The Heartwarming Story

 みなみのうみ。ねえさまとふたりでくらしていたところに、おじさんはやってきた。おじさんはそとにでるのがだいすきで、わたしをよくそとにつれだした。
「なあ、アリアンス。次あっち行こうぜ」
「ねえさまにおこられるよ」
 いやなおともきこえたから、なんだか「こわくて」、わたしはねえさまにいわれたことばをくちにした。
「気にするなって、って」
 おじさんがそういったとき、なにかがくることごわかった。きがついたけど、まにあわない。どうしよう。せかいがまっくらになって、からだがおもくなって、なにもかんがえられなくなった。
「痛いか?」
 おじさんのこえがきこえて、ようやくわたしはあしのいたみにきがついた。おじさんがすべりこんでたすけてくれたらしい。あしだけではなくて、うでもひりひりといたむ。
「いたいよ。でも、だいじょうぶ」
 おじさんはわたしがないてもこまらないけれど、ねえさまはこまってしまうから、わたしはなかない。ねえさまはやさしくて「だいすき」で、かあさまととうさまのいないわたしをそだてて「くれて」いるから、こまらせたくない。
「お前は泣くのが下手だな」
 おじさんはわたしをだきあげた。
「俺と同じだ」
 そうかもしれない、とわたしはおもった。もうなきたくてもなみだもでてこない。
 わたしはおじさんのむねにみみをくっつけた。おじさんのこえはまっすぐで、わたしは「あんしん」する。
「こわいこえがするから、おじさんのこえだけきく」
 ______が父親らしい行動をとっています。




 ハートの海賊団で常に一番狙われているのはベポだ。それは彼がミンク族であるから仕方がないことであり、特に長期滞在になる場合はアリアンスが裏で手を回して彼の安全を確保している。それはローしか知らないことだが、アリアンスも完璧ではないので、どうしても手が回らないこともある。それが、今回だった。珍しく大きな島で海軍駐屯地があったため、ローは下船するクルーたちに注意は促していた。
「ベポが海軍に攫われた?」
 食堂でペンギンがシャチに聞き返す。
 夕方の食堂、クルーの多くが集まる中、その情報を告げたのはシャチだった。そういう噂を酒場で聞いて、その日は夕食を外でとるつもりだった彼は大急ぎで船まで走ってきたのだ。
「ちょっと待って」
 体調を崩していて、しばらく療養していたアリアンスが勢いよく立ち上がる。明日には外に出られるという診断をつけてもらったばかりのアリアンスはまだ一度も島に降りていない。
「どうした、アリアンス」
 ペンギンの言葉に言葉を返すことなく、アリアンスは食堂から出ていった。平時ならこのようなことはないアリアンスだが、ベポ絡みは特別だ。
「マリンフォード時代の知り合いの左遷先らしい」
 アリアンスは、機会があると海兵の名簿をよく盗み出し、確認していた。そんなことをしている海賊はそうそういないが、マリンフォードで育ったアリアンスは今や海軍の駐屯地にいるような佐官や将官は大体知り合いであり、事前にある程度の情報を得ることができる。
「今から駐屯地の外観見てきたら、大体の構造わかるけれど、どうする」
 さらには、海軍の基地や駐屯地の設計に関してもある程度知っているため、基地の全貌を見ただけで、ある程度の構造を把握できる。これは、海軍の基地や駐屯地の設計を特定の人間が担っているかららしい。
 一応一晩は安静を言いつけようとローは思っていたが、回復はしているので、町に少し出る程度ならば問題はない。
「行ってこい。明日、突入する」
「アイアイ」
 珍しく返事をして、アリアンスは夜道では目立つ白衣を脱いで食堂からかけていった。病み上がりとはいえ、ベポが捕まったということはこの駐屯地の海兵にはそれなりの手練れがいるということである。大太刀を振り回すアリアンスに、ロー以外の誰かが付き添っても足手纏いになる可能性は高い。
「とりあえず、飯の続きだ。アリアンスが帰ってきたら指示を出す」
 ローは水を打ったかのような静けさを前にして口を開いた。
「キャプテン、アリアンスの分のご飯の取置きは?」
「消化器やられていた病み上がりに肉を食わせられるか? あいつは今日も粥だ」
