比翼連理


千切豹馬たちの憂慮  






「おつかれっス、レジ代わります」
「おつー、頼んだ」

 店のエプロンの紐を結びながらカウンターへと入り、日勤の人と入れ替わるようにレジの前へと立つ。後ろにある定期購読の棚をチラリと見るとそこに見慣れた雑誌の取り置きが残っていて、俺は安堵の溜息を吐いた。

「まだ来てないよ、アンタが気にしてるサッカー好きな文学少女」
「あと30分位したら来ると思うんスよね」
「うわ、時間把握してるのはさすがに引く」
「べ、別に意識してるわけじゃないですからね?!」

 入れ替わりになる先輩がドン引きした目で俺を見るからそれに対して慌てて否定する。いつも夕方のラッシュを避けて少し店内が落ち着いた頃にやってくるから覚えてるだけで、別に彼女だからと言って把握しているわけではない、決して。

「ま、犯罪にならなきゃなんでもいいけどね」
「ひでー言い方」
「可愛い子だったし、今度声掛けてみたら?アンタも一応サッカー部だったんでしょ」

 彼女のハートにシュートだ!
 そう、謎にガッツポーズを決めてバックヤードへ戻って行く先輩。ハートにシュートとかそっち方がドン引きだわ。なんて言えるはずもないので大人しくレジ番に戻る。今日は雨が降っているせいか、見渡した店内に客はあまり居なかった。暇だしカバーでも折っとくか。そう思ってカバー用紙を取りに行く時にまた目に入る定期購読の棚。そこには今日発売のサッカー雑誌が一冊、定期カードと共に置いてあった。
 
 俺がバイトをしているこの書店では珍しく、毎月出る全てのサッカー雑誌を定期購読しているのが【サッカー好きな文学少女】ことミョウジナマエさん。なんで文学少女と呼ばれているかと言えば、定期のサッカー雑誌とは別に文庫小説を良く買って行くのと、レジ対応した時の反応が物静かで穏やかそうだったから。ここに来る時間は少し遅いし制服やスーツ姿じゃないってとこで、年齢はたぶん俺と同じ大学生くらいだと思っている。申し込みの際に記入して貰った電話番号は、入荷の際の連絡は不要という項目にチェックが入っていたので残念ながら掛ける機会は無いまま。因みに月に数冊出る雑誌をまとめておきましょうかと言う提案には「ありがとうございます。でもそれぞれすぐ読みたいので発売日に買いに来ます」と丁寧な返答をされた。その丁寧さと少し照れたような笑顔は、理不尽な客の対応をすることが多かった俺の心を奪うには十分すぎて、辞めてやろうかと思っていたバイトも気付けばそこから半年以上が経過しようとしている。
 そしてその日以来、サッカー雑誌の発売日には必ずシフトを入れるようにしている俺は、約半年の淡い恋心を彼女に抱いていると言うわけだ。
 そうこうしている内にレジのへ歩いて来た一人の女性。彼女こそが俺のバイトを続ける上でのモチベーターことミョウジさんである。

「いらっしゃいませ」
「これと定期購読分の雑誌をお願いします」

 ミョウジナマエです。
 もう長いのにいつも丁寧にそうつけ加えてくれる彼女に人の良さを感じながら、迷うことなく棚から雑誌を取り出してくる。今日は文庫本一冊か。そう言えばこの他にも彼女がよく買う作家の新刊が出てた気もするけど今回はスルーだったのかな。なんてことを思いながらも、先刻先輩に言われた言葉を思い出す。レジに並ぶ客は居ないし、ハートにシュートは無理だとしても優しいパス交換くらいならいけるかもしれない。
 
「サッカーお好きなんですか?」

 文庫にカバーをかけながら遂に話しかけることに成功した。話し掛けられると思っていなかったであろうミョウジさんは一瞬驚いたような顔をした後「はい」とはにかむように笑う。やばい、久々に見た笑顔だけどやっぱり可愛い。

「いいですよね、サッカー。俺も元サッカー部だったんですよ」
「そうなんですね」
「海外専門の雑誌も見るって相当好きですよね。どこか好きなチームあるんです?」

 そう聞くと、ミョウジさんはまた少し恥ずかしそうに笑って小さな声でイングランドのチーム名を呟いた。そのチーム名を聞いて最高潮に高鳴る胸。なぜならそこは俺が一番応援しているチームだったからだ。これはもう運命なのでは?そう思った俺はここぞとばかりに攻めていく。チャンスは逃すな。部活時代に散々言われた言葉だ。その言葉を贈ってくれた監督に今更ながら感謝をしたい。
 
