流転無窮


人を疲れさせるものは自分の心を偽ること  






「来月末の土曜日にうちのパパが持ってる別荘使っていいって言ってるんだけど、パーティするなら参加したい人いるー?」
「いいじゃん!行きたい!」
「私も!新しいドレス買っていこうかな〜」
「俺んとこでケータリング手配しようか?」

 大手企業の社長令嬢が発した言葉に沸き立つクラスメイトたち。ノンアルのシャンパンならどこのものがいいとか、ドレスコードはどうするだとか、パーティに参加することを決めた子たちが口々にそう言って放課後の教室内は授業中の静けさとはうってかわって大変盛り上がっている。そんな中で、会話に積極的に加わることも黙って教室を出ることも出来ずにただ見守るしかできない私。そんな私に主催者の女の子が近付いて「どうかな?よかったら参加しない?」なんて声を掛けてきたので、内心ものすごく動揺しながら何とか口を開いた。
 
「あ、えっと、その日はおばあちゃんの誕生日で家族でお祝いすることになってて……」
「そっかそっか!それなら仕方ないね。家族は大事にしなきゃだもん!」
「うん、声掛けてくれてありがとう。私もみんなと遊びたいからよかったらまた誘って欲しいな!」
「おっけ、任せて!」

 そう言って親指を立てて輪に戻って行く友人に手を振った私は、ようやくそっと教室を出る。 
 白宝高校。都内にある進学校に進学した理由は、家から通えるし、ギンガムチェックの制服も可愛いし、大好きなおばあちゃんが勧めてくれたし、などと言う安直な理由。元々勉強は嫌いじゃなかったけど、流石にここに入るにはそれなりに努力が必要だった。合格発表で自分の番号を見つけた時には自分の努力が報われたととても嬉しかったのを覚えている。そして受験理由の一つであったホワイトベースにギンガムチェックの制服に初めて腕を通した時には、テンションが上がりすぎておばあちゃんの部屋でまで走って行ったのは今思い出すと少し恥ずかしい。 
 そんな中で始まった新しい生活は、私が想像していたよりもずっと――キラキラしていた。しすぎて、いた。
 都内でも有名な我が校は生徒の家柄も良い子が多く、そしてそう言った子たちは総じてみんな俗に言うコミュ力がとても高い。普段から社交の場に顔を出すことが多いからなのかはわからないし、うちのクラスが特別そうなのかもしれないけれど、とにかくみんなで盛り上がろうと言う気持ちが強かった。一応うちの実家もひいおじいちゃんの代から続く老舗料亭で、それなりに不自由のない生活をさせてもらっている。けれど、両親は料亭の仕事が忙しいのであまり家族旅行とかは行ったことがない。だからみんなと遊ぶのは楽しそうだな、とは思うけれど私の引っ込み思案な性格がどうにもそれを邪魔をする。それでも初回は仲良くなろうと頑張って参加してはみたものの、結局ノリが分からなくて惨敗。それ以降はノリがわからない私が居たら場がシラけるんじゃないかとか、迷惑かけるんじゃないかとかどうしても考えてしまうし、自分の性格を無理して変えるのもな……と思っているのでなんだかんだと理由を付けて参加を見送ることにしている。それでもハブられたりはしないし、普通に話してくれるクラスメイトたちは本当に優しい子たちだと思う。金銭面に余裕がある人は心にも余裕があるって言うのはあながち間違ってないんだろうな。うん。
 因みに来月末はおばあちゃんの誕生日なのには間違いない。飛行機で行く距離に住んでいるからお祝いは残念ながら画面越しだけれど。
 そんなことを考えながら歩いていれば、目的の場所まで来ていてやっと安心したように息を吐くのだった。


 
 ▽



「おや、今日も来たの?」
「うん!隣で宿題やってもいい?」
「ここは図書室なんだから、私に許可を取らずとも使用する権利はあると思うけど」

 キミは面白い子だね。
 そう言って笑う女子学生の名前はミョウジナマエちゃん。同じ学年だけどクラスの違う彼女が進学校と言うだけあって授業の進みは速く、中学の頃より数段難しくなった課題に四苦八苦していた私に声を掛けてくれたのがきっかけだった。

