- ナノ -


(プロローグ 2話)



 風呂上がりに散歩がてら梟谷学園内を歩いていると、ふと自販機があったのを思い出した。

「たしかこの角を曲がったところに……」

 足を進めると、思ったとおり目当てのものを見つけた。すると、先客が居たらしく、男が一人自販機の前で佇んでいた。

 先ほど木兎と一緒に居た男だ。

「あれ? えーっと……赤葦さん?」

 声をかけると、男はナマエの方へと振り向いた。

「……孤爪さん?」
「ははは、ナマエでいいですよ。孤爪だと研磨のことか私のことか分かんないし? ほら、同じ苗字だから。まぁ、姉弟だから当たり前なんだけどー!」

 笑いながらそう言うと、赤葦は面食らったように固まってしまった。

「あれ、どうかしました?」
「いや、さっきと印象が違うな、と思って」
「えー? そうですか? ……ああ、さっきは疲れてたからかなぁ。なんか、私は分からないんだけど、クロが言うには私と研磨って『疲れるとキレるタイプ』らしくて。あ……態度悪かったですか? ごめんなさい」
「いや、そんなことはないけど……」

 話しながらナマエは、なんだか気難しそうな男だなぁ、と思った。全然笑わないし、見た感じ気が合うタイプだとは思えない。木兎と一緒に居たからなんとなく声をかけたが、失敗だったかもしれない。

 ――かといって「じゃあさよならー」ってわけにもいかないしなぁ……。

「えーっと……赤葦さんは……」
「赤葦でいいよ。それに、別に敬語も使わなくていいし」
「え? でも赤葦さん三年ですよね?」
「いや、二年だけど」

 それを聞いて、ナマエは目を思いっきり見開いた。

「はぁ!? 二年なの!? じゃあタメじゃん!」
「そうだよ。だから敬語はいらない」
「なーんだ。副主将って聞いたからさぁ……てっきり三年だと思っちゃった!」

 緊張して損した。そんなことを思いながら、ナマエはふう、と息を吐き出し、自動販売機の前のベンチへと腰掛けた。

「じゃあ赤葦も座りな」

 ポンポンと隣を叩きながらそう言うと、赤葦は何も言わずに隣へ座った。

「孤爪さんは……」
「ナマエでいいってば」
「……ナマエはバレー部じゃないんだっけ?」
「そう。私は合宿の間だけ頼まれて、マネージャーしてんの。クロにね、頼まれたんだー。研磨は超嫌そうだけどね。顔が死んでるから。……まぁ研磨の顔が死んでんのはいつもだけど!」

 ははは、と笑いながらそう言うと、赤葦は首を傾げた。

「孤爪が?」
「研磨っていっつも顔死んでない?」
「……まぁ元気いっぱいって感じではないかもね。そうじゃなくて『嫌そう』って」
「ああ。研磨は、私がうるさいから嫌なんだって。失礼だよね。でも、合宿ってマネージャー居ないと大変なんでしょ? だから我慢してんじゃないかな、多分。ほら、マネ居ないと雑用って一年がやるじゃん? 大変だよね、練習もして、雑用もして、だとさ。だから私にやらせた方が一年生にとってはいいじゃん? 研磨って意外とそういうとこ気にするから」

 一息に言うと、赤葦は少し面食らったような顔をしてナマエを見つめていた。

「ん? なに?」
「……いや。よく分かってるんだなと思って」
「そりゃ双子だもん。研磨が何考えてるか、大体分かるよ。今は多分ゲームやってるよ。あ、赤葦なんか飲む? 奢ってあげるよー。何がいい? お茶? コーヒー? 紅茶? あ、おしるこなんてある! しかも冷たいって! おもしろーい。おしるこ飲む!?」
「……じゃあお茶で」
「オッケー、お茶ね! 麦茶! 緑茶! ほうじ茶!」
「……じゃあほうじ茶」
「オッケー!」

 勢いよくボタンを押すと、出てきたのは緑茶だった。

「……は? なんで? 私緑茶押した?」

 赤葦を振り返って尋ねるが、赤葦は小首を傾げ、自分の財布から小銭を数枚取り出して自販機に入れた。そしてほうじ茶のボタンを押す。

 出てきたのはやっぱり緑茶だった。

「……自販機の係の人が間違えたんだな」
「えー! じゃあほうじ茶はどこ? 緑茶のとこかな? ふふ、ちょっと押してみよー」

 なんとなく気になったナマエは、とりあえず残りの小銭を自販機に投入した。そして緑茶のボタンを押すと、今度こそほうじ茶が出てきた。

「わ! 本当に出てきた! なんか宝探しみたーい! 楽しすぎない!? はい、赤葦のほうじ茶」
「え? いいよ、コレあるし」
「でもほうじ茶がいいって言ってなかった?」
「言ったけど」
「じゃああげる。ハイ。返品は不可デェース」

