PDL短編 | ナノ


カンパリとXYZで乾杯  





「疲れた……」
 
 昇りかけの朝の日差しに目を細めながら停めてあった車へ戻る。深めに倒した助手席のシートに身を沈めると一気に疲労が襲ってきた。どうやら緊張感とアドレナリンのおかげで気にならなかったが、しっかり身体は疲れていたらしい。
 今日の結構動いたもんなぁ。それを感じながら一息ついていれば、ガチャリとドアが開いて音もなく尽八が運転席へと滑り込んできた。
 
「おつかれ。終わった?」
「あぁ。逃げ回ることに関してだけは一流だったようだが、所詮は準構成員にも満たないレベルだからな」
 
 オレたちの関係している社交クラブで薬の密売が行われていると言う話を聞いたのが先月の話。うちでは薬を扱うのはご法度だからと調べてみたら、最近代替わりしたファミリーの末端だと言うことがわかった。そこは新しいボスの求心力が低いって噂も流れてきてて、内輪揉めも起きてたりまとめきれてなかったりってのもあるんだろう。ま、どんな理由があっても一線越えてきた時点で見過ごすわけはいかねぇんだけどな。
 
「まぁそれも無事片付いたってことで……腹減った」
  
 アイツらがいきなり好き勝手し始めたからロクに夕飯食えてなかったんだぜ。
 そんな愚痴を零せばそれに合わせたかのように、グゥと鳴った腹。静かな車内に鳴り響いたそれに、横で報告をしていたらしい尽八は呆れたようにため息を吐いた。
 
「お前は移動中もずっと何かしら食べてただろう……」
「そうだったか?」
「全く……お前と荒北と銅橋だけでどれだけの食費が必要経費として落とされてるとだな」
「あー、マジで腹減ってるからさ、今度でいいかい?」
「あっ、隼人!自分だけ寝るとかずるいぞ!」
 
 騒がしくなった尽八をスルーしてグローブボックスから取り出すのはアイマスク。尽八の運転って静かだから寝るには最適なんだよな。これが靖友と組んだ場合はそう言う訳にもいかないし。
 
「尽八、後は任せた」
 
そう言い残してオレは意識を手放した。

 


 
 少し古びたドアを開ければカランと涼しい音を立ててドアベルが鳴り、それに反応するように店のカウンター近くに居た女性が振り返る。
 
「いらっしゃいま、せ──」
「や、お邪魔するよ」
「あぁ……お好きな――いつもの席にどうぞ」
 
 軽く手を上げて笑いかけるオレに、濃紺のビブエプロンを纏った女性──この店唯一のカメリエーラである速水さんは一瞥だけしてカウンターの横にあるボックス席を指し示した。
 
 あの後、尽八と共に寿一の元へ顔を出したオレは詳細な報告は尽八に任せて行きつけのタベルナへと足を運んでいた。そんなに広くはないこの店は大通りから外れているため、普段からあまり客は多くない。加えて今は開店時間からそんなに経っていないことも相まってオレ一人だ。まぁここの店長の本業はオレが懇意にしている情報屋で、こっちは趣味みたいなもんだからそんなに儲からなくてもいいんだと言ってた気もするからそれでいいんだろうけどな。美味い飯が食えるなら、裏稼業のオレたちにとっても人が少ないのは好都合だし。
 
「今日は何にされますか?」
「店長オススメのパスタとリゾット、あと肉と魚はどれがいいかな……あぁ、速水さんのオススメにしよう」
「……たまには野菜とか食べた方がいいと思いますけど」
「じゃあコントルノも付けるよ」
 
 メニュー表を見ながら注文を告げると、速水さんは呆れたような表情になる。彼女の心の声はそうだな、この時間からよくそんなに食べれますね、と言ったところかな。口数は多いほうじゃなく、喜怒哀楽の表情変化も大きいわけじゃないけど、意外と思っていることが分かりやすい彼女をオレは気に入っていた。オススメを聞くとちゃんとオレの注文の傾向を覚えてアドバイスしてくれるのも良い。その言葉に従って頼んだほうれん草とニンジンのソテーをメモに追加し、一礼して店長の元へと注文を通しに行く彼女。料理が出来上がるまでの間、店内のいろんな作業をしている速水さんを眺めるこの時間が好きだ。カラトリーを拭いたり、店内の植物に水をやったり、本日のオススメのメニューパネルを書き直したり。休むことなく店内を動く彼女を目で追う時はいつもよりも時間の流れがゆっくりと感じられる。特に今日みたいなガッツリ仕事した後は特にそれを感じられる気がして、必ずと言っていいほどここを訪れていた。
 
