比翼連理


今宵、貴方に酔いしれる  





※本編に塩様のサイト「07」で連載されている凪夫妻が出てきますが、許可を頂いた上で執筆・掲載させて頂いています





「こういう所の料理ってなんか食べにくいんだよね……」
「わかる!素敵だし美味しそうだけど、リップが落ちてないかとかいろいろ気にしちゃって結局食べられない」

 最初は慣れないことばかりで緊張ばかりしていた豹馬のに同伴してのレセプションパーティ参加。最近ではこうして凪さんの奥さんと一緒に居ることも増えてきたので、以前よりは苦手意識が軽減してきたように思う。今日もパーティホールで豹馬が凪さんたちを見つけたのをきっかけに、そこから自然と四人での行動になっていた。
 夫たちが関係者たちと会話をするのをにこやかにやりすごし、会話が一段落したところで豹馬が「酒取ってくるわ」と声を上げる。シーズン中の禁酒から解放されている今、本当ならグラスが空いたらすぐにでも次のお酒を飲みたかっただろうに、さっきの方には結構長い間話し掛けられていたもんねと内心苦笑しながら「いってらっしゃい」と返した。それを受けて奥さんの手元の飲み物が減っていないことに気付いていたらしい凪さんが「飲みやすそうなのにしときな」と言い、騒がしそうなドリンクカウンターの周りを見て渋々一人で豹馬の後を追いかけて行く。あの時の凪さんの顔は本当に苦渋の決断といったもので、奥さんを片時も傍から離したくないオーラがすごかった。
 そんなこんなで、私たちは他愛もない会話をしながら夫たちを待っている。

「ね、今日の髪型もすごく素敵なんだけどやっぱりご主人が?」
「あ、うん。豹馬の手先って本当に器用で……」
「いいなー!羨ましい!」
「でも凪さんはいつも髪乾かしてくれるんだよね?凪さんのそれってすごく特別感あると思うな」

 普段の様子や豹馬からの話を聞くに、凪さんが自分からなにかをしてあげるってとても特別そうだし、どちらかと言うとやって欲しいと言いそうな彼がそうすると言うことはきっと、奥さんのことが本当に大好きで大切に思ってるからこそなんだと思う。そう伝えると少し照れたようにはにかむ奥さんがとても可愛くて、凪さんがいつも口癖のように「攫われるかもしれない」と言っているのも分かる気がした。

「幸せのお裾分け頂きました」
「いえいえ、こちらこそ」

 そう二人で笑いあっていると、私たちの元に影が落ちる。豹馬たちが戻って来たのかと顔を上げた先には知らない男の人の姿。

「はじめまして、綺麗で可愛いお嬢さん方」

 アルコールのせいか少し赤らんだ顔でにこりと微笑むその男性は私たちと同年代くらいだろうか。このパーティの主催企業と提携している会社を父親が経営していると言う彼は、最近こちらに来たばかりだとか、知り合いを増やしている最中だかと聞きもしないのにたくさん語ってくれている。正直、豹馬が一緒に居ない時に話しかけてくる人にあまり良い印象はなかった。強く出れない私たちを懐柔して豹馬たちに何かしら持ちかけようとしてくる人たちや、こちらでは珍しい日本人女性にいろんな意味で興味がある人たち。特に凪さんの奥さんはその見た目も相まって後者のような人たちが寄ってくることも少なくないらしく、いつも凪さんが目を光らせているんだと豹馬が言っていた。今回もどちらかと言えば後者よりかな。となると、凪さんが戻ってくるまでどうにか波風立てずに距離を取れるように――

「なぁ、誰に声掛けてんのかわかってやってんの?」
 
 愛想笑いをしながらそんなことを考えていたら聞こえた声と共にぐっと抱き寄せられる感覚。声はいつもよりだいぶ低くて冷たいものだったけど、包まれるぬくもりはよく知っているものだった。

「わかってたらこんなこと出来ないでしょ」
「だよな」
「え、あ?千切豹馬?!凪誠士郎も?!」

 焦る男の声に豹馬の腕の中からちらりと見た先には、奥さんを覆い隠すように抱きしめている凪さんがすごい形相で相手を睨んでいるのが見えた。だけどそれはすぐに、腕の中に居る大好きで大切な人用の甘くて優しいものに変わる。

