HLに憧れてB


バチン、と音を立てて叩かれた頬に一瞬何が起こったのか分からずポカンと口を開けた。
目の前ではウェーブの掛かった綺麗な金髪にスレンダーボディの美女が私を睨み下ろしていてる。
…あれ、私今この人に殴られた?


「これに懲りたならスティーブンに色目を使うのはやめてちょうだい!」

「…へ!?あ、ちょっ、待って、何か勘違いして、」

「うるさい!」


振り上げられた手から打たれる二発目のビンタの威力に流石の私も尻もちをつく。
反射的に腕をついたのは良かったのだけれど、運悪く勢い余って真後ろにあった電柱目がけて頭をおもいっきりぶつけてしまった。


「あ、あ…」

「…いっつ…」

「あ、貴方が悪いのよ!?大して美人でもないのに私からスティーブンを奪おうとするから!」

「なんだなんだ、喧嘩か?」

「男をかけた女同士の喧嘩だぜ。こえ〜」

「そんな二股野郎はやめて俺と遊ぼうぜ〜姉ちゃん」

「ヒッ…!」


野次馬のように集まってきた異界人の男たちに美女は小さく悲鳴をあげ血相をかいて逃げ出して行った。
走り出した拍子に勢い余って脱げた赤いハイヒールの片方が私の足元にコロンと転がる。
っておいおい、私は置いてけぼりか!
ったくスティーブンのやつめ〜〜!!全部あいつのせいじゃんか!!


「靴が片方だけってあれみたいだな、白雪姫?」

「違くね?」

「…シンデレラだよ。こんな先の尖った赤いのじゃなくてガラスの靴だけど」

「おお姉ちゃん、大丈夫か?」

「びっくりした…まさかいきなり殴られるとは思ってなかったわ…」

「とんでもねえ男に引っかかっちまったみてえだなぁ。そんな奴忘れて俺と飲もうぜ」

「いや友達だし。引っかかってないし。悪いけど飲む気分じゃないから真っ直ぐ帰って寝ます…」

「連れねえなぁ〜」


ふらつく頭と体でのろのろと立ち上がり、夕飯の食材が入った袋を拾い上げてその場を立ち去った。
HLで生きてりゃ怪我なんてよくある事だけど、まさか女性に引っ叩かれて怪我を負う事になるとは…。
しかもあんな美人の恋人がいただなんてスティーブンからは一言も聞いてないぞ。
いや、恋人とは限らないかもしれないけど…。あんな色男だもん、良い寄ってくる女なんてごまんといるだろうしね。
友人とは言えそんな彼と仲良くしている私が妬まれるのは当然か…。


「失礼…そこのミズ」

「…はい?」

「突然声をおかけして申し訳ない。失礼だが君の頭部から出てる血の量は尋常ではない…今すぐ病院に行くことをお勧めする」

「へ?あ、あああー!!血っ!?服がぁあーー!」

「そ、そんなに動くと益々、」

「……な、なんじゃこりゃあ…」


突然体格のいい男性に声を掛けられ、彼の言葉を不思議に思い頭を触ってみると手の平に血がべったりとついていた。
というかよく見れば服にも飛び散ってるし!なんで今日に限って白い服で買い出しに来ちゃったんだよもう!
ドクドクと脈を打って流れる血に巨体の男性が慌ててポケットから綺麗なハンカチを取り出し私の頬に当ててくれる。
し、紳士だ〜〜!!こんな紳士的な人がこのHLに居ただなんて…!
大きな体に尖った犬歯はいかにも怖そうな風格をしているけど、グリーンの瞳がとても綺麗で思わず見とれてしまった。なんかこう、全体的に綺麗な人だなぁ…。


「病院へ送ってゆこう。レディの体に傷でも残ったら大変だ」

「え!?あ、いや大丈夫ですよこれくらい!それより綺麗なハンカチを台無しにしてしまってごめんなさい…」

「そんな事は気にしなくてもいい。君の体の方が大事だからね」

「(紳士ィイイーー!!!)い、いやぁ…ありがとうござます」

「さあ、病院へ行こう。向こうに車を待たせてあるんだ」

「だ、ダメですって!こんな血まみれじゃ車のシートが汚れますし!」

「気にしないでくれたまえ」

「いやいや、でも…」


しばらくどちらも譲らぬ押し問答を繰り返した所で夜も更けてきた来た事に気づき、こうしていても仕方ないので彼に肩を借りて病院まで付き添ってもらう事になった。
見ず知らずの女にここまでしてくれるだなんてなんて良い人なんだ…!聖人君主か!
改めて深くお礼を言うと「気にしなくても良い」と私の頭を優しく撫でてくれた。
なんだかどっかの色男を思い出してしまった。