「……いつも見てて飽きないですか」
 
 オレの視線の先に居た速水さんが手元の台帳から顔を上げて、それまで一方通行だったオレと彼女の視線が交わる。彼女からすれば行動をずっと見られているのは気分のいいものでは無いらしく、その眉は顰められていた。
 
「うん、飽きないな」
「……そうですか」
 
 彼女の言葉に頬杖をついたままにっこり笑って即答すると、はぁと呆れたように溜息を吐いてまた彼女の視線は手元へと落ちる。口数の少ない彼女との会話を続けるのはなかなかに至難の業だ。
 
「今日はお休みなんですか」
 
 ヒュウ、驚いたな。
 まさか彼女の方から声が掛かるとは。
 
「徹夜明けの仕事が終わったばかりなんだ。急に舞い込んだ案件でさ、昨日の夕飯も食べ損ねてるからもう死にそう」
 
 少し大袈裟に肩を竦めて見せれば、彼女は怪訝そうな視線を寄越す。オレとしては何一つ嘘は吐いてないんだけどな。移動中とか待機中にいろいろ摘んだけど、ちゃんとした夕食は食べてないし。そのまま無言で視線を向けてきたままの速水さんに今度はオレが首を傾げる番だった。彼女に見つめられるのはいつでも大歓迎だけれども、確かに黙って見られてるってのはどこかむず痒いかもしれない。
 
「いえ……あの、お仕事されてたんだな、と」
「酷いな、おめさんにはオレが遊び人にでも見えてたって言うのかい?」
「……失礼ながら」
 
 速水さんの言葉に驚きつつも、茶化したようにそう返せば小さく彼女が頷いた。素直にそう返すのが彼女らしくて、思わずふはっと息を吹き出す。確かにオレがここに来るのは日にちも時間も不定期で、安定した仕事をしているようには思えないのも無理はない。大方、親かパトロンに頼った生活をしているという風にでも取られてたんだろう。
 
「ちゃんと、仕事してるぜ」
 
 まぁ内容は彼女に言えるようなものじゃないんだけどさ。
 心の中でそう付け加えたところで、店長が速水さんを呼ぶ。どうやら料理が出来上がったらしい。
 
「おまたせしました。まずは本日オススメのペスカトーレと牛肉とポルチーニのクリームリゾットになります」
「今日も相変わらず美味そうだ」
 
 ことりとテーブルに置かれた料理から香る匂いは限界を超えかけていた空腹を刺激する。さて、どちらから食べようか。カラトリーを手に取りながらそんなこと悩んでいたのも最初だけで、空腹と言う最高のスパイスを携えたオレは気付けばその後の全てもあっという間に完食していた。
 
「美味かったよ、ごちそうさま」
 
 食べ終えた皿を下げに来た彼女にそう告げると、いつもなら直ぐに食器を下げて立ち去る筈の彼女の気配が残ったままなことに気がついた。無駄な動作はあまりない彼女にしては珍しい。なにかあったのかと見上げた先の速水さんはそのまま一度カウンターへ戻ったかと思えば、片手に小さなプレートを持って戻って来る。
 
「……お仕事、おつかれさまです。これ、サービスなのでよろしければ」
 
小さく短く呟かれたその言葉と、目の前に一つのマフィンを残して彼女はパタパタとカウンターの中へと戻っていった。完全に不意打ちだったその言葉に、思わず口元を片手で覆う。
 ……まいった。それは反則だぜ、速水さん。撃ち抜くのはオレの専売特許のはずなんだけどな。
 どんな銃より殺傷能力の高いその一言に撃ち抜かれたオレは、目の前の料理も空腹も忘れ、まだ耳にしっかり残っている彼女の声と共に込み上げる喜びを噛み締める。
 
