≫三國から現代へ、輪廻する愛憎の話



※所謂傍観夢・復讐夢の類になりますので苦手な方は注意
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舞台は三国定立時代、孫呉の国の中で起きた一人の少年の悲劇のお話。

きっかけは、今の世よりももっとずっと先の世から時を越え来たと自らを語る、一人の少女の存在でした。
聖女のように慈悲深く、天女の如く愛らしいその少女に、孫呉の中枢を担う人々は我を忘れてしまうほどに夢中になりました。
ある者は「貴方の愛らしさには到底敵わないが」と花を捧げ、またある者は「君に捧げるために三日三晩考え抜いたのだ!」と詩を贈り、ある者は景色を、服を、宝石を……と。
とどまるところを知らない少女への崇拝ともいえる求愛の嵐に、少女はただ微笑んで感謝します。贈り物を謹み深く拒むことも心苦しく思う風でもなく、狂気のような愛を捧げ崇められることになんら疑問を抱くでもなく。

誰も彼もが少女をまるで神の御使いかなにかのように崇めるこの状況に、たった一人、疑問を抱いた人間がおりました。

その青年はとても平凡な外見にとても平凡な中身を持った、所謂凡人でありましたが、自らが凡人であると悟っていたが故に人一倍の努力家で常に今より上を目指す向上心の塊であるその姿勢は周りの人間にもよく知られ、孫呉の勇将達にも覚え深き人物でした。
彼は、誰より謙虚で高潔な精神を持っていましたので、少女を崇め、少女を追い、少女を構うことばかりを考えるようになった孫呉の状況に、段々と嫌気がさしておりました。

誰も気付いておりません。机の上にうず高く積まれた急を要する内政の法案や、外交のための重要な竹簡に。
誰も気付いておりません。国の礎である民達が、次々と他国へ逃げ出していることを。
誰も気付いておりません。地方の都市が徐々に攻め落とされ、孫呉が滅亡の危機に差し迫っていることを。
誰も気付いておりません。少女を守り飾り立てるその全てが、国を支え国を守り民を守るための、国の蓄えから出ていることを。



――暴虐の限りを尽くした董卓か、はたまたかの大賢良師、張角の再来か。



美しく清らかな音ばかりの溢れる少女の周囲の人々の耳に、その悪意と揶揄に満ちた声音は恐ろしい呪詛のように響き渡りました。

誰かが言います、「不敬だ」と。
青年はそう宣った人物を、侮蔑の眼差しで見つめながら言い放ちます。「そんな地位も名誉もない小娘を、一体誰が恐れるものか」と。

誰かが問います、「かように愛らしい乙女を前に、何故そのような物言いができるのか」と。
青年はそう宣った人物を、憐憫の眼差しで見つめながら言い放ちます。「明日をも知れぬ国の内情にも気付かぬ者が、人の真価など見抜けるはずがあるまい」と。

誰かが憤ります、「お前にこいつのなにがわかる!」と。
青年はそう宣った人物を、なんの感情もこもらぬ虚無の眼差しで見つめながら言い放ちます。「ならば貴殿方の瞳には、いかような真実が映っておいでなのか」と。

静まり返るその場に、ぽつり、少女が呟きます。




「あんたなんか、死んじゃえ」




――――彼等が全ての罪に気付いたのは、全てが終わろうとしていた瞬間でした。兵は逃げ、策はなく、力もなく、城は燃え、孫呉は間もなく滅ぼうとしているその瞬間。

国が滅ぶと知った時、我先にと逃げ出したかの少女は、城を一歩出た瞬間に矢の雨に身体を貫かれて死にました。生まれてこの方武器など扱ったことのないような、戦など知らずに過ごしていたのだろう、少女の柔らかく弱い身体は、細い矢を針山のように突き刺され、赤い血をしとどに滴らせ地へと倒れ込みました。
その光景をぼんやりと眺めているだけだった孫呉のかつての勇将達は、敵の兵に拘束されてからそのまま敵の本陣に揃って連れていかれるまで、魂が抜けたように呆然としておりました。

「おぬしらは、自分が一体何をしていたのか理解しておるか?」引っ立てられた将達の前で、そう問うたのは魏の曹操。

「…よもや、これ程に荒れた国を目にすることになろうとは…」その隣でそう呟いたのは蜀の劉備。

かつて三国の主として、その二人と名を並べられた孫権は、ふと、ぽつり、青年の名を呼びました。

その響きに、次々と孫呉の将達の表情が変わっていきます。ある者は激しく咽び泣き、ある者は何事かをひたすらに慟哭し、ある者は狂ったようにその名前を呼び続けます。周囲を取り囲む兵士達が狼狽する程の急激な錯乱に、曹操と劉備はただただ溜息をつきました。

「何をそう泣き喚く」
「何をそう慟哭する」
「何故そのように錯乱する」



「――あやつは、お前らがその手で殺したのだろうが」



――――この国でただ一人、最後まで孫呉を支えその行く末を憂えた青年は、彼が慕い彼が慈しみ彼が愛していた孫呉の将達によって殺されました。

三日三晩、殴られ、蹴られ、目を焼かれ爪を剥がれ鞭を打たれ水責めにあい、拷問の限りを尽くしていたぶられ、なぶり殺しにされた挙句に荒野に打ち捨てられた青年の遺体は、見る者全てが目を反らしたくなるほどの凄絶で悲惨な状態だったとか。

殺してくれ、と誰かが言いました。
そうだ、殺してくれ、俺達を早く殺してくれと、既に亡国の将となった彼等は次々に叫びます。

「ならぬ」
「何故だ!?」
「あやつがそれを望まぬからだ」
「……な、に?」
「儂とて、今のおぬしらはいっそ殺した方がましな程に憎たらしい。だが、あやつがそれを望んでおらなんだ」
「…どういうことだよ?」
「……『けして、殺すな』と、あの者が我等に言ったのだ。『奪うもの等何もない程に荒れ果てた国でよろしければ差し上げます。ですが、それが例え国を荒らした張本人であれ、今だ国と共に在る人間は何人たりとも傷付けることは許可しません』と」
「『沈みかけた船から飛び出してくるだろう女狐はどうしようとかまわない』…とも申しておったがな」

それは、けっして救いなどではありませんでした。
青年は、彼等を『殺すな』と言いましたが、もはや孫呉の将達の中に平和に生きられる者などいないでしょう。
もはや彼等に、誰かを手にかけることなどできません。彼等の手には、自らが手にかけた青年の血の感触が、肉と骨の砕ける感触が、今でも鮮明に残っているのです。
もはや彼等には、忘却すら許されておりません。青年が彼等に課した罰は、そういうことなのです。

忘れるな、お前達がこの国を滅ぼしたことを。
忘れるな、民の死を、国の死を、私の死を、お前達の不明が招いたことの全てを。
忘れるな。忘却も、死も、許さない。

――――この後、全てを失った彼等が如何様な人生をすごし、それぞれが如何様な死を迎えたのか、子細はなにも遺されてはおりません。

ただ、死ぬその時まで孫呉を守り続けたかの青年は、死してなお民から慕われ続け、やがてその土地を護る神として、崇め奉られる存在となったとか。