PDL短編


囚われたのはどっち?  





「速水チャン、ソレどーにかなんねェの?」
「えっと、ごめんなさい……?」

いい加減ウザってェ、と言って心底嫌そうに荒北くんが顎で示した私の背中。私のせいでは無い……と言いきれないのがあれだけど、つい反射で謝ってしまう。でも確かに今の状況は私もどうにかして欲しい。こんなのおかしい。だってここは自転車競技部のミーティングルームで、その中では引退する三年の元レギュラーが話し合いをすると言っていて、福富くんと尽八くんと荒北くんがいる状況で、私が同席していい場面ではないはずなのだ。私はただお昼に一緒に勉強した時に混ざったのであろうノートを届けに来ただけなのだから。

「あの、私やっぱり戻るよ」
「……ダメだ」

居心地の悪さに声を掛けるといつもよりやや低い声の否定とともにお腹あたりに回っている腕の力が強くなる。

「でも私部外者だから」
「俺らもほぼ引退したようなもんだから良いだろ」
「良くはないよね……」

ぐりぐりと私の肩に頭を押し付けてくるせいで髪の毛が当たってくすぐったい。私は抱き枕じゃないよと思いながら、お腹に回った腕を外そうとしたけれど残念ながら力の差は歴然でビクともしなかった。はぁ、と小さく溜息を吐いても彼、元レギュラー組最後の一人である新開隼人はその力を緩めようとはしない。どうしよう、と言う視線を東堂くんに送れば、やれやれと言った表情で一枚のプリントを差し出した。

「週明けまでに引き継ぎの内容をそれに書き出してくれるなら今日は帰っても構わんよ」
「え……」
「元々今日はそこまで深く話す予定ではなかったしな」

尽八くんはそう言うけど、本当にいいのかな。やっぱり私だけ何とか席を外した方が、と福富くんを見ると表情を変えずに無言で頷かれる。これは尽八くんと同じ意見ってことなんだろうか。どうするべきか悩んで居れば、盛大な舌打ちをした荒北くんが「そー言うことだからァ」と犬を追い払うような仕草をしてみせる。

「悪いな、月曜にはちゃんと出すよ」

そう言いながら膝から降ろされたかと思えば、今度は腕を引かれてドアまで連れていかれるので、慌てて残る三人へ頭を下げる。

「速水チャン、頑張ってネ」
ドアの閉まる直前、荒北くんのそんな声が聞こえた気がした。



そのまま手を引かれて連れてこられたのは男子寮の新開くんの部屋。一応ダメだと意思表示はしたけど聞き入れられることはなくて、誰かに会うんじゃないかと言う心配は中途半端な時間のせいか杞憂に終わった。それが私にとって良かったのか悪かったのかはわからないけれど。

「新開くん、」
「隼人」
「隼人、くん……」

なかなか呼び慣れない名前につい慣れている方で呼んでしまえば間髪入れずに訂正される。もう一度言い直せば、先程自転車部の部室でしていたように後ろから回されている腕に力が篭った。普段から隼人くんが抱き締めてくることはあったけど、それなりに場所は選んでいたと思うし、ちゃんとダメだと言えば離してくれていたと思う。部室の話し合いが始まっても離してくれないなんてことは今まで無かったのに、あんなことをした理由は一つしか浮かばない。

「あのね、」
「ごめんな。おめさんにも尽八たちにも悪いとは思ってる。でもダメなんだ、あの話思い出すと自分の感情制御出来なくなる。情けねぇな、オレ……」

自嘲気味に笑って肩口に顔を埋める隼人くんにふるふると首を振る。

「ごめんね」
「はは、おめさんのせいじゃないだろ?」
「でも私に関係してるし……」

そうだ、事の発端はこの前千葉であったレースの帰り。たまたま出会った総北高校の今泉くんに私が告白まがいのことをされたから。ちゃんと隼人くんと付き合ってることは伝えたし、今泉くんと何かあった訳では無い。疚しいことがあったわけではないからちゃんと伝えておけばよかったのに、なんとなく言い出しにくくてタイミングを逃していた。そしてそうする内に先日どこからかその話が隼人くんの耳に入ってしまっていた。慌てて事情を説明して、その時は驚きつつも特に変わった様子はなかったので安心していたけれど、本心は違っていたらしい。

「ごめんな」
「ううん、私こそごめん。でも私が好きなのは隼人くんだけだから」

それだけは信じて欲しい。
そう言ってお腹に回っている腕にそっと手を重ねると、ぎゅうっと一層強く抱き締められた。

「志帆、好き」
「私も好き」
「オレのだから。誰にもやらねぇ……今泉くんにも真波にも」
「真波くんは可愛い後輩だよ」

私の言葉に一拍置いて、そーだな、と返ってくる。いつも真波くんに対してはそんなに気にしている素振りは見せていないのに、今日はどうやらそこも引っかかるらしい。さてどうしたものか。隼人くんの機嫌が直るような事がないか考えを巡らせてみる。お菓子、は何も持たずにここに来てしまってるからダメだ。それから少し考えてみたけど有効そうなものが何も浮かばない。それで無駄に時間を浪費してしまうのも如何なものかと思い、意を決して口を開く。

「隼人くん」

首を少し捻って名前を呼べば、ゆっくりとした動作だけど彼が顔を上げてくれて目を合わせることが出来た。

「あのね、隼人くんの不安を少しでも減らせたらなって思うんだけど……私に何か出来ること、あるかな」

目を合わせたまま素直にそう言えば、隼人くんの目が驚いたように丸くなる。驚いてる表情ってそう言えばあんまり見た事ないかもなぁなんて呑気なことを思っていると、ふわりとした浮遊感に襲われて思わず声が漏れた。そして気付けば後ろにいた隼人くんが正面にいて、向き合う形で彼の膝の上に乗る形になっている。

「なら、志帆からキスして欲しい」
「!」

隼人くんの言葉に思わず息を飲む。別に彼とのキスが初めてなわけでなないけれど、私からと言うのはなかったからだ。しかもこうやって待たれた状態で、と言うのはなかなかの恥ずかしさだ。羞恥心で顔に熱が集まるのが分かる。でも、それで隼人くんの不安を解消出来るなら良いのかな。恥ずかしいけれど難しいことではないはずだ。うるさすぎる心臓を一度小さく深呼吸することで誤魔化して、隼人くんの胸に手を置く。ぎゅっと目を瞑って彼の厚い唇に自分のそれを押し当てたら目的は達成、ゆっくりと離れ……ない?そのまま頭の後ろに手が回り、吐息も全て奪われるように深く口付けられる。驚いている間にもどんどん酸素が足りなくなってくるので隼人くんの胸を叩くと、やっと解放されて息を大きく吸い込んだ。乱れた息を整えていると名前を呼ばれるので顔を上げた私は言葉を失う。

「不安、減らしてくれるんだろう?」

見える表情は笑顔なのに背筋がゾワッと粟立つ感覚がして、レース中に追われる選手はこんな気持ちなのかと名も知らない相手に同情した。そしてなぜか部室を出る時に聞こえた荒北くんの言葉がいま蘇る。

──速水チャン、頑張ってネ

もう一度降ってくる口付けを受け入れながら、私がその言葉の意味を理解したのは日が変わる頃だった。
 


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