「それ作ったのオレじゃなくて志帆だからなー!」
「っ、店長!」
 
 楽しんでいるかのような店長の声と慌ててそれを静止する速水さんの声。そんなやり取りを聞きながら目の前のマフィンを一口齧る。チョコチップと共にほんのり香るバナナの風味はオレの好みにこれでもかと言うほど合致していて、既に結構な量を食べた後だと言うのにいくらでも食べれそうだ。
 この店は非日常に身を置くオレが、唯一普通の男として過ごせる場所だった。




 
「嘘、だろ……」
 
 息を切らせて辿り着いた、見慣れたはずの店内は変わり果てた姿になっていた。曇りの無かった窓ガラスは枠しか残っておらず、綺麗に片付けられていた食器棚はほぼ全ての食器が割れて粉々に砕け散っている。彼女が毎日水やりを欠かさず、いつもみずみずしい葉をつけていた観葉植物も床に転がり割れた鉢から土が散乱していた。つい半日ほど前に座っていた、オレの指定席のようになっているボックス席のソファーに残るのは無数の銃弾。

 そしてカウンターの中。
 オレの目に飛び込んできたのはうつ伏せの白いコックコートや床に広がる赤と、その横に倒れている濃く変色した濃紺のビブエプロン──この店の店長と速水さんの姿。

 襲撃された店内、噎せ返るような血と硝煙の匂い。そんなの見慣れた光景の筈だった。それでも、この状況を目の当たりにしたオレの脳は視覚からの情報を上手く処理してくれない。
 動かないと。動け。
 駆け寄りたいのに足が床へ張り付いたように動かない。
名前を呼びたいのに喉は発声の仕方を忘れたように浅い呼吸を繰り返すだけ。
 どうすれば──
 
「このボケナスが!ぼさっとしてんじゃねェ!!そっちの女、まだ息してんぞ!!」
 
 その時聞こえる後ろからの罵声にそれまで固まっていた体が弾かれるように動き出す。
 
「泉田!この女、うちンとこの病院連れてけ!黒田ァ!聞こえてんだろ、外に車回せ!」
「はい!」
 
 いつも以上に目を吊り上げた靖友が泉田に指示を出しながらインカムの向こうに居る彼の部下へと叫ぶ。駆け寄った泉田は彼女の傷口を確認して急いで最低限の止血を始めた。本来ならば泉田への指示もオレが出さなければいけないはずなのに、オレはここで何をしているんだ。
 
「待って泉田、オレが」
「バァカ!てめーはまだこれからやること残ってんだろーが!まさか、こんなことされてそのままハイ終わりってワケじゃねぇだろうなァ?」
 
 彼女を抱き上げようとする泉田を制しようとしたところでまた靖友の激が飛ぶ。確かに動揺してはいたけれど、その言葉の意味を理解出来ないほど思考が止まっている訳じゃない自分に安堵した。そうだ、オレの今すべきことは目の前の惨劇を引き起こした張本人を見つけ出して、その落とし前をつけさせること。
 
「泉田、彼女を頼む」
「新開さん……!任せてください!」
 
 力強く頷いた泉田は迅速に、それで居て最小限の負担になるように速水さんを抱え上げて店の外へと走っていく。その後ろ姿を見送って、倒れたままの店長の傍らへ跪く。店長が咄嗟に速水さんを庇ったから、彼女の命は繋がったんだろう。
 彼の正確な情報得ることも、彼の作る料理を味わうことももう二度とは叶わない。今までの感謝の気持ちと、彼がどうか安らかに眠れるようにと願いを込めて着ていたジャケットを彼に掛けて短く黙祷を捧げた。
 
「……尽八」
『その店を襲撃した奴らの大体の目星はついている。どうやらうちに最近入った末端構成員が先日の件に関わったメンバーと関わりがあったらしくてな。これからの事についてはフクの許可も降りている。好きにやって貰って構わん。人手が足りないようなら真波と悠人を向かわせることも出来るから言ってくれ』
 
 名前を呼んだだけでこれだけの情報と今後のことを提案してくれる尽八に、さすがうちのファミリーのブレーンだと感心する。真波と悠人か。来てくれたら戦力にはなるのは間違いない。だけど。
 
「いい、オレがやるよ。靖友にアシストは頼むけど」
「しゃあねぇから付き合ってやんよ」
『わかった。ならば迎えは葦木場に頼んでおこう』
「助かる」
 
 相手が使っているであろう隠れ家のデータを高田城から送る、と伝えられて一旦切れる通話。その間に準備をしてしまおうと、店から遠くない場所にある自宅の地下へ向かう。その道中、そんない経たないうちに携帯端末に住所が送られてきた。さすが相変わらず仕事が速いな。示された距離はここからそんなに遠くなさそうだ。

