PDL短編


理由は後付けで  







「あかん!無理や、出来る気せぇへん……」
「が、頑張ろう鳴子くん!ボクも頑張るから……」

大声を上げて机に突っ伏す鳴子を横から小野田が励ます。しかしその小野田の表情も明るくはなく、反対側を見ると相変わらずペラペラとよく回る口を動かしている杉元も手元は先程から大して動いていなかった。

合宿で1000kmを走破し、インターハイのメンバー入りも決めたオレたちの前に立ち塞がっているのは一学期の期末試験という大きな壁。インハイに出るからと言って試験が免除や優遇されるわけでもなく、赤点を取ろうものなら追試や補習は免れない。そんなことになれば大会前の貴重な練習時間が減ってしまう。ならば絶対に赤点は回避しなければならないのだが、ペダルを回す方が得意なオレたちは改めて広げた教科書の前に既に敗北しそうになっていた。

「うーん、困ったね……さすがに全員分を見るのは無理だし……」

そんなオレたちの様子を見て眉を顰めたのはマネージャーである寒咲。部員から赤点を取る生徒を出してしまえば体裁が悪いからと、何がなんでも回避せよとのオーダーを受けているらしい寒咲は顎に手を当てて必死に考えを巡らせていた。

「教えるのが上手い子が居たらいいんだけど……」

……まぁ無理だろうな。オレも古典ならそこそこ自信があるが、人に教えられるかと言えば別問題だ。それに教えている暇があるならその分苦手な教科に充てるのが正解だろう。それに鳴子なんかは苦手な方が多そうだしな。寒咲が見るにしてもあいつも試験を受ける以上限度がある。

「教え方が上手くて頼めそうな子かぁ」

殆ど独り言のような寒咲の言葉を受けて、なぜか脳裏に一人の同級生の顔が浮かんだ。同級生と言っても総北のじゃなくてもっと昔。確かにそいつは成績優秀でクラスの困ってるやつにもよく教えてた気はするがあれは小学生の頃の話だ。なんで今更思い出したんだオレ。
そう思って自分の考えを否定したのに、目の前の寒咲がにっこり笑ってオレの方を見ている。その「今泉くんも同じこと考えたんだね!」と言うような目をやめろ。オレは誰も思い出してねーよ。そっと目を逸らしたオレの思いは次の言葉で見事に打ち砕かれた。

「今泉くん、志帆ちゃんに連絡取ってみてくれる?」





「──と言うわけで呼ばれた速水志帆です。上手く教えれるかはわからないけど、一応試験範囲は聞いてるから解き方とか分からないところがあれば言ってね」

簡単な自己紹介を済ませた速水は、これでいいのかと言ったように隣に座っているオレを見上げてくる。問題ないだろと言ったように軽く頷けば、安心したように笑った。
あの日思い当たったアテであるところの速水はオレと寒咲の小学校の同級生だ。寒咲と家が割と近いこともあってちょくちょく遊びに行っていたらしいこいつとは休みの日に自転車の調整の際などで店を訪ねた時に顔を合わせることが多く、あまり友人と呼べるやつが多い方ではないオレにとって同級生の中でも話す方に分類されていたと思う。まぁ、クラスの中でも成績の良かった速水は中学受験組だったので進学してからは殆ど会っていなかったが。

「それにしてもびっくりしたよ。まさか俊くんから電話かかってくるなんて思わなかったし」

俊くん、と小学生の頃から変わらない呼び方にどことなくむず痒さを覚えつつも、平然を装って相槌を打つ。変に反応してしまえば、目の前にいる赤頭がニヤついてきて面倒なことになるのは分かりきっているからな。
速水が少し遠くの中高一貫校に合格してからは殆ど会う機会は無かったが、一度だけ寒咲の店で会った際に交換した連絡先をまさかこんな形で使うことになるとはオレも思っていなかった。初めてと言っていいレベルの連絡に驚きながらも了承してくれた速水とオレたちは、図書館のオープンスペースでノートを広げている。

「……急にこんなこと頼んで悪かったな」
「驚いたけど特に何も予定無かったし大丈夫。教えれるかどうかの不安はあるけど!」

そう言いつつも手元にはオレが伝えた試験範囲が書かれた付箋が貼ってある参考書やノートが開かれていて、どこか懐かしい字で綺麗に書かれているそれを見ればこいつなら大丈夫だろうなと言う安心感があった。

「そう言えば幹ちゃんも総北じゃなかったっけ?」
「寒咲は他の部員を見てる」
「なるほど。久しぶりに会いたかったなぁ〜」

最近全然会えてなくて、と言ったところで鳴子が勢いよく手を上げて速水の名前を呼んだ。恥ずかしいやつだな。もっと声のボリューム下げろ。そんな気持ちを込めた視線を送れば、一瞬目が合ったにも関わらず無視しやがった。ふざけんな。

