ヤンキー恐怖症
昔から虐められていた。
人に嫌がらせをして何が楽しいのか。
人を殴って何が楽しいのか。
彼らの不気味で卑しい、ゲラゲラと笑う声が今でもトラウマで。
私を虐めた人間のほとんどが、不良と呼ばれる類の人間だ。ヤンキーともいうのか。
服を着崩したり、ピアスを開けたり、髪を染めたり。
喧嘩っ早くて、すぐ手を出す。暴力は怖い。
それを見ているだけの人間も嫌いだが、きっと私だって標的が自分になってしまうのが怖いから、同じことをする。
だから彼らを悪く言う資格はないのだと思うけど。
それでも私は、誰かに助けて欲しかった。
***
ヤンキーに絡まれる呪いにでもかかっているのだろうか。
学校内でも外でも、私はよく絡まれる。
だから何度か理由を聞いたことはある。
何となく。暗いから。不気味だから。ヤらせてくれそうだから。生意気だから。
今回は何だろう。
ヤらせてくれそう、という理由だろうか。
私は今、コンビニに来ただけで絡まれている。
田舎から出て来て、東京都立呪術高等専門学校に向かう為に出て来た。
しかし、新幹線で体調不良を起こした乗客がおり、一時停車した。
その体調不良の原因としてその乗客は呪われており、私が祓ったが、遅れたことに変わりはない。
その所為で入学を一日遅らせることになり、深夜に東京に着いた私は駅近くのホテルに泊まることにした。
朝、その駅まで迎えに来てくれるということで、お腹が空いたから近くのコンビニに寄った、それだけ。
何で絡まれなきゃならない。
「どこの学校?」
「学校にキャリーバッグ持ってくの?」
「あ、修学旅行?」
怖い。
私はとりあえず逃げたい、と応えず行こうとするが、足を出してキャリーバッグを止められた。
ニヤニヤと笑い、私の反応を見て楽しんでいる。最低な奴らだ。
「あれ、友達かな」
声のした方を見ると、そこにボンタンを穿いて、耳に大きな黒いピアスを付け、少し垂らした前髪が特徴的な長身の男がいた。
ボタンで呪術高専の制服だと分かり、同期なのだと思いながらも、ヤンキーが一人増えた、と内心感じていた。
「知り合い?」
「絡まれました」
「そうか、じゃあどこかへ行ってくれないか」
一九◯センチ近くはあるのではないだろうか、という高身長のがたいの良い男に笑顔で威圧されれば、相手にしたいとは思わないだろう。
目には目を。ヤンキーにはヤンキーを。
彼らはその場を去っていくと、私は初めて救われたと感じたが、彼もヤンキーだ。
「新入生だよね。迎えに来たんだ」
「あぁ……はい、そうです……その、ありがとうございます」
ちょっと怖い。
目を合わせずにそう言えば、どういたしまして、と彼は辺りを見回すと、おーい、と声を上げて、茶髪で右目の下の黒子が特徴的な女子と、彼以上に長身で白髪、丸いサングラスを掛けた男子がいた。
私は女子はともかく、ヤンキーが二人になった、と緊張してしまう。
同級生なのだろうか。だったらこの先、ちゃんとやっていける気がしない。
でも、ちゃんとしないと、と私はなるべく丁寧に自己紹介し、頭を下げた。
「壱紀 涼華です。よろしくお願いします」
「家入 硝子、よろしく」
「私は夏油 傑だ」
「五条 悟」
この呪術界にいて、五条 悟の名を知らない者はいない。
だけど、こんなにガラが悪いとは思わなかった。
同級生三人のうち二人、ヤンキーじゃないか。
「大丈夫?」
顔色悪いよ、と家入さんは声を掛けてくれた。
私は大丈夫、と笑顔で返す。
良かった、家入さんはドライそうに見えるけど、優しい。気を遣ってくれる。
「面倒くさ。入学して翌日にやること、同期の迎えとか」
「夜蛾先生が言ってただろう。実習も兼ねるって。面倒でも口に出すな」
彼女の目の前で、と夏油くんは五条くんを注意する。
夏油くんも少なからず、面倒くさいとは思ってるんだな、と感じる言葉だ。
やっぱりこの人達苦手だ。
「気にするな、私といよう」
「あ、ありがとう……」
家入さんとは仲良く出来そう。
その後、担任の夜蛾先生の元へ向かうことになった。
「荷物持とうか?」
「いえ、結構です……ありがとうございます」
