心の声が静かな夏油くん
昔から人の心の声が聞こえた。
人の本音も建前も聞こえて当たり前で。
でも人と違うことを悟られたくなくて、いつも人の顔を見て話しをする。
呪術高専にやって来て、生徒の数も少ないからと安心していた。
五条くんの心の声は発声しているのではないか、というほど大きい。
硝子ちゃんの心の声は表裏のない、小さな独り言のようなもの。
そして、
夏油 傑の心の声はとても静かだ。
普通の人は心の中の独り言が多く、絶えないこともある。
それでも彼は無心に近いのか、私が聞こえていないだけか。時々ちょっとした本音がポツリと見え隠れするくらいだ。
本音か建前か、区別のつかない彼は扱い難くて。
でも彼と過ごす時間は静かで穏やかで好きだった。
入学して一年が経とうという今日、私は夏油くんと二人で任務だった。
街の一角にある廃ビルに呪霊はいた。
特に何の苦労もなく私達は呪霊を祓うと、夏油くんはそうだ、と話す。
「さっき、ドーナツ屋があったよね」
「あったかな……見てないや。夏油くんって甘い物好きだっけ」
「嫌いでもないけど、普段あまり食べないかな。ドーナツ屋と言ったのは、悟が見かけたら買って来てくれと言ってたから。それに、涼華も食べるんじゃないかと思って」
ドーナツか、しばらく食べていないような気がする。
私はたまにはいいね、と頷く。
「買って帰る?硝子ちゃんは甘いの苦手だから、別のをお土産にして」
「そうだね、そうしようか」
補助監督には自分達で帰りますと伝えて、ドーナツ屋へ寄る。
オープンしたばかりのその店の客の大半は若い女性だ。
その容姿と女性達から頭ひとつ分くらい背の高い男性である夏油くんは目立つし浮いている。
五条くんはこんな店に夏油くんを一人で行かせようとしていたのか。ちょっと寄って買って来て、みたいな軽いノリで来るもの?
雑踏の中で、夏油くんがカッコいいとか、私が恋人かと疑うような心の声も聞こえ、少し戸惑う。
やはり人混みは苦手。人の心の声が入り乱れ、疲れてしまう。
「オープンしたばかりだから、人が多いね」
「そうだね……」
女性の声が多い為、夏油くんの声は分かりやすかった。
並んで、どれがいいか、と話し合って買っていく。
一つくらいは店の中で食べようか、ということになり、アイスコーヒーと共にドーナツをいただくことにした。
「美味しいね。見た目も可愛い」
「これは女性客が多いのも分かる」
すると、並んでいた客の中に中学の同級生を見つけ、同時に彼女と目が合った。
「涼華じゃん!」
彼女は一緒に来ていた友人に一言声を掛けてから、私の側へ来る。
夏油くんもそれに気づき、彼女を見た。
「友達かな」
「あ、うん。中学の同級生で」
「久しぶり〜」
『相変わらず、地味だな〜』
君が派手なだけだよ……
彼女は夏油くんの顔を見ると、目を丸くする。
『え、かっこいい、彼氏?そんなまさか』
彼女は可愛らしく夏油くんに自己紹介する。
やっぱりモテるんだなぁ、と考えていると、夏油くんは席から立ち上がる。
「少し、席を外すよ」
「えっ」
「トイレだよ」
彼なりに気を遣ってくれたのだろうか。
そのままトイレに向かうと、彼女は私に声を潜めて尋ねる。
「もしかして彼氏?」
「違うよ、同級生……課題があって、こっちまで出て来たんだよ」
「本当?すっごいかっこよくない?優しそうだし!連絡先欲しい……」
『涼華に連絡先渡しといて良かった〜!最近全然連絡してなかったけど』
「それは夏油くんに聞いてみないと」
「彼女いるのかな」
「さ、さぁ……そこまで深い話するような関係でもないし」
あまりそういった言葉は聞いたことがない。
いないんじゃないだろうか。
私はただただ笑顔を作って話をした。
「彼女いるか聞いてよ〜」
「え、えぇ……」
「好きな人とかさ」