「速水さん、この問題なんやけど」
「あ、うん。どの数式使うかはわかる?」
「あー……これかいな」
「合ってる合ってる。あぁ、代入する値が違ってるね。ここは──」

鳴子に説明する声は大声で話している訳では無いのに耳馴染みがいいのか、すんなりと頭に入ってくる。丁寧ではあるが解き方を一から全部教える訳ではなく、解き方のヒントを上手く与えながら答えに誘導するような教え方。これ、もしかしてうちの数学教師よりわかりやすいんじゃねーか?なんてことを思っていれば、小野田も同じことを思ったのか「速水さんの説明は先生より分かりやすいね……!」と鳴子の横で目を輝かせていた。

鳴子には自力で解けたことを褒めてやる気を出させ、要領があまり良くない小野田には要点を抑えた解き方を教える。初めて会ったと言うのに短時間で特性を把握した速水に感心しつつ、そんな感じで気付けば数学と英語の範囲が終わっていた。

「はー、志帆ちゃんのおかげでなんやいける気がしてきたわ!」
「本当だね。速水さん、ありがとう」
「ううん、二人がちゃんと理解してくれたおかげだよ」

ちょっと休憩しようか、と言う速水の声に二人が嬉しそうに同意する。飲み物買ってくるね、と席を外した速水の背中を見送っていれば目の前から嫌な視線を感じた。振り向けば予想通り、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる鳴子の姿。

「なんやスカシ、友達少ない割にあんなええ子と知り合いやったんやな」
「うるさい黙れ。別にただの同級生だ」
「ほーん?そう言いつつも目で追っとるようやけど」
「なっ……追ってねーよ!」
「そーやってムキになるのは怪しいなぁ?小野田くんもそう思うやろ?」
「え、あっ、ボクはその、」
「あ、志帆ちゃんや」

思わず手が出そうになったところで鳴子が速水の名前を呼んだので、つい勢いよく振り返ってしまった。くそっ、おい、小野田に変なこと吹き込むな馬鹿!コソコソと小野田に耳打ちする鳴子に舌打ちが漏れる。どうせロクでもないこと言ってやがるに違いない。ん?そういや鳴子、いつの間に速水のこと名前で……

「はい、これみんなもどうぞ」
「ええんか?!おーきに、志帆ちゃんほんま女神やんけ……」
「ふふ、ジュースくらいで女神になれるのはお得だね」

バシバシと肩を叩く鳴子に照れたような笑顔を見せる速水。なんだかその光景を見ていると無性に腹が立つ。今日初めて会ったクセに馴れ馴れしいんだよ。つーか勉強しに来たんだろ、いつまでも喋ってんな。

「でも速水さんのおかげで試験なんとかなりそうだから、インターハイに影響出なくて済みそうだね」
「え、インターハイ?」
「なんや志帆ちゃんスカシに聞いとらんのか?」

オレら三人とも八月にあるインハイ出るんやで!
そう偉そうに言った鳴子の言葉にガバッと言う効果音でも付きそうな勢いで速水がオレの方を見る。あー、そういや言ってなかったな。

「もー!それなら早く言ってよ!おめでとって最初に言ったのに!」
「すまん……?」

勢いに圧されてつい謝ってしまった。それからインハイの日程や場所を聞かれて答えていけば、速水が一つずつ記憶するように相槌を打つ。たったそれだけなのに、さっき鳴子がこいつと話してたのを見ていた時のような腹立たしさは消えていた。そうだ、速水はオレと話してればいいんだよ。
……ってなに考えてんだオレは!これじゃまるで鳴子に嫉妬してたみたいじゃないか。いや有り得ねえだろ、相手は速水で、オレにとってはただの同級生で──

「俊くん?」
「っ?!」

名前を呼ぶ声にハッとして反れていた意識を速水に戻せば、オレを覗き込んでいたせいで思ったより近くにあった顔に驚いて思わず顔を引く。何故か熱が顔に集まっているような気がするし、心臓がうるさい。なんだこれ。ああ、クソ、静まれよオレの鼓動!とりあえず平然を装って速水の話をもう一度聞く。

「インハイ、もしよければ応援に行こうかなって思うんだけどどうかな」
「!」

応援、って応援だよな……?速水が来る?インハイを見に?

「……箱根だぞ」
「夏休みだし大丈夫だと思う」
「暑いから倒れても知らねーぞ」
「ちゃんと対策するよ。ね、行ってもいい?」
「別に、好きにすればいい」

思った以上に素っ気なく返したのに、やった!と喜ぶ速水。見に来ていいって言われたことがそんなに嬉しいのか。目の前でやり取りを見ていた鳴子が「なんやその言い方、相変わらずスカシとんなー」とかなんとか言って小野田が慌てているが、今はそんなのが気にならないくらいに気分が良かった。それがどこから来るものかなんて考えるのは後からでもいいだろう。まずは来月のインハイ、速水にオレの最高の走りを見せてやるのが先決だからな。総北優勝。この高揚感に理由をつけるのはそんな結果をこいつに示してから考えるのでもきっと遅くは無いはずだ。



 


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