小噺置場。突然消えたり増えたり。パロディなど散乱の無法地帯。明記無しは全て炭治郎。
雨がしとしとと降り続く。例年よりも長く続く雨模様にも関わらず、傘を忘れてきたことに気付き、大きく息を吐いた。梅雨明けはまだ遠い。ポケットの中から通知を告げる機械音が響く。私が家を出る時に傘を持っていなかったことに気付いた炭治郎から『今どこ?』とラインが来たので、優しい彼はどうやら迎えに来てくれるようだった。自分のいる場所を手早く返信して、雨宿りをする為に駅の近くのシャッターが閉まったお店の軒下に蹲み込んで、ボーッと雨が地面へ音を立てて落ちていく様子を眺めていた。
「おまたせ」
ふと地面に大きな影が被さったかと思うと頭の上から優しい耳馴染みのある声がして、私は顔を上げる。炭治郎程に鼻が利く訳ではないけれど、雨の匂いに混じって少しだけ汗の匂いがする。目の前ではなんとも涼しい顔をしている彼だが、ここまで走ってきてくれたのだと思うと、自分が思っているよりも彼に大切にされているのだと、何だか嬉しくなってしまう。
「帰ろう」
横に並んだ私と炭治郎の真ん中にひとつ傘を挟んで家路へと足を進める。すると、少し歩き始めたところで雨の音がピタリと止んだ。空を見上げると雲の切れ間からは僅かに光が差し込んでいる。雨の音が聞こえなくなったことに気付いた隣を歩く炭治郎も、傘を持っていない左の手のひらを受け皿のように傘から出して、雨粒がもう落ちてこないことを確認していた。
「あれ、雨、止んじゃったみたいだ」
「折角相合い傘が出来ると思ったのになぁ」
私がそんなことを言ったものだから、炭治郎は不意打ちを食らったかのように目をまるくして、普段の彼からは珍しくほんの少しだけ頬が赤くなったような気がした。
「でも俺は晴れた日のほうがいいかな」
『なんで?』と、隣の炭治郎の顔を覗き込むと、赤く揺れる優しい瞳と視線がぶつかる。すると傘を閉じたことによって空いた炭治郎の右手が私の左手とぶつかった。彼はその手を取り、ゆっくりと指を絡めていくと、優しくぎゅっと私の手を握った。
「だって、こうやって君と手を繋げるだろう?」
炭治郎にかかれば、雨の降り続く空模様だけでなく、心模様までをも一瞬で晴れへと変えてしまう。彼は正真正銘の晴れ男だ。
7月15日(水)
織姫と彦星が一年に一度だけ、天の川を渡って再会を果たすというなんともロマンチックな話を、きっと幼い頃に誰もが耳にしたことがあるだろう。そう、今日七月七日は七夕祭りだ。元々は昔の中華民国の魔除けの行事が起源である七夕祭りは、笹の葉に魔除けの力があると言われている事もあり、鬼を狩っている俺たち鬼殺隊ではその日に任務が与えられていない隊士で蝶屋敷へと訪れ、願い事を書いた短冊を笹の葉へと飾り、無病息災を願うのだそうだ。鬼殺隊には意外にも行事毎が好きな人達が多く、ここ数年はこの七夕祭りも続けられているのだそうだ。
畳の上で禰豆子が楽しそうに折り紙で七夕飾りを作っていく。それを受け取って鋏で数箇所に切り込みを入れて目の前で広げてやると、嬉しそうにキャッキャと声を出して喜んでいる。やっぱり女の子だなぁと微笑ましくなった。完成した飾りと短冊を一緒に笹の葉に飾りに行こうかと思った頃、同じく蝶屋敷へとやって来た同じ鬼殺隊に所属している彼女が背後からひょっこりと顔を出して『炭治郎は短冊にどんな願い事を書いたの?』と自分の手の中にある短冊を覗き込んだ。
“みんなが幸せでありますように”
「じゃあ炭治郎の幸せは誰が願うの?」
「俺は俺の大切な人たちが幸せならそれでいいかな」
『うーん』と隣の彼女からは歯切れの悪い言葉が返ってくる。どうやらあまり納得がいっていないらしい。
「じゃあ私が炭治郎の幸せを願ってあげる!」
そう言って筆をスラスラと短冊の上で走らせると、『うん!これで大丈夫!』と満足そうな顔を見せる。『これでみんなも炭治郎も幸せになれるね!』と続けて言った彼女の言葉が気になって先程のように俺も彼女の手の中の短冊を覗き込んだのだが、その願い事がなんだか彼女らしくて可笑しくって思わず笑ってしまった。
“炭治郎が幸せでありますように”
彼女にはいつまで経っても敵わないなぁ、と思いながら夜空の下で俺と彼女の短冊が横並びで生温い風に揺れているのを眺めた。