「大丈夫?なにもされなかった?」
「うん、なぎが来てくれたから大丈夫だよ」
「ほんとに?一人にしてごめんね。攫われなくてよかった」

 いつものフレーズが聴こえて、状況も忘れて思わずふふっと笑いが零れると、豹馬にこつんとおでこをぶつけられた。
 
「笑ってる場合じゃないからな?ったく、心配させんなって」 
「ごめんね。豹馬がお酒取りに行っちゃってたから」
「禁酒するわ」
「しないくせに」

 クスクスと笑っていると、思い出したように豹馬がそう言えば、と呟くからなんだろうと首を傾げる。

「喋りすぎて乾燥したんだよな」

 塗って。
 そう言う豹馬に今更、どこに、なんてことは聞かなくてもわかってしまうほど慣れてしまっている自分はいる。けれど、誰が見ているか分からないこの場所では流石に気が引けた。
 
「……後でじゃダメですか」
「ダメですねー」
「人、たくさん居ますけど」

 粘る私に、それがどうした?と言わんばかりの表情で、見せつけてやればいいじゃんと言い切る豹馬。こうなった豹馬には何を言っても聞き入れられることは無いなと観念して、彼のスーツの左胸ポケットから一本のリップクリームを取り出した。いつもより緊張する指先でそれを豹馬の唇にゆっくり滑らすと、塗り終わるのが早いかその手を取られて顔に影が落ちる。

「……なに」
「さすがに、」

 恥ずかしいからダメ。
 周りを見ながらそう言うと、私の手にキスすることになった豹馬は少し不機嫌そうな顔を見せつつも納得してくれた。
 
「仕方ねーな。なら飲み直そうぜ」

 上にちょうどいいバーがあるって聞いた。
 そう言って私の腰を抱いて出口の元へ向かう豹馬。勝手に帰っていいのかな。そうだ、凪さんは。そう思って先程まで凪夫妻が居た所に視線を向けても二人の姿は無い。ついさっきまで「もう大丈夫だからだして」「だめ」って声が聞こえていた気がしたんだけどな。ついでに言えばいつの間にか男性の姿も消えている。そんな私に豹馬が「あっち」と指で示す先。会場の出口にここからでもよく分かる白い大きな後ろ姿が消えていくのを見つけた私は大人しく豹馬と一緒に会場を後にするのだった。
  
 





「ふは、めちゃくちゃ感動してんじゃん」
 
 豹馬の言っていたバーはルーフトップスタイルになっていた。座り心地の良いソファから見えるスカイラインについ夢心地で見入ってしまっていた私を見て、両手にグラスを抱えた豹馬が笑う。

「だってすごい綺麗なんだもん。すごすぎて語彙力無くなっちゃうくらい」
「まぁその気持ちもわかるけど」

 そう言いながらグラスを差し出す豹馬にお礼を言いながら受け取ろうとすると、二つとも渡される。飲まないの?と有り得ないと思いながら立ったままの彼へと視線を送れば、おもむろに脱いだジャケットをそのまま私の肩へと掛けてくる。

「風吹いたらまだ肌寒いだろ。着てていーよ」
「!!ありがとう、実はちょっと寒いなって思ってた」
「どーいたしまして」

 私の横に座る豹馬にグラスを渡しながら、豹馬にはなんでもお見通しなんだなぁと感心していれば「お前のことならなんでも分かる」と見透かされたように返された。その言葉に口元が緩むのが我慢できなくて、そのまま誤魔化すようにジャケットに身を埋める。彼の香りとぬくもりが残るそれに包まれていると、まるで豹馬に抱きしめられているような感覚になって安心した。

「そう言えば、さっきの人は大丈夫だったの?」

 二人で座るには少し広いソファの上で身を寄せ合うようにして座る私は、先程まで思うように飲めていなかった分を取り戻すかのようなペースで飲み干していく豹馬を見上げながら少しばかり気になっていたことを口にする。

「さっきの?あぁ、ナマエたちに声掛けてたやつのこと」
「うん。一応偉い人みたいだったし……」

 振る舞いはどうあれ、彼の話しぶりからそれなりの立場に居るのも分かっていたので、先程のやり取りで今後の豹馬や凪さんにとって悪い影響が出ないかどうかだけが心配だった。それを伝えると、豹馬は特に気にする様子もなく「大丈夫だろ」と返す。