 細菌性胃腸炎。どこで何を食べたのかローはわからないが、何か悪い物を食べたのは間違いない。医者の面汚しだとローは怒ったが、そのときにはすでに高熱で意識朦朧としていたアリアンスに届いたかどうかはわからない。細菌性の胃腸炎はウイルス性と異なり感染力は低いが、高熱で体力は奪われる。なんとか固形物を食べることができるようになったのが一昨日。代謝の良いアリアンスはローよりも大食いなため、絶食生活はかなり体に響いていることは間違いない。
 おとなしくゆっくり歩いて戻って来れば、とローは思っていたが、基本的にアリアンスはローの思い通りには動かない。
 


 肉を食べることができると思い込み、お粥生活に飽きていたアリアンスは心を躍らせ、病み上がりの体で屋根に駆け上り、剃を使って最速で駐屯地を見て回り、ついでに見聞色の覇気も行使して情報を得てきた。大太刀を廊下に立てかけることもなく、持ったまま食堂に駆け込む程度には楽しみにしていた。
「駐屯地の周囲走ってきたのに、今日もお粥?」
「うるせぇ。医者なら自分の体くらいわかっているだろう。文句言わずに食え」
 その粥は、スワロー島でウェイターの仕事をしながらある程度の調理技術を身につけていたペンギンが作ることになっていたようだった。いつものように言い合い、というよりもローを一方的に怒らせているアリアンスに、ペンギンは溜息をついていた。
「剃使って最速で見てきたのに」
「尚悪い」
 ローは、クルー以外を治療した際は、その後の経過をそれほど気にしないが、身内は違う。
「お前、一昨日まで三十九度前後彷徨って意識朦朧としていたの忘れたのか? ただでさえ食えてないせいで、体力消耗しているんだ」
 歯を食いしばったローに睨まれ、正論を言われようとも、基本的にアリアンスはそれほど気にならない。四歳の頃からマリンフォードでロー以上に恐ろしい人間に叱られ続けているため、アリアンスはローを怖いと思ったことはない。
「そんなことなら、帰りに買い食いしてくるんだった。ベポが心配で早く戻ってきたのに」
 アリアンスはほとんど体調も回復しており、空腹だった。バーではなく普通に料理屋も開いている時間だ。
「一応、ベポが捕まったことでお前も警戒されているんだ。戦闘になったらどうする」
 そして、相変わらずローの怒りのスイッチを入れる天才であるアリアンスは、勢いよくローに胸倉を掴まれた。
 普段は灰のように荒んでいるが静かな色の目が、光に照らされて金色に爛々光る。ここまで来ると、自分以外のクルーが耐えきれないだろうなあ、などと考えながら、アリアンスは無抵抗のまま凪いだ目でローを見ていた。
「だから、大太刀持っていっただろう」
「今日まで安静のところを……」
 ローがさらに怒気を強めた声を発した後、アリアンス以外の人間に助け舟が出た。
「粥、できたぞ。とりあえず、飯食わねぇとダメだろ、アリアンス」
 ここまでくると助けられるのは、粥を高速で作り終えたペンギン。
「キャプテンも離してやってください。アリアンスなんですから」
 あとはシャチとここにいないベポだけだ。十代の頃から一緒にいるだけあって、ローとアリアンスのやりとりにはいい加減慣れているのだ。
 アリアンスに栄養を摂らせる必要があることはローもよくわかっているので、大きく舌打ちしてアリアンスを離した。
 アリアンスはさっさと卵粥を食べ終えると、駐屯地の概略図を書いた。しっかりとした教育を受けたアリアンスは、同様に教育を受けているローと同様に作図能力は高い。
 二人ともベポが落ち込むのでベポのいる前では滅多に作図はしないが、今はベポがいないので問題はない。
「裏側に第三ゲートがある。大佐は第三ゲートの近くにいると思う。ここが最短ルートだけど、突破は一番難しいのかな。ベポもそっちから探した方がいい。ただ、陽動はいるだろうから、第一ゲート、つまり正面から突入も必要かな」
「俺は第三ゲートから入る。あとな第一ゲートだ。アリアンス、お前は……」
「心配しなくても上手い具合に動くよ」
 ローの顰めっ面を前に、アリアンスは立てかけてあった大太刀を手に取った。