「じゃあこの問診表に記入を」

「はい」

「ペンは持てるかね?辛いなら私が記入しよう」

「あ、そうしてもらえると助かります…聞き腕で体を庇っちゃったから痺れちゃって。お願いします」

「お安い御用だ」


名前やら住所やらを記入する問診表まで彼、クラウスさんにお任せしてしまった。
戸籍やら個人情報を述べていると生年月日を告げた所で彼の肩がびくりと震える。どうしたのかと顔を覗き込むとカッと目を見開き驚いた様子で私を真っすぐに見つめてきた。


「…も、申し訳ない…」

「え?どっ、どうしたんですかクラウスさん!?」

「わ…私は君を…いや、貴方をてっきり年端のいかない少女だとばかり…」

「へ?」

「そうとは知らず大変失礼なことをした…!私の失態をどう詫れば良いのか…!」

「あ、あああ〜〜!もしかしてクラウスさん私の事うんと若い女の子だと思ってました?あっははは、どうりで頭撫でてくれたりレディって」

「申し訳ない…!」


自分のしたことを思い出して顔を耳まで真っ赤に染め片手で顔を覆っているクラウスさんに頬が緩む。
紳士的かと思いきや可愛い人だなぁ〜。


「いやいや、よく言われるから大丈夫ですよ。元々童顔なのに加えて他の国の人からすれば日本人は随分若く見えるみたいですからねー。時々バーでも未成年お断りって言われるし」

「まさか私と同じ歳だったとは思いもしなかった…」

「え!?同じ歳!?うわぁー、そう思うとなんだか親近感わくなぁ!でも同じ歳って言ってもこんな頼りない私と落ち着いた紳士のクラウスさんじゃ月とスッポンか…」

「そんな事は無い。私とてまだまだ未熟さ」


まさかの同い年という事が発覚し、妙に話が盛り上がって診察の始まるまでの時間ずっと彼と楽しいお喋りを続けた。
聞く話によるとクラウスさん…基、クラウスはドイツの貴族というから驚きだ。園芸が趣味と言う事で、私も随分前だけど海外で発売された植物についての本を翻訳した事があったので随分と話に花が咲いた。


「いや、すまない。君は怪我人だというのに随分話が弾んでしまった…」

「ぜーんぜん。私もすっかり盛り上がっちゃったしね!怪我の方も大したこと無かったし。まぁ頭打ってるから念のために三日程度は入院だけどね」

「また明日時間を見つけて見舞いに来ても良いだろうか…精密検査などの結果も気になるしね…」

「もっちろん!入院生活なんて暇でしかないだろうし来てもらえると嬉しいよー」

「では何か暇つぶしになりそうなものでも持って来よう」

「うわー助かる!」


クラウスに病室まで送ってもらって最後の最後までお世話になってしまった。
無事退院できたらちゃんとお礼しないとな〜。
いきなり殴られたり怪我したりで踏んだり蹴ったりだったけどお蔭でクラウスのような素敵な友達ができたんだから、あの美女に感謝しなきゃいけないね。


「ほらほら名前さん、いつまでもこんな所に居ないで速くベッドへ入ってください」

「あ、はーい。じゃあまたねクラウス。今日は本当にありがとう!」

「あぁ。ではまた明日」


看護婦に背中を押され病室のベッドへと潜り込む。個室が空いててラッキーだったな〜。
寝巻に着替えて水を飲んだところで深く深呼吸をする。ふぅ…とはいえ疲れたなぁ。


「おっと、一応出版社の方に連絡しておかないと」


夕飯用の食材が詰められたエコバックに入れっぱなしだった形態を手探りで引っ張り出し画面を起動させる。


「…って、なんじゃこりゃ!?着信履歴24件!?いったい誰から…ってスティーブンかよ!」


全く携帯を見てなかったから大量の着信履歴にも驚いたけどその相手がスティーブンという事に益々驚きだ。
あのクールな男がなぜこんな暑苦しい程の着信を…。よほどの事があったのかと慌てて電話を掛ける。


「…あ、もしもしスティ『名前!?今どこに居るんだ!いや、それより無事か!?怪我はないのか!?』え…っと…ご、ごめん。病院に居たから携帯見てなくて…」

『病院だと…!どこだ、どこの病院なんだ!』

「中央っす…」

『分かった!』

「お、おーいスティーブン?…って切れちゃったよ…」


動揺の色が隠せない声で一方的に電話を切られてしまった。
あの慌てようからすると、もしかしなくてもあの美女から事情を聞かされたんだろうなぁ。
あんなに焦ってるスティーブンの声初めて聞いたよ…。

しばらくぼんやりと窓の外の明るい夜空を眺めていると、カツカツと走ってくる足音が聞こえてきた。
ああ、あの足音はおそらくスティーブンの足音だ。
ドアの前で止まった足音にドアが開かれるのを待つものの、数秒立っても開かれる様子もなくどうしたものかと首を傾げた。
よっこいしょとベッドを抜けてドアノブに手をかけようとした瞬間、スッと開かれた扉の向こうからこちらを見下ろして目を見開いたスティーブンの姿が現れた。


