ハートを握る

 目が覚めたら、アリアンスの目の前には青筋を浮かべたキャプテン兼主治医がいた。空腹に頭痛、倦怠感。再び眠りにつこうとしたが、そうはさせてもらえなかった。
「アリアンス、オメガならオメガだと先に言え。俺はアルファだ」
「怒鳴らないでよ。声が響いて頭痛いから。オーバードーズしたでしょ、キャプテン」
 頭にガンガン声が響く。薬の副作用がこれだけ出ているってどんな適当な処方をしたのか、と目の前の医者を見て呆れてしまう。そういえば、内科系統は比較的弱いんだっけ、と未だ回らない頭で考える。それなら仕方がない、と。
「主治医に服薬している薬、容量を伝えていなかった患者が悪い」
 確かにオメガであることを隠していたのは悪かったな、と他人事のように思う。ただ、アリアンスは隠し切れると判断された育ての親に、隠すように言われてきたのだ。アルファに縋って生きていくには惜しい才能を持っている、と。そういえば、他に何か言っていたような、とぼんやりとアリアンスは記憶を呼び覚まそうとする。
 それでも、一応麻酔が必要な怪我の上でオーバードーズ。おそらく使ったのは自己注射液だろう。作るのに若干の手間はかかるが、一般的な薬品で作ることが可能なものだ。但し、副作用は強い。一本あれば一週間乗り切れるものを、二本以上打ったのだろう。
「それにしても雑すぎだよ」
「やったのはベポだ。俺が打てるはずないだろ」
「私が悪かったよ」
 前言撤回。罪悪感が心を襲う。アリアンスとローの間にある数少ない緩衝材。海兵であったアリアンスがハートの海賊団に入れたのも、ローが北の海の島で死なずに済んだのも、全てベポのおかげなのである。故に二人ともベポの前では言い合いをしないし、ローはベポに甘いし、アリアンスもベポを責めることはまずしない。ベポ本人は知らないが、アリアンスとローの間ではそれは暗黙の了解であり、ベポの気づかぬうちに勝手に取引に使われている。



______北の海で軍医をしていた。ある日、血溜まりを辿った先に、泣いているシロクマを見つけた。私は、嘗ての自分をシロクマに重ねた。助けたい、とそう思った。空っぽだった体によくわからない何かを感じた。
 嘗て、私は心がないと言われていた。私はただ冷酷で冷徹な人間だった。




 第二性についてローは気にしたことがなかった。そもそも、自分の関わる人間はアルファが多いし、それ以外は多数派のベータ、そもそも数の少ないオメガなどドフラミンゴの下にいたときに時折見かけたくらいだった。
 ただ、ローは勝手にアリアンスはアルファだと思っていた。ポートガス・D・アリアンスは誰がどう見ても持てる者であり、王の才覚さえ持ち合わせている。文武両道、自由奔放、自分勝手。むしろ、そんなベータやオメガがいてたまるか、という話である。
 それは、アリアンスが珍しく大怪我をしたときに起こった。アリアンスは免疫力の低さから考えられないほど、外傷に対しては体が丈夫なので大きな心配はしていなかったが、処置の際に麻酔で眠らせる必要があった。処置を終え、夕食を終え、念のために処置室に顔を出した。アリアンスは目覚めていないことは分かっていたが、バイタルの確認は必要だ。
 処置室の扉を開けた瞬間に感じた。むせかえるような熱気。それは最早快楽を齎すだけの毒ガスに近かった。
 ただ、視界の先にあった己よりも細い首を掴みたいと思っただけ。僅かな理性で処置室の扉を閉めて息を吸う。冷めていく頭で思考する。あの匂いは、船長室に堂々と居座るアリアンスの物だった。
 即座にクルー全員を呼び出して、第二性を調べた。幸いなことに全員ベータだった。とりあえず、自分がアルファでアリアンスがオメガであることを説明する。案の定、全員驚いた。当然だ。医者であるローですら想像していなかったのだから。
 そもそも、アリアンスの体を知り尽くしているローからすると、アリアンスの体自体がオメガに向いていない。乱れやすい免疫力、若干の情緒の不安定さ。そもそも体格もローに近い。どう考えても産む側の性としてはマイナスの要素しか持っていないのだ。だからこそ、感染症の危険も高く、わざわざローがバイタルを確認しに行ったのだ。
 ただ、間違いなく言えるのはアリアンス自身は今まで抑制剤を使っていたことだ。オメガ用の抑制剤など処置室には置いていない。置いているとしたら、アリアンスが滅多に使わない私有スペースだ。そこには、ローが得手としていない分野の薬などが陳列されている。ただ、ロー自身はそこで抑制剤を見たことはなかった。ローは私有スペースの薬棚を無視してベッドの下を確認する。錠剤しかないならば意識のない今は不味い。しかし、箱の中身をひっくり返すと、流石医者なのか自己注射液があった。自分で調合しているのだろう。それを持ち出し、ベポを呼びつける。
「ベポ、処置室に入ってアリアンスの太腿の前内側にこれを刺せ」
 自己注射液自体は全クルー使い方がわかっているため、ベポでも問題はない。
「アイアイ、キャプテン。って、キャプテンじゃなくていいの」
「今はお前が一番安全だ」
 ベポに六時間空けて二本の注射を打たせて、ローはアリアンスの麻酔が切れ、目覚めるのを待った。