「マジすか!俺もそこ応援してて……!」
「わ、それは嬉しいです」
「あの、今度良かったら一緒にスポーツバーで一緒に、」
「ナマエ、これも一緒に買う」

 観戦でもどうです?
 そんな俺の人生最大の勇気を振り絞った言葉は華麗なカットインで言い切ることすら叶わなかった。つーか誰だよ、俺と彼女の邪魔をしたの、は――
 そこにはトレードマークの真っ赤な髪と中性的な顔を隠すこともせずに涼しそうな顔で立っている千切豹馬が居た。え?嘘だろ、確かに地元はこっちだけどいまはイングランドで……そうか、ブレイク期間だ。うわー、まじか。あの千切豹馬が目の前に居るとか信じられん。

「すみません、これも追加でお願いします」
「……」
「あの、」
「っ、すいません、」

 つい目の前の有名人に見入っていると、いつも耳心地の良い声が少し戸惑った色で耳に飛び込んでくる。その声に弾かれるようにして彼女に差し出された追加の文庫本数冊にカバーを掛け終わった俺はそこであることに気付いた。この本はさっき俺が思っていた彼女がよく買っていた作家の新刊。合計金額を告げると当たり前のように差し出される千切豹馬のクレジットカード。千切豹馬の婚約者は日本在住。

「他に読みたいのは無かった?」
「あぁ。とりあえず今回はこれでいいよ。いつも送ってくれてありがとな」
「ううん、気にしないで」
「電子でも読めるけど、やっぱ紙の方が読んでる感あるんだよな」
「あ、それわかるかも」

 そして極めつけのこの親しそうな会話。やっぱりそうだ。彼女が買っていたのは千切豹馬のための本で、そしてサッカー雑誌もきっと彼の活躍を知るためだったんだろう。それなら彼女の好きなチーム名も頷ける。そりゃ婚約者が居るチームは応援するよな。くっ、幸せ者め……!

「おまたせしました、こちら商品です」
「ありがとうございました」
「あ、あの!」

 後ろに人が並んでいないのを確認して二人を思わず引き止めると、足を止めた彼女は小首を傾げて、横に居た千切豹馬はその端正な顔をこれでもかと言うほど顰めて俺を見た。見せつけてくるように彼女の腰に腕を回しているけど、違うんだ、彼女にどうこうしようと言う気持ちはもうこれっぽっちも無いんだよ。相手があの千切豹馬と分かって勝負が出来るほど俺はスペックの高い人間では無い。ただ、そこら辺にいるサッカーが好きな一大学生だ。だから俺が言いたいのは――

「千切選手、応援してます!頑張ってください!!」

 さっきとは違ってしっかり最後まで伝えることが出来た言葉。ミョウジさんは少し目を丸くした後に微笑み、千切豹馬はふはっと吹き出して「ありがとーございます」と軽く手を挙げた。


 
 ▽



 その夜。バイト終わりに何気なく千切豹馬のSNSを覗いて見たら、今日買っていった文庫本の写真がアップされていて、その奥には今日ミョウジさんが着ていた服の一部と思われるものが写り込んでいた。これが匂わせってやつ?いやでも千切豹馬は婚約者居るって公表してたし匂わせって言わないのか。詳しくはわからないが、俺はその記事をそっとブックマークするのだった。

【読書タイム #帰国中 #店員に応援された #頑張ります】
  
 


 ▽


 
「俺の影でも踏んでろ、ノロマ!」

 お馴染みの声がしてマッチアップしていた相手のサイドが置き去りにされる。そして中でボールを呼び込んでいた俺を気持ちいいくらいスルーした千切は自分の得意な角度へ切り込んで、そのままシュートを叩き込んだ。あれ、今日こいつもしかしてハットトリックじゃね?



 ▽


 
「おつー!ちぎりんハットトリックとかキレッキレじゃん!」

 欧州クラブに居るメンバー中心で組まれた合宿中。練習試合を終えた俺の耳に試合後とは思えないテンションで話し掛ける蜂楽の声が聞こえてくる。まぁでも今日の千切の動きは確かに良かったよな。点取られて悔しいけど。

「おつかれ。シャワー浴びてくるわ」
「ありゃ。ご機嫌斜めっぽい?」

 ハイタッチをスルーしてシャワールームへと戻って行く千切。元々気分屋なところはあるけど、勝った試合後は割と付き合いがいい方だし、得点を決めていたなら尚更テンション高く自慢してくるくらいなのに珍しいな。そんな千切の様子に蜂楽も首を傾げて俺の元へとやってくる。