 アリアンスは第一ゲートの手前でシャチやペンギンたちと別れ、第二ゲートを見上げた。一応ゲートはあるが、鉄製だろうと海楼石であろうとアリアンスには関係ない。居合で海兵を卒倒させ、ゲートを斬り刻む。ガラガラと崩れていくゲートから中に入り、扉を蹴破り、廊下を進んでいく。覇王色の覇気を使ってもよかったが、律儀に峰打ちで卒倒させていった。
 ふと、気配を感じる。海兵ではない気配。嘗ての自分と同じように海軍に保護されているのだろうか、とアリアンスは思ったが、すぐにそれを否定する。ここの中佐はそのような人間ではない。
 アリアンスは隠れている気配に向かって高速で移動した。
「何、しているんですか?」
 自分と同じ目の色と髪の色の青年が振り返る。
「君、名前は?」
 冷徹な王の器は中佐の性格を知っている。知っていて避けていたのだから。



 彼はシロクマを見た。何でこんなかわいらしい生き物が海軍駐屯地にいるのか彼にはわからなかった。ただ、身なりもつなぎとはいえ悪くなさそうで、きっと奴隷ではなく、人買いかもしくは海賊。前車はなさそうだから、後者だろうと彼は思った。もし、後者であり、強い海賊のクルーだったら、と彼は思う。
 その気になればいつでも外に出ることはできた。ただ、外に出たとしても、できることは限られる。連れ戻されてより厳重に監禁されるようなリスクを彼は起こしたくなかった。
 ただ、次に通った気配は無視できなかった。彼は人の気配を敏感に感じ取ることができる。彼は部屋を出た。
「何、しているんですか」
 振り返ると、自分と同じ髪と目の色。ただ、背は高く細身で、貧相には見えないがどこか儚げな印象を受ける人。白衣に黒のタートルネック、ただの医者に見えたが、背負っている大太刀がそれを否定した。海賊だ。壁の影に隠れていたはずだった。
「ねぇ、君、名前は」
 身体が動かない。背後を取られらた。恐る恐る振り返るが、大太刀は鞘の中だ。これは、安心して良いものではないと本能が告げる。
 己を殺すのに刃など必要ないのだ。
「______」
 素直に今与えられている名前を答える。昔の名前はあったような気がしたが、もう忘れていた。必要ないと思ったのだ。すると、その人は目を細めた。
「へぇ、奇遇だね。私は______。ハートの海賊団。君が______ならば名前くらいは知っているんだろう」
 その瞬間、全てを理解した。だから、あの人は己に対して何故、違う、と言い続けたのか。彼は理解した。そんなことは誰であっても無理だ、と。圧倒的な何かを目の前の人間は持っていた。
「ところで、私の仲間のシロクマが捕まったんだけど、知らないかい」
 彼は知っていることを話した。救出のために必要な情報を可能な限り話した。そして、基地を案内した。彼は基地を自由に歩くことはできなかったが、基地の構造図は知っていた。案内しながら、彼は己の置かれている状況を聞かれたため、素直に全てを話した。目の前の人間に隠し事は無駄だとわかっていた。
「流石、______をさせられるわけだ。君は頭がいい」
 余裕を湛えた笑みが広がる。到底、今の彼にはできないものだった。
______この人についていきたい。
「それで、今までいつでも抜け出せたけれど、その状況に甘んじていたわけで、君が判断したその時が今だったわけだ」
 彼はいつでも基地を抜け出すことができた。ただ、彼は抜け出したところで殺されることを知っていた。そのため、己を保護する力を持つ強い海賊が島を訪れるのを待っていた。
「問題はないと思うけれど、一応、私のキャプテンの許可をとってからでいいかな」
 案内先の扉の前で彼の頭を撫でた。
「あと、その前に野暮用だな。ここで待っていてくれるかい」
 そう言って取手に手をかけたが、すぐに手を離した。そして、するりと刀を抜き、その鞘を彼に手渡した。
「私の仲間が来たときに、私の指示に従ったと言ってこれを見せな。私の仲間が君のことがわからなくても、君なら、私の仲間はわかるだろう」
 そして、扉を開けた。



 ローは舌打ちした。ベポが攫われたという時点で分かっているが海軍は腐っている。悪い海兵ばかりではないことはローも知っているが、体に染み付いた世界政府への嫌悪は一生引き摺っていくものだ。ロシナンテには感じなかったが、アリアンスの海軍の申し子とも呼べるような、世界政府によって全ての技術を叩き込まれた存在には思うことがある。
