逃げようか、


アサさんからのリクエスト。
(not離反  同僚  妊娠→隠して逃げだすお話)












いっその事、全て投げ出してしまえばいいのに。出来れば、私と一緒に。

傑が何かに頭を悩ませているのは知っていた。でも、それをはぐらかすように彼はいつも笑っていた。
取り繕えないくらい精神状態が参っていた頃に、彼は私の部屋へやって来た。何だか危うい彼を部屋に引き込んでは、話を聞いた。誰かが傍にいてあげなければいけない、そう思った。

きっと、私は傑の気持ちが理解出来る日は来ないのだろう。それでも、理解してあげようと、彼の真面目で危うい心を守ってあげようと思った。


「嫌なことは忘れよう。今だけでいい」


何か話でもして、楽しいことだけを考えていればいい。そう思っていたが、傑の指先がちょんと私の指先に触れたのを皮切りに、彼は私に触れ始める。
手に、頬に、唇に、指先が触れては、そこに唇を落としていく。
きっと、忘れるにはこれが一番だったのだろう。だったら受け入れよう。

この日が私達の始まり。
傑を受け入れ、愛するキッカケになった日。
彼がどう思っているかは知らないが、傑が私で嫌なことを忘れられているのなら、それはそれで幸せだった。



あれから何年経っただろうか。私達の関係は相変わらずであり、高専を卒業して、学生寮を出ても変わらない。
傑は今日も、深夜に私の合鍵を使って自宅へやって来てはベッドに潜り込んできた。
数日振りだ、と思いながら目を覚まし、少し冷えている彼の頬に触れた。


「冷た……」
「温めてくれるかい?」
「ん、」


傑は私の胸に顔を埋めてきており、まるで大きな子供、と彼の頭を抱えるように抱きしめた。
すると彼は私の背中に手を回し、直接肌に指を滑らせる。ヒヤリとしたその指に私は思わずびくりと身体を震わせた。


「……いい?」


嫌だと拒んだことなどないのに、毎回聞いてくる。私は「うん」と短く返事をすると、優しく彼の髪を撫でた。

そうして始まる。嫌なことは忘れ、快楽に身を任せるその行為は、彼に触れられている時間は、私にとって、幸せな時間だった。


呪術師にとって結婚は縁遠いものだ。
恋人と呼ぶには、私達の関係は甘ったるくなく、セフレと呼ぶには愛がある。


「涼華、こっち向いて」


優しく名を呼び、キスをくれる。
この人は生粋の人誑しで、私も誑かされる側の一人だ。だから、愛があるなんてこと、感じるのかもしれない。
傑は一言も、「愛してる」なんて言ってくれたことはない。
でも私は、愛してるんだ。

いっその事、全て投げ出してしまえばいいのに。出来れば、私と一緒に。

彼を悩ます非術師もいない田舎に隠居して、のんびりと過ごしたい。
家を持って、そこに家族がいる。子供もほしい。私と、傑の子だ。
でも、傑はそんなこと望まないだろう。


「何を考えてる?私に集中して」
「……傑のこと、考えてた」
「今の私を考え、見ていてくれ」


求められている。
それが分かる言葉とその行為にただ、溺れていく。


***


「あれ、オマエらって付き合ってねーの?付き合ってるって思ってたわ」


高専に部屋を持つ悟は、任務帰りでその部屋に向かう途中だったのだろう。
生徒達への手土産として買ってきた大福が見つかり、彼に取られてしまった。まぁ、話がしたかったのか、悟の部屋にそのまま誘われてしまったのだが。
傑の話をしていた時、違和感を持った彼は私達の関係は肉体関係だけに留まっていると知らなかったようだ。傑が話していそうなものだけど。


「付き合ってないならさ、何」
「……セフレ、とも違うような、でも恋人じゃない。傑次第だよ」
「ふーん、何だ、そういうもん?じゃあ僕ともしてよ」
「は?」
「セックス出来たらいいんでしょ。だったらさ、いいじゃん」


まさか悟からそんな言葉が出るとは、と戸惑っている内に、彼は私に迫って来る。


「ま、待って、それは私じゃなくても、」


ソファの背もたれに手をつき、座った私に覆い被さるように、顔を覗き込んでくる。


「性処理、困ってんだよね。オマエみたいなの一人いたら楽だよね」
「……私は、誰にでも抱かれたいわけじゃない。やめて」


悟を押し退けようと、そっと胸を押すと、タイミング悪く、扉がガラリと開く。
そこには傑がおり、悟は態とこのタイミングを狙ったのかも、と嫌な考えが頭を過る。
何を言うべきか、と戸惑っていると、悟は私からそっと離れる。


