私達は運命的な出会いをする。
君は運命を信じるだろうか。
出会った瞬間から、君と出会う為にここにいるかのような、そんな感覚に陥る。恋心なんて可愛いものではない、まるで洗脳、心が支配されるような感覚。瞳を覗き込んだ瞬間に運命を感じたんだ。そういう重い、重い、感情。
君は、それを信じるかな。
***
呪術高専校舎前にて、悟と硝子が同じ呪術高専の制服を着た女の子と話をしていた。特別美人なわけでもないし、これまで付き合っていた派手めなタイプの子でもない。こう例えるのは失礼だが、どちらかといえば普段、私が手を出さないような、別れて後腐れが残りそうなタイプ。とにかく、見た目は真面目そうな子だ。まぁ、呪術師にはこういう真面目なタイプが多いのだと思うけれど。
失礼ながら、遠目から彼女を観察しつつ、三人の元へ行く。すると、私に気づいた彼女は挨拶代わりとでもいうかのように、にこりと無垢な笑みを私に向けた。一瞬にして、私は彼女に釘付けになってしまったのだ。
彼女の反応に気づいた悟と硝子は振り返り、私を見る。既に自己紹介を済ませた後のようで、硝子は紹介するように彼女を指す。
「この子、京都校の一年」
「今年の一年、コイツだけなんだってよ」
「初めまして!」
彼女は無垢な瞳を輝かせ、明るく自己紹介をした。その瞬間、私は彼女に強く惹かれたのだ。まるで心臓を抉り取られるかのような衝撃と洗脳されたかのように虜になったのだ。私は一瞬、息が詰まったが、一息吐いて言葉を発する。
「初めまして、私は夏油 傑。よろしくね」
「うん、よろしくね、夏油くん」
笑顔が可愛らしく、人懐っこい子なのだと分かる。彼女には人を魅了する力でもあるのだろうかと思うほど私の心は揺らぎっぱなしだった。
「京都の子が東京に来るなんて珍しいんじゃないか。二年から交流会があると聞いてるけど」
「東京の一年生は強いって聞いて。先生が東京校に用事があるって言うから、私もついて来たの。同期がいないから、会っておきたくて」
会えて良かった、と笑う彼女に、きゅうと胸が締めつけられる。これ程までに魅了されたことはない。
ふと彼女は私達の背後を見て、軽く手を挙げる。振り返ると教師らしき術師がおり、彼女に手を振り返していた。
「それじゃあ、私はこれで。少しだけど話せて良かった、またね!」
そのまま去って行くのを私達は見送り、姿が見えなくなると、私はふと緊張の糸が切れる。
「あの子、可愛かった……」
「オマエ、あんなのがタイプなの?」
「手を出すなよ。見た感じ、普通にいい子」
「だからいいんだろう?」
素直で笑顔が素敵な可愛らしい子だった。悟や硝子にはない物がある。硝子には悪いが、彼女が東京校に来てくれれば、もっと華やいだだろうに。
「また来てくれたらいいな。もしくは会いに行きたい。夜蛾先生に頼めば、西の方の任務にも行けるかな」
「ガチじゃん。この数分で何があったんだよ」
「一目惚れだよ。こんなのは初めてだ」
心を奪われるというのは、こういうことなんだと体感した。私の印象は悪くなかっただろうか。突然の出会いすぎて、連絡先も訊けなかった。次はいつ会えるのだろう。私はしばらく、彼女のことが頭から離れなかった。
関西地区にて、術師が二人、二級相当の呪霊の生得領域に連れ込まれて、行方不明になっているという。本来ならば、京都を拠点に活動する術師が担当する案件であったが、人手不足のようだ。術師の捜索が私達三人の任務だった。
「最近、授業っつーより、任務が多いよな」
「夜蛾先生も言っていただろう?人手不足だ、仕方がない」
「京都も一年が一人だしな」
「そういえば、今回の行方不明の術師、京都校の一年と二年らしいですよ」
「は?」