『どこに困ってるの?』

 頭の上から降ってきた言葉に顔を上げるとそこに居たのは見目麗しい美人さん。しかも後光のようなオーラを纏っていて私は思わずその姿に見惚れてしまっていた。そしてたっぷり数秒後、ナマエちゃんが『余計なお世話だったかな?』と言って隣の席へと戻ろうとするのを慌てて呼び止めたのが懐かしい。因みにオーラと言うのはナマエちゃん曰く『夕日が反射していたんだろう』と言うことだったけど彼女のお気に入りの席に日はほとんど当たらない。だから仲良くなってから改めて考えてもやっぱり彼女自身から発せられていたものだったと思っていた。そんなわけで仲良く……と言うより私が勝手に押しかけている、が正しいかもしれない関係は良好なまま今に至る。

「ナマエちゃんは今日はなんについての雑誌を読んでるの?」

 ノートと教科書を取りだしながら、ナマエちゃんの手元に視線を向ける。ご両親が生物学者さんらしく、彼女自身も生き物が好きらしい。ここでよく読んでいるのも表紙に自然系の写真が載った雑誌が多かった。たまに英語のままのものを読んでるのにはびっくりしたけど。因みに趣味は人間観察らしい。私も観察されてるのかなと考えたけど、不思議とナマエちゃんにならいいかと思えて嫌な気持ちにはならなかった。
 
「今日は世界最小のカメレオンが発見されたと言う記事だね」
「カメレオン……」

 カメレオンってあれだよね。舌が伸びたり色が変わったりするやつ。世界最小って言うのはどれくらい小さいんだろう。と言うかそもそも私は普通のサイズのカメレオンを知らないかもしれない。なんて私の考えが顔に出ていたのか、ナマエちゃんが言葉を続ける。

「2センチ。指先に乗る程度の大きさだよ」
「小さい!!吹き飛びそう……」

 吹いたら飛んでいきそうなサイズ……なんて小学生のような感想を呟きながら定規をまじまじと見る私にナマエちゃんは楽しそうに目を細めて笑った。その笑顔はなんだか猫みたいだなと思った。

 暫く真面目に課題をこなして、区切りのいいところでちらりとナマエちゃんを盗み見る。出会った時に後光のようなものが見えたとつい口走ったけれど、図書室の隅で静かに雑誌を読み耽る彼女の姿はどことなく神聖さを感じ、事実その思考や言動も浮世離れしているなと感じることが多かったからあながち間違っては無いと思う。
 例えば私がクラスメイトのノリに馴染めていなくてと愚痴を零した時に返ってきたのは「わざわざ無理をしてまで馴染む必要は無いんじゃないの」の言葉。そして続いた「この世で人を疲れさせるものは自分の心を偽ることだよ」と言うセリフにハッとした。確かにこの学校に入ってからは、周りの生活水準も高いし、クラスから浮かないようにと頑張って話題を合わせようと必死になっていた部分も多かったように思う。私本来の性格に合わないことを無理に合わせにいっていた。気付かない内にオーバーペースになっていたのかもしれない。
 ナマエちゃんは容姿端麗・頭脳明晰。本人曰く運動は好きでは無いらしいけど、授業中に見かけた体育の授業では派手ではないにしてもそつ無くこなしていた。つまり運動も出来る。放課後は一人でこうして図書室にいることが多いけど、クラスの前を通り掛かった時に女の子たちと楽しそうに話しているのも見てるし、女の子特有の集団行動は好きでは無いとは言え関係性は良好らしい。ナマエちゃんがそうしていられるのはきっと、自分の中でしっかりとした考えがあってブレることが無いからなんだろうな。
 そんな彼女の在り方が気高くて崇高で神聖だったから――憧れた。


 


 

 そうしてナマエちゃんに友情と言う簡単な括りには収まらないような密かな想いを抱きつつ、彼女の一番近い場所に居るのは自分なんだとよくわからない自信を持っていた私だったけれど、そんな私の心を乱す人物が現れたのは突然のことだった。
 
「【適応放散】と【収斂進化】って知ってる?」
「あ?あー、ダーウィンフィンチとかのやつか」
「おや、知っているとは意外だね。流石御影家の御曹司様だ」
「その呼び方やめろって言ってんだろ。いい加減玲王って呼べって」
「キミが私を退屈させなければね」

