「やる気がないなら来なくていい。」



風間はその赤い瞳になまえをうつすと、非常に冷ややかな声色でそう言った。重苦しい空気が作戦室内に漂う。
二人から少し離れた位置にいた歌川と宇佐美は、心配そうな顔でハラハラしながら二人の様子を見守っている。なまえは暫く風間と見つめあった後、無言でソファから立ち上がると、そのまま作戦室を出て行った。

慌てて呼び止めようとした宇佐美を、風間が止める。「まだ訓練の途中だ。」そう言われ、宇佐美はなまえを気にしつつも、再び仮想戦闘モードを開始させた。





菊地原に転生した女の子18





ーー3日前



「は?引っ越し?」



食事する手を止めたなまえは、ポカンとした表情で目の前に座る両親を見つめる。そんななまえを見て、母親は「突然こんな話をしてごめんなさいね」と申し訳なさそうに謝ってから、すぐに表情をぱっと明るくさせた。



「でも、いい機会だと思うのよ。なまえが中学を卒業したら、私達と一緒に新しい家で暮らしましょう?」

「なまえにはずっと寂しい思いをさせてきたからな。新しい家からなら職場も近いし、こうやって家族揃って食事できる回数も増えるぞ。」



母親に続いて、父親が片手にワインを持ち、嬉しそうに話した。目の前の二人はもうすっかり引っ越しする気満々で、既に新しい生活風景を思い描いているようだ。
対して、なまえの顔色はどんどん悪くなっていく。彼女は緊張をはらんだ声で尋ねた。



「……高校はどうするの?」

「あなた、特に行きたい高校もなかったでしょ?引っ越し先は都会の方だから、ここよりも高校の選択肢が広がるわよ。資料いっぱい貰ってきたから、ご飯食べ終えたら、お母さん達と一緒に選びましょうね。」

「なに、なまえは頭が良いからな。受験については何も心配はいらないだろう。」

「……でも私、ボーダーの仕事とかあるんだけど。」

「ああ、そうだったな。ボーダーに入るってお前が言い出したときは本当に驚いたよ。」

「そうそう!見かけによらず正義感がある子なのねって感心したのよ?でも、引っ越し先は三門市から随分と離れちゃうから、残念だけどやめてもらわなきゃならないわね。」

「っ、」

「近界民と戦うなんて、やっぱり危険だしな。これもいい機会だ。」



うんうんと頷く二人に、なまえは拳を震わせる。お前のためだと口では言いながら、本人の意見も聞かず、勝手に話を進めていく両親に酷く腹が立った。

確かに高校なんて、治安の悪いところでなかったらどこでも良かったし、三門市が特別好きだとか、市民を守りたい気持ちが人一倍あるだとか、そういうわけでもない。……けど、


バンッと机を叩くと、食器が僅かに机から浮いた。突然のことに目を丸くする両親を睨みつけ、なまえは怒気を交えた口調で言った。

「勝手なことばかり言わないで」と。







「あーあ、風間さんに怒られちゃったなぁ。」



これもそれも全部、あの自分勝手な両親のせいだと不満をこぼす。

訓練中にミスが目立ったなまえが、風間に『やる気がないなら来なくていい』と言われてしまった次の日。学校に行く気にもなれなかったなまえは、人気がなくて、平日の昼間に外を出歩いていても警察に補導されない場所ーー即ち警戒区域内の公園で一人、ぼんやりと空を眺めていた。

初めての無断欠席だ。今頃、歌川辺りが心配してるんだろうな、と考える。もしかしたら受験生なのに学校をサボるなんて!とまた叱られるかもしれない。それは、ちょっと面倒だなぁ。

万が一にも見回り中のボーダー隊員と出くわさないように、死角となりそうな屋根付きベンチへと腰を下ろす。まあ、なまえにはサイドエフェクトがあるので、不意にばったりなんてことは起こらないと思うが念の為だ。
小鳥の囀りや、飛行機の音くらいしか聞こえてこないここは昼寝にはうってつけの場所で。うとうとし始めたなまえは、ごろんとベンチの上へと横になり、ゆっくりと瞼を下ろした。



「……かたい。」



ごく当たり前のことが口から漏れる。

やっぱり昼寝をするならあのソファがいいな、となまえは作戦室に置いてあるソファを思い浮かべた。広さも硬さもちょうど良いあのソファは、風間隊が作戦室を貰ったときに初めて購入したもので。
割と値段がお高いそれは予算的にオーバーだったのだが、なまえが「これじゃないと嫌だ」と駄々をこね、結局オーバーした分を風間に出させたというエピソード付きの、なまえお気に入りソファである。

公園のベンチはあまりに寝心地が悪く、今からでもボーダー本部に行ってあのソファで寝なおそうかなと考えて、「ああ、でも」となまえは思い出したように呟いた。



「来なくていいって言われちゃったんだっけ。」



その声は、どこか不安げに揺れていて。

誰もいない静かな場所は、強化聴覚のサイドエフェクトを持つなまえにとって過ごしやすい環境であったはずなのだが、静かな分、最近あった悲しいことやつらいことが鮮明に思い出されて、なまえはくしゃりと顔を歪めた。





