松夢 | ナノ
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井の中はくらし



雲ひとつない真っ青な空、清々しい春の陽気に包まれながらも時折吹く風はまだ冷たい。しかし肌寒さを感じれば感じるほど、確かに伝わってくる右手の温もり。
今日は名前ちゃんとのデートの日、絶好のデート日和だ。


「はい名前ちゃん、あーんして」

ボクが口元に差し出したスプーンを見て、イヤイヤと首を振る名前ちゃん。とっても、とってもとっても可愛い。本当は小さなピンク色のその口が僕の差し出したパフェ用のスプーンから生クリームをしっかり舐めとるのを見届けるつもりだった。嫌がられてもやめる気はなかったけれど、あんまりにも名前ちゃんが可愛いから、仕方なく自分の口へ運んだ。うん、甘すぎる。
とてもじゃないけれど美味しそうとはいえない色をしたさくらんぼの赤い実が名前ちゃんの口に吸い込まれていく様を見ていると、名前ちゃんと目が合い、にっこりと笑い返された。

『ねぇトド松くん』

一体、どこからそんなに可愛い声が出てくるんだろう。トド松くん、だって。生まれてから一度でも、こんなに可愛い呼び方されたことなんてあったっけ。これからみんなには遠慮なくトッティって呼んでもらおう。“トド松”って呼んでいいのは名前ちゃんだけ。

「ふふっなぁに?名前ちゃん」
『トド松くんって、赤塚区に住んでるんだっけ?』
「うんそうだよ、この近く。ここ新しくできたお店でさ、名前ちゃん気にいるかなと思って」

それに、ここならば絶対に誰にも会わない。
ミント色のお洒落な看板、店先にいるのは兄さんたちが前に立つのも憚られるようなキラキラした女の子たち。おそ松兄さんがよく行くパチ屋からは遠いし、猫が歩いているような場所でもない。チョロ松兄さんはそもそもこんなところに近づきもしないだろう。だから、絶対に見られるわけがない、絶対に出会うわけがない。この3人さえ抑えておけば、少なくとも最悪は免れることができる。

『トド松くん、おしゃれなお店知ってるんだねぇ』
「名前ちゃんのために調べたんだよ。あ、名前ちゃん照れてる」
『……意地悪いわないで』

なんていうか、超恋人っぽいし超理想の彼女って感じ。
話を弾ませながらも今日持っているバックについた大ぶりのチャームを褒めると、名前ちゃんは“弟からもらったの”、と嬉しそうに話した。名前ちゃんの弟でいられる男の子って、すごく幸せなんだろうな。同い年ということを差し引いても、僕が兄さんに何かプレゼントをあげるなんて、全く考えられない。

『トド松くんはお兄さん、5人?いるんだっけ』
「うん」
『5人かぁ、賑やかそうだよね。しかも全員男の子だなんて』
「うん」

話を広げないように極力シンプルな返答を、これはボクが名前ちゃんと付き合い始めてから1番初めに決めたルールだった。
それでも長年の経験則からくる、勘というのは当たるものだ。目を大きく開き、徐々に顔が輝いていく名前ちゃんを見て、掌にじっとりと汗をかく。

『へぇ私、トド松くんの兄弟にあってみたいなぁ』

無邪気な名前ちゃんの一言は、ボクの今日の楽しいデート計画を遠慮なくぶっ壊しにきた。


「ボクの兄弟なんて会っても何も面白くないよ!ほら、六つ子だから僕が6人いるだけだし、うっとおしいでしょ?」
『そんなことないよ。それにトド松くんが6人もいたら私、なんか照れちゃって困るかも』

名前ちゃんにそんなこと言われたらボク……じゃなくて!
いやでも、おそらくボクの家に行く気満々な名前ちゃんを止めるのはもう無理だ。こう見えても名前ちゃんの頑固っぷりはトト子ちゃんとどっこいどっこいだし、何より、おそ松兄さんたちに会うことを心底楽しみにしている名前ちゃんを前に、ボクは何をすることもできない。

