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Milky way(ver.2018

 不寝番明けの中途半端な微睡みから目覚めたルリは、醒めきらない意識の隅でぼんやりと、普段とは違う空気を感じていた。
 敵襲とは違う賑やかさに誘われるまま甲板に出ると、集う皆の中心には大きな大きな笹の枝が一本。メインマストにしっかりと括り付けられていた。
 その枝葉のそこかしこには、長細い紙がひらひらと吊り下げられている。
 それは彼女が忘れかけていた、遠く懐かしい光景だった。

「いつの間にこんな見事な笹が……」

 標準サイズの人間が全力で見上げなければならない程に、大きな大きな笹。豊かな葉はまだ青々として柔らかで 、一目でそれが手に入れて浅いものだと分かる。
 こんなに大きな物は、生まれてこの方見たことがなかった。先端は遥か遠く、身体の大きなジョズやビスタでも届きそうもない。笹を巨木と呼んでいいのかは分からなかったが、浮かんだのはそんな表現。

「う、眩しい……」

 昨日降った雨の跡を瞬く間に消し去った太陽の所為か、少し見上げただけなのに、眠りの足りない頭はくらくらとし始めていた。
 離れた所から全体を見よう。そう思い一歩下がった所で、ふわりと甘い気配に気付いて足を止めた……つもりだった。しかしぼやけた脳の出した伝令は遅く、一歩二歩、意図せぬ後退をしてしまう。
 ああダメだ、壁はまだ遠いのに――軽く諦めかけた身体はしかし、ぽすん……と柔らかい物にぶつかって止まった。

「っと、ごめんなさ……あ、ふふ……やっぱり。首謀者はイゾウさんですね?」
「あァ。今朝うちの若いのに運ばせた。大丈夫か?」
「はい。ありがとです」

 振り返ればそこに居るのは、予想通りの人。
 悪戯が成功した少年のような顔で嗤うイゾウの表情は、寝起きの心臓には少し刺激が強い。 
 
 こんな物を誰が――という疑問を抱く余地はなかった。まだまだ未踏未開の地もあるこの世界。似たような風習を持つ土地が無いとは言えないが、ここモビーでこんな仕掛けをするのは、ルリでなければイゾウしかない。
 それでもこれは、ルリがこの船に乗ってから初めて見る光景で、少なくとも慣例の行事ではない筈だ。
 そう思って聞けば、最初は物珍しそうに眺めていたクルー達は、それが“願いを書いた紙を吊るす枝”だと分かると、思い思い好き勝手に短冊を吊るし始めたらしい。
 白ひげ海賊団のクルーは、ノリも天下一品なのだ。

「懐かしいな……こんなに大きくはないですけど、うちでもやってましたよ」
 
 その意味や理由などは知らない子供だったが、家族全員の願いを吊るせばいっぱいになってしまう小さな笹の枝を飾り付けるのは、毎年の楽しみだった。
 両親と兄と祖父と……久しぶりに思い描いた家族の在りし日の姿は温かく、なにより未だ色褪せていなかったことが嬉しい。

「どうした?」
「あ、いえ。なんでも……」

 真っ直ぐにイゾウを見上げたまま、なんとも言えない表情で彼女は小さく首を傾げる。
 意識を記憶の奥にやったのは、ほんの一瞬。
 その僅かな間に気付かれてしまうとは思わず、ルリは返答に詰まっていた。
 隠すような事ではない。けれど場の雰囲気の所為か、口にするのは躊躇われたからだ。

「ルリも何か書くか?」
「書きます!!」

 それ以上何か問うことはせず、イゾウは袂から取り出した数枚の短冊とペンを差し出した。
 一転、喜々として受け取ったルリは、目の前に短冊を並べると、遠くを見たり近くを見たり、上を見たり。それはもう分かり易く悩み始め、その様子がイゾウの表情を緩ませる。
 そんなことはつゆ知らず、暫くそうして悩んだ彼女は、今度はぴたりと止まって動かなくなった。
 イゾウに比べこの手の慣習には疎いルリだったが、何か決まりの様なものが有ったと朧げに記憶していた。
 しかしいざ手にすると、あれが欲しいとかそれをしたいとか、現金な願いばかりが浮かんでしまうのだ。あれもこれも、それはいくらなんでも都合が良すぎるだろうか。