新幹線で移動中、隣に座っている補助監督の言葉に、私は思わず彼を見て声を上げる。それはそこまで重要だったのか、と彼は戸惑ったように、今回の任務内容の資料を手渡してき、私はそれを黙って読むと、悟や硝子にも分かるように補助監督は説明をする。
「二級相当の呪霊が一体と京都校の一、二年の生徒、二名に伝えられていたそうです。しかし、実際は二級相当の呪霊が二体、戦闘中に別の呪霊と鉢合わせたようで……その際、生得領域内に巻き込まれたかと」
「それってどのくらい前?」
「昨日の午前中だと聞いています」
「もう死んでんじゃね?」
悟の心ない言葉に深いため息を吐く。二級術師の二人が丸一日、音沙汰がないのは確かに不安だ。しかし普通、口にするか?特に私の目の前で。
「……生きている可能性の方が高い。彼女達の術式を知りはしないが、まだ一日だ」
「あんま希望持たない方がいいと思うけどな。好きな女だからって」
悟の言葉に気まずそうにする補助監督。私は不安を抱えながら彼に資料を返し、再び息を吐いた。
しばらく私は彼女のことを考え、黙っている中、悟は呑気に駅で買った菓子を食べ、硝子も落ち着いて珈琲を飲んでおり、補助監督も他人の死に慣れているのだろう、隣で時間を潰す為、持参した本を読んでいる。私はふと一度しか見たことのない彼女と彼女の笑顔を思い出すと、息苦しくなった。
任務先の廃ビルに辿り着くと、補助監督は帳を降ろす。それに悟は面倒くさ、と呟く。
「なぁ、これビルごとぶっ飛ばしていいかな」
「ダメだ。中にいる彼女が怪我をしたらどうする。それは最終手段だ」
「じゃあ入るか」
「硝子も入んの?」
「酷い怪我なら早めに治療してやった方がいいでしょ?」
硝子も硝子なりにあの子を気遣っているのだな、と感じながら「守るから大丈夫だよ」と言うと嫌な顔をされた。
私達はそこに足を踏み入れようとしていたが、建物内からではない場所から呪霊の気配がし、私は手持ちの呪霊を出して向かわせる。
「何だこれ。同じ気配が中からもすんだけど」
「おかしいね、生得領域内にいないなんて」
「分身してるとか?二級程強そうに見えない」
「確かにね、こっちは弱い」
私の手持ちの呪霊が標的の呪霊を祓う。やはり弱い呪霊のようだ。なのにも関わらず彼女達が祓えていないのはどういうことだ、と考えていると、建物内からの気配がなくなり、私達はそちらに目を向ける。
「夏油が祓った呪霊が生得領域を発生させていたってこと?」
「いや、ズレがあった。それに中にも呪霊の気配がしてた。アイツが祓ったのかもな」
「まとめは後だ、救助に向かおう」
希望が見えた。私達は中に入っていくと、領域ではない古びたビルの中を進んで行く。すると、奥から重い足取りでこちらに向かってくる二人組が見えた。彼女と、先輩であろう男だった。すると彼女は私達に気づくなり笑みを見せた。
「五条くんに夏油くん、硝子ちゃんまで!来てくれたんだ」
「な……っ、東京校の?」
無事だと分かったが、丸一日、閉ざされた空間で彼女と二人きりだったこの男が恨めしい。私はそんな気持ちを隠しながら笑顔を向ける。
「どうやら外の呪霊が邪魔をしていたみたいだ。大丈夫?」
呪具を持っていない右手が震えていることに気づき、そっと手を取る。それに彼女は疲れなどないように笑顔を見せる。
「大丈夫大丈夫。ただ呪具を振りすぎちゃって。手の感覚がもうほとんどなくて……でも温かいね。ありがとう」
無理して頑張ったんだな、と私はその手を引いていくと、先輩はふと息を吐く。それに悟はそれで?と彼に問う。
「どういう仕組み?中の呪霊と外の呪霊、同時に祓わなきゃなんないやつとか」
「恐らくそうだと思う。生得領域内の呪霊は何度祓っても湧いて出てくる。外からの救援待ちだった」
大変だった、と息を吐く彼女に、私は彼らの言葉を聞きながら、なるほどな、と納得しつつ彼女の手を撫でた。