 ローは侵入と同時に地下室に向かった。ローにとっては施設への侵入は容易いので、戦うのならば先にベポを確保してからの方が良い。
「キャプテン、待っていたぞ。酷いんだ」
 ベポの言うとおり、本来ならば無法者が囚われているはずの牢には見目美しい女や子どもが囚われていた。自らが囚われたことよりも弱者が長きに渡りその生活に晒されていたことに対してベポは怒っていた。ここで彼らを解放するのは容易だが、証拠はそのまま残しておいた方が良いことをローは理解していた。
 残しておけば、正当に裁かれる。それは以前、アリアンスが証明した。食事や生活の手配も含めて、アリアンスが海軍本部と調整した方が全てが問題なく収まるのだ。ローとしてはすぐにでも解放してやりたいところだが、海軍基地を破壊するだけならば、殺しておかないと揉み消されるだけだというアリアンスの意見を前に折れるしかなかった。
 アリアンスのフランベルジュは悪人の血を吸う。ローの知らないところで多くの血を吸っていることをローは知っている。むしろ、ローに見られた一件以降は特に注意深くなっているのか、アリアンスのフランベルジュをローは一度も見たことはない。
「キャプテン、シャチとペンギンは?」
「正面から他の奴らと陽動だ。俺とベポで中枢を叩く」
 牢を抜けてそのまま大佐のいる部屋まで行くこともできるが、周囲の確認も含めてローはベポを伴って歩いて大佐の執務室に向かった。道中の敵はベポが体術で倒していった。ローの能力は体力の消費が激しいため、体力を温存しなくてはいけない。
 中枢を叩くために。
「アリアンスは元気になった?」
 海兵を難なく打ちのめしたベポが尋ねる。アリアンスという言葉を前に、今日も朝から勝手なことをする気満々な背中を思い出して、ローは顔を顰めたが、アリアンスがベポを気に入っているのと同様、ベポも年の近いアリアンスを好いている。ベポが最後に見たアリアンスは病人だったため、心配するのは当然のことだ。
「ああ。朝飯は他の奴らと同じ物食わせた」
 久しぶりに固形物を食べたアリアンスは、いつも以上に食べた。そのせいで、一人いつも遅れて食堂に入ってくるローの朝食が少なかった。
「俺の分まで食べるなんて何様だ、お前」
 朝食の少ない事情を聞いたローは朝の不機嫌も相まってちょうど食事を終えたところのアリアンスを睨みつける。ローに茶碗に盛られた米は半分。残念ながら、食べ終わるのはアリアンスが最後なので、どうすることもできない。
「朝起きてくるの遅いのが悪い」
 まるで豹のようなその眼は据わっていたらしく、他のクルーにとってはとても直視できるようなものではないらしいが、アリアンスはいつもの何処まで凪いだ眼をしていた。
 つまり、襲撃の朝から仲間割れが勃発して、ハートの海賊団は大変だったのだ。基本的に危機的な状況ほど冷静ではない二人にシャチとペンギンは慣れているが、他のクルーはそうではない。ローから逃げるように他のクルーと別れて、ローはベポの確保に急いだ。
「アリアンスも来てるのか?」
「どこで何しているのかは知らねぇがな」
 そのため、当然アリアンスの行方はわからない。しかし、ローの中ではアリアンスは助ける順位としては一番低く、とりあえず放っておいてもいつか帰ってくると思っていた。そうでもしなければ、身勝手な行動を許せるはずもない。
「アリアンス、勘がいいから中佐のところかも」
「どういうことだ?」
 ベポは丸い手を顎のところへ添えた。
「俺を捕まえたのは中佐。この先にいるのは大佐。中佐の方が強いんだってな」
「そういえば、あいつ、言ってやがったな」 
 マリンフォード時代の知り合いの左遷先。つまり、その能力に見合わない配置がされていてもおかしくはない。つまり、この基地で一番強いのは中佐。そして、アリアンスはそれを知っているため、わざわざローに教えなかった。
 しかし、アリアンスはローを前に出しゃばるようなことはまずしない。強敵と戦うのはローの仕事で、アリアンスは自由に動く。ローに手助けが必要ならばローの元へ向かうが、そうではない限りは第二の実力者や味方のフォローに徹しているようだった。