夏油くんは優しく接してくれるが、とにかく見た目と、その優しさや笑顔の裏が気になって仕方がない。
夜蛾先生はどんな人だろうか、と思っていたら、車の前にがたいの良い何というか……プロレスラーみたいな風貌の人がいて、これはこれで怖い。教育指導の先生みたい。
初めまして、と自己紹介し終えると、荷物を車に置いておくように、とトランクに入れられた。
さっき夏油くんが言っていたように、実習があり、これから呪霊を祓いに行くようだ。
呪術については、去年亡くなったお婆ちゃんによく聞かされていた。
術式も何となく使える、だから新幹線で祓えた。
目的地に辿り着くと、五条くんと家入さん、夏油くんと私に別れさせられ、呪霊を祓うことになった。
「昨日、新幹線で人を助けたんだって?すごいね」
「いえ……たまたまです」
「そうやって人を助けられるってことは、いいことだろう?見て見ぬふりをする人だって多い」
「……呪いが見えるのは、私だけだったので」
「呪術師がいたらやらなかったってこと?」
「分からないです、その時になってみないと」
祓っていいものか悩んだ。
でも、誰も助けてくれないんだろうな、とか、放っておいたらこの人は死んでしまうんだろうな、と考えると、助けないと、という気持ちになった。
私だったら助けてほしいから。
「そうか。どうして呪術高専に?」
「……亡くなったお婆ちゃんが、呪術師なんです。呪術高専に行けば、気の合う人がいるんじゃないかって」
でもその内二人はヤンキーだったよ、お婆ちゃん。今もちょっと怖い。
「そうなんだね。私達もこれからだ」
「う、ん?」
どういう意味だろう。
とにかく私は軽く距離を取りながら進んでいく。
すると呪霊が飛び出してき、私は咄嗟に祓おうとするが、別の呪霊が出てきて、それを祓う。
「えっ」
「呪霊操術、私の術式だよ」
「そ、そうなんですね」
そんな術式があるのか、と見ていると、呪霊は夏油くんの手のひらに吸い込まれていき、黒く丸い物に変化する。
そして彼はそれを飲み込んだ。
少し苦しそうに見える。
「あまり、気分は良くないよね」
「……すごい、術式だと思います」
「ふふ、ありがとう」
そこまで、悪い人じゃない?
いやでも、ボンタンだよ。あの大きいピアスだよ。
笑顔で人を殴るタイプかもしれない。
ここまで人間不信にならなくていいとも思うが、怖いものは怖いのだ。
あの切長の目も、髪型も、服装も。よく分からない笑顔も。
私はヤンキー恐怖症だ。
***
「うっ、うぅ…」
「傷つくなー、そんな怖がられると」
じゃあ向こうに行けばいいのに!
今、私は五条くんに教室の角にまで追い詰められてます。
先に教室に行くと、五条くんがいて、少し距離を取っていると、何で避けてんの?と問われ、別に避けてないです、と返した。
近づいてくる彼に、距離を取ろうとする私。
でも、呪術界最強と呼ばれる彼相手に逃げることなんて、力も気持ちも弱い私には出来なくて。
結局、私は部屋の角にまで来て、頭を抱えて丸くなってます。
それを面白おかしく見下ろす五条くん。
背が高くて顔の綺麗さも相まって威圧感がある。怖いです。
「何してるんだい、悟」
「傑、見て。ダンゴムシ」
夏油くんの声がした。
ダンゴムシ……丸まってる私のことを指して言ってるのだろう。勘弁してほしい。
「はぁ……やめなよ。怯えてるだろう」
「何で怖がられんのか分かんねーんだけど」
「女の子には優しくしないと」
「優しいじゃん、ねー」
いや、怖いです。
ニヤニヤと笑いながら一九◯センチの男が追いかけてくるの。
何も答えずにいると、彼はチッと舌打ちした。
「こんなんで呪術師勤まんのかよ」
「呪霊相手なら大丈夫だろう。ほら、悟を離したから大丈夫だよ」
優しい夏油くんの声に顔を上げると、さっきまで目の前にいた五条くんは机の上にドカリと不貞腐れて座っていた。
しかし、その代わりに夏油くんが目の前にいる。
「うぅ……ごめんなさい……」
「ギャハハ!傑までビビられてやんの!」
「……ダメか。私も離れるよ、大丈夫」
椅子を引く音がし、顔を上げると、席まで戻っていた。やっと安心出来る。