「一日中、気を張って祓い続けるなんて……疲れただろう。病院まで遠い、負ぶっていくよ」
「ありがとう、夏油くん。じゃあ、お言葉に甘えて!」
私が背を向けると、彼女はガバッと私の背中に飛びついてきた。元気そうだが、あまり力は残っていなさそうだ。そして素直で可愛い。私は彼女の脚を持ち、負ぶってやると、硝子は肩を竦めた。
「ムッツリめ」
「何とでも言いな」
私達はビルを出て、帳を抜けると、補助監督と合流した。それまでの間に彼女は私の背中で寝てしまっており、先輩が代わりに報告をすると、私達は二人の治療を受けさせる為に病院へと向かった。もちろん、硝子が心配な部分は反転術式で治していたものの、やはり体力的な所はちゃんと医者に診てもらった方が良いのだろう。
病院に送り届けると、京都校側の補助監督が引き継ぐことになり、私達は東京へ帰らなければならなくなった。彼女を無事に助けられたとはいえ、あまり話もせず帰るのは少し寂しいな、と感じていた。その気持ちが届いたのか、眠ったまま点滴を受けている彼女はふと目を覚まし、私を見た。
「あぁ……病院?」
「そうだね、もう安全だ」
「皆、ありがとう」
笑顔を絶やさない彼女はにこりと笑い、礼を言う。こんな時に訊くのもどうかと思うが、と私は携帯を取り出す。
「連絡先、教えてくれないかい?いつでも君の相談に乗るし、頼ってくれていい」
「勿論、いいよ。夏油くんも困ったことがあったら……いや、夏油くんは強いからそんなのないかもね」
彼女は携帯を探し、ポケットから取ると、私に手渡してきた。待ち受けはベンチで野良猫が眠っている写真であり、可愛らしいと思いながら、彼女の連絡先を登録し、私の分も彼女の携帯に登録しておいた。
「ありがとう、また連絡するよ」
「うん、忙しいのに来てくれてありがとう。それじゃあね」
彼女は手を振り見送ってくれ、私は病室から出ると、よし、と小さくガッツポーズした。それに悟は「は?」と声を上げると、硝子は私の心の声を代弁するよう、答える。
「連絡先、やっと貰えたから喜んでんでしょ」
「マジ?俺らもう既に知ってるよな」
「うん」
「は……?」
この二人、私がずっと恋しいと話していた中で、連絡先のことを黙っていたのか?私は二人を有り得ないだろうと見つめると、悟は察したようににやりと笑う。
「だって訊かれなかったし」
「ね」
「……彼女のことについて知ってる情報は全部私に伝えろ」
「「こっわ」」
私がどれだけ本気か、二人はまだ分かっていないのか。いや、ただ面白がって揶揄っているだけだな。とにかく、確実に距離を縮めたい。遠距離恋愛は辛い。
***
あれから数日後、彼女から『この間はありがとう!またお礼させてね』というメールが届き、浮かれていた。悟や硝子にも同様の内容のメールが送られていて、少し残念な気持ちにもなったが、彼女と会話のキッカケが出来ることが嬉しい。体調についてなど聞いていたが、また今度東京校へやって来るらしい。その時にまた会おうね、と言われ、それは私だけという情報に舞い上がるように嬉しかった。
「恋ってこういうことなんだね……」
「キショい、発情期か」
「はぁ……時間があれば、いつでも私から会いに行くのに」
「硝子の毒舌も聞いてないな」
私はメールの受信ボックスを眺めていると、彼女から丁度メールが届き、ドキリとする。向こうも私を気にかけてくれていたのだろうか。内容を確認しようと開く。
『今度の土曜、東京へ遊びに行くんだけど、案内してもらえないかな』
その言葉をデートの誘いではないかと解釈した瞬間、私はこの嬉しい気持ちをどこにぶつけていいのか分からず、咄嗟に机をドンと叩いてしまう。その瞬間、バリッと音を立てて、机は真っ二つに割れた。
