「意っ味わかんないっ! マネージャーってドリンク作ったりスコアつけたりでしょ? 私にだってできるし! 中学の時も少し手伝ってたじゃん! できてたよねぇ!」
「うるさい。耳元で大声出さないで」
「できてたでしょって言ってるの!!! 研磨ってホントムカつく!」

 あまりに腹が立って、思わず立ち上がって声を荒らげる。そんなナマエの肩を、黒尾が支えた。

「あー落ち着け落ち着け。喧嘩しないの」

 どうどう、と宥めるようにされ、ナマエは口を尖らせて黒尾を見つめた。

「できてたもん!」
「おう。できてたできてた。ちゃーんとできてたよー」
「ほら!」

 べーっと舌を出してやるが、研磨は素知らぬ顔で視線を逸らした。

「中途半端にマネージャーやられたって邪魔なだけだよ。いない方がマシ」
「はぁ!? やるからにはちゃんとやるし!」

 その言葉に、研磨がチラリとナマエへ視線を向けた。

「じゃあナマエにやれるの?」
「だからそう言ってるでしょ! しつこいなぁ!」

 売り言葉に買い言葉で返事をすると、研磨の口元がニヤっと歪んだ。

「だってさ、クロ。良かったね」
「いやー助かるわ!」

 待ってましたとばかりに言う黒尾の口を咄嗟に手で塞ぐ。

「まっ、待って! やれるとは言ったけどやるとはまだ言ってな――」
「やれるんでしょ? やりなよ」

 ふふん、と研磨に鼻で笑われ、ナマエは思わずぐぬぬ……と声を詰まらせて研磨を見つめる。研磨はといえば、再び素知らぬ顔で手元のゲーム機へと視線を戻していた。

「……わ……かった」

 しぶしぶ承諾の返事をすると、黒尾が嬉しそうにナマエの髪をわしゃわしゃと撫でる。

「マジサンキューな! 特に夏の合宿だけはマネいないとマジでキツイんだよ。ほんと助かるわ。お前はホント天使だなー」

 黒尾の嬉しそうな顔を見るなり、ナマエはぐっと言葉を呑み込んだ。こんな顔をされては、断ることなどできない。なんだかんだ言って、ナマエは黒尾のことが大好きだった。黒尾や研磨のおかげでバレー部のメンバーとは仲も良い。多少面倒臭い事には変わりないが、皆が喜んでくれるならやってもいいかな、などと思ってしまうから我ながら現金だ。

「しょうがないからやってあげる。……っていうか! メタルギアやんないなら代わってよ」

 照れ隠しに口を尖らせながら黒尾からコントローラーを奪い取る。すると、黒尾は慌ててナマエの手元へと手を伸ばした。

「まだ終わってねーよ! 途中だ途中!」
「じゃあ早く終わらせてよ! つまんない!」
「っていうか自分の部屋行きなよ。ナマエの部屋にもあるじゃん」

 研磨が呆れたような視線を向ける。

「じゃあDS持ってくるからいいよーっだ!」
「だから自分の部屋でやりなって」
「やだ」
「お前は寂しがりだよなぁ」
「クロこそ私が居ないと寂しくて死んじゃうくせにー。私のこと大好きだもんね?」

 ぐりぐりと頬を突いてやると、黒尾はニヤリと笑った。

「おー、ナマエちゃん居なかったら寂しくて死んじまうよ」
「あはは! 嘘っぽーい」
「嘘じゃねーって。ほら、この澄みきった目を見ろよ」
「目つき悪ーい」
「ねぇ、俺の部屋に居るなら少し黙ってくれる」
「クロ。やっぱスマブラやろ、スマブラ」



***



 最初の合宿は『私立梟谷学園高校』で行われた。

「ねぇ、クロ。荷物全部下ろしちゃっていいの?」
「ああ。とりあえずお前は自分のだけ下ろしな。あとは重いから俺らが運ぶから」
「やっさしーい」
「だろー? 惚れんなよー?」
「ハハハ! それは無い」
「おい!」

 黒尾と軽口を叩きながら、荷物をバスから下ろすと、灰色髪の男の人がナマエを覗き込んでいた。

「うわっ! な、何!? クロー! 変な人がいる!!!」
「はぁ!? ……あぁ、なんだ木兎かよ」

 木兎と呼ばれたその男は、ウキウキしたような顔で、なおもナマエの顔をジロジロと観察するように見ていた。

「ねぇ、すっごい見てくる……」
「なぁなぁ! 音駒ってマネ居たの?」
「ちげーよ、合宿だけ手伝ってもらってんの! うちはおめーんとこと違ってマネ居ないんでね」
「わはは! 羨ましいか!」
「うっせ!」