7月7日(火)
好きな人が出来たのだと彼女は俺に言った。まるで鈍器で頭を殴られたようだった。それぐらいに衝撃的なことだった。家が隣同士で小さい頃からずっと一緒にいた俺と彼女。幼稚園から今の高校生になるまでの数十年の間ずっと、俺が変な虫が付かないようにとどれだけ努力していたのか、彼女は分かっているんだろうか。動揺を悟られないようにと心掛けながらも、それはどこのどいつなんだと彼女を問い詰める。
「えーっとねー、綺麗な顔立ちでー」
いやいや、人間は相手のことを第一印象で判断しているなんて言われるが、外見だけでなく中身も大事なんだぞ。
「優しくてー」
男が女の子に優しくするなんて下心しかないに決まっている。そうだ、そうに決まっている。
「ものすごく弟と妹想いでー」
下の子たちを大切にすることはいいことだ。うんうん、だけどそれとこれとは話が別だ。
「今、私の目の前にいる人!」
「へ?」
不意打ちを食らってしまい間抜けな声が口から溢れてしまった。
「だーかーらー!私の好きな人は炭治郎!あんたなの!あんだーすたん?」
「いや、全然理解できてないんだが」
俺は両の手のひらを揃えて、彼女の前に出す。『炭治郎は?』だなんて、下から俺の顔を覗き込んで問いてくるものだから、左胸がドクドクとひどく脈打つ。それは俺が彼女のことを好きだと自覚させるには十分だった。肺に空気を送り込むように大きく深呼吸をすると、俺は口を開いて言葉を紡いだ。
7月5日(日)
夏のはじまりの匂いがする。立て続けに舞い込んできた任務がひと段落して束の間の休暇を与えられた俺は、彼女に会いに行くことにした。彼女のところへ行く為に、俺は自分の身体に付いている足を動かして歩を進める。彼女のところまではまだ遠い。
草木が焼けるような熱い空気が地面をじりじりと熱していく。ふと空を見上げるとその熱い空気がぐんぐんと上昇して真っ白な入道雲を作り出していた。その白さと空の青色がやけに鮮やかに見える。彼女のところまでもう少しだけ遠い。
そうだ、花を買って行こう。真っ白な百合の花が彼女は好きだった。何色にも染まらない純粋なところと、しっかりと芯を持っているところが彼女にピッタリだと俺は思っている。花売りの女の人に硬貨を渡して、俺は代わりに百合の花を受け取った。彼女のところまでもう少し。
老舗の和菓子屋さんの看板を見つける。そういえば、彼女はここのおはぎが好きだったなぁ、そんなことをふと思い出した。彼女はこしあん派かつぶあん派かどっちだったっけ。俺は首を傾け考えたがどっちが好きだったか思い出せなかった。まぁ、いいか。両方買って、残った方は俺が食べるよ。彼女のところまであともう少し。
階段を一段ずつ踏んで上っていく。何百段もある石で出来た階段を上っていくことは、彼女のところへと近づいているということだと思うと、俺は不思議と苦だと思わなかった。
「久しぶり、元気にしてた?」
返事は返っては来なかった。
線香にマッチで火を付けて、墓前に彼女の好きな百合の花とおはぎを置いて両手を合わせた。『元気だったよ、炭治郎は?』なんて、今にも彼女の声が聞こえてきそうな気がしてきてひとり自嘲した。今年、君がいない夏を俺はひとりで迎える。
7月5日(日)
「もしもし、ハイ、すみません、すぐに迎えに行きますので」
携帯の通話終了ボタンを押してひとつ溜息を吐いた。金曜日の午後22時。時計の短い針は俺の退勤時間の定刻をとっくに超えていた。もうこんな遅い時間になっていたのかと、数える程しか残っていないオフィスの上司や同僚に『お疲れさまです』と声を掛け、デスクの椅子の背凭れに掛けていたスーツのジャケットと鞄をひったくり、急ぎ足で会社を出る。
大学を卒業してこの会社へ入り、そろそろ2年目に突入する頃になる。大学の頃から付き合っていた彼女は就職せずにそのまま大学院へと進み、同い年であったはずの俺たちは、いつの間にか社会人と学生の関係になってしまった。そして、毎週金曜日の夜になるとラブコールならぬ、おたくの彼女、うちの店で潰れてるので引き取ってもらえませんか≠フ電話が掛かってくるのである。
電話で聞いたお店の場所へと向かうと、既にいつものように伸びて出来上がった彼女が机にひとり突っ伏していた。