「そんな簡単に……。今日のパーティの主催企業と提携してるって言ってたよ」
「そんなの俺らには関係ねーし。それにバーカウンターのとこで会った玲王が言ってたんだよ。提携会社とは言っても末端の末端、しかもその親も手を焼いてるドラ息子だってな」

 だからナマエが心配することはなにも無いから。
 そう言う豹馬に、御影さんは相変わらずなんでも知ってるなと思うと同時にそれならきっと情報に間違いはないだろうからと納得することにした。

「それならよかった」
「……なんかムカつく」
「はい?」

 よかったと言った私に急に不機嫌そうな表情を見せる豹馬。今の会話のどこに彼の機嫌を損ねる要素があったのかと、慌てて記憶を遡っても心当たりがない。ただ心配してただけなんだけどな。それでも先程まで機嫌良くグラスを傾けていた豹馬の表情が不満げに歪んでいることは事実なので、どうしたものかと考える。

「えっと、」
「俺以外の男のこと考えるの禁止な」

 豹馬の言葉に思わず目を見張ってしまった。たぶんこれはあの男の人のことを言っているんだろうけど、私は別に彼の心配をしていたわけじゃなくて豹馬の心配をしてただけなんだけどな、と思いつつもある意味豹馬らしい言い分に苦笑する。そして私はご機嫌斜めの赤豹を落ち着かせるために私にしか使えない手段を用いてその機嫌を取りに行くことにした。折角の素敵な空間で理由はどうあれ彼の機嫌を損ねたままなのは嫌だから。

「私はいつも豹馬のことしか考えてないよ」

 だから機嫌直して?
 言葉と共にその頬へとフレンチキスを一つ添える。すると豹馬は「知ってる」と満足そうに口角を上げるから、これで彼の機嫌は元通り。よかった、と安心して改めてその夜景を楽しもうと豹馬から視線を外すと、横から聞こえた声に思わず笑ってしまう。

「あー、さすがに酔ったかも」
「豹馬が?うそだぁ。まだそんなに飲んでないよね」

 ここに来てから一杯目じゃない。
 そう言って視線を戻せば、ニヤリと不敵に笑う豹馬と目が合った。

「なら試してみる?」

 瞬間に頬に触れる少し冷たい指先と、唇に感じる熱。

「んっ……」

 重なる唇から流し込まれる液体は私の好きな紅茶の味がした。珍しく豹馬がカクテルを飲んでいるなと思ったらこれだったのか。そう理解するのがはやいか、その度数の高さに顔と喉が熱を持つ。全てを飲み込んだのを確認した後で熱くなった口内を豹馬の舌に蹂躙されると、今までに彼から植え付けられた記憶で身体が疼き、奥の方で快感がその芽を覗かせた。ゆっくりとけれど的確に与えられる快楽のせいか、レディーキラーの名に恥じぬ高度数のアルコールせいか、それともその両方か。ふわふわとしていく思考の中、それらはここが屋外であることを忘れさせるには十分なものだった。

「っ、ふ……」

 身体が崩れ落ちそうになる瀬戸際でやっと解放された私の目に映るのはぺろりと唇を舐める豹馬の姿。それが先程までの行為を視認させ、余計に顔に熱が灯る。

「どう?」
「……クラクラする」
「酒で?それとも俺とのキスで?」
「りょうほう……」
「ぷはっ、かーわい」

 息も絶え絶えになりながら答えて、ぽすん、と豹馬の胸へと顔を押し付ければ、そのままぎゅうぎゅうと抱きしめられた。どうやら豹馬の機嫌は絶好調らしい。というか、やっぱり全然酔ってないじゃない。なんて先程のキスで身体の奥に芽吹いた熱を持て余している状態で言う気にはなれなくて、そのままおでこでぐりぐりと豹馬の胸を押せば、また面白そうに豹馬が笑う。

「足りない?」

 耳元で囁かれた声。いつもよりも数段甘いその誘惑に抗う術を今の私は持ち合わせてはいない。
 
「このまま部屋行く?」

 重ねられる問い掛けに頷くしか出来ない私は、一晩中掛けて千切豹馬という男の色香に酔わされるのだった。
 
 
 

 


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