嫉妬という現象との向き合い方
「客観的に考えて、どう思う?」
「すみません……」
「欲しいのは謝罪じゃない、この報告を受けた君の対応だ。人間の感情について長く研究をしている君が、今の俺の立場を考えた時に、俺の思考をどう分析して結論を導き出せるのかを俺に教えて欲しい」
「……うう」
 わたしは今、アルハイゼンさんに詰め寄られている。彼は至って冷静な態度を装っているけれど、間違いなく怒っていた。何故わたしがアルハイゼンさんを怒らせてしまったのかは、話せば長くなる。

 その日のわたしは、先日から調べていた孤独病という病気についてのレポートをまとめ終えたところだった。他国ではあまり馴染みのないこの病気が、なぜフォンテーヌで密かに流行していたのか。元々あの国の人たちが空想を好む人種であることは、今まで調べてきた中でおおよそ知ることができた。大人になれば夢を見ず、学問に殆どの時間を費やしていたわたしたちスメール人とは中々に異なる存在だろう。この国での発生事例がないのは、そういった面もあると思う。彼らは芸術を愛し物語を愛し、そして空想に浸る人種。そんな一面を持つフォンテーヌ人だからこそ、空想に逃避する心の病も発生しやすかったのかもしれない。
 治療法については不思議な方法で改善されたという事例もあり、ただの病気というには稀有で複雑な現象であることがわかった。それから……まあ孤独病の話はこのくらいでいいでしょう。とにかくわたしはこの病気についてのレポートを無事に教令院に提出し、なおかつフォンテーヌに住む知人の医者に写しを送る手続きも済ませた。つまり、滞っていた別の研究を再開することができるわけだ。

 滞っていた研究というのはまあ、あれなんですけど。正直なところうまくまとめる兆しはなんとなく見えている。もちろんそれはアルハイゼンさんのおかげだ。彼がわたしに対して抱えている感情は、まさしく恋愛のカテゴリに分類されるものだった。そしてその感情を、彼はきちんとわたしに報告してくれている。その報告内容が最近ではじわじわと欲を含んだものになっているのも感じていて、昨日会話した時は特にそうだったと思う。
 ぼんやりと熱が込められた瞳を向けてきた彼は、わたしに触れたいのだとまっすぐに伝えてきた。断る理由はないけど度合いにもよると返せば、アルハイゼンさんは以前したようにわたしの頭を撫で回し、「ひとまずはこれでいい」と自らを納得させるように言っていたのだ。彼の強靭な理性による歯止めが効いているのは感じていて、本当はもっと踏み込みたいと思われていることも察している。恋という現象が、強い激情の形をしていると改めて感じるなあ。我慢させてしまっていて申し訳ないとは思うけれど、物理的な触れ合いとなるとさすがに心の準備は欲しい。
 これって、わたしも相手を意識しているのだろうか? 彼に触れられる状況を想像すると、なんというか……心臓の裏側を柔らかいブラシで撫でられるような、絶妙な感覚をうっすら覚えるのだ。いわゆる「愛する者と行うスキンシップ」というものであれば、その内容は容易く想像ができる。でも彼がわたしに対してそれらを実行する状況を想像すると、こうして心臓に違和感を覚えてしまう。実際にされた場合はどうなってしまうのだろう。いっそ試してもらった方がいいのかな。理解が深まれば、研究テーマに対してわたしの見方ももっと変わってくるはずだ。