 しかし、今回は違う。海軍本部絡みであり、そしてアリアンスの元知り合い。それも海軍本部からの左遷で「降格」の可能性も高い。海軍本部での大佐以上となれば、少なくとも能力者、もしくは覇気の使える者だ。
「どうしたんだ、キャプテン」
「あいつに嵌められた。急ぐぞ。大佐を倒して、中佐も倒す」
「アイアイキャプテン」
 ローはアリアンスが海軍本部大佐如きに後れをとるとは思っていない。ただ、気に食わないのだ。全てがアリアンスの掌の上にあるということが。
 大佐の部屋に着くと、ローは即座に大佐をバラバラにした。冴えない壮年の男から中佐の居所を聞き出すと、ローは舌打ちをした。怯えきった大佐が失禁したが、ローは蔑んだ目でそれを一瞥すると、中佐の居所で直行した。



 アリアンスは青年に扉の近くにいるように言い聞かせると、扉を開いた。壊せないこともないが、しっかりと閉じるために。
「久しぶり、アリアンスちゃん。随分大人になったね」
 目の前には善良そうな壮年の男が立っていた。見た目だけは善良に見えるのだ。だから、ベポは捕まったのだろう。まだ、海兵の指を握るくらい小さな手をしていたアリアンスは騙されることはなかったが。アリアンスの慕う兄のような人物の同期でもなければ消していた。
 最終的にはその同期に摘発され、監査局による監査が入り左遷されたのだが。
「ああ。それに今、私は「犯罪者」海賊だ。私が大太刀しか持ってきていないことに感謝しなよ。本当ならフランベルジュで苦しめてもよかったんだけど」
 アリアンスは目の前の男を殺す気がない。ただ、フランベルジュを苦しめる程度に使う術は持っている。ただ、フランベルジュを持ってこなかったのは仲間に見られたくないため。
「こちら側では噂の「フランベルジュの悪魔」はアリアンスちゃんだったんだね。妙に懸賞金額が上がっていくわけだ。あの大したことのないトラファルガー・ローとほぼ同額になる程度には」
 アリアンスは黙って中佐の顔を見た。フランベルジュの悪魔と呼ばれていたのは知っていたが、偉大たる航路までその名が轟いていることは知らなかった。
「本当に君は感情を読み取らせてくれないね。バケモノらしさに磨きがかかっているな」
 アリアンスは海軍本部で可愛がられてもいたが、バケモノであるとも言われていた。自身よりも早く出世した者への僻み等、汚い声の渦巻く海軍本部で、アリアンスは大して気にはしていなかった。
「お前が六歳の頃だったか。バスターコールを使わずに民を滅ぼす方法を聞いたとき、お前は即答したな」
 穏やかな語り口で、まるで時間稼ぎをしているかのようだった。否、しているのだろう。しかし、アリアンスはそれを無理に止めるようなことはしなかった。
「とりあえず、学校と病院壊し、殺していくのは女子どもからだ、と」
 そんなこともあったか、とアリアンスは思い出していた。今問われても、アリアンスはそう答える。戦場で男を殺すのは非効率だ。男は何人も女を妊娠させられる。男を根絶やしにするよりも、十ヶ月に一人か二人しか産めない女と次世代の子どもを殺した方が効率がいい。
 実行するかどうかと言われれば、アリアンスは実行することはないだろうと思う。そもそも、アリアンスはバスターコールのような非効率なことは選択しない。
「ああ、お前の慕う兄も言っていたぞ。お前のことをバケモノだって」
 バケモノ、悪の性。そう言われても悲しくも何もなかった。兄は悲しそうな顔をしてそれを口にする。ただ、この男はそれを勘違いしている。
 僅かな覇気を込める。そして、流れるように刀を抜いた。全ては脊髄に任せる。脳はただ声を聞く。それだけ。
「バケモノ相手に話が通じると思ったのかい」
 刀は染まらない。ハートの海賊団の前で、斬り殺す価値もない。最大限有効活用するために、目の前の失禁している男を殴打して意識を失わせると、引き摺って捕縛した。
「あと、お前が思っているほど、私の仲間は弱くないよ」
 冷たく言い放つ。中佐の考えるとおり、ハートの海賊団でアリアンスの実力が高いのは事実だが、他のクルーが雑魚相手にやられると思っていたのだろう。引き止めていても無駄なのだ。
「後方は粗方片付けておいたぞ、アリアンス」