 そのやり取りだけで、仲が良いことが窺えた。

「なんだ、クロの友達か」

 変質者だったらぶん殴ってやろうと思っていたのに。そんなスポーツマンシップのかけらも無いことを思いながら、ナマエは黒尾を見つめた。

「コイツ、梟谷の主将の木兎光太郎」

 黒尾によって紹介された木兎は、ニッと笑いながら手を差し出した。少し圧倒されながらその大きな手を握ると、グッと握り返された。

「なあ! 名前は!?」
「孤爪ナマエ」
「孤爪?」
「研磨の姉ちゃん」
「姉ちゃん!? じゃあ俺らとタメ?」
「いや、双子だから二年」
「おお! 双子!!!」

 二人のやりとりを見ながら、ナマエはため息をついた。なんだか話が長くなりそうな予感がする。面倒事からはさっさと離脱したい。チョイチョイと黒尾の袖を摘むと、ナマエは地面に置いたままの鞄を指さした。

「ねぇ、この荷物運んじゃっていい?」
「ああ、お前はこれとこれ運びな」

 そう言って黒尾は、ナマエの荷物と一緒に小さめの鞄を一つ手渡した。

「じゃあ木兎さん、さようならー」
「おう! またな!」



 一通り荷物を運び終え、着替えて体育館へと向かう。もう他の学校もほとんど揃っており、準備を始めている。
 ふと、先ほど会った木兎が手を振っているのが見えた。パタパタと手を振り返すと、木兎がビョンビョンと飛び跳ねた。そんな木兎を、隣の黒髪の男が怪訝そうな顔で見つめていた。

「ねぇクロ、木兎さんって上手いの?」
「ああ。あんなんだけど全国で五本の指に入るスパイカーだぜ」
「へえー、すごいじゃん」

 チラリと見ると、スパイクを失敗したのか頭を抱えてこの世の終わりみたいな顔で地べたに座り込んで頭を抱えている。

「まあ……あんなんだけど」
「ハハハ! ウケる」

 梟谷の面々は和気藹々としていて、とても仲が良さそうだった。

「さーて、俺らも始めるぞー。ナマエちゃんや、スコアのつけ方覚えてる?」

 ほれ、と言いながら黒尾がスコア表を手渡した。

「まっかして! 多分覚えてる!」
「多分なのにまかして……」

 はは、と乾い笑いを浮かべながら黒尾が呟く。

「大丈夫大丈夫! 直井君に聞きながらやるから」

 グッと親指を立てながらそう言うと、今度はすぐそばに居た夜久衛輔と山本猛虎が顔を見合わせた。

「コーチに君付け……」
「直井コーチ怒んないんすかね」

 二人の呟きに、黒尾がため息を一つ吐き出した。

「……諦めたんダロ。つーかコーチだって忙しいだろうに……」

 そんな三人を無視して、ナマエは弟の孤爪研磨の元へと向かった。

「あ、そーだ! ねえ研磨ー!」
「うるさい。聞こえてる」
「ねえねえ! 『しょうよう』ってどれ?」
「は?」

 研磨は気怠げに立ち上がり、キョロキョロと体育館内を見渡すと、首を傾げた。

「……あれ、居ないね。烏野は居るのに」
「えー! せっかく見ようと思ってたのにー」

 人見知りの弟が珍しく外で友達を作ってきたので、どんな奴なのか興味があったのだ。マネージャーを受けたのだって、何割かは『しょうよう』見たさがあってのことだった。

「翔陽はナマエと同じくらいうるさ……元気だから居たらすぐ分かるよ」
「今うるさいって言おうとしたよね」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
「言った!」
「おーい、遊んでんなー」

 遠くで黒尾が手招きしている。どうやら試合が始まるらしい。



***



 練習が終わるや否や、どっと疲労感が襲ってきた。

「あー疲れた」

 そう言いながら地べたに座り込むと、黒尾が笑って近寄ってきた。

「お疲れさん。結構ハードだろ」
「ドリンクめっちゃ作ったー。腕が痛ーい。足も痛ーい」
「ありがとなー」

 そう言って、黒尾はナマエの頭をわしゃわしゃと撫で回した。

「じゃあおんぶして!」
「自分で歩きなさい」


「あー! ナマエー!」

 大声で呼ばれ視線を向けると、木兎がブンブンと手を振りながら近づいてきていた。

「あ、木兎さんだ」

 パタパタと手を振り返すと、すぐ後ろに木兎よりも少しだけ背の低い、黒髪の大人しそうな男がついて来ているのが見えた。

「……誰、アレ」
「お前って初対面の奴になんでそんな敵意むき出しなの。野良猫かよ。……あれは、梟谷の副主将の赤葦」
「へーえ。あかあしさんね。珍しい名前」
「ああ、でも赤葦は――」
「ナマエー!」