「うぅ…たんじろう…」
意識があるのか無いのか定かではないが、スンスンと鼻を鳴らして俺が迎えに来たことを確かめると、俺の首筋へ顔を埋めてきては、首に腕を巻き付けて離さない。この酔っぱらいめ。
「すみません、本当にすみません」
居酒屋の店主へと頭を下げると『彼氏、大変だねぇ』と苦笑いで返された。これで足りるだろうとお金を置き、彼女を肩に担いで彼女の自宅の道のりへ足を進める。お酒が弱いと分かっていながらもこうして意識が飛ぶまで呑んでは潰れて、俺に迎えに来てもらうように電話をさせるまでが一連の流れになってきた。そして俺は毎回潰れた彼女をこうして迎えにいくのだ。
「うぅ…あたまいたぁい…」
「ほら、水、飲んで」
「いらない…」
困ったなぁ、と思いながらも明日の彼女の為を思って何とかして水を飲ませたい俺は、自身の口に水を含んで彼女へとそのまま口移しをする。口移しきれない水滴がポタポタと彼女の唇の端っこから落っこちて、彼女の部屋のカーペットに小さな染みを作った。
彼女のこの不思議な行為の理由を俺は知っている。俺が社会人になってからというもの、なかなか二人で一緒にいる時間が取れなくなってしまった。だから、これが俺に対しての彼女なりの寂しさの表現なのだ。故に、彼女がこんなことをするのは決まって俺が次の日休みである金曜日だけ。きっと来週も俺の携帯は鳴るのだろう。そして俺は懲りずに彼女を迎えにいくんだ。
7月2日(木)
赫灼の子だなんて縁起が良いと持て囃されてはいるけれど、小さい頃は気味が悪いなんて言われた事だってあるんだ────
そう言って炭治郎は哀しそうにその赫い瞳で何処か遠くを見つめる。
「炭治郎の瞳はきっと神様からの贈物なんだよ」
君は知らないのだろうか、炎えるように輝く赫い瞳は、まるでひとつの星が誕生した時のような煌きを宿している事を。
6月15日(月)
炭治郎はいつだって私にひとつ多くをくれる。苺が1個しか乗っていないショートケーキを半分こにする時はその苺を私に、寒い日にコンビニで買った肉まんを半分こした時は大きな方を私にくれる。極め付けには自身の誕生日ケーキの上に乗っているひとつしかないチョコレートプレートまで私に与えたものだから堪らない。
「これじゃあ、私ばっかり得をして、炭治郎は損ばっかり」
「俺はこれがいいんだ」
そう言って目を細くして、いつもみたいに微笑んだ。私の好きな炭治郎の顔。
「幸せそうにしている顔を見たら俺も幸せになるから、これでふたり平等に幸せだよ」
6月12日(金)
異国の絵本で読んだみたいに、いつか白い馬に乗った素敵な王子様に指輪と共に求婚されるのが夢なのだと、それが幼馴染である彼女の小さい頃の口癖だった。
異国の文化が入って来て、求婚する際に相手の女性へ指輪を贈る風習が近年見られるようになってきたが、この国ではまだ“苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げよう”という意味で櫛を贈るのが一般的である。
俺は右手を自身の懐の中にすべり込ませると、指輪が入った箱の存在を再び確認する。煉瓦造りのビルヂングが並ぶ銀座の街で、宝石店の女性から今の流行りなのだと教えてもらい、ねじり梅のデザインのシンプルな細身の指輪に決めた。
俺の姿を見つけて大きく手を振る彼女のもとへと一歩ずつ近付いていく。これから俺が伝える事に、君はどんな顔をするだろうか。男として一世一代の告白を君は受け入れてくれるだろうか。彼女の前まで歩み寄ると俺は腹を括って、三日三晩考えた言葉を口にする。
「これからも俺と共に生きてくれないか」
跪いてシルバーのシンプルな指輪を彼女の目の前に差し出す。白い馬は居ないけど、いつかの彼女が言っていた絵本の中の王子様みたいに上手く演じられただろうか。そっと顔を上げて見上げるように顔を覗き込むと、彼女は嬉しそうに微笑んで深く頷いた。
6月7日(日)
瞼を開くと目の前には白い壁が一面に広がっていてる。自分がベッドの上に横になっている事に気付いた。身体にはあちこちに白い包帯が巻かれている。あれ、私、なんでここにいるんだろう。自分が誰なのか分からない。わたしはだあれ?