 昨日のことについてぐるぐると考えていると、待ち合わせの相手がどうやら到着したらしい。ここはプスパカフェ、現在時刻は十五時半だ。
「ごめん、おまたせ」
「こんにちはティナリくん」
 やってきたのは生論派の学友であり、現在はアビディアの森でレンジャー長をしているティナリくんだ。彼はわたしより少し後に卒業した非常に優秀な男の子で、卒業後もこうして交流が続いている。卒業論文に着手していた時期は、彼や他の学友たちと励まし合って乗り越えていた。そんなティナリくんに会う約束をとりつけたのは、彼に依頼していたものがあったからだ。
「まさか君がこんなもんを要求してくるとは思わなかったよ」
「ふふふ、研究に必要になるかもしれないから」
「使い方は間違えないでよ? これだって結構危険なんだから。君は何回もミスをして、その度に大変な目に遭ってるだろ」
「わ、わかってますう」
 口を開けば説教じみた言葉を放つティナリくんだが、これはわたしの素行のせいでもある。研究に使いたい植物は彼がいくつも用意してくれたのだけれど、彼が伝えてくれた正しい使用方法をわたしは守った試しがない。なぜならわたしは既定の分量を己に投与したところで、なぜか効き目が薄いからだ。それなのに追加した量が一定量を超えると一気に効いてくるから、そこでわたしは時に痛い目を見る。
 彼から受け取っている植物は主に肉体に作用するもので、例えば笑いが止まらなくなるキノコや、涙が止まらなくなる野草などだ。肉体に起こる現象に伴い、精神面がどうなるのかを身をもって検証したことが何度もある。まあ、この検証で毎度大変な目に遭っているのだけれど。
「街中で泣き出して脱水症状で倒れるようなこと、また起こしたりしないでよね」
「う、あれは本当にごめんなさい……」
「謝るなら通りかかったセノにしなよ」
「はあい」
 ティナリくんは時々この話を持ち出してくる。学生時代のわたしがその「涙が止まらなくなる野草」を試した時に、ちょっとした騒動を招いてしまったからだ。
 涙が止まらなくなる状態とはどんな気持ちになってしまうのだろうか、ただ涙が出るだけなのか悲哀の感情が現れるのか、それらにわたしは少し興味を持っていた。ならば試してみたいと思ってしまうのが学者の性分。とはいえティナリくんに指示された量ではそもそも涙が出なかったため、更にその倍を自分に盛った。そして合計三倍の成分が体内に蓄積されることになり、それが時間差で効果を発揮し大号泣。結果として街中で脱水症状を起こして倒れる羽目になったのだ。そんなわたしを介抱してくれたのが、通りすがりの大マハマトラもとい素論派出身のセノくんだった。ちなみに感情はなにも変化が現れず、ただただ涙腺が極端に活発化して終わったんだっけ。なつかしいなあ。
「言っとくけど、こっちは涙腺の崩壊どころじゃないからね。絶対に三倍量投与するとかはやめて」
「わはは、気をつけます」
 そう言ってティナリくんは柔らかい布に包まれた薬草をひと束わたしに差し出してきた。これの効果は、まあ、後にしよう。もちろん伝え聞いた安全性の確認のために自身にも投与するつもりだけど、三倍の量を摂取したら大変なことになるのは流石にわたしでもわかる。
 
 ティナリくんは揚げたてのハニートゥルンバをシロップに浸し、口に放り込みながら別の話題を切り出してきた。わたしもひとつ食べよう。これ、おいしいんだよなあ。
「それにしても、君本当に恋人なんかできたの? そもそも相手は誰だよ、僕の知ってる人?」
「んむ、それ気になります?」
「そりゃあね」
 彼は腕を組み、わたしに詳細を話すように催促の目を向けてくる。ティナリくんも当然アルハイゼンさんのことは知っているだろうし、もしかしたら彼と面識もあるかもしれない。隠していても仕方ないし、名前を出そうと口を開きかけたところで、向かいの席から紙ナプキンを持ったティナリくんの手がわたしの頬にすっと伸びてきた。
「シロップついてる」
「むあ、え、何?」
「……あっごめん、つい癖で」
「ああ、お弟子さんでしたっけ?」
 突然のことに少し驚いたけど、シロップを拭ってくれたのか。だいぶ前からレンジャーの弟子を取っていた彼は、日に日に世話焼きになっている気がする。お弟子さんは女の子らしく、きっと今わたしにしたみたいに甲斐甲斐しく世話を焼いているのだろう。いずれ会う機会があればいいなあ。
そんな彼の様子を微笑ましく思い笑っていると、直後に得体の知れない悪寒が走る。誰かの手がわたしの肩に触れ、それから向かいのティナリくんがとても驚いた表情を浮かべていた。
「君の知っている人で正解だ」
「あ、アルハイゼン?」
 慌てて首を回せば、そこに立っていたのはアルハイゼンさんだった。彼はわたしの隣に回り込んで座り、それからティナリくんに鋭い視線を送っている。ティナリくんの方は驚きを隠せない様子で、わたしとアルハイゼンさんを交互に見ていた。これ、カーヴェくんも同じことしてたな。
「え、待ってね、理解が追いつかない」
「彼女の恋人は俺だ」
「そうらしいです」
「いやいや、ちょっと経緯を説明してくれない!?」
 やはり二人は面識があるらしい。動揺するティナリくんに説明をすれば、あの日わたしたちのやりとりを聞いていたカーヴェくんの時と似たような反応をされてしまった。むしろティナリくんの方が酷いかもしれない。呆れたような蔑んだような、馬鹿だねとでも言われているような視線を向けられ、わたしは苦笑することしか出来なかった。まあ確かに、わたしたちがお付き合いするに至った経緯が普通じゃないのは分かっているけども。
 溜息を吐いたティナリくんは荷物をまとめて席を立った。
「もう帰っちゃうんです?」
「君の恋人くんがすごい顔してるからね、用も済んだし僕は失礼するよ」
「ああ、帰るといい」
「えぇー……」
 ティナリくんはひらひらと手を振ってカフェを出て行ってしまった。もうちょっと学友との会話を楽しんでくれてもよかったのに。
 隣のアルハイゼンさんにちらりと視線を向けると、確かにものすごい顔をしている、ような気がする。ぱっと見はいつもと変わらない無表情なんだけど、絶対に違う。多分だけど、怒っている。彼はわたしの視線に気付くと、その大柄な身体をこちらに傾けてきた。なんだなんだ!
「君は」
「は、はい」
「ティナリとも仲が良いのか」
「まあ、同じ学院の友人ですから……」
 事実を述べると、アルハイゼンさんは更に体重を掛けてきた。なんなんだ本当に。小動物だなんて例えるほどわたしが小さいことを彼はわかっているくせに、その巨体で潰す気なんだろうか。「重いですよ」と抗議の声を上げれば、彼は体勢を戻した上でこちらを向き、次はわたしの両肩を掴んでこう言ってきた。
「先に結論から言おう、俺は嫉妬をしている」

