比翼連理


リスタート  






「……」

 そんなに広くないソファの端と端、なんとも言えない距離感を保って座る私は同じく無言のままの豹馬にどう切り出すべきかを悩み続けている。気を利かせたおばさんとお姉さんが買い物へ行くと、部屋に取り残されてから続く沈黙をどうすればいいんだろう。

 親同士の仲が良く、産まれた時からまるで双子のように育った片割れがサッカーの大舞台で試合をするらしい。その試合を見に行くと言うおばさんに一緒に行くかと問われ、ここ最近の彼との関係性から一瞬躊躇いながらも私の口から出た返事はほぼ即答のイエスだった。

 去年までは当たり前のように見てきていて、それでいてもう二度と見れないんじゃないかと言う思いさえあった豹馬のプレーを目の前で再び見れたことに涙が止まらなかった昨日の試合。

 豹馬がピッチに戻ってきた。
 ただ戻っただけではなくて、その気持ちも一緒に。
 その事実を見れただけで私としては十分過ぎたのに、まさかオフを与えられた彼とこうして会うことになるとは思ってもいなかった。

 興奮したお姉さんが豹馬を呼んだ時に目が合ったから、私がこっちに来ているのは知っていたにしても、届いたメッセージが『オフになったから帰るな』だったのはどうかと思う。
 ……その前のメッセージはもう随分前だったのに。

 そんなことを考えながら、チラリと豹馬を横目で盗み見ると顔に掛かる後れ毛のせいで表情は読めなかった。髪、だいぶ伸びたな。元々手入れの行き届いた綺麗な髪をしていたけど、それは伸びた今でも変わってないらしい。

「……豹馬の髪、やっぱり綺麗」

 それまでの静寂を破った自分の言葉に驚いて慌てて口を覆ったけれど、それを取り消すことは当たり前だけれど出来なくて。驚いてこちらを見る豹馬と目が合って、一気に心拍数が上がる。こんなはずじゃないのに。どうしようかと頭をフル回転していると、顔を背けた豹馬がぷはっと吹き出すように笑った。

「お前、この場で最初に言うことがそれかよ」

 おかしそうに笑う豹馬の顔は私のよく知っている表情で、彼はやっぱり昔と変わってなかった。こうして一つずつ、私が知る彼の面影を見つける度に先程までの緊張が解れていく気がした。

「ごめん、つい……。あ、えっと、昨日の試合おつかれさま!走ってる姿を見たらね、豹馬だ!って嬉しくて、感動しちゃって、その……あ、れ?」

 言おうと思いつつも言えていなかった労いの言葉や、昨日のプレーの話など伝えたいことはたくさんある。それが一気に脳内に押し寄せてきて、頭の中を上手く整理の出来ないままで話していたらじわじわと視界が歪んでくる。

 どうやら張り詰めていた緊張の糸は緩みすぎてしまったらしい。昨日の試合でもうこれ以上は出ないと思っていた涙はどうやらまだ底をついていなかったようだ。

「擦るなよ、腫れるぞ。ったく……泣き虫なとこ、変わってねぇな」

 溢れる涙を止めようと擦っていると、擦る手を取られて呆れたような言葉と共に頭を胸元へと抱き寄せられる。小さい頃は私が泣いたら、豹馬はこうやって溜息を吐きながらも落ち着くまで頭を撫でてくれていた。それもまた懐かしくて、今まで言えずに蓋をしていた思いがそっと顔を覗かせる。

「ごめん……だって、ホントに豹馬のプレー、もう見れないんじゃないかって……」
「うん」
「豹馬ともあんまり話せなくなって、このままもう一生話せないのかと思っ、た」
「……悪い。それは俺のせい、だな。お前に酷いこと言っちまったし……」

 つい吐露してしまった言葉に自嘲するような声が降って来たから、私は慌てて頭を振ってそれを否定する。豹馬が言っているのはとはあの怪我の後、なんて声を掛ければいいか分からなくて、何を言っても綺麗事にしかならないんじゃないかとオロオロすることしか出来なかった私に豹馬が言った言葉のことだろう。

『もう俺に構うな』

 その時の豹馬の気持ちを汲めず、それを額面通りに受け取った私はその後から彼との距離を置いてしまった。豹馬が一番辛い時、私は何も出来なかった。だから謝るのは私の方で、豹馬は何も悪くない。

「ごめん、豹馬がしんどい時に何も出来なくて」
「気にしなくていいって。それにたぶん、あの時の俺は何言われてても反発してたと思うし、近くに居たら」

 もっと酷いこと言ってたかもしんねーし。
 最後は少し語尾が小さくなりつつもそう言った豹馬にまたじんわりと目元が熱を持つ。
 豹馬はずっとそうだった。我儘でマイペースだけど、とても優しい人。ありがとう、とお礼を言うとくしゃりと一度頭を撫でられて、そっと身体を離された。さっきまでは見えなかった豹馬の端正な顔が改めて目の前に現れる。

「……あのさ」

 小さく一度深呼吸した豹馬が口を開く。その目は真っ直ぐに私を見ていて、大きく綺麗でそれでいて強い輝きを放つその紅い瞳に吸い込まれそうな気さえした。

「俺、また走るから」

 静かに、だけどしっかりと、宣誓のように豹馬は告げる。

「……うん」
「それで俺が世界一になる」
「うん」

 だからさ。

「見とけよ、その活躍を一番近くで」

 ともすれば傲慢にも聞こえるその言葉も、私にとっては至極の響きとして紡がれる。

『おれ、せかいいちのさっかーせんしゅになる!』
『ひょーまにはだれもおいつけないもんね。ならわたしは、そんなひょうまをずっとおうえんしてるよ!』
『いいぜ、いちばんちかくでみせてやるよ』
『ほんと?やったぁ!』

 ふわりと蘇るずっと昔の記憶。
 もう私だけが覚えてるだけのものだと思ってたのに。
あぁ、本当に、本当に戻ってきたんだね。

「……わかった。今度はもう、構うなって、見るなって言われてもずっと見届ける」

 そのためなら豹馬と離れていても、話せなくてもきっと全く苦にならない。
 豹馬が覚悟を決めたのなら、私ももう絶対に目を逸らしたりはしないから。
だから──

「豹馬のスピードで全世界をぶち抜いて」

 千切豹馬と言う選手に世界中が熱狂した時が、私が世界で一番幸せになれるその時だ。




 


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