部屋へと入って来た男の子は私を見ると、溢れ落ちてしまいそうなくらいに大きな瞳を更に大きく見開き、『よかった、よかった』と繰り返しながら私の身体を強く抱き締めた。癖の付いている赤い髪の毛が頬へと当たる感覚も、抱き締められているマメだらけでお世辞にも綺麗だとは言えない彼の手も、何故だか懐かしいと思った。だけど私はこの人が誰なのかさえもわからない。
「御免なさい、何にも覚えていないの」
抱き締められていた身体だけ離すと私の肩を掴んだまま、彼は私の顔を見つめる。その瞳は、確かに私を捉えているはずなのに、私をすり抜けて、どこか遠くの、違う誰かを見つめている様に見えた。ふと視線を外すと、ベッドの脇には鞘に収められた立派な刀が立て掛けられている。記憶を無くす前の私は刀を握っていたのだろうか、廃刀令のこの御時世に。
「貴方は、誰ですか?」
「はじめまして、俺は竈門炭治郎」
言葉とは反比例するかのように目の前の、竈門炭治郎という人は、哀しそうに笑った。きっと記憶を失う前の私は貴方の事を知っている。何も覚えていなくても“はじめましての挨拶”はこんなに哀しい言葉じゃないだろう。自分の記憶が無い事を恐ろしく恨む。だってほら、今にも貴方、こんなに泣き出しそうな顔をしているでしょう?
でも、御免なさい。何にも思い出せないの。
6月4日(木)
頼む、一生のお願い!と俺の記憶では十数回目になる善逸の懇願を受け入れて連れて来られた俺と伊之助。硝子戸を開けると小さな店の中は幾つかテーブルと椅子が並んでいる。ミルクホールとは政府がまだ馴染みが無かった牛乳を体質改善と謳って国民へ飲ませるという目的で出来た飲食店だそうだ。
「シベリアとミルクコーヒーを1つ」
「俺達も同じものをお願いします」
慣れた様に注文する善逸に倣って同じものを注文する。シベリアを食べながらミルクコーヒーを飲むのが今時の粋な作法だそうだ。ここのミルクホールの女給さんは綺麗な色の着物に白い給仕服が特別に可愛いんだよと、大方善逸の目的が分かったところで店内を見渡す。俺たちと同じ年頃の人も店内にいるが、多くは新聞や雑誌のようなものを読んで、物音一つ立てずにいるので俺達三人は場違いではないのかと不安になってくる。
「お待たせしました、シベリアとミルクコーヒーです」
目の前のテーブルに注文の品々が並べられると俺は物珍しさに目を輝かせる。特にこのシベリアという洋菓子、カステラに羊羹が挟まっているが、この国のうんと北の方にある外国と同じ名前であり、珍妙な見た目も相まって不思議な食べ物だと思う。
「源五郎!食わねぇなら俺が貰ってやるよ!」
意識を飛ばしていたところ、目の前の洋菓子は既に伊之助の胃の中へと消えてしまった。『ガハハハ!先に食ってやったぜー!』なんて無邪気に笑う伊之助に、『お前さすがにそれは』と善逸が止めに入る。
「いいんだ、伊之助」
俺は長男だからな、とその場を静止し強がってはみたものの、いつか禰豆子に話してやろうだなんて考えていたので、どんな味なのかと知ることもなく消えていったシベリアに、少し残念だと二人に悟られないように小さく肩を落とした。
すると、目の前にコトリと硝子器に入ったシベリアが置かれた。お姉さん間違ってますよ、と声を掛けようとしたところでそれは口にする事なく消えていった。
「貴方達、鬼狩りさんなんでしょう?他のお客様には内緒ですよ」
そう言って人差し指を口もとへとやって、悪戯そうに笑うとその女給さんは俺たちのテーブルを離れていった。
人生で初めて食べたシベリアの味は、彼女のお陰でより一層甘く感じた。
5月31日(日)
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