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「じゃあ名前ちゃん、後はお願いね」

「はーい」


長旅も終わり無事合宿場に到着し早速夕飯の準備に取り掛かる。
一年生のマネージャー二人と共に任された厨房には予め大量の食材などが業者から届いてあり消えられたメニューに沿って料理すればいいようだ。


「えーっと、今日の晩御飯はカレーだね。じゃあ野菜切りから始めようか」

「はぁーい!」

「あれっ、苗字さんエプロン持参してきたんですか!?」

「うん。衛生面を考えて一応持って来ておいたんだけど必要ないかな」

「準備万端ですね〜!でもそんなに気を使わなくてもいいと思いますよ。私らなんかエプロン持って来ようなんて全く考えてなかったし」

「あ、でもせっかくなんで着けててくださいね!苗字さんってお姉さんっていうかお母さんっぽくてエプロン似合うなぁ」

「分かる!国見や金田一もすっごく懐いてるし!国見に至っては苗字さんの事自分のお姉さんとか思ってそう!」

「あはは、そうかもしれないねー。国見君私には遠慮せず甘えてきてくれるところあるから」

「及川先輩も苦労するよねー」

「ウケるねー」

「えっ…あ、早く野菜切っちゃおうか!沢山あるから時間かかっちゃうしね!」

「「はぁーい!!」」


可愛らしく返事をする一年生の二人にホッと溜息をつきエプロンを身に着け作業に取り掛かる。
できれば及川君の話題は広げたくないんだよね…今の状況じゃあ…。
あれから新幹線での移動とここまで来るバスに乗っている間及川君と一言も話すことは無かった。
だけど今朝偶然とはいえ「遅刻しちゃえばいいのに」と私の前で言ってしまったことを気にしているのかチラチラと私の方を見て目が合えば勢いよく視線を逸らすというパターンを何度も繰り返していた。
このままじゃ及川君もすっきりした気持ちで練習できないだろうしできれば仲直りしたいんだけど…。
だけどそもそもなんで及川君があそこまで私が参加することに反対だったのかも分かんないしなぁ…。
岩泉君は無視しろって言うし…うーーん……。


「……うんうん唸りながら物凄い手際の良さで野菜切ってるね苗字さん」

「きっと及川先輩となんかあったんだね。及川先輩も不機嫌そうだったし」

「分かりやすいカップルだよねー」

「見てて面白いよね」

「ほんとほんと」


一年の二人がそんな会話をしているなんてつゆ知らず。日が暮れるころにはカレーの準備も整い副菜である大量のポテトサラダや大鍋に入ったお味噌汁も完成した。
練習を終えた部員達がへとへとになって食堂のテーブルに着き始めたので慌ててお皿に盛り一つ一つ手渡しいていく。
部員の数も多いしこれが結構大変で配り終わる頃には心身共に疲れ果ててしまっていた。


「はぁ〜…終わった…」

「お疲れー名前ちゃん。大丈夫?」

「マネージャーの凄さが分かったよ…これを毎回やってるとかすごいね愛ちゃん…」

「私だって毎回へとへとになってるって。でもカレーすっごく美味しいって好評みたいだよー。もっとお代わりくれって皆ぶーぶー言ってるし」

「良かった…明日はもっとたくさん作っておかないとね」

「うん、よろしく頼むよ!」

「はーい」

「じゃあ私備品の在庫チェックしてくるから。食器洗いとかは野郎たちに交代でやらせるからゆっくりご飯食べててね」

「うん。頑張ってね」


藍ちゃんからの激励を受け自分の食事の乗ったトイレを持ち隅っこの席に座る。
もう部員の皆は殆どの人が食べ終わっているようで一年生らしき男の子たちが厨房で皿洗いをしてくれている。


「おつかれー苗字」

「今からご飯?」

「あ、松川君花巻君。お疲れ様。今から食べるところです」

「晩飯美味かったよ。俺はもうちょっと辛いカレーの方が好きだけどな」

「俺はあれくらいでちょうどいいけど?」

「ははは、カレーの好みって人それぞれだよね。家で作るときはもっと辛くするんだよ。お父さんとお兄ちゃんが辛いカレー大好きだから」

「へ〜良いな。今度食わせてよ」

「うん。いつでも遊びに、きっ……」


ドン、と誰かが勢いよく隣の席に腰を降ろす。
なんとなーく予想できた人物に蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。