「私が悪かったよ」
 記憶がないから当然なのだが、アリアンスは全く当事者意識がなかった。ローがわざわざ処置してやったのに関わらず、本当に体調が悪いのか余計なことしか言わない。しかし、体調が良くても余計なことしか言わないので関係ないのだろう。とりあえずアリアンスはベポに弱い。自分よりも先に船にいたシャチとペンギンにも弱いが、ベポを噛ませるのが一番アリアンスには効くことをローは知っている。
 アリアンスはローを見てローの命を救ったのではなく、ベポを見てローの命を自らの命を危険に晒して救ったのだから。
 ローは黙ってアリアンスに近づき、体の確認をする、とだけ言って平然を装い近づいた。手足から先に見て、腹、そして。
「痛っ」
 外傷の様子を見ようとしていただけだと油断していたアリアンスは、不意打ちに上手く引っかかった。
「私の、承諾を得ずに、噛みついたね」
 アリアンスは珍しく息も絶え絶えにそう言った。アリアンスはこの程度の痛みは何も感じないはずだが、オメガの体内が変わるのは本当らしい。
 アリアンスは内科的な現象の変化についてはハートの海賊団一弱い。風邪も感染症も一番にもらってくるのはアリアンスだ。
「言うこと聞く気あったか?」
「微妙」
「黙って噛まれろ」
 アリアンスはローの指示を否定することはあまりないが、微妙や気分と返すときは否定と同義であることをローは嫌というほど知っている。基本的に自分含めて人間の言うことを聞けないのだ。ローはアリアンスの海兵時代を考えると、海兵相手に同情したくなることが稀にある。間違いなく自分と同様の被害者はいたはずだ。
「女抱けなくなったらどうするの」
「大して抱いてねえだろ。人斬りしとけ」
 アリアンスはギロリとローを睨みあげ、覇王色の覇気を放ったが、本人の想定以上に体に衝撃があったのか、ローでもギリギリ耐えられる程度のものだった。アリアンスはローに対する唯一のアドバンテージを封じられたことにより、不機嫌そうに目を逸らした。
 アリアンスは上陸する島々で女に囲まれることが多い。元海兵で軍医。纏う雰囲気は優しげで、顔立ちも整っていておまけに賢く強い。女の扱いも上手い。群がる女の中でとびきり美人な女を引っ掛けて帰ればいいものの、大概は穏便に払いのけてさっさと船に戻る。そもそも、ローの知っている範囲内でアリアンスが朝帰りしたことはほとんどない。朝帰りするとすれば、大概は趣味の悪いフランベルジュを使った人殺しが長引いたときだ。女を抱くより悪人を苦しめることに快楽を得るような特殊性癖の持ち主にとやかく言われる筋合いはないし、むしろ番になってやっただけ有難いと思ってほしい、とローは思った。
「私だって好きで殺しているわけじゃない」
 いや、好きだろ、お前、と声には出さずに心の中で言い返し、ローは島に行くたび「医者なのに関わらず」わざわざ人を苦しめるフランベルジュを使って人を殺す大太刀使いを見た。
 しかし、そもそもだ。
「それに、戦闘中にヒートになられたら戦力的に不味い」
 それが一番の理由だった。
 戦闘中にヒートにでもなれば、ローとアリアンスの二人が戦闘不能状態になる。ハートの海賊団の億越えの賞金首はローとアリアンスの二人だ。クルー全員の命を危険に晒すことになる。むしろ、今まで普通に戦っていたことにローは肝が冷えた。本当に戦闘中にヒートにならなくて良かった、と。
「自己注射液あったよね。それ使ったならわかるだろう。大丈夫だって」
「敵にアルファがいて、その隙に番にされたらどうする気だ」
「どうって、捕まえて飼い殺す? まあ、そんなヘマはしないけど」
「海軍大将や四皇相手にもそれが言えるか?」
 流石のアリアンスも押し黙った。ハート海賊団で二番目の実力を持つアリアンスが、強敵にぶつからない保証は全くない。いくら麦わらの一味と同盟を結んだところで、アリアンスが比較的上位にいることは変わらない。
 番になったとしても生活は変わらず、アリアンスはローの部屋に入り浸り、医学書をソファーで読んでは寝落ちする。オメガはアルファに強く出れないたいう話は聞くが、自由奔放、ロー限定で傍若無人、ローと唯一対等にやり合えるクルーが弱気になるような理由はない。ヒートになった記憶がアリアンスにはない。オメガであることに対して、アリアンスは困ったことがないのだ。そして、今も困惑と後悔の渦中にいるのはローである。