『ていうか、どこの学校だろ。それすら聞いてなかったなぁ』
すると、彼女の友人達が彼女の名を呼んだ。
それに行かないと、と彼女はそれじゃあ、と手を挙げる。
「また連絡して!」
「うん……」
彼女は別に悪い人じゃない。
でも何かこの二人が付き合ったりしたら……何かモヤっとするかも。
それでも一応聞くか、と思いながら、残ったドーナツを食べていると、そこに夏油くんが帰って来る。
「話はもう済んだのかな?」
「うん。彼女、夏油くんの連絡先が欲しいって言ってたんだけど……」
「うーん……」
『彼女と友人の関係が悪くなってしまうかな』
「……あの子とはあまり連絡を取ってなかったから、驚いたよ」
私のことは気にせず、断りたいなら断ればいいのに。
優しいな、なんて考えていると、彼はそうか、とアイスコーヒーを飲みながら話す。
「なら、断っておいてもらえるかな。私には好きな子がいるからね」
「そうなんだ……じゃあ、断っておくよ」
好きな人いるんだ。どんな人だろう。
彼の心の声は聞こえて来ない。
聞きたいことが聞けないなぁ、もどかしい。
他の人なら聞こえてくるようなものなのに、何で夏油くんは聞こえないんだろう。
個人差はあるとはいえ、こんなに静かな人は初めてだ。
私達は硝子ちゃんに土産を買い、高専に帰ると、教室で報告書を書く。
今回は私が書くよ、とペンを走らせた。
夏油くんは何も話さないが、その代わりに視線を感じる。
私は何か話そうかと口を開こうとした時だった。
『好きだなぁ』
静かな教室でポツリと聞こえたその言葉に、私は思わず夏油くんを見ると、視線が合った。
「ん?どうしたの?」
何が好きだったのだろう。
視線の先は私で、好きだなぁと呟いた。
自惚れていいんだろうか。
「ジッと私を見てるから。もしかして夏油くん、私のこと好きなの?」
まさか、と冗談っぽく笑って言ってみると、彼は図星だというように、目を丸くした。
『何故バレた?』
『そんなに見つめてたか?』
『いや、そもそもドーナツ屋で好きな人がいると言ったからか?』
『どう誤魔化す?いや、誤魔化していいものか?』
たった数秒間でこれだけの彼の心の声が早口で一気に押し寄せて来た。
こんなことは初めてだった。
まさか、本当に?本当に私が好きなの?
「ふふ、バレてしまったかな」
『これを冗談と捉えるか、本気と捉えるか』
彼女次第だ、と夏油くんは全てを私に丸投げして来た。
あぁ、どうしよう。何て答えたらいいの?
『顔が真っ赤。これは、伝わったかな』
そう心の声を聞いて、自分はそんな顔をしているのか、と戸惑う。
すると、それが答えだと彼は感じたのか、そっと私の頬を撫でると、唇を寄せた。
息がかかる距離まで近づいたと思えば、教室の扉が開く。
「傑!あのドーナツ買ったってマジ?」
そこにやって来たのは五条くん。
私達のこの状況を見て、彼はポカンとする。
『え、そんな関係だったの?』
「こ、これは、その……!」
私は慌てて弁解しようとすると、夏油くんは机に置いていた五条くんと硝子ちゃんへの土産を彼に投げた。
「あげるよ。硝子にも渡しておいてくれ……分かるだろ、悟」
「はいはい」
彼はそのまま出て行くと、私はキスしそうになったことに今更ドキドキと鼓動が速くなっていた。
「続き、してもいい?」
「えっ」
『答えなくてもするけど』
そうして私達は唇を重ねた。
『力が入ってる。可愛い』
今までほとんど聞こえなかった彼の心の声はどんどんと溢れ出す。
『好き』
あぁ、今までにない心地良い沈黙をくれるだけではなく、欲しい愛も本音も、全てくれる。
私は誰にも聞こえない彼の心にまで惹かれていく。
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