落とし物
高専内の共用のスペース、そこには自販機と休憩出来るベンチがある。私は何気なくジュースを買おうとそこへ向かった時、ポツンと白いハンカチが置かれているのが目についた。誰かの落とし物だろうか、と手に取ってみる。
最初に目についたのは、血。時間が経っているのか、赤黒くなっている。次に目についたのはさとる≠ニいう刺繍された文字。そこで、それが五条くんの物であると気がついた。
名前入りなんて滅多にない。家族からのプレゼントだろうか。この年になってまで使っているということは、大事な物なのかもしれない。
五条くんはお坊ちゃんだし、手洗いなどしなさそう。そもそも、布に付いた血を落とす方法を知らないかもしれない。それなら私がやってあげたらいいのでは。そう思い立ち、私はそのハンカチを持ち帰り、シミを取ることにした。母から教わった方法でシミ抜きをし、手洗いで大事に洗濯をした。
いつもぶっきらぼうな彼は、礼を言わないかもしれない。それでもいいけど……
私はベッドに入りながら、ふとデスクに置いてある洗ったハンカチを見る。
「気持ち悪いかな……」
落とし物を勝手に部屋に持ち帰って、洗濯して返すなんて、人によれば気持ち悪いと感じてしまうかもしれない。ぼんやりと目を瞑っていると、そんなネガティブなことを考えてしまう。いっその事、明日は教室に行く前に、元あった場所にハンカチを置いておこう。五条くんが取りに来るかもしれないし。そう思いながら、私は眠りに就いた。
翌朝。早速、身支度を済ませて、共用スペースへ向かう。私はポケットからそっとハンカチを取り出し、ベンチにそれを置こうとした時だった。こちらへ向かって来る足音が聞こえ、私は反射的に背にそれを隠す。
そこにやって来たのは、大きな欠伸をしながらやって来た五条くん。私は動揺しながらも挨拶をする。
「おはよう、五条くん」
「んぁ?あー、はよ。何してんの?」
「眠気覚ましに珈琲、飲もうかと思って」
誤魔化すように自販機を見るが、彼は任務帰りだったのか、少し眠そうにしながら、ガシガシと頭を掻いている。
ここでハンカチを落としたことに気づいていなさそうだ。私はハンカチを拾ったということにしよう、と話を切り出す。
「ねぇ、五条くん。ここでハンカチ、落としたでしょ」
「あぁ、昨日ここで捨てたやつ」
「えっ?」
「もう古いし、汚れてたからさ、捨てたんだよ」
捨てた。その言葉に私は動揺した。もう既に、ハンカチを彼の前に差し出していたからだ。落としたのではなく、捨てたのか。彼は私の手元にあるハンカチを見て、首を傾げる。
「何?拾ったの?」
「あ……その、ベンチに置きっぱなしになってて……落とし物かと。刺繍もしてあるし、まだ使える物だって、」
血が付いたから、ここにあるゴミ箱に捨てようとしていたんだ。これをどうするべきか、と悩んでいる内に、彼は私の手からハンカチを取り、それが綺麗になっていることに気づく。
「ふーん、わざわざ洗濯したの?」
「あ、うん……」
本来、捨てるはずだった物。なのに勝手に勘違いして、やっぱり五条くんからしたら、これは気持ち悪い行為なのではないか?私は足元に落としていた視線を上に向けて、笑顔を作る。
「ごめんね、勝手なことをして」
「……いや、よく見たらこれ、俺が捨てたやつじゃない」
「へ?」
「俺が捨てたの、もっとボロボロのやつ。これは失くしてたやつ」
そう、私が洗ったハンカチを軽く持ち上げて私に見せると、そのままポケットに入れる。
「じゃ、俺は今から寝る。授業休むって夜蛾センに言ってて」
「あ、うん……」
五条くんは寮へ帰っていき、私は彼の言ったことを頭の中で整理する。
私が洗濯したハンカチは落とした物。でも昨日、ここでハンカチを捨てたと言っていた。それなら、と私は自販機横のゴミ箱を覗く。しかし、そこには誰かが飲んだであろう珈琲の空き缶しかなかった。
***
ハンカチの一件からしばらく経った頃、共用スペースに珈琲を買いに行った。まず最初に目についたのは、くしゃくしゃの状態でベンチに置かれた高専の制服のワイシャツだった。そのシャツをよく見ると、襟に血が滲んでいて、袖のボタンが外れかけており、右腕の布が少し切れている。
大きさからして、五条くんや夏油くんの物だろうと思うが、あのハンカチの一件を考えるに、ここに置いたのは五条くんだろう。洗えということなのだろうか。シャツなんて支給してもらえばいいのに。そう思いながらも珈琲を買った後、部屋に戻ってから、裁縫道具を出してはチクチクと裂けたシャツを縫い、ボタンも付け直す。シミ抜きをし、手洗いをしてから、夜干しをする。明日の朝には乾いているだろう。
翌朝、シャツを取り込むと、アイロンをかけてキッチリ畳むと、身支度をして教室へ向かう。そこには皆が揃っており、私は五条くんの目の前にシャツを置くと、夏油くんは疑問に思ったことを口にする。
「何で君が悟のシャツを?」
「落ちてたから」
「自分で洗えよ」
「いーじゃん別に」
彼はそのシャツを広げると、縫い目に気づいたようで、それを指で撫でる。その表情はどこか嬉しそうで。
「何か……恥ずかしくなってきた」
ダメだ。そんな顔されたら、自惚れてしまう。喜んでしまう。きっと、あのハンカチも嬉しかったんだろう。だから、今度はシャツもやってほしいと、あの場所に置いたんだ。
胸辺りがむず痒い、と私が机に顔を伏せると、夏油くんと硝子ちゃんの呆れたようなため息が聞こえてきた。
「今更、自覚する?」
「五条も五条だな」
「あ?何だよ。まだ使えるんだから勿体ねーだろ」
「部屋着のシャツが洗濯して縮んだってだけで捨てる奴の言う事じゃないね」
素直じゃない彼の行動に、私は掻き乱される。
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