一目見た瞬間、これだと直感した。普段なら絶対に入ることのない革ブランドのお店。そこに入ってすぐ目についた鮮やかなネイビー色の財布は、風間隊の隊服カラーを思い起こさせた。よく見てみると、外装の端に小さく刻印された子犬のロゴは、歌川の愛犬シローに似ている気がする。かわいい。でも、男性が持っていても違和感のないような、上質で洒落たデザインだ。
ふとその値札に目をやった私は、思わず眉間に皺を寄せた。



(げっ、たっか…。)



さすがはハイブランド。私が持っている財布とは0の数が違う。恨めしげに財布を見つめていると、それに気づいた美人な女性店員がニコニコしながら私に話しかけてきた。



「こちらのお財布は、イタリアで製造されているマットーネという皮革を使っておりまして、新品の状態でも適度な光沢があって美しいですが、使い込んでいくほどに味わい深い色に変わっていくんですよ。なので、長年お持ちいただくことに適したお財布になっております。」

「へえ。」

「どなたかに贈り物ですか?」

「……まあ、そんな感じです。」



店員に尋ねられ、私は歌川の顔を思い浮かべながら小さく頷いた。ちょうど3週間後の日曜日、6月10日は歌川の誕生日だ。以前、長年使っている財布をそろそろ買い替えたいって話してたし、この財布をプレゼントしたらきっとあいつも喜んでくれるだろう。
しかし、値段が思っていた以上に高い。普通の学生だったらなかなか手の出せない金額だ。これでも一応A級隊員だし、それなりの給料を貰っているけれど…。最近買ってしまった高音質のヘッドフォンを思い出し、私は苦虫を噛み潰したような顔をした。今月の生活費を削っても、これはちょっときついかもしれないな。

シロー似の可愛らしい子犬を睨みつける。それでも、歌川にこの財布をあげたいという意志は少しも揺らぐことがなかった。





菊地原に転生した女の子21





ボーダーと両立できて、短期且つそれなりに稼げるアルバイト。そんな都合のいいアルバイト先を自力で見つけることはなかなかに難しく、致し方なしに宇佐美先輩にメールで相談してみたら、『とりまるくんに聞いてみるよ!』という返事がきた。いや、誰だよとりまるくん。
なんだか唐揚げが食べたくなるような名前だなぁ。そんなことを考えながら連絡を待っていれば、すぐに彼女からアルバイトの詳細が書かれたメールが届いた。まさか条件の合うアルバイト先がこんな早くに見つかるなんて。求人サイトかよ。

私は書かれた内容にざっと目を通していく。宇佐美先輩が紹介してくれたのは、パン屋の接客アルバイトだった。期間は明日から3週間。出勤日は防衛任務や訓練のない日の放課後で、仕事内容はレジ打ちと袋詰、清掃等。……うん、それくらいなら私にもできそうだ。
さっそく明日、お店に履歴書を持って行こう。私は紹介してくれたお礼と、歌川には秘密にしていてほしいという旨が書かれたメールを宇佐美先輩宛に送信した。






「なまえ、帰りに本屋寄らないか。」

「用事があるからパス。」




「諏訪隊に明日の防衛任務を代わってほしいと頼まれたんだが、お前達出られるか?」

「私、予定入ってまーす。」




「なまえさん!土曜日の防衛任務は午前中で終わりでしたよね?よかったら、駅前にできたクレープ屋さんへ一緒に行きませんか?」

「ごめん。それ、来週でもいい?」






「なまえ。お前が観たがってた映画、確か今日が上映終了日だったろ。観に行かなくていいのか?」

「あー。まあ、DVD出たら借りに行くし、今回はいいや。」

「そうか。……最近、やたらと忙しそうだな。」

「そう?偶々だよ。」



しらっとそう返せば、歌川は訝しげな視線をこちらへ向けてきた。ふふん、そんな顔したって何も教えてあげないよ。私はあいつと目を合わせることなく、鞄を右肩にかけると、「じゃあ、お先に失礼しまーす」と風間さん達に挨拶して作戦室を後にした。