 暫く体調を崩していて久しぶりに図書室へ足を運んだ私は、ここを曲がればいつもの席の前に出るといったところで見えた姿に思わず足を止めた。ナマエちゃんの声と共に聞こえてきた声の持ち主――御影玲王はなんでここに居るんだろう。
 御影玲王。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能、総資産七千五十八億円の御影コーポレーションの御曹司。
 学校で知らない人は居ないだろうし、彼とお近付きになりたい人は掃いて捨てるほど居ると言うような人がなんでこんなところに。しかもナマエちゃんと随分と親しそうに――とそこまで考えて、はたと気付く。玲王くん、ナマエちゃんの目の前に座ってなかった?伺うようにこっそりと覗くとやっぱりそうだぅた。私は今まで彼女の読書を妨げないようにと目の前に座ることはしていなかったのに、彼は何の配慮もなくナマエちゃんの前で頬杖をついてムスッとした表情を見せている。悪いなとは思いつつもなぜかそこから足が動こうとしなくて、そのまま本棚の陰に隠れて二人の会話を盗み聞きしてしまっていた。

「そういや、今度サッカー部作ることになった」
「サッカー部?うちにはもうあるじゃないか」
「全国大会優勝するようなチームを作る。目指すはワールドカップ優勝だ」
「なかなか面白いことを言うね」
「ハッ、次こそ退屈だなんて言わせねぇ」
「その意気で頑張って、御影」

 サッカー部?ワールドカップ?優勝?誰が?
 いきなりのことで思考が追いつかずに混乱していた私は、一旦今日は出直そうと本棚の影から一歩踏み出した。と言うかなんか玲王くんに違和感があるんだけどなんだろう。よく分からないな……なんて考え事をしていた私は気付かなかった。席を立った玲王くんがこっちに向かっていることに。

「わっ?!」
「おっと……ごめんな。大丈夫?怪我してねぇ?」
「え、」

 ぶつかった拍子にふらついて倒れそうになる私を支えてくれ、優しい言葉をかけてくる玲王くん。

「もしかしてどっか打った?保健室まで運ぼうか?」
「っ……、大丈夫!ごめんなさい、前見てなくて……」
「いや気にしなくていいよ。俺も不注意だったし」

 慌てて頭を下げる私に玲王くんは爽やかに笑う。「また今度、ご実家の料亭使わせて貰う予定になってるからよろしくな」なんて言葉を言い残して去って行く玲王くんの笑顔も言葉も全部整っていて、さっきの違和感はこれだと思った。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能、なんでも出来て常にキラキラしていてまるでアイドルか王子様のような存在の御影玲王。きっと彼が私の実家のことを知っているのも人脈作りの一環なんだろうな。私が一番苦手とするようなタイプのそんな彼が、ナマエちゃんの前ではただの高校生のように不満げな言動を見せていた。それが意図するところがなんとなく分かってしまって心がザワつく。
  
 玲王くんにナマエちゃんを取られる……?

 
 

 

 
『でも玲王くん驚くんじゃない?帰ってきてナマエちゃん居なくなってたら』
『どうかな。戻ってくる頃にはそれどころじゃなくなってるだろうしさ』
『えー、結構執着強そうじゃない?』
『ふふ、それならそれもまた人間らしくていいじゃないか』
 
 数年前、渋谷に出来たスイーツをどうしても一緒に食べたいと言った私についてきてくれた彼女は、偶然出会った御影くんと別れた後にそう言って笑っていたのに。

「まさか結婚しちゃうんだもんなぁ……」

 ため息と共に私が割ったスコーンはボロボロと崩れていく。うそ、そんなに力込めたつもりなかったのに。慌てて口へと運んで誤魔化すように紅茶を飲んだ私に目の前の人物はあえて何も言わずに誤魔化されたフリをしてくれる。優しい。好き。

「まだ結婚はしていないよ」

 籍は入れてないからね。
 そう言って補足するのは私の憧れであり、大好きで仕方がない友人のミョウジナマエちゃん。
 彼女がこっちに移住してから長期休暇になる度に遊びに来ていたけれど、今回は玲王くんの投稿した電撃婚約発表を見ていてもたってもいられず気付けば飛行機の予約をしていた。

 結局、私が高校の図書室で思ったことは現実のものになった。あれからうちのクラスの凪くんと共に本当にサッカー部を作り快進撃を続けた玲王くんは、それからもことあるごとに図書室のナマエちゃんの元へと押しかけていた。名前を呼んで欲しいなんて御曹司らしからぬ理由で。私が隣に居てもお構い無しにナマエちゃんの視線を独り占めしている玲王くんに最初は「私は名前呼んでもらえてるもんね」なんて優越感を覚えて勝手に張り合っていたけれど、会話をしているナマエちゃんの表情や声色に愉しさや期待の色が見え隠れしているのに気付いてしまったから結局途中からは応援してあげることにした。ナマエちゃんの少し難しい話にもちゃんと返せていて、そこら辺はやっばり知識が豊富なんだなと感心したけど、ちょっと悔しい部分もあったから本人に言ってはいない。だから応援するのも公言したりしたわけではなく「今日は来なければいいな」とは思わないようにした程度。
 でもその後玲王くんが今ではだいぶ有名になっている例のプロジェクトに参加したり、ナマエちゃんがご両親の仕事についてイングランドへ引っ越してしまったりで特に進展は無かった。高校時代は、ね。