 住所を頭に叩き込んで、そのデータを削除する。革のオープンフィンガーグローブに指を通してホルスターに入っていたコルトパイソンの感触を確かめると、問題ないと言わんばかりにガンブルーの銃身が鈍く光った。今日も頼むぜ、相棒。
 シリンダーを振り出して、エキストラクターロッドを押し込むとバラバラと弾薬が床へと散らばる。そして弾薬が置いてある棚からお目当てのものを取り出して一つ一つ丁寧にシリンダーへ込めていると、横で自分の銃のマガジンを補充をしていた靖友がニヤリと口角を上げた。

「ホローポイントねぇ」
「それくらいのことはしてるだろ?」
「まァな」

 六発分を詰め込み終わって、カシャンとシリンダーを振り戻す。尽八が居たら、もっと大切に扱えと小言を言われるところだけど、まぁ癖みたいなもんだから仕方ないよな。
 靖友の方も終わったようで、最後に予備のスピードローダーをいくつか準備して自宅を出ようとした時、インカムに通信が入ってきた。
 
『新開』
 
 寿一から?珍しいな。
 何かあった?と聞くと、彼女は無事だと静かに伝えられた。
 速水さんが生きている。
 その事実に心底安堵して、よかったと無意識に漏れた一言。それを聞いた寿一は先程のものとは打って変わって地を這うような低い声色で言葉を続ける。
 
『我がファミリーの血の掟を破ったらどうなるか、その身に知らしめてやれ』
「オーケー、寿一」

この街の裏通りにさ、鬼が出るって噂知ってるかい?

 

 

 ピッピッピッピッ。
 白い室内に一定のリズムで速水さんが生きていると言う証の機械音が響く。寿一から報告のあった通り、速水さんは一命を取り留めた。やはり店長が庇ったおかげで致命傷は免れていたらしい。それでも出血は多く、まだ意識は戻らない彼女には酸素マスクとたくさんのコードやチューブが繋がれている。
 ベッド横の椅子に座って、彼女の左手にそっと手を伸ばすと、そこからはちゃんと温かさが伝わってきて安心した。そう言えば彼女に触れるのはこれが初めてだな。初めてがまさかこんなシチュエーションになるなんて。
 
『今後、彼女のことはどうするんだ?』
 
 ここに来る前、尽八に言われた言葉が蘇る。それはオレがこれから向き合わなければいけないけれど、答えを出せていない大きな問題。尽八の言葉を横で聞いていた寿一は彼女のことをオレの恋人だと思っていたらしく、そのまま迎え入れるんじゃないのか?と不思議そうな顔をしていた。そんな寿一にオレは曖昧に笑って、逃げるようにここへ来た。

 意識が戻り、怪我さえ治ってリハビリをした後はまた動けるようになると医者は言っていた。彼女もれっきとした大人だ。環境と資金さえあれば一人で生活していくことは出来るだろう。きっと速水さんはオレが裏の世界で仕事をしていることは知らない。それならこのまま、何も知らずにただ事件に巻き込まれた一般人として表の世界で再び過ごす方が良いはずだ。そのための環境と資金なんてオレの方でなんとでも出来る。オレと関わったからこんなことになった。だからもう彼女はオレと関わらない方がいい。

 そうするのが一番だとは分かっているのに。それでもこの手を離しがたいと思ってしまう。また君の声を聴きたい。
 そう言えばオレ、君に名前も教えてなかったんだよ。
ファーストネームをとは言わない、ファミリーネームでもいいからもっと早く呼んでもらっとけばよかったな。

「──」

 消え入るように呟いたのは店長が呼んでいた音。どこか縋るようなその言葉が完全に溶けた後、ピクリと彼女の指先が動いた。そしてそれに少し遅れてまつ毛が揺れる。
ゆっくりと上がる瞼の向こう、彼女がその瞳にオレを映すまで後少し。

 これから話すオレの選択に君はどういう反応を示すんだろうか。

「おはよう、速水さん」

 彼女が完全に覚醒する前に離した指先には先程までのぬくもりはもう残っていなかった。

 


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