「キャプテンのことだから、褒めてくれないだろうから、私から言うよ。上出来」
 すぐに子電伝虫でシャチから簡単な連絡が入った。アリアンスは、シャチやペンギンと子電伝虫で連絡を取り合うことは多いが、ローとは取り合わない。怒られて仕事にならないからである。



 アリアンスは電伝虫を使って海軍本部に電話をかける。アリアンスは書類を漁りながら、基地が私物化されている状況を把握しながら、電伝虫が繋がるのを待つ。
「もしもし、此方海軍第三十三支部、海軍本部基地監察局に繋いでください」
 名前を名乗る権利すら与えられない下っ端海兵の振りをして、マリンフォード時代に世話をしてもらった人間のいる監査局に繋いでもらう。こういうこともあるため、アリアンスは海兵の名簿を確保するのだ。
 電伝虫の下にあった海兵の最新の名簿を回収しながら、電伝虫が繋がるのを待つ。もしもし、という声だけでアリアンスは知人であることがわかった。
「此方海軍第三十三支部、私はポートガス・D・アリアンス」
「アリアンスちゃん、久しぶり。海賊生活はどう?」
 海軍本部監査局。腐り果てた海軍基地の内部監査等に関わる重要な場所だ。そこに配属される人間は当然良識がある。アリアンスも現在の監査局長とはマリンフォード時代、仲が良かった。海軍本部で代わる代わる面倒を見てもらっていたアリアンスのことを随分と気にかけていた。
 大々的に懸賞金がついたときに頼った伝も監査局だった。そのため、アリアンスが海賊になってからも度々協力をしてくれていた。局長は、海軍の腐敗の摘発は監査局にも利があるとみなして歓迎していた。アリアンスから情報を得ていることを薄々気づいている人間もいるようだが、サカズキ以外の海兵との折り合いはよいため、上手いようにやっているようだった。
「悪くないよ。ところで、当然目はつけていたと思うんだけど、三十三支部破壊したよ。多分殺さなかったから後片付けお願い」
 そして、監査局自体にも力がある。目敏い監査局が全く目をつけていなかったなどということはアリアンスも思っていない。私物化されている程度のことならば予測していただろう。ただ、行使できるのは合法的な手段であり、何かがなければ監査は難しい。また、このように年若き青年を囲うようなことは隠蔽されてしまう。
「大佐はうちのキャプテン、殺してはいないだろうけれどバラバラ、中佐は私が縛り付けておいたから。あと、人身売買用の一般人いるから、早めに誰か寄越して」
「ああ、とりあえず、知り合い近くにいそうだから、明日には着くはず」
 監査局長に伝は多い。監査というと嫌う人間もいるが、真っ当に正義を語る海兵にとっては決して煙たい存在ではない。その裁量を監査局長は理解している。特に後ろめたいことがない限りは、談笑で終わらせる。
 そもそも、監査局自体が海賊や革命軍と通じているのだから当然の話だ。
「それまでには退去させてもらうよ。アリアンスと名乗った子どもは私が連れて行くと思う。それだけは覚えておいて」
「中佐ってアレでしょ。元本部大佐。降格されて左遷されてもまだやらかしていたの? 懲りないねぇ。そして、まだアリアンスちゃんのこと好きだったんだ」
「兄様と仲がよかったから見逃していたけれど、マリンフォードにいたときに片付けておけばよかったって思っている」
 もし、片付けておけばあの青年は違う人生を送っていた。左遷された当時、海軍本部で愛されていたポートガス・D・アリアンス。ただ、当人には敵わない。だから、代用品を作った。ただ、その代表品の出来がよかったのはアリアンスとしては悪くなかった。
______見聞色の覇気の使い手は欲しい。
「アリアンスちゃん」
 監査局長は昔と同じようにアリアンスの名前を呼んだ。
「こうやって時々連絡入れてくれるけれど、アリアンスちゃんのお父さんたちには何も連絡していないんだね」
「叱られたくないからね。まあ、でもそのうち近くは通るだろうから、そのときはよろしくね」
 偉大なる航路の後半に入るのにあたって、必ず海軍本部の近くは通過する。アリアンスの育ての親と養父も海に出ていない限りはそこにいる。アリアンスは強くなったが、二人に敵うとは思っていない。
「もうみんな助けてあげられないからね」