「調子は良さそうだったよね」
「あんだけ点とってたらな。ただなんかいつもより気迫と言うか、殺意が強かった気もするけど」
「あー、いまお嬢さんの彼女が帰国してるからじゃない」

 俺たちが話しているところへ現れた凪の話によると、合宿前にあったイングランド組の雑誌撮影の時から千切の機嫌は良くなかったらしい。

「えー、ナマエちゃんってば実家に帰らせて頂きますってやつ?」
「なんだっけ。あー、卒論の時期で発表とかあるから日本戻んないとだとか」
「へぇ〜」

 そうか卒論。俺たちには縁のない話だけど、友達とかの話を聞く限りでは大学生で一番大変で大事なことらしいしな。ナマエちゃんはそれでなくても海外留学までしてるから並大抵の努力じゃないんだろう。しかもそれが全部千切のためだと言うんだからマジで彼女には尊敬の念しかなかった。

「それは大変だな。で、どんだけ戻ってんの?半月くらい?」
「年明けに発表があってそれから卒業式もあるから春くらいまで向こうだって」

 あぁそれは。
 俺と蜂楽の視線が交錯する。

「耐えれないっしょ、ちぎりん」
「それなら確かにあの態度になるかもな……」

 千切が移籍してナマエちゃんがこっちに来るまでの二年間をどれだけ待ち望んでいたかは知っているし、こっちに迎えてからどれだけ嬉しそうだったかも知っている。例を挙げると、ナマエちゃんが来る前日にテンション上がりすぎて寝れない千切から真夜中に電話が掛かってきて、明け方まで付き合わされたりした。その次の日の練習はマジで身体が重くて、やる気がないなら帰れとノアにガチトーンで言われたのは一生忘れることは出来ないと思う。

「まぁ、お嬢さん結果は出してるし」
「流石にそれでパフォーマンス下がるのはナマエちゃんが気にするだろうしな」
「王様のイライラはMAXだろうけどねん」

 面白そうに笑う蜂楽の言葉で思い出したけど今回の合宿の部屋割り、千切の同室は馬狼だっけ。そう言えば朝からなんか怒鳴り声がしていたような。いつもの事だと思って気にしてなかったけど、たぶんあの感じだといつもに増して部屋の片付けとかの生活力皆無だろうから、馬狼の怒りに触れることしかないんだろうな。

「キングがガチ切れてんのなんていつものことじゃん」
「それはそうだけど、それ凪が言う?」
 
 凪と千切……あと蜂楽と一緒になった時の馬狼の顔、マジで人殺せそうなオーラ出てるんだけどこいつら自覚あんのかな。いや、あっても変わらないか。てかあれ、監督とかコーチとかどうやって決めてんだろう。流石にくじ引きとかじゃないと思うけど。

「んじゃ、今日の一枚はちぎりんにしちゃお!」

 馬狼に少しばかりの同情をしていると、蜂楽はなぜかウキウキした表情で目を輝かせている。因みに今日の一枚と言うのは蜂楽がファン向けに公式SNSで合宿中のワンショットを毎日アップすると言う企画のことだ。乙夜や蟻生の決めポーズと言ったものから、デザートのプリンを食う馬狼やヨガ中の凛と言った結構レアなものまであって人気らしい。俺も一回載ったけど、あの写真は恥ずかしすぎて今でも削除出来るならして欲しいと思っている。

「いや、今の千切の機嫌見たよな?絶対無理だろ……」
「えー?ナマエちゃんにも届くかもよって言えばいけるくない?」
「それは……いける、かも?」
「でしょ?そうと決まれば早速ゴー!いいねいいね、楽しくなってきた!」
「ちょ、待てって蜂楽!」
「がんばー、俺はとりあえず寝る」
「凪はせめて部屋戻ってから寝ろ!」

 
【今日の主役! #蜂楽廻の代表廻り #今日の一枚 #祝ハットトリック #我らがお嬢 #不機嫌注意】
 


 ▽



 ホームゲームで負けた。
 長いシーズンの中、いくら頑張っても負ける時はある。今回も別に俺を含めたチーム全体のパフォーマンス自体は悪くなかった。今回はうちのチーム以上に相手チームの動きが良かったんだろう。それでもどこかに足元を掬われる要因があったのかもしれない。シーズン折り返しのこの時期、他の上位勢が順当に勝ち点を積み上げる中で、今日逃した勝ち点3が今後の優勝争いに影響すると言うのは十二分に考えられることだった。