「王の素質を持つあの子を、御せるか?」
 海軍元帥にもなった男に言われた言葉をあのときははぐらかした。しかし、男は満足して帰っていった。
 アリアンスは他のクルーとは違う。ローの言葉に素直に従わない。ローに救われてクルーになったわけでもなく、ローに屈してクルーになったわけでもない。アリアンスは、ローを救ってクルーになった。当時、船に乗っていたベポとシャチとペンギンの三人がアリアンスの態度を許しているため、他のクルーは何も言わない。いくらローのストレスの原因になっていようとも、クルーの中にアリアンスの特別な扱いに反感を持つ者はいない。
 アリアンスは自由を許されたクルーだ。何をしようとも、ハートの海賊団はアリアンスを受け入れる。
 それなのに関わらず、他の海賊や海軍の番になるのがなぜ気に食わないか。簡単な話だ。ポートガス・D・アリアンスという人間はハートの海賊団のクルーで、海賊であるローは当然のように自分の物を取られることを嫌う。ローは自覚はないが、アリアンスはローの物であり、ローが受け入れているからクルーたちはアリアンスを受け入れ、ローが信頼しているからアリアンスを信頼しているのだ。




 ローにとってアリアンスはほぼ無臭の人間だった。ただ、新しい医学書を読みにきたり、今後の方針を話し合ったり、二人で晩酌したり、あまりにもローの部屋に居座るので、全く残渣を感じないというわけではなかった。その程度だった。それが今や食堂程度なら気にならないものの、密室に居られると匂いが充満する。そして、その匂いがあのヒートの時の記憶と結びついて「とてつもなく良い女の匂い」に思えるのだ。
 そうは言っても、ローにそっちの趣味はないし、あったとしてもローにとってアリアンスはあらゆる意味で無理であった。しかし、一部始終を話すのもローの癪に障る。そもそも、ローのストレスの主因であり、一言目から余計なアリアンスに何を言われるか想像しただけでローは不機嫌になった。茶化されて、最終的に能力と覇気と大太刀のぶつけ合いになって、船が崩壊することだけは避けたい。アリアンスは基本的には穏やかな性格だが、当然のように自由を謳歌し、自由に拘る。それはローと同じだ。
 だから、勝手に番にされたことを沸々と根に持っていることをローは知っている。
 そして、アリアンスは当てつけのようにいつも通りローのソファーで医学書を読み耽り、そのまま寝落ちした。規則正しい寝息が静かな船室に響く。
 そもそも、わかっていてやっているのではないかという疑惑もある。アリアンスは頭の悪い人間ではなく、とてつもなく冴えている。無駄に。
 ソファーに近づき、白い頬を引っ張ると、気怠そうに瞼を開けた。基本的にアリアンスは爆睡型なので、何らかの刺激がないと起きない。
「何がそんなに不満なのかい」
 アリアンスは目を閉じた。寝惚けている。それならば問題なく展開ができる。ローはそう思い手を裏返した。
「ROOM、メス」
 覇王色の覇気がアリアンスのローに対するアドバンテージだとすれば、逆は悪魔の実の能力だ。アリアランスはバラバラにした程度だと臆さない。ガンマナイフは他人より効きすぎる上、最終的に自分が面倒を見る羽目になる。アリアンスに対しては心臓を握るのが適切だ。それなりのダメージを食うはずだが、あまりにも心臓を取り上げすぎて体が慣れたせいか、そもそも体が強いせいか、アリアンスの体は左程効いていないらしく、いつも通りに不満げに睨みあげてくる。
 黙って心臓を持って見下ろしていると、頭が冴えてきたのか、アリアンスはわざとらしく目を丸くして口を開いた。
「ああ、それなら、多分」
 心臓を奪われているというのに関わらず、アリアンスは欠伸をする。
「次の島で良い女抱けば忘れられるよ。そもそも、キャプテンはそっちの気ないから。あれ、知らなかった? 私はマリンフォードで教えてもらったよ。案外、知られていないんだよね、オメガって。キャプテン面白いねぇ」
 知っているか、馬鹿。ローは舌打ちした。
 南の海で生まれたというが、生まれただけであって、育ったのはマリンフォードの中枢だ。幼少期からそこにいた上、早熟だったアリアンスは、一般に知られてはいないことや、知ってはいけないことをわりと知っている。
「そういうことは早く言え。そして、俺の部屋から出ろ」
「アイアイ、キャプテン」
「ぜってぇ思ってねぇだろ」
 意図的犯行だ。二度寝をしようと瞼を落としたアリアンスの心臓を軽く握ると、呻き声が上がった。綺麗な顔が苦痛で歪められる。医者であり、無駄に人が、特にクルーが苦しむのを見るのは好きではないローだったが、それとこれは話が別だ。だから、あの細い首に目がいったのだ、とローは納得する。
 ローはアリアンスの処置を何度もしているため、アリアンスの苦痛に歪められた顔を何度も見たことがあるが、それが今は実に加虐心を擽られるのである。
 非常に不本意ながら、アリアンスほどではないものの、己も同じ性癖を持つ人間なのだ。ただ、さらに許させないことがあるため、次の島までは心臓を返さずに過ごそうとローは決めた。
______ざまあみろ。

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