万華鏡が咲く庭
 南門からシティの外へ、西のヤザダハ池からガンダルヴァー村方面へと流れ落ちる川に掛かった幅の広い橋を渡る。そのまま南下して街道を進み、三叉路をガンダルヴァー村とは異なる方向と曲がり、小川を越えて更に先へ。時折丘の風景に彼女が目を奪われているのを眺めながら街道沿いに歩き続け、小さな木橋を渡った先へ進む、そして見えてくるのは生論派の学者たちが集う瞑想の庭、パルディスディアイ。
 業果の木で飾られたスロープを登り、ガラス張りの研究室へと足を踏み入れる。晶蝶よりも美しいと称される様々な研究用植物が視界に入り、彼女は一際目を輝かせた。
 
 結論から言うと、ニィロウに彼女を預けてしまうという試みは失敗に終わった。「彼女は俺から離れたくない」というニィロウの予想は見事に的中しており、彼女本人からも「置いていかないで」などと言われてしまった為、彼女を預けるのは諦めざるを得なかった。一応何かあったらバザールに来てくれればいいと告げられたので、俺の手に余る事態が発生した際は素直に頼らせて貰おう。
 午後はシティの外に出てみたいという彼女の希望で外出をすることにした。鳴神島と異なる生態系の植物が珍しいのか、先程から彼女は目を輝かせて辺りを見回しながら歩いている。いつもなら勝手に駆け出してフィールドワークを始めてしまう彼女に比べると、今の彼女は随分と大人しい。しかし時々よそ見をしては何かに足を引っ掛けつまずくため、途中から彼女を抱きかかえることにした。六歳児の平均体重は凡そ二十キロ前後だが、体感でいえば彼女は更に軽く感じる。成人後も小柄な彼女の体質が元々そうなのか、食事をまともに摂らせてもらえていないのか。どちらにせよ彼女の体躯はあまりに細く不安になるレベルだった。

 外には何人かの指導教員や学生達の姿があったが、パルディスディアイの研究室は無人のように見える。落ち着かない様子で室内を見回している彼女を下ろしてやれば、中央の植物に向かって駆け出していった。
「学者たちの貴重な研究物だから迂闊に触らないように」
「はあい」
 楽しそうに植物を観察する彼女の横を通り抜け、奥に置かれた植木鉢に向かう。小さな彼女の気晴らしが主な目的ではあるが、ここへ来た理由はそれだけではない。実は彼女が数年前から研究していた植物がここにあるため、ついでに現物を見てみようと思ったのがこの散策のもう一つの目的だった。
 植木鉢には土壌の性質により花弁の色を変えるという稲妻の植物が数株植えられている。鞠状の花に見える部分は実際には花弁ではなく装飾花で、ガク片が変化したものだ。土壌によってこの装飾花の部分が青や赤、紫などに変化するのだが、彼女を含めた数人の研究グループではこの装飾花の色や形状を意図的に変化、或いは操作できないかの研究を気長に続けていたらしい。いわゆる品種改良だ。とはいっても、現在この研究のメンバーは他の研究の為に砂漠や国外に散り散りになっているらしく、植物の面倒を見ているのは彼女しかいない。そういえば、この花を彼女はなんと呼んでいただろうか。
「あじさいですか?」
「ああ、学名はハイドレンジアだな」
「おうちの庭にあるのと似てるけど、お花のかたちが違うのかな。こんな色は見たことないです」
 自身の背丈と同等の植物を覗き込み、不思議そうな声色で彼女は言った。原種を直接見たのは相当昔だが、確かに記憶にあるハイドレンジアとは色も形状も異なっていた。彼女たちの研究はそれだけ改良が重ねられていたのだろう。鉢に差し込まれたプレートにはテイワット共通文字ではなく稲妻の文字で「万華鏡」と書かれていた。万華鏡というのは、偏光実験の途中で発明された技術が稲妻に渡り伝統工芸として作り上げられた物の筈だが、この品種の名前として付けたのだろうか。
「きれい……」
「未来の君達が改良したものだよ」
「そうなんですか?」
「君は優秀な学者だからな」
 事実を述べれば彼女は照れ臭そうに頬を赤く染めながら目を逸らした。昔から褒められ慣れていないのだろうか、いつもの彼女にするように頭を撫でてやれば更に恥ずかしくなったのか俯いてしまった。こんな彼女に虐待紛いな扱いをする親族は一体何を考えているのだろうか。当時の彼女を救うことが叶わないもどかしさを感じる度に、今の彼女に無性に会いたくなる。やはり明日には元の彼女に戻す方法を調べなければならない。

 しばらくは彼女の興味の赴くままにパルディスディアイ近辺を散策した。こうしてあても無く散歩をする機会は思ったよりも少ない。そもそも俺は目的を持たずに出掛けるなどという無駄に疲労を溜めるような行動は好かないのだが、彼女といる時は特に無駄と思ったことがなかった。それが今の小さな彼女でも同じだと気付き、こればっかりは時間を共有する相手によるのだろうと感じた。
 例え話だが、彼女以外に許容できる家族が増えたとして、彼女も交えて心地よく生活ができるのではないかとさえ思う。彼女と出会う前は一人でいる事の方が好ましく感じていたのに、今はそこまで想像できる程に自身の考え方が変わっているのだから、人生何かあるかは分からない。
 
 珍しく思考が明後日の方向に飛んでしまった。空を見上げれば、もう日も傾いてきた頃合いだった。
「帰ろうか」
「うん……」
「眠気か空腹か、疲れているようだな。おいで」
 先程のように抱きかかえようと手を差し伸べれば、彼女は素直に寄ってきた。スメールシティに帰ろう。
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