「でもさ、やっぱり私が言ったこと間違ってなかったね」
「キミの言ったこと?」
「玲王くんは執着が強いってやつ!」
「あぁ、あれか」

 何も言わずにイングランドに行ってしまったナマエちゃんは、数年経ってこのカフェで玲王くんと再会し告白されたらしい。……待って。と言うことはここって二人の聖地ってこと?わぁ、それはあんまり嬉しくないかも。

「ふふ、また百面相してるね」
「いろいろ考えて複雑な心境になってた。それにしても、あんな完璧を絵に書いたような玲王くんがナマエちゃんの前ではやっぱりただの男の子なんだなぁって」
「あらゆるものが完璧な人間は成長することがないからね。そんな人間は退屈だよ」

 ナマエちゃんは簡単にそんなことを言うけれど、あの御影玲王に退屈だと言えるのは彼女くらいだと思う。対外的には完璧な存在にも思える男の子と、そんな彼に物怖じせずに意見を言える女の子。やっぱり二人は出会うべくして出会ったんだろうか。そんなことを考えながら最後のスコーンを口へと運ぶのだった。


 


 
 
「今日は会えてよかった!」
「私も久しぶりに顔を見て話せて楽しかったよ」
「ほんと?嬉しい!でも遂に結婚しちゃうんだなぁと思うと、私としてはナマエちゃんが玲王くんにとられちゃったみたいで複雑だけどね」

 カフェを出たところで思わずポロリと零れた本音に自分が一番驚いた。
 大好きな友人を本来ならば祝うべきだし、そもそもナマエちゃんは物では無いのでとられたなんて表現自体が失礼なこと。そうアタマでは理解出来ているのにココロが納得してくれない。そんな自分が酷く醜くて情けないし最低だなと思った。
  
「私は好きだよ、キミのそういう素直なところ」

 純粋に嬉しい。
 そう言って微笑むナマエちゃんに数十秒前まで私の心に影を落としていた悩みがジワジワとはれていく。一言で幸せになれるし、ここが二人の聖地だとか言うことも一瞬にしてどうでもよくなった。私はやっぱりナマエちゃんが好きだなぁ。

「ナマエもそれくらい素直になってくれてもいいんだけどな?」
「おや、玲王」
「玲王くん!」
「丁度練習終わった時間だったからさ、迎えに来た。久しぶり。元気してた?」

 出た。
 爽やかに片手を上げて登場したのは我らが同級生であり、ナマエちゃんの婚約者であり、この街をホームタウンにするチームで活躍するプロサッカー選手でもある御影玲王。まだ外は明るいのにお迎えとは随分過保護だなぁと思う。それに加えて、私とナマエちゃんの時間の邪魔するなんて……と言う気持ちが顔に出ていたのか、玲王くんはその顔から爽やかさを消し去った。

「ホント俺のこと嫌いだよな」
「……そんなことないよ?」
「いや、嘘下手すぎんだろ」

 図星を突かれて一瞬反応が遅れた私に玲王くんがそう言って呆れたように突っ込んでくる。最初は私にも対外的な言動で接してきていた玲王くんだったが、ナマエちゃんの居るところで会うことが多い私にその必要性はないと考えたのかいつからか遠慮はあまりなくなっていた。

「……ナマエちゃんの横に立てる玲王くんが羨ましいなって思うよ」

 嘘は言っていない。嫌いを否定してもないし羨ましいのも本当。そんないろいろな感情を込めた私の言葉に、その立派な頭脳で意図を汲み取ったらしい玲王くんの大きな瞳の奥にどろりとした色が灯る。
 
「そっか、じゃあずっと俺のこと嫌いなままでいいよ。その場所だけは絶対譲れねぇからさ」

 ごめんな?
 そう言って重たい感情の一端を隠すことなく見せてくる玲王くんに私は驚きのあまり目を見開き、ナマエちゃんはやれやれといったように肩を竦める。これは執着が強いどころの話ではないし、全然キラキラもしていない。だけどきっと私はこの男が一生苦手なままなんだろうな。そう思いながらぼんやりと眺めた二人の姿は、悔しいけれどどこからどうみてもお似合いだった。
 
 


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