「デ、デートの誘い……!!」
「いや、まずは机の心配しろよ、備品だぞ」
硝子の冷静な言葉に、私はハッとして割れた机を見る。修復は不可能だろう。しかし……
「ただ少し、彼女への想いをぶつけただけなのに壊れてしまった……」
「へー、じゃあその想いが強すぎたんじゃね?」
「いや、ただ腕力がゴリラなだけでしょ」
悟は興味なさそうに机にダラけながら携帯を弄っており、硝子はこっわ、と呟きながら、座ってる椅子ごと私から離れる。
「ていうか、マジでデートすんの?そんな進んでた?」
「土曜、東京へ遊びに来るらしい。その時に案内してほしいって」
「あぁ……それ、歌姫先輩と来るやつ」
「えっ」
「歌姫先輩と東京観光に来るらしい。私も一緒に行かないかって誘われたけど、土曜は予定があるから断った」
そんな話、初めて聞いた。私が彼女へ好意を寄せているのだから、教えてくれればいいのに。でも、誘いやすい同性の硝子の次に私に声を掛けてくれたのは嬉しい。まぁ、余程の面食いでなければ、悟には普通、頼まないと思うけど。
「……まぁ、二人きりじゃなくてもいいか。彼女とは会える時に会っておきたい」
「よくそんな熱心になれるよな」
「いい子だよ。歌姫先輩からの評判もいいし」
「……先輩にも情報、訊かないとな」
庵先輩とも仲が良いのか。あの二年の先輩以外にも、知り合いがいてよかった。そう安心しきっていると、悟はパチンと携帯を折り畳めば、私をジッと見る。
「なぁ、アイツのとっておきの情報、教えてやろうか」
「何かは知らないが、何でそのとっておきの情報を持ってるんだ」
「調べさせたから」
「は?」
「五条もあの子狙ってんの」
「え、俺は傑の為に調べたんだけどなぁ」
私の為になる情報って何だ。好みのタイプとか?と呑気なことを考えていると、悟は少し視線を逸らした。良いことではなさそうだ。
「土曜、君の好きなスイーツでも買って来るよ」
「どーも……まぁ、知って得するような話でもないけどな。呪術師の界隈では、女の扱いが悪い。それなりの顔、器量、あぁいうのが食い物にされる」
「……それって、」
「端的にいえば、許婚がいるのかどうかだろう?」
硝子の許婚≠ニいう言葉にドキリとする。やはりそれなりの術師の家系には相手がいるものなのだろうか。
「君の反応から察するに、いたってことかな」
「いいや、いなかった。非術師の家系だし、術式を受け継いでいるのは、アイツとアイツの兄貴だけ」
内心、ホッと安堵していたが、術師の兄がいたのか、と彼女の家系のことは頭に入れておいて損はないだろうなと考えていると、彼はここから、と携帯を右手でくるくる回して手遊びしながら話を続ける。
「アイツの兄貴、任務で死んでる」
「……そうか」
一年、呪術高専にいて身近に感じる死。彼女は兄を亡くしているのか、とふと息を吐くと、硝子も知らなかったようで、考えるように黙っていた。
「ま、調べた情報ってそれくらい」
「夏油にとっては都合がいいだろう。相手がいないっていうのは」
「そうだね。そういう事情も、兄弟の話で失敗しなくてよくなった」
いつも思い浮かべる彼女の表情はパッと華やぐような笑顔で。その笑顔が嘘だったとしたら。そう考えると、少しでも辛い考えがよぎらないくらい、心の底から笑えるようにしてあげたいと感じた。
土曜になり、彼女に指定された待ち合わせ場所へ向かう。人通りが多い駅前に、私服姿の彼女が一人、ぼんやりと辺りを眺めているのが見えた。制服姿しか見たことがなかった為、私服姿があまりにも可愛くて、口元が緩んでしまう。しかし、そんな緩みきった顔をしていてはいけない、と頬を叩き、彼女の元へ向かう。近づいていくと、彼女はすぐ私に気づくと、にこりと笑った。
「久しぶり、夏油くん!」
「やぁ、久しぶりだね。私服、とても可愛いね。似合ってるよ」