アルバイトを始めて約3週間。ついに明日は歌川の誕生日だ。学校とボーダーとパン屋のアルバイトの両立はなかなかに大変だったけど、頑張った甲斐あって、例の財布を買えるくらいのお金を貯めることができた。だから、今日はこれからあのお店に行って彼の誕生日プレゼントを買う予定なのだ。



(歌川、喜んでくれるといいな。)



この世に生を受けたのは2回目だけど、前世でも今世でも恋というものがよくわからなかった私が、初めて好きになった人の誕生日。こんな特別な日くらいは少しくらい素直になって、日頃の感謝と愛を込めたプレゼントを渡したい。歌川の嬉しそうな表情を想像し、私は明日という日が来るのを待ち遠しく思った。






それは本当に偶然のことだった。その日は防衛任務も訓練もない日だったため、歌川は笹森達と個人ランク戦を何戦かして、夜の帳が下りた頃に帰路に着いた。いつも彼の隣りにいるなまえは、最近どういうわけか付き合いが悪く、今日も授業が終わってすぐにどこかへ行ってしまった。一体何を隠しているんだろうか。気にはなるものの、あまり深掘りし過ぎるのもどうかと思うし、彼女の機嫌を損ねたら面倒だと、彼は無理に問いただすことをしなかった。

今夜は外食にするから、と本部近くまで迎えに来てくれた母親の車に乗り、歌川は過ぎ行く窓の外の景色をぼんやりと見つめる。そういえば、そろそろ彼女が観たがっていた映画が上映終了してしまう。もし誘ったら、彼女は一緒に観に行ってくれるだろうか。
そんなことを考えていたら、信号機の色が赤に変わり、歌川が乗る車はゆっくりと停止線に止まる。そのときだった。窓の外に見知った男女の姿を見つけた歌川は、その目を大きく見開かせた。



「……え?」



街灯に照らされた並木道を歩く二人の男女。それは玉狛支部所属のイケメンと名高い烏丸京介と、自分の相棒かつ恋人のなまえだった。なぜ、二人がこんな時間に一緒にいるのだろう。そもそも二人は面識があっただろうか。ダメだ、理解が追いつかない。

信号が青へと変わり、再び車が発進する。二人の姿が見えなくなった後も、歌川は窓の外から視線を逸らすことができなかった。



(最近、なまえがよく言っている“用事”とは、烏丸と会う用事だったんだろうか…。)



そんな考えがふと浮かんで、歌川はいやいやまさかな、と首を横に振る。きっと偶々会ったんだろう。そうであると信じたかった。


なまえが自分の誕生日プレゼントのためにアルバイトを始めたことを知らない歌川は、バイト先のパン屋から自宅までの道が途中まで同じだからという理由で、なまえとバイト仲間の鳥丸が一緒に帰っていた、という事実に気づくことができなかった。



そして、



「…もしもし。………え、明日?午前中は訓練があるけど。………うん。………あー、まあ別にいいよ。それじゃあ、明日ね。烏丸はいいとこのどら焼き忘れないでよ。じゃ。」

「(……烏丸からの電話。しかも、明日会う約束までしてるのか。)お前、烏丸と知り合いだったのか?」

「ん?……まあ、いろいろあってね。」

「いろいろ、って?」

「別になんだっていいでしょ。そんなことより、アイスが食べたい。歌川、購買行ってきてー。」



なまえが烏丸と電話してるところに立ち会った歌川は、やはり二人の間には何かあるのかと怪訝な色を浮かべる。しかし、歌川の詮索を良しとせず、なまえはすぐさま話を切り替えた。その言動でますます彼女への不審感が増していく。
何よりも納得がいかないのは自分からの誘いは断るくせに、烏丸の誘いには応じるところだ。自分は彼氏だし、なまえとの付き合いも長いというのに、どんな理由があってこんな惨めな思いをしなくてはならないのか。
まさかなまえに限ってないとは思っていたが、やはり彼女もイケメンが良いんだろうか。得心のいかない顔をしつつも、歌川はなまえのために立ち上がる。


