新開隼人。
箱根学園三年。自転車競技部レギュラー。
女子からの人気も高く、爽やかで人当たりの良い彼の周りには男女問わず人が集まる。
そんな、出来れば関わりを持ちたくない部類に属する彼とはクラスも違うため、卒業するまで「ただの同級生」枠で収まると思っていた。先週までは。
「お、速水さんの食べてるそれ美味そうだな。購買の新作かい?」
廊下の窓に体を預けながら笑顔で話を振ってくるのは、他でもない私が関わりを回避したい同級生の新開くんだ。先週の休み時間に東堂くんの所へ来て以降、隔日くらいのペースでうちのクラスにやって来ては東堂くんと話すついでに私へ話を振ってくる。何がしたいのかよく分からないけれど、東堂くんだけでも女の子が騒がしいと言うの二人揃ってしまえばその反応がどうかなんて火を見るより明らかで。
仲の良い友人が委員会の集まりに行ってしまったので、購買で見つけたお菓子を摘みながら残り少ない昼休憩に本を読んでいた私は小さく溜息を吐いて手元から顔を上げた。
「うん。欲しいならあげる、どうぞ」
必要最低限の言葉と共に、もう半分も残ってないお菓子の箱を新開くんと話している東堂くんの机の上に置く。いいのか?と聞きながらも箱に手を伸ばしている彼に一度頷いて、私はまた本へと視線を落とした。チラリと腕時計を見るとあと十分もしない内に午後の授業が始まる時間だ。今日はこれで終わりだろうな、早く教室に戻ったらいいのに。なんて、目の保養だよねと騒ぐ女子が聞いたら怒られそうなことを思った。
「隼人、あの件はもう言ったのか?」
「あ、そうだった」
「お前と言うやつは……」
東堂くんの呆れたような声が聞こえたと思ったら、「速水さん」と名前を呼ばれる。なんだろう、もうお菓子は無いんだけど。そう思って顔を向ければまたいつものような笑顔の新開くんと目が合った。
「今週末よかったらウサ吉のエサやりお願いしたり出来ないか?」
「え……」
言われたことが唐突過ぎて思わず固まる。ウサ吉……あの新開くんが飼ってるウサギのことだよね。春休み前に数回だけ見たウサギのことを思い出す。あの小屋の前で新開くんに会って以来行ってないけど、あの子のエサやりとはどういう事なんだろう。
「全く……お前は言葉が足りんな。速水さんが困惑しているだろう」
発言の意図が読めず反応に困っていた私の気持ちを読んだように、東堂くんが新開くんを窘めると補足をしてくれる。どうやら自転車競技部は今週末の三連休に少し遠くのレースに出場するため、泊まりで出掛けることになっているらしい。一泊二日ならまだしも連泊だと放っておく訳にも行かず、その間のウサ吉のエサ係をしてくれないかと頼まれた、と言うわけだ。なるほど……?
「でも私、エサやりなんてしたことないけど……」
「それなら今日の放課後教えるからさ、オレの部活終わった後くらいに時間ある?」
「え」
「あ、速水さん部活何かやってるんだっけ?」
「一応調理部だけど、割と緩いからほぼ帰宅部みたいなものかな」
「じゃあ終わったら連絡するよ」
「待って、私まだやるとは、」
言ってない。
私の意思に反して決められる予定に慌てて静止をかけようとして、全部言い切る前に口を噤む。目の前にいる新開くんの表情がとても悲しそうに見えたから。
「……ダメか?」
それにダメ押しとばかりのこの台詞。この人、自分の顔の良さわかってやってるのかな。全部計算だとしたらとても怖いと思う。この顔で一体何人の女の子を落としてきたんだろう。そんなことを思うのに、無理だと即答できない自分の性格に嫌気がさす。昔からそうだ、面倒事とわかっていても頼み込まれると弱い。目を泳がす私の気持ちを知ってか知らずか、新開くんはパチンと両手を合わせて「頼む!」と頭を下げた。あぁ、もう。やめて、君がやると目立つから!
「……わかった」
はぁっと溜息を吐いてそう呟けば、先程までの表情はどうしたのかと言いたくなるような笑顔になる新開くん。詐欺だ……
「ありがとな!」
「はぁ、でも今回だけだよ。毎回あてにされても困るから」
その言葉をちゃんと理解してくれたかは分からないけれど一応返事は貰って、ニコニコと提示してくる彼の携帯番号を自分の端末へ記録する。私が登録したのを確認すると、じゃあまた後でな!と軽く手を挙げて自分の教室へと戻って行った新開くん。数分の出来事なのになんだかとても疲れた気がして机に突っ伏せば、先程までのやり取りを黙って眺めていた東堂くんが名前を呼んだ。面倒くさくてそのまま顔を少し動かして視線で、なんですか、と返事をする。
「速水さんと隼人はウサ吉仲間とやらではなかったのか?」
そう言えば前にそんなこと言ってたね。新開くんが。
「私はそんなものになった記憶はないんだけどね」
そもそもウサ吉の前で新開くんに会ったのは一回だけだよ。会話すらそんなに交わしてないし、たぶん向こうが名前を知ったのは東堂くんの所に来た時が初めてだと思う。そんなことを溜息混じりに返すと、東堂くんはその紫色の目を丸くした。そして面白そうにくつくつと笑い始める。
「くくっ……なんだ、そうなのか」
「……何が面白いの?」
「いや、すまんね。こっちの話だ」
「はぁ、そうですか……」
何が楽しいのか気にはなったけど、放課後のことを思うと気が重くなった私にそれ以上を追求する気力は残っていなかった。
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