ピンポーン、とよくあるチャイム音が鳴り響く。暫くしてインターホン越しに聞こえてきた「はい」という女性の声は、一昨日聞いたものと同じだった。
歌川が名を名乗ると、女性はすぐに誰だかわかったようで、間もなくして玄関のドアが開かれる。中から顔を出したのは、やはりなまえの母親だった。



「こんばんは。突然、訪問してしまってすみません。」

「いいのよー。歌川くんならいつでも大歓迎!でも、今日はどうしたの?なまえなら、まだ学校から帰ってきてないけど、」



なまえの母親が不思議そうな顔でそう尋ねる。むしろ、今日も歌川に送られて帰ってくるとばかり思っていたのに一体どうしたのだろうか。
そんな母親の反応を見た歌川は、やっぱりと言いたげな表情を浮かべ、それから少し言いづらそうに口を開いた。



「実は今日、なまえ学校に来てなくて…。」

「……そうなの?」

「はい。それで、さっき俺宛てに彼女からメールが届いて、『訓練休むから、よろしく』って。返信しても返事が来ないから、風邪を引いて寝込んでるんじゃないかと思いまして、お見舞いにきてみたんですが…。」

「間違いなくサボりね。もうあの子ったら、今年は受験生だっていうのに…。」



母親は呆れた顔で溜息をこぼす。一方、なまえが学校やボーダーの訓練をサボった理由に心当たりのある歌川は、気まずそうに頭を掻いた。

やはり、なまえは昨日風間に言われたことを気にしているのだろうか。確かに昨日の連携訓練で、彼女のミスは明らかに多かった。ここ最近は少し様子がおかしかったし、もしかしたら何か悩みを抱えているのかもしれない。
無理に聞き出すのもよくないと遠慮していたけれど、ここは彼女のためにも強引に吐き出させるべきか。

そんな風に考えていたとき、なまえの母親が困ったように眉尻を下げ、「私達のせいね」と呟いた。



「私達があの子に何も言わず、勝手にいろいろ決めちゃったから…。やっぱり、まだ怒ってるんだわ。」

「?何の話ですか。」

「……実はね。なまえが中学を卒業したら、三門市から引っ越すことになったの。だから、ボーダーもやめて、新しい家で私達と一緒に暮らしましょうって言ったんだけど…。」

「!」



歌川のその垂れ目が大きく見開かれる。母親は「それから、あの子ずっと不機嫌でね」と苦笑を浮かべた。

歌川は知っていた。なまえの両親は本当に多忙で、家にもあまり帰ってこれないことを。あの日、歌川となまえが近界民に襲われた日だって、連絡を受けて駆けつけたのは歌川の両親だけだった。
けれど、それに関してなまえは特に気にしている様子もなく、「寂しくないのか」と歌川が尋ねても、「昔からだし、別に」と彼女の返事は実に素っ気ないものだった。

だとしても、家でずっと一人は寂しいだろう。できることなら、食事は誰かと一緒にとってもらいたいし、家族と一緒にいられる時間がもっと増えてくれれば、と歌川はずっと思っていた。


けど、



「なまえが怒るのも当然です。」

「え?」

「あいつ、素直じゃないから。あれがやりたいだとか、これが好きだとか全然教えてくれないですけど、あいつにもあるんです。やりたいことも、好きなものもたくさん…!」



困惑した顔の母親を真っ直ぐ見つめ、「だから、」と歌川は真剣な面持ちで言った。



「なまえの気持ちを勝手に決めつけないで、ちゃんとあいつの話を聞いてあげてください。」



面食らう母親を残し、歌川は「なまえを探してきます!」と言って、駆け足で去っていった。そんな彼の後ろ姿を母親はぼうっと見つめる。リビングから顔を出した父親に名前を呼ばれるまで、彼女はそこから一歩も動くことができなかった。


なまえを探し回りながら、歌川は風間と連絡をとり、先程なまえの母親から聞いた話と、今日の訓練に二人とも参加できない旨を伝えた。
風間はいつもと変わらず、低く落ち着いた声で「わかった」と短く返し、そのまま通話を切った。これで時間を気にせず、なまえを探すことができる。

しかし、彼女は一体どこにいるのだろうか。もうすぐ日が沈んでしまう。暗くなれば自ら家へと帰ってくるかもしれないが、歌川は昨日のなまえの様子が気がかりで仕方なかった。



(風間さんに『来なくていい』と言われたときのあいつは、迷子みたいな顔をしていた…!)



だったら、絶対に探し出してやらないと。

歌川は息を切らしながら、夕焼け空の下を必死で走り続けた。そうだ、なまえのことだから騒がしいところには行かないだろう。
どこか静かで、1人っきりになれる場所にいるはず。そんな場所と行ったら、やっぱりーー

 
歌川は走りながら、慣れた手つきでトリガーを起動させた。

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