「はい、じゃあ各自席に移動してね」
教壇の上に立つ担任の声で一気にザワつく教室内。私も自分の荷物を片付けて、机の中に忘れ物がないかどうかを確認する。そう、今日は席替えの日だった。
「速水さん、暫くの間世話になったな」
移動しようと荷物を持ったところで右隣から声が掛かって振り返る。東堂くんだ。同じように荷物を持った彼の言葉に律儀だなぁと思いながら、大したことはしてないよと返す。
「いや、隼人のことや真波のことなども含めてだよ」
「……御園さんのことも含めて?」
「なっ……」
少しからかいを含んだ言葉で返せば固まる東堂くんが面白くて、思わず笑いが零れる。意地が悪いぞと睨まれたけど、そこに怖さは含まれてはいない。私も春先にはまさか東堂くんとこんなやりとりをするようになるとは思っていなかった。そう考えればなかなかに濃い学期の半分を過したんじゃないかと思う。
「次の席はどこなんだ?」
「今度は窓際の真ん中あたりみたい」
「オレはまた廊下側だ」
そんな感じのやりとりをしている内に、私たちの席に次に座るクラスメイトがやって来たので話はそこで切り上げてそれぞれ新しい席に向かった。新しい隣の子とよろしくね、なんてお決まりの会話をして席に着く。そこで終了のチャイムが鳴って先生の解散の声がかかったところで、スカートのポケットに入れていた携帯電話が小さく震えた。取り出して一、二度の操作でメール画面を開くと差出人の欄には新開くんの名前。
【今日のクッキーも美味かったよ、ありがとう。美味すぎて聖の分を少し貰おうと思ったら手叩かれちまった】
この週末は特にすることもなかったので、御園さんと読んでいた雑誌に載っていたクッキーを作ることにしていた。それを御園さんに届けに行く際に、一応約束したし……と新開くん用にも少し包んで持っていけば目を輝かせて受け取ってくれたそれは彼のお気に召したようだったけれど、どうやら量が足りなかったらしい。御園さんとのやりとりも簡単に想像出来て、思わず口元が緩みそうになるのを窓の方を向いて誤魔化した。
【それならよかった。でも御園さんのは取らないでね】
そう送信して放課後になり人の減って来た教室を私も出る。今日は図書委員の仕事もないので、寮に帰る前に少しウサ吉の小屋へ寄る予定だった。それと言うのもクッキーの材料を買いに行ったスーパーの横にあったペットショップで、ウサ吉によさそうな齧り木を見つけて買っておいたのだ。ウサ吉も喜んでくれたらいいなぁ。そんなことを思っていれば、なんとなくウサ吉と新開くんの髪の毛がダブって頭を過った。
▽
「あ、このウサギじゃない?」
ウサ吉の小屋まであと少しというところで聞こえたそんな声に思わず足を止める。どうやら先約が居たみたいで、それならまた後日にしようと思って来た道を戻ろうすると、聞きたいわけじゃないのに聞こえた声に息が詰まった。
「この子を可愛がったら新開くんと仲良くなれるかな」
「なれるんじゃない?だってほら、速水さんはこの子見てて新開くんに声掛けられたって話だし」
「最近なんかよく一緒話してるとこ見るよね。あの子、新開くんが居ない時に世話もしてるんでしょ?それも計算だったりして」
「手作りお菓子あげてるの見たよ」
「なにそれ、料理できますアピール?」
そう、おかしそうに笑う女の子二人の会話にスっと頭が冷えていくのがわかる。それと同時に最近忘れかけていたものを思い出した。
あぁ、そうだ。こういうのが嫌で、私は新開くんとの距離が近くなるのを避けてたんだった。最初思ってたみたいに軽薄な人ではないことはここ数ヶ月のやりとりで十分わかっていたけれど、人気がある人の周りでは本人の意志と関係ない部分でいろいろな噂話もついてくる。さっきの会話だって、私は別に新開くんと仲良くなりたいためにウサ吉を眺めてたわけじゃないし、エサやりも最初私は断ったのに半ば無理やり頼まれたみたいなものだ。料理できますアピール?そんなものして何になると言うのか。でもそれをわざわざ彼女たちに伝えるのも面倒臭いし、たぶんあの手の子たちには本当のことを言ったところで何も変わらないだろう。それに、全部新開くんのせいにしたとしても最終的には私が断らなかった私に非があるのは間違いない。だから過去のことは仕方がないとして、私が考えるのはこれからのこと。そしてそれはそんなに難しいことではなかった。どうすればいいかの答えは数ヶ月前、初めてウサ吉の小屋の前で新開くんに声を掛けられた時既に出ていたのだから。
そっと音を立てないようにその場から立ち去って真っ直ぐに寮へ戻る。ちょうど席替えで東堂くんと離れてよかったな、なんてことを思いながら。
私はその日を境にウサ吉の小屋を訪れるのをやめ、新開くんと関わりも極力減らすことにした。
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