自由が似合う人。
※悲恋
あの人は呪力がないらしい。
でも、とても強い。
禪院家の女中、同僚と呼べる人間達がそう噂をしている。
禪院 甚爾の扱いは酷いものだった。
彼の給仕を任された私は、嫌でもそれを耳にしていた。
「本当大変ね。あの人の給仕なんて」
「え?あぁ、そうでもないですよ」
私は適当に同僚の彼女の話を聞き流していた。
すると彼女はハッと私の背後を見て、ササッと廊下の端へ向かい、私も誰かがいるのだと察して、彼女と同様に下がる。
しかし誰がいるのかとチラリと見ると、そこには甚爾さんがいた。
「これ、汚したから洗濯しておいてくれ」
「畏まりました」
渡された着物を受け取ると、彼はそのまま通り過ぎて行った。
聞かれていたのだろうか。きっと彼女は甚爾さんについて何か言ったのだろうが、私は何一つ聞いちゃいなかった。
どこをどう汚したか分からないが、特に汚れも見当たらない着物を洗濯し、日暮れ頃、部屋に届けに向かった。
ほとんど何も置かれていない殺風景な部屋に寝転び、本を読んでいる甚爾さんに、私は声を掛ける。
「お洗濯が済みました。しまっておきますか?」
「あぁ」
私は箪笥に着物をしまい、崩れた状態の羽織りが置かれているのを手に取り、畳んでいると、彼はなぁ、と声を上げ、本を閉じた。
「出て行くわ」
「え?」
「この家」
「そう、ですか」
きっと、誰も止めやしないのだろう。私も止めない。彼は禪院家にいない方が幸せだ。こんな場所、すぐに出た方がいい。
「……オマエも行くか?」
その言葉に驚いて、私は思わず羽織りを畳む手が止まってしまう。
「私、ですか?」
「俺の給仕をさせられるくらいだ、手際が悪くて、雑用ばっか。見下されてる。別にいい仕事があんだろ」
私が禪院家で働きだしたキッカケは何だったっけ。
何故、甚爾さんの給仕を任されたんだっけ。
でも私なんかいても、彼は幸せになれないんじゃないだろうか。
「甚爾さんといても、私は何の役にも立ちませんよ」
ずっと、彼が嫌がらせを受けていても、見ていることしか出来なかった。何一つ彼の役に立たなかったのに、ここから出て行っても、禪院家の嫌な思い出と共に彼を縛りつけてしまうのではないだろうか。
禪院家は最低だ。まるで地獄。だから私は、また彼が戻って来てもいいように。
「そうか」
「……荷物の準備をしましょうか」
「あぁ」
用意したバッグに、荷物を詰め込む。洋服や、最低限必要な日用品、こっそりと、少しばかりのお金も入れた。
その日の夜には、出て行くという。
夜、私は彼の送ることにした。
変わらない彼の仏頂面を見て、私は胸がきゅうと締めつけられた。
きっと戻っては来ない。お別れだ。甚爾さんはこんな場所にいる人ではない、分かっている。
「貴方は自由が似合う人だから、きっと、」
いい人がいる。
そう言おうとしたが、言葉に詰まった。
俯いていた私の顔を上げさせるように、彼は私の頬に触れた。自然と彼を見上げると、甚爾さんは私の唇にキスを落とした。
「っ、」
そして、彼はその場を去っていった。呪いが見えない彼は、私に呪いを残して、そのまま帰ることはなかった。
***
禪院 甚爾の訃報を聞いた。
いや、今は伏黒 甚爾だったか。
彼には妻子がいたことも、そこで初めて知った。
何も、何も知らなかった。
でも、彼は自由に生きられただろうか。愛する人の側で、幸せに暮らせたのだろうか。
「私はずっと、地獄にいるというのに」
もう帰って来ないと分かっているこの地獄に、何故、私は留まり続けているのだろう。
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