別に本気で避けてたわけじゃない。ただムカつくから、ちょっと困らせてやろうと思っただけだ。

図書室のドアが静かに開かれる。それから、だんだんこちらへと近づいてくる足音に、やっと来たかと私は小さく溜め息をついた。空はすっかり茜色に染まっている。机に顔を伏せたまま寝たフリをしていると、私のすぐ傍で足音がピタリと止まった。



「見つけた。」



落ち着いた静かな声で、歌川はそう言った。開かれた窓から風が入りこみ、ふわりとカーテンが揺れ動く。……どうせ、私が起きてることなんて、こいつにはバレバレなんだろう。むくりと顔を上げてみれば、いつも通りの澄まし顔がそこにあった。ああ、やっぱりムカつく。私は皮肉めいた微笑を浮かべながら口を開いた。



「ずいぶんと遅かったね。来てもらって悪いけど、もう行きたかったところには全部回っちゃったから。」

「ああ、知ってる。古寺から聞いた。彼氏との約束ほったらかして、さすがに酷くないか?」

「はあ?それ、お前が言える台詞?女子はべらせて、いい気になっちゃってさ。信じらんない。浮気だよ、浮気。」



自分でも理不尽なことを言ってる自覚はあった。でも、ここ最近溜まった不満が、歌川の顔を見た瞬間、コップから溢れてしまったみたいで。私は苛立ちを隠すことなく、彼に愚痴を吐き出した。そうでもしなきゃ、やってらんなかったから。

歌川が隣りの席に静かに腰掛ける。どうせお前は、なに馬鹿なこと言ってるんだって呆れた表情をして、それでもうまく私のご機嫌を取ろうとするんでしょ。そういう余裕ありげなところがムカつくんだよバーカ。
そう思っていたのに、どうやら私の予想は外れてしまったらしく、眉尻を下げた歌川はほとほと困った様子で口を開いた。



「悪い。不安にさせたか?」

「…はあ?」


 
予想外の謝罪に、思わず間抜けな声が出てしまう。本気で申し訳なさそうに私の顔色を伺う歌川の、そのしゅん、とした態度は大型犬の子犬を連想させた。こいつは一体何を言ってるんだろう。
確かに女子と二人っきりで買い出しに行ったり、私より女子の手作りお菓子を優先したことに対して腹を立てはしたけれど、そのことで不安になったことは一度もない。私は呆れたように言った。



「不安になんてなるわけないじゃん。お前が私のこと大好きなことくらい、ちゃんと知ってる、し……っ!」



言ってから、はっと我にかえる。なに自分で言っちゃってんだろう。そりゃ事実だけど、なんか自惚れてるみたいで恥ずかしい。
私は照れくさい気持ちを隠すように、口先を尖らせる。顔は間違いなく、赤くなってしまっているだろう。からかわれるんじゃないかと警戒したが、歌川は特に気にする様子もなく「じゃあ、」と再び問いかけた。



「じゃあ、寂しかったのか?」

「っ、」



は、と息が漏れる。垂れ目がちな目がまっすぐ私を見つめていた。寂しかったのか、と聞かれて、脳裏に浮かんだのは宇佐美先輩に言われたあの言葉だ。



「きくっちー、うってぃーと一緒にいる時間が減って寂しかったんだね〜。」



あのときは、違うってすぐに否定したけど、





「……そうだって、言ったら?」



視線を反らし、ポツリとそう返す。それは素直じゃない私にしては珍しく、恋人みたいな甘さを乗せた発言だった。
本当は認めたくなかったけど、ここ最近の大切な何かを抜き取られたような空虚な気持ちを言葉にするのだとしたら、それは宇佐美先輩達の言うとおり、“寂しい”が一番あっているような気がした。