 試合後ミーティングを終えて帰った自宅は静まり返っている。負けた日はいつも静かではあるけれど、ナマエが居ないと言うだけでそれが余計に感じられた。
 負け試合の日、ナマエは俺に気を遣って部屋に篭っている。俺の気持ちに余裕が出来て声を掛けると部屋から出てきて、いつもと変わらず「おかえり」と微笑むのが常だった。話を聞いて欲しい時は傍で話を聞いてくれるし、何も言って欲しくない時には何も言わない。そうして欲しいと頼んだわけではないのに、それが当たり前のように振る舞うナマエ。流石に気を遣いすぎだ、そこまでしなくていいからと言った俺にナマエはなんの躊躇いもなく言い切った。

『でも負けて一番悔しいのは豹馬だと思うし、そんな時に家の中でまで誰かに気を遣う必要は無いんだよ。感情のまま私に八つ当たりする分には構わないけど、そうなった後で豹馬は絶対に自分を責めると思うから』

 それに私もそうする方が悩まず済むので助かります。
 そう言われてしまえばそれ以上強く言うことも出来ず、結局その優しさに甘えてここまで来ている。もちろんナマエに八つ当たりなんかはしたことない。その代わりマジで凹んだ時には暫くただ無言で抱き枕にしたことはあるけど。
 今は帰国中なんだからドアをノックしてもナマエが出てくることは無い。そう分かっているのに改めて突き付けられるそれは結構なダメージだった。

 リビングのドアを開けると家を出る時に脱ぎ散らかしたままのシャツとズボンに出迎えられる。そういや、この前の合宿の時にも馬狼に少しは片付けろと散々怒鳴られたんだっけ。でもまぁ気が向けばやるし。向かない時の方が多いってだけで。そう思いながら落ちている服をソファへ足で掬い上げる。これ、ナマエが見たら怒る……いや怒るっつーより呆れるか。そして苦笑しながら「大事な足をそんなことに使っちゃダメだよ」なんて言うんだろう。
 
 トレーニングや食事はする。もちろん足のケアもする。サッカーに関して手を抜くことは一切ない。そのスタンスはナマエが居ても居なくても変わることは無いと断言出来る。けれどやっぱり物足りない。特に一度一緒に居る生活を味わってしまったから尚更だった。

 壁に掛けてあるカレンダーは辛うじて今月のものに切り替えてある。カレンダーを捲って出てくる二重丸はナマエが書き込んだもので卒論提出の期限らしい。そこは丁度ウインターブレイクだから帰国予定にしていた。ナマエには言ってないけど、所謂サプライズってやつだ。それに帰ってる間ナマエに色目を使ってるヤツが居ないとも限らない。現にナマエがこっちに来る前、たまたま一緒に行った本屋で出会ったバイトの男は多分そうだった。最終的には俺を応援してくれたから悪いやつじゃないんだろうけど、だからと言ってそれこれとは話が別ってだけ。 

 続けてカレンダーをめくると出てくる花丸と共に添えられているのは卒業式と言う三文字。それを超えればなんの制限もなくナマエがこっちに戻って来れる俺にとっても大事な日。つーかたぶん袴着るんだよな。見たい。ほかのヤツらがナマエのその姿を見れるのに俺が見れないとか我慢出来るはずがないのに。一瞬脳裏に帰国の文字が過ぎるが、残念ながらシーズン中でありそれは不可能だった。
 
 そんなことを考えながら穴が空くほど眺めていると、その日にちに何かが引っかかる。正しくはその日にちを含んだ期間。あー、なんだったっけ。すぐに出てこなくて悩むより誰かに聞いた方が早いだろうと、都合よくアドレス帳の一番上にある潔へと俺は迷わず発信ボタンを押した。

【もしもし?千切?どした?え、いやさすがにお前の予定まで知らないけど……ってそこあれじゃね?】

 日本でやる年代別の親善試合。
 潔の言葉にようやく思い出す。そうだ、この前の合宿で次の国際試合はそこだと言っていたような。改めて聞かされた試合の日にちはちょうどナマエの卒業式の前日だった。

「サンキュー、潔。助かったわ。じゃあなー」
【ちょ、千切?!】

 まだ何か言っていた潔との通話を切ってもう一度カレンダーと向き合う俺。その試合に参加するためには何がなんでも代表に選出されねーと。そのためにはまず自分のチームで結果を残すことが重要になる。今日みたいな負け方はもうしない。
 チームで結果を残して代表に選ばれて、そこでも結果を出してナマエの卒業式が終わるのを会場前で待つ。

「最高のプランじゃん」

 マジ滾る。
 一気にモチベーションが最高潮に達した俺は卒業式の前日に大きく代表戦と書き込むのだった。
 
  
【次は絶対に勝ちます #明日からまた猛練習 #全員ぶち抜く #待ってろ】






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