普段なら昼飯を食べたあとで眠たくなることが多い午後一の授業。しかし毎週この曜日のこの時間だけは寝たことがない。好きな科目だから?先生の授業が楽しい?両方ともハズレだ。寧ろ化学はオレの苦手な分野だし、担当の先生の話も淡々としていて普段のオレなら即夢の中だろう。それでも寝たことがない理由。この授業が選択科目で、隣に座るのが普段はクラスの違う彼女だからに他ならない。
「やぁ、速水さん」
タイミング良く席にやって来た速水さんに軽く手を挙げて声を掛ければ、彼女は少し微笑んで「おつかれさま」と返してくれる。あまり表情が変わる方ではない速水さんだけど、よく見れば笑ってくれているのはわかるし、授業で分からない所があれば眉を顰めていたりする。まぁ、それもオレが速水さんを好きで小さな変化も見逃さないようにしているからかもしれないけど。
彼女を好きになったのは二年生の終わり。それまでは同じクラスなのに話したことはあまりなくて、休憩時間にクラスの女子とはしゃいでるわけでもない大人しい子、と言う印象しかなかった。そんな中、課題で調べ物をするために行った図書室。その時丁度図書委員の当番でカウンターに居たのが速水さんだった。普段あまり近寄ることのない図書室で、目当ての物を直ぐ探し出せるなんてことはなく、ウロウロしているオレに声を掛けてくれた上に使えそうな資料を見繕ってくれた彼女の優しさにオレは惚れたのだ。
まぁその後急に仲良くなるなんてドラマみたいな展開があるわけもなく、三年で別のクラスになったオレたちの接点は無くなった……と思っていたのに。まさか基本的に席替えのない選択授業の隣の席に彼女の姿を見た時は胸が高鳴った。先生、マジ感謝。オレこの授業頑張るから!と実験でペアを組むことも多い授業内容にテンションの上がっていた数ヶ月前。
そのテンションは夏休み後に見事打ち砕かれた。まさか、速水さんが新開と付き合うことになったなんて。普段クラスが違うせいで二人がそんな関係になってたなんて知らなかった。しかも相手があの新開。無理無理、敵うわけねぇ。と言うわけで、オレの淡い恋は夏休みと共に終わったのだ。
「はい、じゃあ今日の実験始めるからペアで──」
オレが淡い恋の回想をしている間にも授業は始まっていたらしい。慌てて今日の手順の確認をしようと教科書を開いたら、弾みで筆箱が落ちた。やべ、と拾おうと手を伸ばすオレより先に筆箱を拾い上げたのは白く細い指。
「はい。慌てなくても今日のはそんなに大変じゃないから大丈夫だと思うよ」
女神か?危うく見惚れて言葉を失いかけそうだった。急いで礼を言うとふるふると首を横に振る。これも彼女の癖だ。
「じゃあ始めよっか」
「おう!」
まずはこれね、と速水さんから試薬を受け取った時にふわりと鼻をくすぐった甘い香り。今までの速水さんとは違うそれに思わず首を傾げた。
「……あれ、速水さん香水変えた?」
「っ」
オレの言葉に速水さんが勢いよく距離をとる。え、なんだ?
「ち、違う!悪い、セクハラとかじゃなくて!」
「あ、いや、こっちこそごめん、大丈夫……」
慌てて弁解するオレに、速水さんも珍しく慌てた様子で元の場所へ戻ってきた。その後は少しギクシャクしつつもなんとか実験も終えて、授業は終了。速水さんとの時間もまた次の時までお預けだ。彼氏としての速水さんの隣は新開のものになったけど、この授業の間だけはオレが彼女の隣に居ることくらい許してくれよな。
「にしてもあの匂い、どこかで嗅いだことある気がするんだよな……」
そんなオレの疑問は放課後のロッカールームで判明することになる。
▽
「おつかれー」
「おう、おつかれさん」
「おー、新開も上がりか……ってあー!!!!」
「うん?急に叫んでどうした」
「お前かよ……!!」
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