「バレちゃった?」
「バレたって何だい?態とだろう」
「それがバレたって話。つまんねぇ、もっと面白い反応とかないの?」
「呼び出されたと思ったら何だ。疲れてるんだよ。君のくだらないお遊びに付き合ってられない」


二週間振りかに会った傑は少し窶れているように見えた。
しかし、悟の冗談に気づいていたのならホッとした、と自分のことで胸を撫で下ろしていたが、悟が傑を呼び出していたのなら、私は邪魔ではないだろうか、とソファから立ち上がる。


「じゃあ、私は行くから、」
「悟、用件は」
「別に。高専にいるって聞いたから、揶揄いたかっただけ」
「そんなことだろうと思ったよ」


本当に?と疑ってしまう。時々、悟も傑は疲れてると言っていた。痩せてもいるし。無理をする所がある。
なのに、こんな意味も分からない悪戯をするのか?彼はそこまで無茶苦茶な男ではない、はず。
思わず悟を見ると、彼は相変わらず目元を包帯で覆っていて、表情が読めなくなっているが、ベーッと舌を出して人を挑発するような真似事をした。
それに私は彼の挑発に慣れることなく、イラッとしてしまう。


「さっきのはセクハラ。教師なんて本当に出来るの?」
「僕に出来ないことなんてないから!」
「……涼華、おいで」


悟と睨み合っていると、傑は私の手を掴む。何かあったんだろうか、と思っている間に、彼はそのまま手を引いて、その部屋から出ては廊下を歩き進む。
いつの間にか手を繋いでいて、何だか嬉しくなってしまった。


「あの子達に会いに行って来たよ」
「あぁ……美々子と菜々子。私も会いに行った。やっぱりまだ、馴染めていないようだね」


高専三年生の夏に、傑と任務先の村落で見つけた双子の女の子。彼女達は村民から迫害されていて、私達が引き取った。
あの時の傑の表情が今でも忘れられない。あの場に私がいなければ、傑は。


「今日、いいよね」


スリ、と彼は指で私の手を撫でる。
その言葉とその行動にドキリとした。私は頷くと、「良かった」と話す。
それに二人で自宅へと帰ると、玄関で靴を脱いだ瞬間に彼は私の肩を掴むと、強引に唇を奪った。
いつもの行為が始まる前のキスであり、すぐにでも服を脱がせようとしてきた。こんな所で、と私は彼の胸を押して止める。


「ん、待って、」
「……ん、今日は沢山しよう。最近、なかなか会えていなかったから」
「いい、けど……お風呂入ってからにしよう?」
「うん、じゃあ一緒に」


私の部屋の三分の一は傑の物で埋まっている。傑の服、傑用の皿、箸、マグカップ、歯ブラシ、シャンプー、あとは個人的な荷物。
傑はさも当たり前かのように、自身の服を取り出してきた。
一緒に風呂に入って、同じ香りに包まれる。上がると、洗面所で髪を乾かして、ベッドに入る。
誘うように足をスリ、と擦り寄せてくる。


「今日は激しくしてもいい?」
「嫌なことでもあった?」
「すごく」
「忘れる前に話しておく?」
「……いいや、いつもと変わりないからいいよ。涼華はいつも通り、私を見て、感じていて」
「ん、」


そうして行為は始まる。
傑が言った通り、今日はとても激しくて、とてもじゃないが、理性など保てなくて。
何度も何度も抱かれて。余裕なんて微塵も感じられない表情が愛おしくて、愛おしくて。

意識を失うまで、私は彼に満たされていた。

腹の中までも。



***



アフターピルを飲むのが遅すぎたのだろう。
気分や体調が悪く、まさかと思っていたが、妊娠検査薬で陽性反応が出た。
頭が真っ白になる。
暫くそのまま、手元にある濃い赤い線を見つめていた。
しかし、手の力が抜けて、それを落としてしまい、我に帰る。

これからどうするべきか、考えた時に私はやはりこの子を産みたいと思ってしまった。傑と私の子なのだから当然ではある。
でも私は呪術師で、傑はそれを望んでいるのか、と考えてしまう。
傑はきっと、子供は望まない。相手をどれだけ愛していたとしても、非術師の子供が産まれたら、愛せないかもしれない。
もし、私を受け入れてくれたとしても、きっと、


「逃げよう……」


私の結論はこれだった。
どうしても彼との子を産みたい。
非術師でもいい、特別な子でなくても、私は愛してあげたい。

産婦人科に向かい、正式に妊娠したと結果を出された後、私は逃げた。呪術界から、傑から。
何もかもを捨てて、私は子供を取った。この子の味方はきっと、私しかいないはずだから。