『こっちだっけ?』
「うんそう!……じゃなくて!」

こうなれば、あとはあの恥ずかしいニート達がうちにいなければいい話だ。そうだ、ニートだけど奴等は引きこもりではない。おそ松兄さんはパチンコ、カラ松兄さんは知らないけどチョロ松兄さんはドルヲタ活動か自分の営業に勤しんでいるだろうし、十四松兄さんは普段からいろいろ忙しそう。一松兄さんは特に予定がなさそうだからいるかもしれないけど、たぶん今日に限ってお散歩に行ってるはずだ。そうだ。誰もいないことが分かったら、ちゃちゃっとお茶だけ出して名前ちゃんには帰ってもらおう。
あぁ残念だ、名前ちゃんをみんなに紹介できないなんて。なんて残念で、なんて最高なんだ!
そうだきっとそうに違いない、みんなは絶対うちにはいないし、名前ちゃんが兄たちに会うことは2000%ありえないんだ!


****

「ただいまー……」
「あれートッティー!おかえりーーーー」
『あれお兄さん?』
「うんおれトッティのお兄さん。五男、十四松!」
「十四松兄さん、しぃーーー!」

僕が唇に指を当てて静かにするよう注意をすると、十四松兄さんは慌ててだらんと伸びた袖を口元に当てる。
最も会わせることに抵抗はないけど、最もダークホースな十四松兄さん。
隣にいる名前ちゃんの様子をちらちらと確認しながら、再度小声で十四松兄さんに問いかける。

「ねぇ……みんな、いる?」
「うん、いるよ」
「そっか」

よし、帰ろう。
玄関に立ちっぱなしになっていた名前の手を引き、ドアに向き直る。

「あっトッティちょっと待ってて」

一刻も早くこの場を離れたい。それなのにそんな僕の気持ちに全く気づかない、十四松兄さんは呑気にボクらを引き止める。十四松兄さん相手じゃ怒り返すこともできず、イライラ抑えながら不機嫌に振り向くと、満面の笑みを浮かべた十四松兄さんが助走をつけ、奥の居間へと飛んでいくのが見えた。
ーー十四松兄さん待って!!!
なんて言葉がで出る間もなかった。目の前で起きた一瞬の出来事に気を取られていると、8つの目がこちらに向けられているのに気づく。蹴破られた襖の向こうには見慣れた顔が4つ、きちんと並んでいた。

「何事だい、ブラザー」
「……だれその子」
「何、トッティとうとう俺たちに彼女自慢する気になった?長男より先にとかまずくないそれ?」
「え、あのドライモンスターにまともに彼女出来るの、冗談でしょ。しかもめちゃくちゃ可愛いじゃん」

やっぱり死んでも連れてくるんじゃなかった。
なんて今更言ったって遅い。後悔先に立たず、後の祭り、覆水盆に返らず……知っている言葉は数知れず。いくら言葉をたくさん知っていたって意味がない。実際に自分が使う立場になってしまえばそう、意味がないのだ。



「兄さんたちはここから一歩も入っちゃだめ」

居間に引いたのは、おそ松兄さんがいつか酔っ払って体に巻きつけて帰ってきた“Keep out”のテープ。
名前ちゃんには死んでも触れさせないし、半径1メートル以内には絶対に近づけない。本来なら5メートルだって10メートルだって遠ざけたいけど家が狭いんだから仕方がなかった。積極的に会わせたいかと言われたら微妙だが、最も無害な十四松兄さんがカタカタと音を立てながら紅茶を乗せたお盆を持ってリビングに入ってくる。

「あのさぁトド松……」
「なん!……にかなぁ、おそ松兄さん」
「すっげぇ言いにくいんだけど、俺たち床に座ってるとさ、良い具合に彼女さんのスカートの中が……」
「なんだって?」
「右に同じ」
「ミートゥリーだ」
『ひっ』


****

最悪だった。
せっかく今日は名前ちゃんと一日中2人きりでいられるはずだったのに、結局解放されたのは夜の8時過ぎ。家ではまだ宅飲みのどんちゃん騒ぎが繰り広げられているが僕が潰される前に、それから名前ちゃんが危険な目に会う前に、隙を見て出てきた。この時ばかりはお酒の強くないうちの家系の血筋に感謝する。ボクはというと注がれる酒は殆ど隣のカラ松兄さんに回し、どうしても飲めと言われたら口に含んで全て窓から吐き出していた。名前ちゃんの隣で酒臭い彼氏になんて絶対になりたくない。ていうかなんで、なんで兄弟の彼女がきて唐突に酒盛りが始まるんだ。兄弟の彼女という新しい玩具を手に入れた兄さんたちの、楽しそうなことといったら!