「ありがとう、夏油くんはいつも以上にカッコいいね」
そうはにかんだ笑顔が私の心臓を掴んで放さない。何もかも可愛くて、愛おしく思える。彼女の言葉が嬉しくて、緩みきった顔を隠すように手で口を覆った。
「……君ってさ、狡いよね」
「何が?」
「……ところで、庵先輩はどうしたんだい?」
用があって、少し離れているのかと思っていたが、なかなか帰ってこない。まぁ、二人で話せるのは嬉しいが。
「あれ、言ってなかったっけ。歌姫先輩が東京で用事があるっていうから、ついて来たんだ。先輩がいる時は先輩と観光してたんだけど……今はその用事が終わるまで一人なの。東京で一人観光は寂しいから、誘った」
言葉を理解するのに少し時間がかかった。二人きり、観光、デート……デートじゃないか!そう思うと、私は言葉に詰まる。それに彼女は首を傾げる。
「歌姫先輩がいた方が良かった?」
「いや、二人きりで嬉しいなと思っていたんだ」
「へぇ、何か夏油くんって誑しっぽい」
「そんなつもり、ないんだけどな」
あまり女誑しだと思われたくはないんだけどな。軽口は良くないか、と真面目に考えていると、彼女はそうだ、と手を叩く。
「夏油くんのオススメ、教えて?」
「あぁ、有名な観光スポットなら、」
「そうじゃなくて、夏油くんが普段行くような場所」
観光スポットを頭に叩き込んできたが、どうやら無意味だったようだ。私は普段行くような場所、としばらく考えてしまう。
「あ、もう行く所考えてくれてたかな……それなら、そっちでもいいんだけど」
「観光スポットは巡ってしまった?」
「どうだろう。歌姫先輩とは、東京にしかない店には行ったよ。服とか、スイーツとか……浅草も行ったかな」
もう、興味のある場所は行ってしまったということだろう。だからといって、私が普段から行くという場所は、悟や硝子の付き添いで行くような店ばかりでいい店はない。こんなことなら、普段からもう少しいい物を食べたり、硝子から情報を得ておくべきだった。
「じゃあ、お昼食べに行こうか。好き嫌いはある?」
「特にないかなぁ、何でも食べる!夏油くんの好きな物は?そのお店行こうよ」
「……蕎麦が好きなんだ」
「美味しいよね、皆で行ったりする?」
「任務帰りとかにね」
「いいなぁ、私、単独任務も多いからさ」
楽しそうだね、と話す彼女は、やはり共に過ごす同期がおらず、寂しい思いでもしているんだろうか。私達は行こうか、と歩きながら話す。
「東京校なら、もっと過ごしやすかったかもしれないね」
「そうだね。でも京都校に通いたかったんだ」
「そっか」
きっと、兄が通っていたんだろう。あまり深く聞くのもいけないと黙っていた。すると彼女は東京校のことが気になるのか、移動中の間、普段のことをよく訊かれた。それほど興味があるのであれば、来てくれたらいいのに、と思う。
蕎麦屋に着くと、彼女は嬉しそうに私のオススメのざる蕎麦を注文して食べた。幸せそうな彼女が愛らしくて、私を知ろうとしてくれているようにも思える。
「美味しいね」
「そう、だね……」
何だか普段の自分じゃないようで、私はドギマギしてしまった。するとポケットの中で携帯が震え、私はそれを取ると、夜蛾先生からであり、私は席を外して電話を取る。
『急にすまない、今日はどこかへ出掛けているか?』
「はい……急用ですか?」
『あぁ。オマエ向きの任務でな、戻って来るか、そのまま向かってくれないか。補助監督が向かう』
「それ、私じゃなくても大丈夫ですか?今、人といて……」
『非術師か?』
「いえ、京都校の……」
彼女の名を告げると、夜蛾先生はそれなら大丈夫だろう、と呟く。
『共に行ってもらってもいい。頼めないか』
「……分かりました。私だけで行ってきます」