「…」

「こ、こんばんはスティーブン…ドアの前に立ってなかなか入ってこないから驚いたよ」

「…俺がドアの前に立ってるのが分かったのか?」

「だって足音がしたし…なんですぐ中に入ってこなかったの」

「…自分のせいで君に怪我を負わせてしまったというのに今更見せる顔がないなぁと思ってね」

「あ、やっぱ知ってたんだ。あの美女から聞いたの?」

「あぁ」

「まぁ立ち話もなんだから入ってよ。個室だから気を使わなくて大丈夫だよー」


眉間に皺を寄せて険しい顔をしているスティーブンの手を取り中へと招き入れる。
ベッドへ腰かけるスティーブンと並んで座ろうと思ったけど、彼に横になってろと言わんばかりに促され渋々寝転がった。
灯りの点けられていない病室は窓から零れる街のネオンの灯りに染められスティーブンの表情もはっきりと見る事ができた。
そんな泣きそうな顔しなくてもいいのに…。


「…怪我の具合は?」

「美女に殴られた頬とその拍子でぶつけた頭の打撲。あと受け身を取ろうして支えた腕にちょこっとひびが入ってた程度かな」

「…大怪我だな」

「ほんとにね。まぁここで暮らしてればよくあることだよ。まぁ嫉妬をかって殴られるなんて事は初めてだったけど」

「きっついなぁ君は…」

「あの美女スティーブンの恋人?」

「ただの知り合い…って言っても君には通用しないんだろうなぁ」

「ったくもー。男女のもつれくらいそりゃ誰でもあるかもしれないけどもっと上手くやりなさいよ」

「…ごめん」

「反省してる?」

「君に怪我を追わせてしまった」

「三日ほど入院すれば全快するけどね」

「俺の問題に君を巻き込んでしまった」

「巻き込むのは構わないけど事前に連絡してもらえると助かる。対応も考えられるし」

「彼女から君の事を聞いて、心臓が止まるかと思ったよ」

「私だってあの着歴の多さには心臓止まるかと思ったよ。24件ってなに、どんだけ焦ってたのスティーブン」

「……許してくれるかい」


交わることのなかった赤く濁った瞳がこちらをゆっくりと見つめる。
まるで叱られた子供のような表情に思わず口元がへらりと緩んでしまった。
その表情から彼がどれほど私を心配し、自分自身をを責めているのかが痛々しい程伝わって来る。
それだというのにそれが嬉しいと思ってしまったいるのだから私は少しSっ気があるんじゃないだろうか。


「…ちょー美味しいご飯。それから私の部屋の室外機の修理手伝ってくれたら許してあげようかな〜」

「…安いなぁ君は」

「うっさいよー伊達男。これくらいで許してくれる良い友達を持った事をありがたいと思いなさい」

「…ほんっと、君にはかなわないよ」


額を抑えて力なく笑ったスティーブンにVサインを送ると大きな手が伸びてきて、私の頬をすっぽりと包みこむ。
指の腹でムニムニと私の頬の肉の弾力を味わったスティーブンがやっといつもの表情に戻っていたのでばれないようにホッとため息をついた。
私を想って傷つく姿も悪くないけどやっぱりいつものスティーブンが一番だ。


「そういえばその後美女とはどうなったの?」

「ん?それについては聞かない方が良いと思うぞ?」

「あれ…今一瞬スティーブンの闇が見えたような…」

「はっはっは。それよりものぐさな君がよく自ら病院まで来たなぁ。誰かに言われてきたのかい?」

「あ、そうそう!通りすがりの素敵な紳士にここまで連れ添ってもらったんだよ!いや〜こんな街にあんな素敵な人が居ただなんて私びっくり!」

「…ほぉー…」

「あ、スティーブン林檎食べる?って言っても手がこれだから私剥けないけど」

「剥いてあげるよ。うさぎでいいかな?」

「うむ」



2015.10.27





【おまけ】


「悪いクラウス、ちょっと出かけてくる」

「私も今から出かけるところだったのだ」

「へぇ。どこまで?」

「病院まで。約束があってね…」

「おお、偶然だな。俺もそこに用があったんだよ」

「そうか。ならば病院まで一緒に行こう」

「あぁ。にしても君が病院に用があるなんていったいどうしたんだい?」

「知り合いに会いに行くのだ…とは言ってもつい最近知り合ったばかりの人なんだがね。入院生活は暇だというから共にチェスでもしようかと思っているんだ」

「知り合って間もないのに君がそんなに楽しげに話すなんてなぁ。余程良い人なんだろうね、その相手の人」

「あぁ…スティーブンも誰かに面会する予定なのかい?」

「差し入れ持ってこいって煩い女王様が居てね」

「そうか…。ああ、ギルベルトの車の用意ができたようだ。行こう」

「あぁ」



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