胃が痛むし、心臓の音がうるさい。
「悟は分かるけど、私ってそんな怖い?」
「鏡見ろよ。てか、俺の方が怖くないでしょ」
「顔より態度を改めたらどうだい?」
中身入れ替えたら怖さも半減したかも、なんて言うと怒りそう。
うぅ、早く家入さん来てほしい。
そう思っていると、遅れて家入さんがやって来る。
「何してんの」
「ダンゴムシの観察」
「意味分からん」
「私達が怖いみたいだよ」
「可哀想に。虐められた?あんなクズ共放っておきな」
「クズ認定早すぎ」
「う、家入さんだけが癒しです……」
「怖いって認めたね」
家入さんが来て、安心しきって洩れた言葉。やってしまった、とハッとした。
ごめんなさい、と家入さんの背に隠れれば、彼女は大丈夫大丈夫、とケラケラ笑った。
・
「おはよう、涼華」
「……!」
自販機でジュースを買おうとした所に現れたのは夏油くん。
夜更かしして小説を読んでいたから、うとうとしたり、ボーッとしていた。
思わずビクリと身体を震わせ、ピッと押したものはブラックコーヒー。
やってしまった。でも飲めないことないだろう。目を覚ますにはいいかも。
それよりも、いつの間にか隣にいた夏油くんを見る。
「お、おはよう……」
「自販機の前で立ったまま寝てるから驚いたよ。目覚めにブラックコーヒー?」
「あ、いや……隣のカフェオレにしようと思ってたんです……でも、何とか飲みます」
段々と夏油くんとの会話は慣れ始めていた。
五条くんと違って高圧的じゃないし、ただちょっと……見た目が怖いだけ。大きいし。
すると、夏油くんは失礼、とその自販機にお金を入れ、カフェオレを買うと、はい、と私にそれを差し出してくる。
「交換しよう。私はブラックコーヒーも飲むからね」
「え、でも……」
「値段は同じだし。はい」
夏油くんは私の手からブラックコーヒーを取ると、カフェオレを差し出してくる。
私は受け取ると、彼はそれを開け、一口飲む。
「寝不足?」
「昨日……夜更かししちゃって」
「テレビ?」
「いや、小説をちょっと……」
「へぇ、どんなやつ?」
「ミステリーです」
「いいね、読み終わったら貸してくれないかな?ここじゃ身体を動かすばかりだからね」
「は、はい……」
「あぁ、それじゃなくてオススメのものでもいい。涼華がよければだけどね」
「あ、えと……持って行きます……」
「ありがとう。それじゃあまた教室でね」
彼はブラックコーヒーを一気に飲み干し、ふとこっちを見て笑うと、缶をゴミ箱に捨てて立ち去っていった。
あぁ、びっくりして目が覚めた……
ふと手元のカフェオレを思い出す。
「お礼、言いそびれちゃった……」
後で本を渡す時に言おう。
・
「最近、夏油と仲良いね」
「えっ」
家入さんとランチしていたら、唐突にそう話され、私は戸惑う。
仲が良いって何だっけ。
「そ、そう見える?」
「よく本の貸し借りしてるじゃん」
「夏油くんが、本読みたいって言うから……私が持ってるのを貸してるんです」
「へぇ〜」
意味ありげなへぇ〜だなぁ……
割といつもビビってるんだけど。
確かに夏油くんは五条くんよりマシだけど。
性格は今のところ優しい。優しいしかない。
いいことなんだけど……
「何にビビってんの。もう半年くらい経つけど」
「優しい裏に何かありそうっていうか……」
「何かされた?」
「夏油くんには何も」
「男性恐怖症?」
「い、いや、ヤンキー恐怖症っていうか……ギャルも怖い……」
「あぁ……イジメ?」
「うん……きっと夏油くんはそんなことしないって分かってるんですけど、見た目が、怖いというか……ヤンキーじゃないですか」
「アッハハハ!ウケる、それだけ?」
「私には大きいことなんです!」
「それは夏油も大変だな」
ククク、と笑いを堪える家入さんに、私は夏油くんに申し訳ない、と息を吐く。
分かっているけど、目の前にすると萎縮してしまう。
五条くんに至っては不機嫌だと分かれば逃げ出したくなる。
「ま、夏油には慣れ始めてるからいいでしょ」
「うーん……」
慣れれるよう頑張ります、と私はおにぎりを食べた。
その後。