『すまんな、頼む。詳細はこの後、補助監督が連絡する』
電話を切ると、私は席に再び座ると、既に完食している彼女は首を傾げる。
「大丈夫?用事?」
「すまない、急な任務が入ってしまって、行かなければならない」
「そっか……ねぇ、夏油くんさえよければ、私もついて行っていいかな」
離れ難いと思っていたが、彼女もそう思ってくれているだろうか。しかし、スカートにヒールを履いている彼女に、任務は向いていない。怪我をされては困る。
「……ダメだ。私の担当する任務は等級が高い。それに君は呪具も持っていなければ、格好も向いていない。必ず君を守ると約束出来ない」
残りの蕎麦を食べつつ、厳しいことを言う。傷ついてほしくはないし、楽観的な彼女はきっと、こう言わなければついて来るだろう。
「そっか。夏油くんがそう言うなら、やめておくよ。今すぐ行くの?」
「あぁ。一人で寂しくなるかもしれないが、」
「気にしなくていいよ。美味しい蕎麦も食べれたし、満足!」
「ごめんね」
大したことしてあげられなかった。彼女を優先したい気持ちがあるが、やはり呪術師として、任務は優先しなければならない。
私は会計を一緒にして彼女の分を奢ると、嬉しそうに「ご馳走様!」と笑ってくれた。
「次は私の方から出向こう」
「うん、楽しみにしてるね。あ、そうそう、これ!」
バッグから包みを取り出しては、私に手渡してくれた。何なのかと戸惑い、視線を彼女に向けると、彼女は包みをツンと突く。
「夏油くんの好みじゃなかったらごめんね。美味しそうなクッキー屋さんがあったから、買ったんだ。良かったら食べて」
「ありがとう、大事に食べるよ」
「うん、それじゃあね。頑張って!」
彼女はその場から去って行くと、私は思わず深いため息を吐いた。あぁ、今日は色々と失敗してしまった。次は彼女を楽しませれるようにしなければ……そう思いながら私は任務へと向かった。
これが、私と彼女の学生時代最後の会話になった。
***
あれからすぐ任せられた星漿体の護衛任務以来、あの二年の夏以降のことは、ほとんど覚えていない。何一つ余裕がなかった。
彼女から連絡が来ても、繕える気がしなくて、京都へ行く話もなくなってしまって。交流会も彼女の怪我によってなくなってしまったし、会う機会もなくなった。彼女からの連絡も途絶えてしまったが、それでも良かった。
もう私は、彼女を好きになっていい人間ではなくなったから。
美々子と菜々子を保護し、あの集落の人間を殺して、後戻り出来なくなった。後悔はない。もう会わなければいい、そう思っていたのに。
「えぇ!?何の力も篭っていないように見えるけど、御利益あるんですか!?」
猿の多い喫茶店、いや、猿しかいない喫茶店に仕事の為仕方なく入店したのだが、すぐにその声が聞こえて、思わずその声の方へ目を向ける。そこには彼女がいた。どうやら私とは関係ない宗教団体の女から壺を買わないかという霊感商法に乗せられそうになっているようだ。まぁ、そんな簡単に騙されるようなことは、
「百万円か……私、今はあまり貯金がないからなぁ」
「それならば、今回は特別に八十万円で大丈夫ですよ」
「本当ですか?それを買ったら教祖様に会えたり、」
ダメだ、この子はどこか抜けている。騙されやすいんだ。もう二度と会うものかと思っていたが、仕方がない。
私は席に案内されていたが、彼女の元へ行く。
「やぁ、久しぶりだね」
「げ、夏油くん!」
「えぇと、お知り合いですか?」
袈裟姿の私に、猿は戸惑っており、どこの宗教団体か答えつつ「そんな効力はありませんよね」と伝える。
「何を根拠に、」
「ごめんなさい、それに御利益があるかどうか、分かりませんけど、必要なくなりました。もう、見つかった」