 グリグリと無理やり押し付けるように手渡すと、赤葦は少し考えるようにその缶を見つめ、ブッと吹き出した。

 ――あ、笑った。

 この人も笑うことあるんだ。などと少し感心しながら、いつまで肩を震わせながら笑う赤葦をじっと見つめる。

「……っていうか長くない? 笑いすぎなんだけど」

 そんなに爆笑されるようなことを言った記憶もない。なぜ目の前の男がいきなり笑い始めたのか、ナマエにはさっぱり分からなかった。ジロリと見つめると、赤葦はわざとらしく咳払いを一つした。

「ゴメン、ちょっと限界を超えた」
「限界?」

 不思議な表現に首を傾げる。

「別にいいけど。ってか赤葦ってあんま笑わない人かと思ってた。何をそんなに笑ってたの? 緑茶出てきたのがそんなに面白かった?」

 首を傾げながらじっと見つめると、再び赤葦は咳払いをした。

「……ゴメン、木兎さんにちょっと似てるなって思って」
「似てる? ……えっ、私が!? いやいやいや、似てないから! 私あんなに喧しくないし」
「ハハハ! 結構失礼だよね」
「だって! 木兎さんに似てるって言われて喜ぶ女居なくない!?」
「まぁそうだよね。でも、俺はそのおかげで話しやすいんだけど」

 チラリとナマエを見ながら、赤葦はうっすらと目を細め、笑った。

 ナマエは思わず息を呑む。その顔は美しく、思わず見惚れてしまうほどだった。

「……ナマエ?」

 何も言わずに自分を見つめるナマエを不思議に思ったのだろう、赤葦は怪訝そうにナマエを見つめ返した。

「えっ? ああ、なんでもない。……そっか。話しやすいなら……まぁ、よかった」

 誤魔化すように先ほど買った緑茶を一口飲みながら、ナマエは、ふう、と息を吐き出した。

「……赤葦は、セッターだよね?」
「うん」
「すごいよね。研磨もそうなんだけどさ、同時に色々考えられるってホント尊敬しちゃう。私、大抵一個の事考えると他のこと考えられないんだよね。あ、私ね、クロと研磨と一緒にバレーはやったことあるんだけど、もうホンット全っ然上達しなくて。早々にあきらめて見る専門になったんだけど、外から見てると改めてすごいなぁって思うんだよね。特に赤葦って、今日音駒との試合の時思ったんだけど、すっごい視野広くない!? 横にも後ろにも、こう……目がついてんじゃないかって思っ……」

 一息にそこまで話して、ハッと息を呑んだ。

「どうかした?」
「いや……また私すっごいしゃべってるなぁって思って」

 先ほど赤葦から言われた事を裏付けるかのようにベラベラと話してしまった。チラリと赤葦を覗き見ると、赤葦は一瞬何かを考えるように沈黙していたが、すぐに何かに気づいたように小さく頷いた。

「木兎さんに似て――」
「絶対言うと思った! ストップ! タンマタンマ!」
「ハハハ」

 慌てて赤葦の口を両手で塞ぐと、赤葦は再び肩を震わせて笑った。

「禁句禁句! もう、それNGワードね。もし言ったら……そうだな、ペナルティとしてジュースおごってもらうからね」

 両手を外しながらそう言うと、赤葦は小さく笑った。

「分かった。じゃあ、俺が合宿中一度も言わなかったら、ナマエが俺にジュースおごってくれる?」

 今までとは違う、悪戯っ子のような顔で赤葦は笑った。思わずナマエもつられて笑う。

「いいよー。じゃあ勝負ね?」


「ナマエー! ったく……どこ行ったんだか……」

 遠くで黒尾の声がする。

「あ、クロだ。行かなきゃ」
「じゃあコレ」

 そう言って、赤葦はナマエに緑茶の缶を手渡した。

「ん?」
「ペナルティ」

 先ほどと同じように笑いながら、赤葦が言った。

「ハハハ、じゃあもらっとく。じゃ、またね。話せて楽しかった! また話そうね」

 そう言って手を振ると、赤葦も同じように振り返した。




 慌てて声のした方へ向かうと、怖い顔をした黒尾が立っていた。

「どーこほっつき歩いてたんだよ。髪もまだ濡れてるし」
「ゴメンゴメン。ちょっと話してた」
「話してた? 誰と」
「赤葦」
「赤葦? なんで赤葦?」
「……さぁ? そこに赤葦が居たから?」
「登山家かよ」

 最初は気難しくてつまらない男だと思ったが、赤葦という男は案外面白くて話しやすい男だった。きっと、弟の研磨に少しだけ似ているからだと思った。いや、研磨よりも面白いかもしれない。

「また話そうねって約束した」
「そうやって誰とでもホイホイ約束すんじゃないの」
「クロも話したかった?」
「誰と」
「赤葦」
「なんでだよ!」

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