夏油くんからメールで『寮の外に来てくれないか』と連絡があり、私は部屋着でいいんだろうか、とそのまま出て行くと、女子寮の前に夏油くんがいた。
「やぁ、呼び出して悪いね」
「い、いえ……どうしたんですか?」
「これ、良かったら食べて。悟と出掛けたんだけど、悟が買うと言い張ってね」
そう言って彼はケーキ屋の箱を差し出してきた。
「ケ、ケーキ?」
「カップケーキだよ。私には少し可愛すぎるかな」
その場で中身を確認しようと開けてみると、可愛いくまの顔が描かれているカップケーキが三つほどあり、確かにこれは夏油くんに似合わないかもしれない。
「ふふ……っ」
「……甘い物、好きだろう?涼華になら似合うと思って」
「え、ありがとうございます。いただきますね、家入さんと食べますね」
「硝子は甘い物が苦手らしいからね」
「そうですか……少し大きいし、一日じゃ食べれないですね。夏油くんは食べたんですか?」
「いいや、君に買ってきたからね。食べていないよ」
「も、申し訳ないです……あの、良ければ分けて食べましょう」
「それじゃあ、一ついただこうかな」
「珈琲淹れますよ。インスタントですけど。本も、読み終わった物があるので、渡します」
私は寮へと入っていくと、夏油くんもそれについて来る。
カップケーキ、可愛いな。都会にはこんなのがあるんだ。並べて写真撮りたいな、と思いながら部屋に入ると、夏油くんはお邪魔します、と入ってくる。
私はお湯を沸かし始めると、珈琲の準備をする。
「砂糖とかミルクは入りますか?」
「ブラックでいいよ」
「分かりました」
準備出来ると、夏油くんにそこにどうぞ、と敷いてある座布団を指す。
彼はそこに座ると、私はお湯が沸くまでに本を渡しておこう、と本棚から読んだばかりの本を取る。
「この間と同じ作者の本なんですけど……」
「あぁ、最後がまさかの展開だったね」
「ですよね、あれはもう一度読み返したくなります」
本を渡すと、カップケーキを並べて、携帯で写真を撮る。
「気に入った?」
「はい、可愛いですね。都会にはこんな物まであるんですね」
「……なら、また今度一緒に見に行こうか。普段あまり出掛けないだろう?」
「は、はい……家入さんとも時々出掛けるんですけど、多くはないので。私もインドア派ですし」
え、いや、それ以前に夏油くんと出掛けるの?何、その状況。怖い。
話を流そうと思った時、お湯が沸いた音がし、慌ててお湯を注いで珈琲を淹れた。
夏油くんにそれを出すと、ありがとう、と彼は一口それを飲む。
「カップケーキもひとついただこうか」
「食べましょう」
勿体ないな、と少し可愛いくまの顔を眺めていると、夏油くんはふと笑ってカップケーキを食べた。
何だか恥ずかしくなって私も食べる。
バターの味が広がるカップケーキに、アイシングとチョコの甘さが合わさり、口の中は私の好きな甘味でいっぱいだった。
「美味しい」
「そうだね」
「ありがとうございます、またお礼しますね」
「それなら、また一緒に出掛ける時に貰おうかな」
あっ!逃げ道塞がれた……!
流せると思ったのに、大丈夫か、私……
どうやれば正解なんだ、と戸惑いながらも、とりあえずカップケーキを食べる。
「……頑張ります」
その後、カップケーキを食べながら本の話をした。
あれ、意外と楽しい、なんて思いながら過ごしていると、夏油くんは時計を見て気づく。
「そろそろお暇しようかな」
「あっ、すみません。ありがとうございました」
夏油くんは本を持って靴を履くと、振り返って私を見る。
「そろそろ私には慣れてくれたかな」
「す、少し……夏油くんは優しいし、本の話も楽しかったです」
「そうか、良かった。でも、気をつけてね」
「え?」
「私はいいけど、男を部屋にあげちゃダメだよ。下心があるかもしれないからね」
そう彼はにこりと笑うと、見上げていた私の唇をグイッと親指で撫でると、指についたカップケーキのかけらをぺろりと舐めとる。
「おやすみ」
彼はそのまま去っていくと、私はその場で思考停止する。
そうだ。私がヤンキーに絡まれる一つとして、ヤらせてくれそうだからっていうのがある。
もしかして、夏油くんは、それが目的?
