結局、いちごは次の日の朝になっても帰ってこなかった。…まあ、運が良いことに今日は休日。今日中に戻ってきさえすれば問題はない。樫野くんが偽物の外泊許可書を出してくれたしね。
特に何かする予定もなかった私は、今日一日を図書館で過ごすことに決めた。
「また図書館でお勉強?なまえって本当に真面目だよね。」
「そう?一流のパティシエールを目指す者であれば、こういう休日も無駄にはできないもの。少しでも知識を増やして、腕を磨かないと。」
「へえ。流石、みょうじさんね。」
「…天王寺会長。」
図書館へ向かう途中。私達以外に誰もいないと思って話をしていると、突然第三者の声が聞こえて振り返る。するとそこには、ついこの間プリン対決でお世話になった天王寺会長が立っていて、その綺麗な瞳で私を見つめていた。
私が「こんにちは。」と頭を下げると、天王寺会長も挨拶を返し、それから暫し沈黙が続いた。
「……あの、何か?」
声をかけてきたんだから、きっと私に何か用があるのよね?何も言わない天王寺会長に、訝しげな視線を送る。すると、天王寺会長は「いえ、」と少し言うのを躊躇ってから、ゆっくり口を開いた。
「この前のプリン対決で貴女のプリン、試食させていだいたのだけれど、卵のコクとカラメルのバランスが絶妙でとても美味しかったわ。」
「はあ、ありがとうございます…?」
「…貴女は、天野さんとはまた違う秘めた才能を持っているみたいね。グランプリで戦うのが楽しみだわ。」
フッと笑みを浮かべ、そう言った天王寺会長は、私に背を向け歩き出す。その後ろ姿が何故か気に触り、私は「天王寺会長。」と彼女を引き止めた。振り返らず、でも足を止めてくれた天王寺会長に、私ははっきりと宣言する。
「私はまだまだ実力不足で、今は天王寺会長の足元にも及ばないと思います。でも、グランプリで優勝するのは私達です。絶対にあなた方には負けませんから。」
「…わたくしも、負ける気はないわ。」
天王寺会長はそれだけ言うと、今度こそその場から立ち去った。そして、その瞬間。無意識の内に入れていた肩の力が抜ける。あの人といると、こう…緊張感があって疲れるわね。
傍で見ていたシフォンが「いいの?あんなこと言っちゃって、」と不安げに私を見るので、「大丈夫よ、きっと。それに、こっちの方が断然面白いでしょ?」と私は悪戯な笑みを浮かべた。
すると、シフォンは「さっき、なまえのこと真面目って言ったけど、あれ撤回するよ。」と呆れ顔で言うのだった。
****
その後。図書館に着いた私は、ケーキの本を読んだり、授業の予習復習などをして1日過ごした。…やっぱり、本から学べることって沢山あるわね。
何冊か本を借りて、そろそろ部屋に戻ろうかと席を立つ。すると、タイミングよく花房くんが図書館にやってきて、私を見つけると「あ、やっぱりここにいた。」と笑った。
「何か私に御用?あ、いちごが帰ってきたとか?」
「ううん。でも、きっともうすぐ帰ってくるだろうから、お出迎えしに行こう。」
「は?………っ、ちょっと何?!」
ぐいっと花房くんに腕を引っ張られて、私は落としそうになった本を慌てて抱え直す。お出迎えって…門の前まで行くつもりかしら。
図書館を出て、一度私の部屋に借りた本を置きに行くと、思ったとおり。花房くんは門へと私を連れて行った。
途中、握られた腕が熱いのと、周りの視線に恥ずかしくなった私は「引っ張らなくても、自分で走れるわよ。」と言って、花房くんの手を払った。…けれど、腕から消えた体温が少し寂しくて。
やっぱりあのまま握られたままでも良かったかな、なんて。そんなことを無意識に考えてしまった私は、慌ててぶんぶんと首を横に振った。私ってば、一体なにを考えてるんだろう。恥ずかしい。
門前に着くと、安堂くんが「みょうじさん、顔赤いけど風邪?大丈夫?」と心配そうに尋ねてきたので、「走ったから暑いだけよ。」と私は適当に言って誤魔化した。
それから暫く待っていると、遠くに黒い人影が見えた。もう辺りは暗いから判断しにくいけど、こんな遅い時間に聖マリーへ走ってくる人物なんて、いちご以外いないだろう。
電灯の灯りに照らされて見えてきたのは、やっぱりいちごの姿で。花房くんと安堂くんは、ベンチから立ち上がると、いちごの元へ駆け寄った。
「良かった!戻ってきてくれたんだね。」
「あ、あの…私、」
「「ごめんなさい!」」
「えっ?」
同時に頭を下げた二人に、いちごは目を丸くする。まさか、謝られるなんて思ってなかったんだろう。二人は、とても申し訳無さそうに口を開いた。
「なんか…いちごちゃんの気持ちも考えずに酷いこと言っちゃって、」
「あれから随分反省したよ。」
「そんな、私の方こそ謝らなくちゃ…っ本当にごめんなさい!」
「じゃあ、仲直りの握手だ。」
そう言って花房くんが手を差し出すと、いちごと安堂くんもそれぞれ手を伸ばし、仲直りの握手をした。…へえ。こういう仲直りの仕方もあるのね。
彼らが笑い合っている姿をぼーっと見ていると、私の隣に立っていた樫野くんがいちごに声をかけた。
「帰ってきたのか。もうすぐ寮の門限だぞ。」
「樫野、なまえちゃん…」
樫野くんと私の存在に気づき、いちごは少し不安げに私達の名前を呟く。すると、安堂くんが「樫野はね。嘘の外泊許可書を寮長さんに出して誤魔化してくれたんだよ。」といちごに説明した。
「ほんと、悪知恵働くよね。」
「うるせぇ。」
「ごめん…ありがとう、樫野。」
「まっ、今回は俺も言い過ぎた。…ほら、お前も何か言えよ。」
「っ、」
私は、樫野くんに背中を押されて数歩前に出る。…そんなことされなくても、ちゃんと喋るわよ。樫野くんに一言文句を言おうかと思ったけれど、そんな雰囲気でもなかったし。何より目の前に立ついちごが真剣な瞳で私を見ていたので、私は溜息を付いてから、ちゃんと彼女と向き直る形をとった。
でも、私の口から謝罪の言葉が出てくることはない。
「……私は謝らないわよ?だって、間違ったことは何一つ言ってないもの。」
「うん…。私もなまえちゃんの言ったこと、正しいと思った。だから、ごめんね。」
「べ、別に…わかればいいのよ。……ああ。今日、天王寺会長に会ってね?『優勝するのは私達ですから』って宣言してきちゃったから、今日から必死に特訓ね。」
「「「「え!?」」」」
私の言葉に驚いたのは、いちごだけではなかった。聞いてない!と騒ぎ出すスイーツ王子達に、私といちごは顔を見合わせ、そしてクスリと笑った。
このメンバーなら、きっと優勝できるわよね!
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