 そして、冒頭に戻るわけだ。わたしは今、ティナリくんとお茶をしていたことでアルハイゼンさんに問い詰められている。
「元々君がカーヴェの名前を出す事も気に食わないと思っていたが、こうして君が他の男と親しくしている様を見せつけられるのは、苛立ちを抑えられそうにない」
「本当にすみません……」
「反射行動による謝罪ならいらない。これは俺の身勝手な感情の押し付けだ。ただ君は俺に都度報告することを要求しただろう? だから、君なりにこの報告を受けてどう対応するのかを俺は聞きたい」
 身勝手な押し付けだと言う割には、彼は確かにわたしを咎めるような視線を向けている。参ったな、わたしも彼と交際すると決めたのなら、普段通りでいてはいけなかったのだ。

 嫉妬とは、こと恋愛においては分かりやすい原理で、自分が好意を持っている相手の興味や関心、愛情が自分以外の人や物に向いたときに起こる妬みの感情だ。アルハイゼンさんは、わたしが彼以外に関心を向けている事に対してその感情を湧き上がらせているわけだ。ずっと感情の研究をしていたのだから、そんな単純な話であればいくら恋愛経験のないわたしでもさすがに理解できる。
 でも彼が求めているのは、その上でわたしがどう対応するのかだ。今までずっと好意的な感情を向けられ続けていたから、嫉妬のような負の感情をぶつけられた事に、わたしは少なからず衝撃を受けた。この人はわたしが考えている以上に、わたしに対して本気なんだ。それがすごく申し訳ないと同時に、なんとも光栄なことだと感じて胸の奥がぎゅっと締まる。心臓で己の感情を知るというのは、こういう感覚なのか。だめだな、もっと真剣に彼に向き合わなきゃいけない。研究対象としてだけではなく、これから長い時間を共有していくかもしれない人生の相方として。
「わたし、きみの恋人である自覚が足りていなかったですね」
「そうだな」
「経験がなくて申し訳ないんですけど、もしわたしがきみの立場だったなら、悲しくなるんだろうなと思いました。悲しませてごめんなさい」
「……構わないよ」
 わたしの謝罪に納得をしてくれたわけではなさそうだけど、彼はゆっくりと頷き、わたしの両肩から手を離した。
「君と俺ではこの関係の捉え方が未だに違う事は、最初から理解していた。それでも君と関わっているとどうにも欲が出る、すまない」
「いえ、むしろ本気で考えていなかった私が悪いです」
「……俺は出来るだけ悩みのない人生を送りたいと思っているんだ。でも今は、君のことで悩んでいて、それを嫌だとは思っていない。むしろ、俺は死ぬまで君のことで悩んで生きてみたい」
「アルハイゼンさんって、わたしの所為でちぐはぐな人になっちゃったんですね」
「自覚しているよ」
 淡々と語る彼の言葉を浴びて、わたしの心臓がずっと変に痛んでいる。未知の感覚だけど、嫌じゃない。ときめきという言葉は、この痛みを表現したものではないだろうか。つまりわたしも男の人に対して、ときめきを覚えることができているのだ。すごい。
 憧れていたものに初めて触れ、じんわりと嬉しくなってしまったわたしは、彼が先ほどしたように彼に体重を預けてみた。アルハイゼンさんは驚いたようで、小さく息を飲む音がうっすらと聞こえる。
「わたし、きみのこと本当に好きになる……かも」
「そうなってくれると俺は救われるんだが」
「……救えるといいなあ」
 彼に寄りかかったまま、目を瞑る。あやふやになっている自分の感情を解いて整理して、なんとか彼の望むかたちに出来ないだろうか。難しく考えすぎている自覚はあるけれど、事象に対して答えを求めて生きてきた性分だ。自分が納得する正解を見つけて、彼に向き合いたい。それに、ついでに論文などを出してこれも各分野に活かしてもらいたい。やる気も出てきたしもっと頑張ろう!
「ところで」
「はい?」
「君の行動は非常に嬉しいが、ここがカフェである事は覚えているか?」
「……わはは!」
 きみもさっきしてたでしょうが!
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