だって、今まで隣りにはいつも歌川がいたから。ほんの数週間でも隣りに歌川がいないと落ち着かなくなる。歌川が他の誰かといるのを見ると胸が苦しくなる。寂しい。置いて行かないでほしい。私のことが好きなら、私以外に目を向けないでよ。
そんな、うざったい彼女のような独占欲が、私の性格をさらに歪ませていく。最悪な気分だ。前世じゃ一度もこんな気持ちになったことないのに、あれもこれも全部、歌川のせいだと理不尽に恨みを込める。


だからさ、このどろどろした感情は、歌川が責任持ってなんとかしてよね。


机に乗せていた手をギュッと握りしめる。すると、歌川の大きな右手が、私の頬へと伸びてきた。泳がせていた視線を再び歌川へ向ければ、蕩けるような笑みを浮かべた歌川と目が合う。



「かわいい。」



彼の甘美さを持つ声が、髪で隠した耳をくすぐる。途端に心臓が早鐘を打ち始め、触れられている頬にかっと熱が走った。……ず、ずるい。なんて、ずるい男だ!私はキッと歌川を睨みつけると、真っ赤な顔で叫びだした。



「お前っ、そうやって言っとけば、女子はみんな喜ぶと思ってるんでしょ?!バカにしないでよね!」

「いや、思ったことをそのまま口に出しただけなんだが…。それに俺だって、お前に避けられてすごく寂しかった。」

「〜〜っ知らないよ!もう、離せこの…!」



ドタンバタンと暴れだした私を見て、さすがにまずいと思ったのか、歌川が焦った様子で「落ち着け」と宥める。すると、本棚の間から顔を出した図書委員の染井が、冷ややかな声で言った。



「図書室ではお静かに。できないようなら、出て行って。」


 
だって、こいつが!と反論するため開いた口は、横から伸びてきた歌川の手によって塞がれてしまった。「騒いで悪かった。もう出て行くよ。」歌川は引き攣った笑みを浮かべながら、もごもご言う私を抱えて、図書室を後にする。

そして、私達が廊下に出たタイミングで、学園祭一日目がまもなく終了することを知らせる放送が流れた。



「あー、終わっちゃったな。」

「……。」



私の口から手を離した歌川は窓に近づき、ガヤガヤと騒がしい校庭を見下ろした。バカなこいつのことだから、私のことを捜すのに必死で、学園祭をちっとも楽しんでいないんだろう。もちろん、全て悪いのは歌川だ。でも、その前屈みになった後ろ姿がなんとも寂しげに見えて、少し同情心が湧いてきた私は、抑揚のない声でぽつりと言った。



「……全部じゃなかったよ。」

「ん?」

「だから、行きたかった場所……全部回ったって言ったけど、あれウソ。実はまだ三上先輩のクラスに行けてないんだよね。サービスしてくれるって約束してたんだけど…。
あと、古寺のクラスは脱出ゲームやってるらしいんだけど、かなり難易度高めなんだって。ちょっと面白そうだったから、明日行ってみようと思ってるんだけど、」



お前も一緒に行く?その一言は言わなかった。一日中避けてたわけだし此方から誘いづらいというのもあったけど、何よりあいつには必要ないと感じたから。
きょとんとしていた歌川は、やがて嬉しそうな笑みをこぼす。ほんと、単純なやつめ。


「俺は3年B組がつくった映画が観たい」と言う歌川に、「それは観たけど、まあまあ面白かったからまた観てあげてもいいよ」と私はなぜか偉そうに返すのだった。





菊地原に転生した女の子20.5 B





そうして、無事に学園祭も終了した日の放課後。後片付けは後日行うということで担任に解散を言い渡されたクラスメイト達は、これから駅前のカラオケで打ち上げをしようと盛り上がっていた。きっと、まだ学園祭の余韻に浸っていたいんだろう。
打ち上げの参加は自由だと聞いた私は、すぐさま参加しないことを幹事に伝えた。カラオケなんて私からしたら、目の毒ならぬ耳の毒だし。疲れたから、さっさと家で休みたかった。

帰り支度をしていると、前に『菊地原さんが彼女はない』と嘲笑ったポニーテールの女が、歌川のもとへパタパタと駆け寄っていくのが見えた。あの仲の良い二人も、彼女の後を追いかけていく。「歌川!」明るく弾んだ声が、教室内によく響いた。