***





最寄駅から車で二時間ほどの山深い所に、私はいた。
呪いもほとんどいない、静かな場所で、私にとっては良い環境だった。
傑と過ごせるなら、こんな場所で過ごしていたかった。そう思って選んだ。
時々は町へ出て買い物したり、用事を済ませに向かう程度で、近所付き合いはほとんどない。
貯金を切り崩しながら生活をしており、育児は大変だが、家庭菜園を始めてみたり、充実した日々を送っていた。まだ一年と少ししか経っていないから、まだまだ右も左も分からないけれど。

今日も今日でいつも通り、土いじりをしていた。
その畑から家の中、息子が眠っているのが見える。まだ歩くような歳でもないが、やはり目を離すと心配になってしまう。
気にしながら間引きをしていると、そこに人影が向かって来ることに気がついた。
誰か来たのか、と思っていたが、来るまで来なければおかしい。何故、歩いて来るのだろうか。
そう思っていると、その正体がやっと目に見えた。

そこにいたのは、大きな荷物を持った傑と、美々子と菜々子だった。

バレないように行動していたつもりだった。
それでもこの場所がバレた。想定はしていたが、まさか傑が来るとは思っていなかった。特に美々子と菜々子も。何故連れて来たのか。追い帰すのが忍びない。


「やぁ、涼華」
「……何でここに?」
「心配でね。私に尽くしてくれた君が、いきなり何も言わず消えてしまうなんて」
「……理由は分かってるでしょ」
「まぁね」


傑は目を細め、家の方を見る。
すると、美々子がピンと私の服の裾を引っ張り、私を見上げる。


「涼華さん、来ちゃダメだった?」
「そんなことないよ。ただ、こんな場所だから、ちょっとね。どうぞ、入って」


私は彼女達の手を引き、家まで案内する。
縁側から靴を脱いで入って行くと、二人はベビーベッドを覗き、息子を見ている。
それに傑は縁側に座り、私に話し掛ける。


「来てほしくなかった」
「……何故、子供を隠そうとしたんだい?」
「それも、傑が一番分かってるでしょ?」
「……あぁ。分かってる」


なら、何で来たのだろう。
そう思っていると、傑は外を眺めながら話す。


「長期休暇を貰ったんだ。長い、とても長い休みを貰ってきた。だから、暫くはここで世話になるよ」
「……帰る気ないでしょ」
「美々子と菜々子はここを気に入ったようだからね」


すると息子が泣き始め、振り返ると、美々子と菜々子はパニックを起こしている。
私は家に上がり、泣く息子を抱き、あやしてやる。


「よしよし、大丈夫だよ」


そこに傑も上がって来ると、泣く息子の顔を覗き込み、人差し指を立てる。指先から彼の取り込んだ呪霊が顔を覗かせる。


『だ……い、大丈夫、だよ、大丈夫』


その呪霊の言葉もあってか、息子はピタリと泣き止んだ。何かを感じ取ったのか、聞き取ったのか、見えているのか。
でも確かに、息子の目に呪霊が映っていた。


「う、う、」


触れたい、というように声を上げて呪霊に向かって手を伸ばす。
しかし、傑は触れさせることなく、指先からその呪霊を消す。
その代わりに、目の前にあった傑の指をひしと握った。傑はそれにくつくつと喉を鳴らした。


「私に似てるんじゃないか?」
「それは困る」
「酷い言い草だ。まぁ、でもそうだね。お母さんに似るんだよ」


そっと指を離させると、まるで壊れ物を扱うかのように、息子の頭を撫でた。
その様子を見ていた美々子と菜々子は、不安そうに私達を見上げた。


「私達、ここにいていいの?」
「涼華さん、私、赤ちゃんの面倒見るよ」


この言葉に、傑はどうであれ、他人と馴染めない美々子と菜々子をここへ置いて行く気だったんだろう、と察しがついた。
彼女達もまた、非術師に良い思い出がない。傑の精神面が更に危うくなったのも、二人のいた集落の件もある。
この子達も、見てあげなきゃ。


「好きなだけここにいて。また山の中だけれど、今度はきっと、楽しいから」


彼女達は目を輝かせる。それに傑は優しく笑い、美々子と菜々子、息子を撫でると、最後に私の肩を引き寄せ、二人の、いや三人の子供達の目を気にせず、私にキスを落とした。


「私達は家族だよ。愛してる」


その言葉が、どれだけ私にとって大きいものか。彼はそれを分かっているんだろうか。

それでも、私達はこの地で家族となった。
彼の優しい眼差しが、ただ心地よい。
きっと全てを投げ出した私達は、ここで幸せになれる。そう、信じたい。












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