「おー及川。お前も食い終わった?美味かったよなー苗字さんの料理」

「……別に俺は初めて食べるわけじゃないし。お弁当も貰ったし苗字さんの家でご馳走になったこともあるから」

「マジかよ羨ましすぎんだろオイ」

「ちなみにご馳走にになった料理って?」

「チーズ入りハンバーグだけどぉ?」

「マジ及川テメェ……」

「抑えろー松川〜」

「あっかんべーだ!」

「及川ーどこ行くんだ?」

「お風呂だよ!三年から順番に入るんだからマッキ―達も早く準備しなよね!」


突然隣に座ったかと思えば私と会話をすることなくそそくさと立ち去ってしまった。
うーん…何がしたいんだ及川君…。
お風呂に行ってくるという二人に手を振ってもやもやとした気持ちのまま夕食を終えた。
マネージャーの皆で明日の朝食の下準備を済ませた頃には夜10時を回っていて、手の空いた人からお風呂に行くことになった。
合宿場の大浴場なんて初めてだからちょっとわくわくするなぁ。




「っはぁ〜…さっぱりしたぁ…」

「厨房ってクーラー聞いてても火ぃ使ってるからあんま意味ないよねー。汗だくだったよ」

「だねぇ。あ、私飲み物買ってくるから先に戻ってて」

「分かった」


愛ちゃんと別れお風呂上りの渇いたのどを潤すために自販機を目指す。
確か玄関を出たところにあったはず…。


「お…こんな時間になにしてんだ苗字」

「あ、岩…っさん…と、及川君…」

「またその呼び方かよ」

「ははは…ごめんごめん…。ちょっと自販機にジュースでも買いに行こうかと」

「今からかよ。つーか髪濡れてんな。風呂上りか」

「うん。さっぱりしたよー」


玄関を出ようとした所で同じくお風呂上りらしい及川君と岩泉君に遭遇した。
相変わらず不機嫌そうにそっぽを向いている及川君だったけど、岩泉君のお風呂上りという言葉に反応したようなバッと勢いよく私に視線を向ける。な、なんか怖いぞ…。


「ちゃんと拭かねえと風邪ひくぞ」

「うわっ、だ…大丈夫だって…」

「夏でも夜は冷えんだっつの。おらちゃんと拭け」

「岩泉君は私のお父さんですか!?」

「似たようなもんだろ」

「えええーー!!……って、え…?お、及川君……?」

「……」


自分の方に掛ったタオルでやや乱暴に私の髪を拭く岩泉君。そんな彼の腕を及川君がガシッと掴んだかと思うと流れるような動きで岩泉君の腕が離れて及川君の手が私の髪を拭く。
ええっと…?これは……。


「…お前…いや、もう良いわ…。俺先に戻ってっからな」

「あ、うん。おやすみー岩泉君」

「おう」

「……あの、及川君…」

「……なに」

「髪ありがとね…それからごめん…」

「…俺に謝るような事なにかしたの?」

「だ、だって及川君怒ってるじゃん……私に遠征合宿に参加してほしくなかったんだよね?」


視界を半分覆っていたタオルを手で払い、及川君を見上げればうっと罰が悪そうな顔で視線を逸らす。


「なんで俺が苗字さんに参加してほしくないと思ったか分かってる?」

「それがあんまり…邪魔になるからかなぁとしか思えなくて…でも及川君は優しいからそんな理由じゃこんなあからさまに嫌な顔しないだろうし…」

「……はぁ〜…苗字さんってほんと…」

「ご、ごめん…」

「あのね、合宿に参加するってどういう事か分かってる?四六時中男に囲まれて過ごすって事なんだよ?」

「で、でもマネージャーもいるし…」

「マネちゃん達は慣れてるし苗字さんより危機管理能力持ってますぅー!!練習もあるしずっと俺が傍に居られるわけじゃないんだかんね!!今朝だって早速国見ちゃんにくっつかれてるし移動中だって乗り物酔いした部員にやさしく声かけて酔い止めあげてるし夕食のときだってエプロン着けて優しく皆にお疲れ様って言いながらご飯渡してるしさっきだってお風呂上りのむもうびな恰好で出歩いてるし岩ちゃんに頭拭かれてるしぃい!!!ギィイイーーッツ!」

「お、おちついて及川君…」

「落ち着いてられませんっ!とにかく苗字さんは自分が女の子なんだって事もっと自覚しないとだめだからね!?」

「ご、ごめん…気を付けます…」

「はぁ……ジュース買いに行くんだったよね?ほら行こう」

「えっ…すぐそこだから大丈夫だって」

「は?外で変質者がウロウロしてたらどうすんの」

「…及川君は少し過保護すぎると思うんだけど」

「うっさーい!」


プンプンと怒りながら私の手を引っ張る及川君。
まさかこんなことで及川君が怒ってたなんてなぁ…確かに慣れない環境に易々と入ってきちゃって及川君に心配かけることになってしまった事は申し訳ない…。
はぁ、とため息をつくと私の手を引っ張って先を歩く及川君がチラチラとこっちを見ながら「お、怒ってる?」とまるで叱られた子供のような顔をしていた。
それがなんだか面白くて「ちょっとね」と答えれば慌てて謝る及川君の下げられた頭をふわふわと撫でる。
慌てた様子でなんだかんだと文句を言っていたけど、耳まで真っ赤になってちゃ説得力はないよ及川君。


2015.2.5



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