不規則に点滅する電灯の下、まったくロマンチックでない夜道のデートでも、ただ名前ちゃんが隣にいるというだけで満たされた。はずだった、今までは。

『トド松くん痛い』
「えっ」
『手ちょっと痛い、かも』
「ごめんっ」

どうしても家から離れたくて、いつの間に名前ちゃんの手を引っ張るようにして歩いていたらしい。
家を出てからはじめて名前ちゃんに向き合って、そこで名前ちゃんがコートを羽織りもせずヒールのついた靴で必死についてきてくれていたのだと気づく。思わずそっと肩に触れると、薄手の白いシャツはひんやりと冷えていた。

名前ちゃんはそんなことないというけど、名前ちゃんはボクにとって触れたら溶けてしまうようなふわふわのわたあめで出来たような女の子だった。大切に大切にしたいっていつも思いながら接してきて、他の子じゃあり得ないくらい全てに気を遣った。毎回のデートでも緊張もして、それでも一緒にいられる時間が楽しくて、それで……。

名前ちゃんにだけは、どうしても嫌われたくなかったんだ。

『トド松くん、泣いてるの?』
「え……」名前ちゃんに指摘され、慌てて空いた手で目元を拭うと確かに指先が湿っている。自分でも何が何だかよく分からなくて、名前ちゃんにはへらっと笑い返す。

「なんだろこれ……キモいよね、ごめんね」

がしがしと袖口で目を擦ると、今度は別の意味で涙が出てきた。なんて情けないんだろう。兄さん達より一歩先をいって女の子と仲良くなって、いい気になっていたんだ。ようやくできた彼女だって、ボクは出来すぎた相手ではあったけど、兄弟の中で比べたら出来て当たり前だと思っていた。自分は違うんだと驕っていた。自信過剰だった自分が心底恥ずかしい。
本当のボクは、たった1人の女の子の前でこんな姿を見せてしまうくらい、どうしようもなく情けない男だ。

『トド松くん、ありがとうね』
「なんで、なんで名前ちゃんがお礼を言うの?そんなの……」
『私お酒苦手だからさ、トド松くんが気にかけてくれたのすごく嬉しかった』

お酒、という予想外の言葉にうっすらと滲んでいた涙が乾く。突然のありがとうにてっきり別れを告げられるのではと、ベタながらもしっかりと身構えていたから尚更。

『それにね、賑やかで今日とっても楽しかったな』
「本気で言ってるの。嫌じゃなかった?」
『嫌そうに見えたかな』
「幻滅したりしないの?」

掴んでいた名前ちゃんの袖口にきゅっと皺が寄る。ボクにはもう名前ちゃんからの言葉しかないと本気でそう思ったんだ。

不意に寄せられた唇が名前ちゃんの返答を代弁した。お互いに冷えていた唇、触れ合いながら名前ちゃんは僕のを、ボクは名前ちゃんのをじんわりと溶かしていく。
離れるのを名残惜しく感じながらも、もう一度名前ちゃんと向き合うと、それ以上名前ちゃんは何も口にしなかった。ただ黙って目尻を下げる名前ちゃんがかけがえのない存在に思える。本当にそこにいるのか確かめるように、ボクは名前ちゃんの腰をぎゅっと抱きしめた。

ボクは君を一生大切にしなければいけないと思う。



[END]

彼女が大好きすぎて余裕のないトド松。
泣かせてごめん。

松野家六つ子の中でも特に被害を被っているトド松、末っ子に対する理不尽さと、そこから器用に抜け出すことのできないトド松には少し同情してます。
トド松の愛についてはまだまだ模索中ですが、今回は心優しくて女の子らしくもあるけれど、末っ子であるトド松をしっかり支えてあげられるような彼女。
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