彼女は「この場は支払いますので。すみません」と金銭を差し出し、その場は治った。猿が出て行き、代わりにその席に私が座ると、彼女は昔と変わらない笑顔を私に向けた。私はそんな笑顔を向けられるような人間ではない。
まだ私の中に残る恋心が揺らぎそうな気がして、やはりこの場から離れようと立ち上がるが、彼女に腕を掴まれる。
「待って。話そうよ」
「……猿に騙されるんじゃないよ。それに、私は戻らない。あの頃の私はもういないよ」
敵意は感じられない。説得しようとしているのか、と少し冷たく当たるが、彼女は優しく微笑みながら話す。
「夏油くんは昔みたいに助けてくれたし、何も変わらないね」
やめてほしい。私は君に、幸せになってほしいんだ。ここで君を攫ってしまいたいだなんて、思わせないでほしい。もう、断ち切ったというのに。
「私、ずっと探してたの、夏油くんのこと」
「何故?」
「ずっと、好きだったから」
「は……?」
その言葉に困惑する。そんなバカな、と戸惑っていれば、彼女は笑いだす。
「夏油くんって鈍感なんだね!私、自分なりに夏油くんのことを知ろうとしてたのに、いなくなっちゃって」
「……私に、ついて来るって言いたいのかい?」
内心、嬉しいやら複雑な気持ちが湧き上がる。私といることが、君の幸せになるとは限らない。いや、寧ろ不幸になる。
「もう、未練はない。私は夏油くんの思想についていけないかもしれない。でも、夏油くんを支えたい」
「そこまで、私を好いているの?」
「夏油くんは、おかしいと思うかもしれないけど、私は夏油くんと出会うべくして出会ったように思えた。運命だってね」
それは私が彼女に感じた感情だった。それを口にされた時、心でも読まれているのではないかとドキリとしたが、彼女は本心からそう思ってくれているんだろう。
「兄はマトモな人だった。とても真面目で、優しくて、何だか夏油くんは兄のように死んでしまうんじゃないかって、そう思ったの。でも夏油くんは強いし、人を殺してしまうようなイカれた部分もある。だから、まだ生きるんじゃないかって、そう思える」
「……バカだね、君は」
「私が夏油くんを支えるよ。誰かを殺せというなら殺してあげる。私は兄とは違う。こんなことが出来るくらい、イカれてるから」
何故、私は彼女に惹かれたのだろう。それはきっと、彼女も私に対して感じていることだろうと思う。でも、
「連れ去ってもいいかな」
「もちろん。私を連れてって」
私は彼女の温かな手を握る。嬉しそうに頬を紅潮させ「やっと会えた」と話す彼女に私は幸せを感じていた。
しかし突然、目の前の彼女の額からポタリポタリと赤い血が滴り落ちる。どうなっているんだ、と戸惑っていると、握っていた手は切り落とされ、ゴトリとテーブルの上に落ちる。それでも彼女は笑っている。まるで幸せだと言わんばかりに。
「ぁ……」
声が出ない。どうしてこうなった。私が彼女を受け入れたから、だから。
「夏油くん!」
ふと彼女が私を呼ぶ声がし、目を開く。そこは寝室のベッドの上であり、私はずっと、彼女の夢を見ていたようだ。とても、懐かしい夢。
汗をかいて、まるで首を絞められているかのように苦しかったが、深呼吸をして落ち着く。傍には心配そうに私を覗き込むパジャマ姿の彼女がおり、そっと引き寄せ、抱きしめる。
「悪夢でも見た?」
「……幸せな夢だったんだ。でも最後に君は……」
「私は夏油くんより先には死なないよ。安心して」
「あぁ、そうだね」
彼女は私を安心させるよう、髪を撫でる。いつか、彼女は呪詛師として死んでしまうのだろう。そうさせてしまったのは私だけれど、それでも、この一時の幸せは決して忘れない。
死ぬ運命にあるなら、君と。
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