 その言葉は最初に大きく懸賞金がついたときにも聞いたものだった。
「わかっているよ」
 海賊になること、懸賞金がつくこと。その本当の意味を理解していなかった。処刑台への道が開かれ、アリアンスを育てた人たちがその手でアリアンスを手にかけなくてはいけないことは考えてはいたが、心なき王の器はその意味をわかってはいなかった。



 アリアンスが部屋から出ると、外で待たせていた青年と話をしているローと目が合った。他のクルーも揃っている。青年はローと他のクルー相手にも怯えずにいた。ただ、アリアンスの刀の鞘をしっかりと握りしめていた。
「中佐は片付けてきた。監査局にも連絡済み。明日には海軍来るみたい」
「そいつはどうした?」
「天涯孤独の孤児で、この中佐の慰み者やっていたみたい。見聞色の覇気は使えるし、反射神経も悪くない。まだ若い。鍛えたら確実に強くなるよ。どうする、キャプテン?」
 青年から鞘を受け取ると、アリアンスは抜き身の大太刀を鞘に収めた。
「名前は?」
 沈黙の中、ベポが尋ねた。青年はアリアンスを見上げた。そこに不安はない。ただ、指示を待っている。目の前にはクルーが揃っている。その判断は間違っていない。
「名前、変えるかい?」
 アリアンスが尋ねると、はい、と青年は答えた。すると、ローが軽く溜息をついた。
「うちの船は基本的に名前は必要ない」
 ローのその言葉に、歓声を上げるクルーたち。そして、それを前にしてローは深い溜息をついた。アリアンスもそれを見て苦笑いする。彼の人となりを知らずとも、クルーが増えたことが純粋に嬉しいのだ。ローがお人好しばかりだと言うのはこういうところなのだ。集めたのは己であることは棚に上げて。
「名乗りたい名前あるならそのまま名乗ってもらうんだけどな」
「好きな海の生き物の名前とかあるかい? かぶっていたら別の名前にしてもらうけれど」
 シャチとペンギンが青年に説明する。海の生き物から新たにクルーの名前をつける、というベポとアリアンスの二人の思いつきが発端だが、元々海の生き物の名前である二人は、ベポとアリアンスよりも乗り気だ。仲間が増えているようで嬉しいらしい。
「ラッコ」
 ラッコは被っていない。
「じゃあ、ラッコということだな。よろしくな、ラッコ」
 基本的に自ら声をかけたクルー以外を歓迎することのないローは何も言わなかったが、ベポが笑顔で青年の手を取る。



 ソファーは占領されているため、ベッドで医学書を読んでいた。新しいクルーの世話はベポたちに任せていて、アリアンスも介入する気がないようだった。そのため、ソファーが占領されているのだが。
「あの子さ、アリアンスって名前なんだよ」
 アリアンスという名前は、よくある名前ではない。
「ラッコを食い物にしていた中佐がいただろう。あいつ、左遷されてマリンフォードから去ったんだけど、ラッコが私の姿とよく似ているんだよね。髪の色とか目の色とかが同じだろ」
 ローからしてみればまるで違うが、確かに目の色と髪の色は同じだった。他に似ているところといえば、よく笑うことくらいだった。
「つまり、お前と重ねていたということか」
 海兵の一部が腐っていることもローはよく知っているが、それでも心底胸糞悪いと思い、表情を歪めた。同じ男だと思いたくない。最低だ、と。実力では敵わないから、実力で捩じ伏せられる代用品を使ったということだ。
「マリンフォードにいた兄様の同期だったんだけど、私、中佐のことは避けていたからね。当時から私が嫌いだったけれど、私は腕が立ったし、周りの目があったから迂闊に手を出せなかったのか、それとも、左遷の原因に私の兄様が関わっているからかはわからないけれど」
 ローは前者だろうと思った。アリアンスと「兄様」がどのような関係だったのかはローにはわからない。ただ、最初に手配書が大々的に配布された一件でローは海軍本部とやりとりをしているアリアンスを見て、四歳でやってきた子どもは随分と可愛がられていたことはわかった。
 ただ、可愛がられている上に己よりも腕の立つ子どもを厭う人間がいることも容易に想像ができた。それは、当然ロー自身が負けず嫌いでそういった一面があることもある。ただ、正攻法を好むローは絶対にそのような手段はとらない。
