夏の熱視線





 私は他人の視線に敏感だ。
 小学生の時に呪霊が見え、襲われ、騒ぎを起こしたことから、人から頭のおかしい奴だと距離を置かれるようになった。それからは他人の視線を向けられると、落ち着かなくなってしまう。しかし、呪術高専に入学してからはそんな心配はしないようになっていって、それもこれも遠慮のない同期達のおかげだろう。
 それでも根暗な性格は変わらない。
 空気を読んだり、馴染んでいるつもりだけど、夏油くんには見透かされているような気がした。
 彼の視線がそれを物語っている。
 五条くんと話している時、夏油くんの視線を向けられていると気づき、どうしたの?と声を掛けると、彼は何のこと?と笑顔を向けるだけだった。それが少し、怖かった。
 それから夏油くんの目を見るのさえ躊躇うようになった。いつの間にか向けられている視線が私の視線と交わることはなくなってしまった。


***


「夏油くん、怪我したの?硝子ちゃんに治してもらった方がいいよ」

 たまたま校舎で任務帰りの夏油くんと会った。彼は手の甲を切ってしまっており、その痛みを想像することは容易い。じんわりと、そして脈打つようにズキズキと痛むんだ。私ならすぐに硝子ちゃんに頼ってしまう。勝手に想像し、無意識に顔を顰めていたのだろう、彼はそれを見てふと笑った。

「私と痛みを共有してるようだね」
「だって私もよく怪我するし……他人の傷を見るとゾワゾワしない?」
「気持ちは分かるけど、そんなに顔を顰めはしないよ」

 夏油くんは少し俯く私の眉間の皺を伸ばすように人差し指をそこに押しつけると、私はそれにつられて顔を上げ、彼の顔を見た。視線が合うと、私はつい彼の首へと視線を逸らしてしまった。

「とにかく、怪我を治してもらって?」
「……そうするよ」
「じゃあ、またね」

 逃げるようにその場を去ったが、前とは違った優しい目に戸惑ってしまった。他と、何が違ったというのか。


 何か呪いが込められているのでは、というほどの強い視線。寮の共有スペースの窓の外、背後から感じるそれに振り返るべきかと悩んだ。それが夏油くんだと知るのがなんだか怖かった。何かしてしまっただろうか、と昔感じていた不安が再び蘇ってくる。
 途中で買った昼食のたまごサンドを食べていると、足音が近づいてき、夏油くんが顔を覗かせ、隣に座った。やっぱり彼だった、と少し緊張する。

「お疲れ様。私も何か買って来ればよかったよ」
「お疲れ様。食べる?」
「いいの?」
「うん、まだあるから。フルーツサンドだけど」

 私は帰り道にあったサンドイッチ屋で買ったフルーツサンドを見せると、夏油くんはありがとう、とそれを受け取る。

「珍しいね。米派だと思ってたよ」
「そうなんだけど、たまたま五条くんが美味しいって言ってたサンドイッチ屋さんがあって、食べてみたいなぁと思って」
「あぁ……なるほど。悟が好きそうな物だ」

 彼は具沢山なフルーツサンドを食べると、私も同様に食べる。たまにはいいな、と感じながら残り二つとなったフルーツサンドを見た。

「五条くんに頼まれてたんだけど、一つくらい食べたっていいよね、内緒」
「二つあるんだから十分だ」
「だよね」

 声色は優しい。しかし、チラリと見た彼の目は少し怖かった。何を考えているんだろう、美味しくなかっただろうか。私のことが嫌いなわけではないと思うが、明らかに彼の視線は私の胸に深く深く突き刺さる。先に食べ終えた夏油くんはジッと私を見てきて、ただ緊張する。クリームの甘さも、フルーツの酸味も今はあまり感じられない。

「美味しくない?」
「えっ」
「少し甘すぎたんじゃないか?私も少し甘いと感じたな」

 黙って見ていた彼の唐突な問いに、私は戸惑い、間抜けな声を出してしまったが、その問いに答えを出そうと、フルーツサンドを最後まで食べて話す。

「……確かに、甘いものは好きだけど、私には甘すぎたのかも。五条くんはそれを三つも四つも食べてるからすごいね」

 いつも目ではなく頬や口元辺りを見て話しているが、彼の目は少し冷たいものに変わっていて。嫌われたくはない、さっきまで優しかったのに、と疑問や不安が頭の中でぐるぐるしていた。

「私が怖い?」
「い、や……」
「君は顔に出やすいから。でも何がダメだったのか、分からない」

 バレていた、とつい息を呑むと、彼は大丈夫だよ、と優しく笑う。どうしよう、と目を逸らすと彼はそっと顔を覗き込んでくる。その目は優しい。

「……私は視線に敏感で。夏油くんの視線がちょっと突き刺さるなぁ、なんて、」

 直接怖いとは言わずになるべく笑顔を作って言ってみる。それに夏油くんはあぁ……と呟き、暫く黙り込む。視線はこちらになく、私は隣を見ると、真っ直ぐ前を見て、考えるように口元を片手で覆っていた。心なしか彼の頬は紅く染まっていて、ただただ驚いた。

「……いつから気づいてた?」
「結構前から」
「そう……すまないね、居心地が悪かっただろう。君がいつも気づいてくれるから、つい」
「そんなに見てもいいことないよ」
「怖がられてるなら、少し後悔するね。でも、つい目で追ってしまう……そんなこと、ない?」
「え、ないかな……」

 夏油くんはぼそりと手強いな……と呟く。今まで向けられたことのない、気味が悪いなどの、悪意とは違う別の何か、それを知りたいと思うが、訊く勇気はない。

「いつも怯えたようにするから、なるべく優しくしようって思っていたんだけど。ゆっくり、私のことを知ってもらえれば、と」
「ご、ごめん……」
「謝るのは私の方だよ。ちゃんと言わないと伝わらないね」

 そう、彼はそっと私の顎に手を添えると、自分に向かせる。

「目を見て聞いて?」

 夏油くんは目を細め、私に熱の篭った視線を向け、バッチリと視線が合った。それがどんな意味か、全てを理解した瞬間に好きだよ、という甘い言葉と触れ合った唇、まるで少女漫画のような展開が起こった。顔に熱が集中し、うるさいほど鼓動が速くなった。唇が離れると、彼はにこりといつもと同じ笑顔を見せ、残りのフルーツサンド二つを取る。

「悟の為に買って来たの、少し腹が立つから食べてしまおうか」

 彼はそう言って甘いね、と話しながら食べる。
 我に帰った私は、やっと今、フルーツサンドのクリームの甘味を感じられた。






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