君がいない
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
それは血の海、と表した方が分かるかもしれない。
それ位に、赤が。
地面を覆い尽くしていた。
「あはは、弱すぎるんだよ……雑魚共が」
赤色の中心には、青色の目立つ髪をしていた青年が刀を手にしながら、一人笑っていたのがとても異質のようで。足元には無数の屍が転がっているのが見えた。
普通の者なら、そこで逃げ出していただろう。
化け物。
異質。
鬼。
そういう事が頭に浮かび、恐怖に怯えるだろう。
そういう風な感情を持たない己もまた"異質"と、言われるのだろうか。
だが目の前にいる者は紛れもない友…。
旧友の空都なのだ。
兵達の噂を聞き付け慌てて戦場に来てみれば、そこには血に濡れた空都がいた。
「……空都」
声をかけてみるが、焦点が定まっていないらしく目が虚ろで返事はない。
代わりに小さく言葉が空都の口から呟かれた。
「弱い、弱いんだよ……」
「……!」
ああ、これはあの時と同じだ。
戦で血に濡れた空都は人が変わる様に豹変する。
異界に来る前に度々目撃した事があったのだが、まさか異界でもそうなるとは思いもしなかった。
空都にとっても苦痛だと言うのも、知っていた。
だからこうならない様にと、尽力を尽くしてきたというのに。
「……何故だ、何故だというのだ…!」
何故目の前の友はこうなってしまったんだ。
己の力が足りなかったのだろうか?
いや、もっと側にいた方がよかったのかもしれない。
しかしそれでは空都の負担になってしまうのでは、と思えてしまうが、今更過ぎる悩みだった。
頭を抱えて全て自分のせいなのだ、と責めるしかなく…。
義経には、ただ後悔ばかりが押し寄せていた。
「義経」
ふと、己を呼ぶ声がして顔を上げる。
「空都……?」
そこには、血に濡れた友が笑って己を見ている姿があった。
嫌な予感が、義経の中を駆け巡った。
それはまるで、友が別人のように…。
「お前さえ、いなければよかった」
思えたからだ。
「…な、…何を言って……」
友の口から告げられた言葉に、己が動揺しない訳がない。
ましてやあの空都から言われたなら尚更だ。
その言葉だけで義経の隙を作るには、十分だった。
「……、…っ」
いつの間にか己と空都との距離が縮まっていて。
腹に何かが貫いた、違和感を感じた。
「……、…!」
義経がそれを確認するよりも早く、腹に貫いた物が引き抜かれ体はゆっくりと膝から地面に崩れ落ちた。
それは、一瞬の出来事だった。
「ぐ……っ」
痛みが後から己を襲って来るのと同時に、無意識に腹を抑えた。
顔を上げれば、刀を手にした空都が義経を見下ろして笑っている。
空都の手に持っている刀を見れば、真新しい血で赤く染まっているのが見えた。
…そうか、刺されたのか。
それをどこかで、他人事みたいに見ていた己がいた。
「はは、所詮義経も……弱いんだな」
「……」
「弱い奴が仲間にいたって、意味ねぇんだよ…」
「……ま、待てッ!」
空都がどこかうわ言の様に言葉を吐き捨てた後、踵を返し歩き出したので義経は慌てて呼び止める。
…だが、その呼び止めに反応する訳もなく空都の姿は段々と遠くなっていく。
「空都…ッ!」
腹を抑えていない手で、義経は空都の方に手を伸ばす。
伸ばした手の先に、消えてゆく友の背中が見えた。
振り返らない事など分かっている。
それでも、手を伸ばさずにはいられなかったのだ。
「空都……ッ!!」
きっと友は何かに当たりたかったのかもしれない。
今までは狂ったとしても、こんな事はなかったのだ。
己がいない時にこうなってしまったのには何かある筈。
そうでもなければ、友の口からあの様な言葉は…。
「…行く、な……!」
思わず口から出た言葉は空都に届かない程、小さかったのに義経自身は驚く。これでは、届かない。
意識も先程より保つのが難しくなる。
腹から絶えず流れる赤い血を抑えるが、意味を為さない。
「は…っ、…は……っ」
段々と目の前がかすんでいく。
薄々分かっていた事。もうすぐ、己の意識が無くなる。
だがそれでも、手を伸ばすのは止めなかった。
手を伸ばしていなければ、友が消えてしまいそうに思えたからだ。
それと、友の近くにいれなかった後悔も含めて。
友の姿が見えなくなっても、義経は伸ばし続けた。
「…空都……」
意識が消える最後まで、友の名を呼び続けていた。
────────────
あれからどのくらい時間が経ったのだろうか…。
それよりも瞼が重い。
体に痛みもある。
「……」
目を閉じていても分かる感覚に覚えがあった。
どうやらここは己の寝床、らしい。
いつの間にあの場所から戻って来たのだろう。記憶があやふやで思い出せない。
いや…己は、未だ夢を見ているのだろうか。
そうだ、きっと夢に違いない。
友が豹変するなんて、そんな事は有り得ないのだ。
異界に来てからは表情が明るかった。
それが、とても心地が良かったのだから、あの様な恐ろしい夢が出てきて己に見せたんだろう。
きっとそうなのだ。
だから、早く目を覚まさなければ…。
「起きろ小僧!」
「……ッ…」
己を呼んでいるであろう声に、重くなった瞼をゆっくりと上げる。
ぼやけた視界に入ってきたのは、黒い甲冑に身を包んでいる者だった。
「……?」
甲冑から視線をずらし顔へと見やると、凄い血相で己を見下ろしているのが見えた。
「何をとぼけた様な顔をしている!小僧、何があったのか話せ!」
体に走る痛みのせいで、起きるに起きられない己の体。
横になったまま視線だけをその者に向けていれば、不意に襟元を掴まれて少しばかり持ち上げられる。
「……っ」
「あれからもう2日も経つ!早く話さんか!!」
とても、慌てているような表情が見えた。
まだ思考がハッキリせず、その様子をどこか他人事の様に見ていた自分がいた。
だがその者から言われたある言葉に、思考が現実に呼び戻される事となる。
「小僧…まだとぼけているのか!空都が何故向こうにいるのか知らない訳ではないだろう?!」
「……空都…」
空都、と口にした途端に己の頭の中にドッと押し寄せてきた記憶に戸惑った。あの戦場での出来事を、どこか夢だと考えていた己がいた。
豹変した、友の姿は…。
夢なんかではなく、現実だった。
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