 アリアンスに敵わないことは知っていたのだろう。今回も中将を相手にした上、アリアンスは無傷だ。白衣には全く汚れがなく、その黒いタートルネックには埃一つついていない。居合で即昏倒させたのだろう。マリンフォード時代ということは間違いなく未成年で、その時点ですでに手を出せなかったのだ。年々切れ味の増す居合に勝てるはずがない。
「とりあえず、ラッコの件は身から出た錆だから私がある程度はどうにかするよ。ある程度の自我ができあがった上に生き残るために私に性格を自ら似せている。診察してみないとわからないけれど、ああいう経験をした人間は精神に異常をきたしていてもおかしくはない」
 オペオペの実を食べているローに比べて、アリアンスは外科や内科については圧倒的に劣る。ただ、ローが未だ理解していない分野、たとえば脳の動きや神経の動きが関係する精神科の分野については、アリアンスはローに勝る。そもそもローは今までそのような分野を必要としていなかった上、独学の部分も多いため、マリンフォードでしっかりとした教育を受けたアリアンスに劣るのは当然だ。どちらにせよ、潜水の多いハートの海賊団は始終真っ暗な船室で心身に支障をきたす恐れはあるため、アリアンスはクルーのフォロー等もしている。心がないというアリアンスだが、知識では理解しているため、対応は可能な上、ローのように威圧的ではない。適材適所なのだ。
「ただ、足を引っ張るような子ではないよ」
 アリアンスはそう続けた。そんなことはラッコを船に乗せる前から聞いていた。ただ、アリアンスが今、この言葉を言った意味は一つしかない。
「あいつを捨てるくらいならお前を先に捨てるから安心しろ」
「それ、信用していいのかい?」
 アリアンスは「安心したような」笑みを浮かべてそう尋ねた。いつものように黙っていると納得したように、ソファーに横になった。
「アリアンス様」
 ノックなしに扉が開く。それはいつものことだが、入ってきたのは初めての人物だった。扉を開けるなり、ソファーで横になっているアリアンスを見つけ、顔をぱっと明るくして飛びつくように移動した。
「キャプテン、夕食の支度が終わったようですので、お呼びに」
 そして、ついで、というかのように、ローの方を振り返り、連絡事項、つまり本題を告げた。
「ありがとう。ラッコ、とりあえず、この中で一番偉いのはキャプテンだから、それは忘れないでね」
 アリアンスが頭をくしゃくしゃと撫でると、はい、とラッコは綺麗な返答を返して、ローに一礼して部屋を出ていった。
「アリアンス」
 ゆらりと立ち上がったその背に問う。
「お前は南の海にいた頃から心がなかったのか?」
 アリアンスは心がないと言った、言われた、とそう言った。ただ、それはローが話を聞く限りだと海兵から言われたらしい。つまり、マリンフォードに連れて行かれた前後からである。そして、最初から心がないにしては、アリアンスの行動は不可解なのだ。たとえ、上書きされていたとしても、元々そこに心があったかのような、そんな行動を取ることがある。
 心がない王の器は何故ローを助けたのか。ラッコを庇うのか。
「そういえば、南の海にいたときには、姉様にもおじさんにも言われたことないかもしれない」
 己の記憶、それも心に関わることだが、興味はないようだった。ただ、嘘は言っていない。アリアンスは嘘もつくが、自分のことでは嘘はつかない。
 記憶を失っている自覚はないが、マリンフォードに連れて行かれた前後の記憶がアリアンスから飛んでいる可能性があるとローは思った。ただ、それであればアリアンスは記憶がないことに気がつくはずである。
 四歳で覇王色の覇気に目覚めた。中途半端にある心の残骸のような何か。それはローの知る人物と重なる。理由は知らないが、その人物もローと同様に世界を破壊しようとした。アリアンスは世界を破壊しようと思ったのだろうか。
______世界への破壊衝動だけが抜け落ちるようなことはあるのか?
 姉様は綺麗で優しかったんだよ、と妙に機嫌の良いアリアンスを前に、ローはそう思った。

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