実際のところ、急用が入ってしまった烏丸の代わりに明日の午後からのシフトに入ることになったなまえがお詫びの品として、いいとこのたい焼きを献上するよう烏丸に命じた電話だったのだが、そんなこととは露知らず、歌川は悶々としながら購買へと向かって歩き出した。





菊地原に転生した女の子【歌川HBD】





「はい、これ。」

「?」

「なにその顔。今日、おまえ誕生日でしょ。」



平然を装いながらそう告げれば、あいつはポカンと口を開けて、その間抜け面を晒した。

今日は待ちに待った歌川の誕生日だ。皆の前で渡すのはちょっと気恥ずかしいので、早朝から家まで迎えに来てくれた歌川に、さっそく用意していたプレゼントを差し出す。この反応を見るに、きっとこいつの誕生日を一番に祝ったのは私だろう。
漸く合点がいったらしい歌川は、綺麗に包装されたそのプレゼントを受け取り、お礼の言葉を述べた。それからしみじみと外装を眺めた後、今開けてもいいかと尋ねてきたので、私は無言でこくりと頷く。

……気に入ってくれるだろうか。彼が包装を解いている間、自分の鼓動がやけにうるさく感じられた。



「……!財布か。嬉しい、ちょうど買い替えたいと思っていたところなんだ。色もデザインも触り心地もすごくいいな、これ。それにこのロゴ、少しシローに似てる気がする。」



財布を見て、ぱっと表情を明るくした歌川は嬉々としてそれを褒め称える。その顔はお世辞を言っているようでもなく、心から喜んでいる様子だった。

良かった。気に入ってもらえたみたいだ。それまで抱いていた不安が取り除かれ、ぽかぽかと胸の辺りがあたたかくなる。
お前はセンスが良いなと微笑む歌川に、当たり前じゃんといつも通り高慢に返したけれど、どうにも照れくさくなってしまい、私は止めていた足を再び動かし、ボーダー本部に向かって歩き出した。早く行かなきゃ、風間さん達との約束の時間に間に合わなくなっちゃうしね。



「でも、高かったんじゃないか。これ、ブランドものみたいだし。」

「別に。大した値段じゃないよ。」

「……本当にありがとう。大切に使わせてもらうな。」



歌川はそう言うと、大切そうに財布を箱に戻し、私の隣りを並んで歩き出した。もう既に幸せ絶頂みたいな顔をこいつはしているけれど、実はサプライズはまだまだこれからで、今頃ボーダー本部では風間さんや時枝達が歌川の誕生日を盛大に祝おうと待ち構えているはずだ。歌川がどんな反応をするのか、非常に楽しみである。



「……歌川。」

「ん?なんだ、なまえ。」

「あー…と。」


  
愛おしげにふわりと微笑む歌川に、私は少し言い淀んでから、ついに覚悟を決めて口を開く。
いつもムカつくくらいすまし顔で、嫌いなトマトも食べてくれないケチな奴だけど、どんな我儘を言っても仕方ないなって許してくれて、私なんかと一緒にいたいって言ってくれるかなり変わった奴。

そんな歌川遼という男が生まれてきてくれたこの日に、心から感謝を込めて。



「歌川、誕生日おめでとう。」









ボーダー本部で鉢合わせた烏丸に、ああプレゼント渡せたのかバイト頑張ったかいがあったな、と事の顛末を暴露され(本人に悪気はないらしい)、羞恥で真っ赤に染まった私を、歌川はとても嬉しそうに口元を緩ませ、優しく抱きしめた。

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