 何かを言いかけた黒尾を遮るように、木兎がやってきた。

「……なんか用?」

 ナマエの問いかけに、木兎は一瞬だけ怯んだようにたじろいだ。

「え、なんか怒ってんの?」
「別に怒っちゃいないけど」

 小さなため息と共に吐き出すと、黒尾が隣で苦笑した。

「なに、木兎。こいつになんか用だったわけ?」
「話そうと思って」
「コイツ今疲れてて不機嫌だから急用じゃないなら後にした方がいいかもよ」
「別に疲れちゃいないけど!」
「嘘つけ。ほら、夜久達食堂に居るだろうからお前も飯食ってきな」

 再び黒尾の大きな手がナマエの頭をわしゃわしゃと撫でる。その手をベシッとはたき落とすとナマエは言った。

「やだ。クロと一緒に行く」
「ナマエちゃん、子供じゃないんだからさぁ。主将は忙しいのよ」
「やだ! クロが一緒に行ってくんないなら私も行かない!」
「お姫様かよ。……分かった。一緒に行くから」
「え、なに、付き合ってんの?」

 ナマエと黒尾のやりとりを見てか、木兎が驚いたように目を見開いた。

「んなわけねーだろ。幼馴染なんだよ」
「そう。隣んち」
「幼馴染……」

 木兎が少し真剣な顔をしながら呟く。

「なんかいいな! 響きが!!」
「はぁ? ……ま、俺が頼み込んで今回の合宿参加してもらってるから、俺には責任があんだよ。だからコイツにあんまちょっかい出さないでね。赤葦も見張っといて」

 赤葦と呼ばれた男は、わかりました。と小さく答えた。

「ねぇー、お腹すいたんだけど」
「だから先行けって言ったじゃんよ……」
「だってぇー……暗いから一人は怖いんだもん……」

 黒尾はガシガシと頭を掻くと、大きく息を吐き出した。

「……わかったよ、お姫様。じゃあ木兎、またな」
「木兎さん赤葦さんさようならー」

 ペコリと二人にお辞儀をして、ナマエは黒尾と共に食堂へと向かった。



***



 食堂に着くと、いつもの面々がもうすでにテーブルについていた。

「お、来た来た。ナマエ、こっちだぞー」

 モヒカン頭の山本が手を振っている。

「わ! ごめん! 待っててくれたの!?」

 自分のせいで待たせてしまったのかと慌てて席に着くと、海信行が微笑んで答えた。

「いや、ちょうど皆集まったところだから大丈夫だよ」
「ほんと? あーよかった。研磨、ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ、うるさいなぁ」
「ナマエも人の事言えねーんじゃねーの?」

 黒尾にそう言われ、ナマエは自分のトレーに視線を移す。ナマエのトレーに乗っている料理の量は、他のメンバーの半分以下だった。

「相変わらずお前ら姉弟は食わねーなぁ」

 夜久に笑いながら言われ、思わずナマエは口を尖らせる。

「私はいいの! マネージャーだもん」
「食わねーともたねーぞ。マネージャーなめんなよ」

 凄むように黒尾に目を細めて見つめられ、ナマエはうっと息を呑む。

「な、なめてないし! っていうか、私もともと食べる量このくらいだし」
「まぁ知ってるけどね。でももう少し肉付けた方がいいんじゃねーの? 腰とか細すぎ――」

 そう言って、黒尾はそっと撫でるようにナマエの脇腹に触れた。

「エッチ! 勝手に触らないでよ」

 ナマエがその手をペシッと叩くと、黒尾は声を上げて笑った。

「照れるな照れるな」
「照れてない! っていうかそれってセクハラ!」

 そんな二人のやり取りを、メンバーは微笑まし気に見守っていたが、弟の研磨だけは心底嫌そうに顔をしかめた。

「ちょっと、身内のそういうのホント見たくないからやめてくれない? クロ、そういうのするならナマエを今すぐ帰らせるから」

 研磨から心底うんざりした顔で睨まれ、黒尾は咳ばらいをした。

「わ、悪い。調子乗った」
「ホントだよ! 反省して! ねー、研磨」
「ナマエも。うるさいよ、さっきから」
「えー……私も怒られた……」

 二人して研磨の前でシュンと肩を落としているのを見て、夜久が笑い声をあげた。

「ははは、研磨の方が兄ちゃんみたいだな」

 その言葉に、研磨は気まずそうに目を伏せた。

「双子だし……どっちが年上ってこともないと思う」
「まぁ、それもそうだな」


 ナマエは自分の皿に乗っているニンジンをフォークでそっと刺すと、小さな声で黒尾へと囁いた。

「クロ、ニンジンあげようか?」
「好き嫌いしないでちゃんと食べなさい」

 ピシャリと言われ、ナマエはため息をつくと自分の皿へと戻す。そして、黒尾の視線が逸れた瞬間を狙ってこっそりと黒尾の皿へと移した。

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