「……これって、何枚も書いていいんでしたっけ?」
「なんだ、意外と欲張りだなルリは」
「う。だって……ひとつだけならきっと、みんな同じことを書きますよね?」

 『オヤジを海賊王にする』――この船の誰もが迷わず願う事。そしてこの船の向かう先。

「ま、細かいことは気にしなくていいんじゃねェのか?」
「むむ、と言われても……あ、そうだ。イゾウさんは何か書きました?」
「天に叶えてもらうような願いなんか持ってないからな。せいぜい……そうだな、今夜の天気くらいか」

 言葉と共に空を見上げたイゾウにつられて視線を上げると、時間と共に強さを増す陽射しが目に痛い。こんな快晴の中、なにを心配する必要があるのだろうと首を捻るルリの頬に、ぽつんと不意に落ちてきたひと雫。
 デッキの陰に残る、昨夜の雨の名残だった。
 思わずふふっと笑いが漏れる。

「……きっと晴れます。大丈夫ですよ」
「別に深い意味はねェぞ?ただ、せっかくだからな。景色を肴に旨い酒が飲みてェ」

 七月七日の前日に降る雨には「洗車雨」という名前が付けられている――最近イゾウに借りた本にそう書いてあったことを、ルリは思い出していた。
 昨夜は雨の中の不寝番になったが、この様子ならば、今日の天気の心配はいらないだろう。
 一年間待ち焦がれても、晴れなければ逢えない二人。
 そんな二人を思い遣っての願いかどうかは分からないが、ルリはそう思うことにした。
せっかくイゾウが用意してくれたこの状況、全力で乗っかって楽しむのが粋という物だろう。
 もちろんイゾウと一緒に、だ。



* * *



「うわ、短冊の重みで枝がしなってる……」

 不寝番明けに陽を浴びた上、散々悩んでくたびれた身体を休ませて、ルリが再び甲板に出たのはとっぷりと陽が沈んだ後だった。
 先刻とは違う賑やかさで溢れる甲板にイゾウの姿を見付け、誘われるままその隣に潜り込む。

「こいつは叶える方も大変だな」

 1600人分の願いを背負った笹はゆっくりゆっくりと背中を丸め、色とりどりの短冊はルリの手の届く高さにまで下がっていた。
 松明やランプに照らされて揺れる沢山の短冊はまるで水面の様で、モビーの甲板の上にさらさらと色を散らしている。

「みんなの願い事の重み、かぁ……」

 結局ルリは二枚の短冊に願いを書き、一枚だけを吊るした。
 おみくじの様に細く折り畳んだもう一枚の短冊は、以前イゾウに貰った紅と一緒に小さな巾着に入れ、ポケットの中にしまってある。

「綺麗な夜空……いつもと同じはずなのに、なんだか特別な感じ……」

 いつだかイゾウと二人で眺めた天の川は、冬の空の冷たい川だった。今日は二人きりではないが暖かく賑やかで、こんな七夕の夜もモビーらしくて悪くない。
 天空では今ごろ、久方ぶりの逢瀬を楽しんでいるのだろうか。今日のモビーは喧し過ぎて申し訳ない気もするが、これだけ離れていれば邪魔にはならないだろう。それに想う人と居る時の外野の喧しさというのは、意外と気にならないものなのだ。

「本当にそれはいいのか?」
「はい。これは自分で叶えます」

 ――イゾウさんがずっと“ここ”にいますように
 
 その為に自分は強くなる。強く在る。強く生きる。
 それは願いであると共に、ルリの希望であり目標だった。だから笹には吊るさずに、自分の手元に置いたのだ。

「近くにいるっていいですね」
「ん?」
「いえ……晴れて良かったなぁ、って」

 ルリはそう言って星空を仰ぎ、静かに微笑む。
 側に居て、いつでも会える。それは当たり前の様で当たり前ではない。今ここに居る皆が、明日の朝また全員で顔を合わせられる保証なんて、どこにもないのだ。だからこそ。

「イゾウさん、今日はありがとうです」
「ん、どうした?急に」
「楽しいなと思って。こういう時間って……上手く言えないですけど、なんかすごく良いなって」

 一緒の時間を過ごしたという記憶。良いものばかりとは限らないが、それを含めても掛け替えのない、大切な宝物だ。

「また何か、一緒に出来るといいなあ……」

 もちろん「いつでも出来る」などという言葉は、気安く返ってこない。その代わりにと差し向けられたジョッキを軽く重ね合わせると、イゾウは満足げな表情で、なみなみと注がれていたラムを一気に煽る。

「あァ、そうだ。それを書いて吊るすか。たまには神頼みも……悪くねェよな?」

 こくこくと全力で頷くルリを見たイゾウは、今度はケラケラと声に出して笑った。

fin.

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