「ねえ、歌川も打ち上げ行くでしょ。何時まで参加してく?この子、帰りの方面が私達と違うから、良かったら一緒に帰ってやってほしいんだけど。」

「え、と…。歌川くんが迷惑じゃなかったら。」



ポニーテールに肩を叩かれたボブ子が、上目遣いをしながら辿々しい声でそう口にする。少し頬を染めちゃって、あいつに気があることは誰の目からも明らかだった。
趣味が悪い奴め。ふん、と鼻を鳴らし、通学鞄を肩にかける。私が教室出口に向かって歩き出すのと、あいつが口を開くのはほぼ同時だった。



「ごめん。俺、打ち上げには参加しないつもりなんだ。だから、帰りが遅くなるようならご両親に車で迎えに来てもらうか、他の男子に送ってもらってくれ。佐藤や清水も俺と同じ方面に住んでるから。」



「なあ、」と歌川は、前の方の席で帰り支度をしている二人の男子に話を振った。佐藤、清水と思われる男子二人は振り返ると、話を聞いていたのか「おー」とあっさりした返事をする。けれど、そんなことはどうでもいいのか、女子達は虚を突かれたように慌てふためいた。



「え!歌川、打ち上げ行かないの!?」

「ど、どうして…?」

「なにか用事?あっ、もしかしてボーダーの?」

「いや、そうじゃないけど。なまえは参加しないみたいだから。」



突然自分の名前を出され、ピクッと体が反応する。最悪だ。もう教室を出るところだっていうのに、彼女達の視線が痛いほど背中に突き刺さってくる。歌川め、後で覚えとけよ。私は小さく舌打ちすると、振り返ることなく廊下へ踏み出した。

ピシャン、としっかり閉めたドアの向こうから、ポニーテールの明るい声が聞こえてくる。「えー。なんで菊地原さんが行かないと歌川も行かないわけ?いいじゃん、ほっとけば。」それは軽い口調だったけど、微かに焦燥や嫉妬の色が滲んでいるのがわかった。
しかし、それに気づかないのか、それとも気づいていて知らぬ顔をしているのか。歌川はまるで当然のことのように、平然とした態度で言ってのけた。



「いや、彼女を放ってはおけないだろ。」

「……ぇ、」


「あいつ、騒がしい場所とか嫌いなくせに案外寂しがりやでさ、放っておくとすぐ拗ねるんだよ。面倒くさい奴だよな。でも、そういうところも含めて可愛いと思うし、拗ねて避けられたら俺も寂しいから、後を追いかけてやらないと。」



だから、悪い。また明日な。そう別れを告げてから、すぐに教室のドアが開く音がした。



「……っ、ば、」



バカじゃないの。バカじゃないの。バッッッカじゃないの!!?私は羞恥で顔を真っ赤にしながら、足早に廊下を進んでいく。本当に顔から火が出そうだった。昇降口に着くまでの間に、宇佐美先輩と三上先輩に声をかけられた気がするけど、そんなのに構っていられるほどの余裕は今の私にない。
学園祭終了直後ともあってガヤガヤと生徒で賑わう廊下。だけど、そんな喧騒の中でもしっかり聞き取ることのできるあいつの足音は、だんだん大きくなっていく。

ああ、うるさい。うるさい。うるさい!生徒の声も、あいつの足音も!!でも、それ以上にうるさいこの胸の轟きを、誰か、お願いだからなんとかしてください。


後ろから伸びてきた大きな手に腕を引っ張られ、体勢を崩した私は、硬い胸板へと背中から飛び込んでいった。








「きくっちーとうってぃーのことを『全然釣り合ってない』とか『恋人には見えない』とか言ってる子達ってさ、なんにもわかってないよね〜。」

「ほんと!これ以上ないくらいお似合いのカップルなのに。」



ね、と先輩達は顔を見合わせて笑った。

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