だから優しくするの?
ドクンと心臓が大きく脈打つのが分かった。
他の人と違って嫌悪感はない。
あんなに怖いと感じていたのに、今ではそれが薄らいでいて、彼ならいいと、感じてしまっている自分がいる。
嘘だ、こんなの。
心臓が痛い……
***
二年生の夏。
夏油くんと五条くんは星漿体の護衛をすることになった。
その時、二人は大怪我をしたらしい。
そして任務も失敗して星漿体も死んだ。
私は歌姫先輩と別の任務についていて、その時いなかった。
五条くんにもやっと慣れ始めたと思っていたのに、また何だか雰囲気が違っていて怖くなった。
夏油くんも、何だか辛そうに見えた。
そんな矢先、後輩の灰原くんが亡くなった。
そのショックも大きいのだと思う。
「夏油くん……」
「ん?どうかした?」
「あ、いや……その、元気かなって」
何と声を掛けていいのか分からなかった。
暫く彼は何かを考えていて。
期待していたわけではないけれど、出掛ける約束もどこかへ行ってしまったような。
私の言葉に、彼はふと笑い、私の頭を撫でる。
「元気だよ。ありがとう」
私の頭なんて鷲掴みに出来そうな、殴ったらすぐ気絶しそうなほど大きな手だ。
でも夏油くんはそんなことはしない、優しい手だ。
「そうだ、今度の土曜、出掛けようか」
「えっ」
「予定、あるかな」
「ない、よ……」
「それじゃあ、出掛けようか、二人で」
あぁ、嬉しい。
それが顔に出ていたのだろうか、彼は少しおかしそうに笑う。
「もうすっかり、怖くないね」
「そう、ですね……」
浮かれているのがバレて、恥ずかしくなった。
・
どうしよう、どうしよう、と家入さんに相談して、服を一緒に選んでもらった。
家入さんは面白くなさそうにしていたのが申し訳ない。
制服以外でスカートなんて穿いたことなくて、明るい色の服も着ない。地味だった。
だけど、今日は女の子らしくなれただろうか。
でもこれじゃあまるで、夏油くんの為にお洒落してるみたいだし……浮かれてるのがバレバレだ。
やめておけばよかった、と今更後悔し始める。
そもそも、今日は夏油くんが急に任務が入ってディナーだけでも、と夕方、待ち合わせが駅前となった。
だから、彼は私服ではなく制服だろう。
余計、私が浮いて見える。
やだなぁ、と考えながら、ボーッと横切る人を見ていた。
すると、目の前に現れたのは、見知らぬ男達。
「ねぇ、君、一人?」
「っ……」
全員お酒臭かった。
見た目もチャラい、私の苦手なタイプだ。大学生か、それくらい。
怖い。
言葉が出なくなって、逃げようとしたが、腕を掴まれた。
「無視?酷くない?」
「可愛いね、大丈夫大丈夫、俺達優しいからさ」
何で、絡まれるんだろう。
こんな日に限って。
嫌だ、術式を使ってでも、傷つけてでも逃げたい。
でもそんなことをしたら……
軽くパニックになっていると、口を塞がれ、すぐ後ろの人気のない路地に引きずり込まれる。
「んん……っ!」
こんな強引な人達は初めてだ。
お酒を飲んでいるからだろう、冷静な判断が出来なくなっている。
脚を撫でられ、鳥肌が立った。
あ、この人達はそういう目的なんだ、と私は嫌悪感を抱く。
「あは、大丈夫大丈夫」
「優しくするからさ。痛くないように」
精一杯暴れる。
一人の男を蹴ると、彼はそれにムカついたのか、私の頬を平手打ちする。
痛い、やっと忘れかけていたトラウマが甦ってくる。
怖い、怖い。誰も、助けてくれない。
夏油くん、夏油くん夏油くん……!
「助けて……っ」
やっと絞り出した声。
それと同時に、目の前にいた男が倒れた。
涙で視界が揺らいでいたが、ぽろりと涙が落ちると、視界がクリアになった。
そこにいたのは夏油くんだった。
男達を次々殴っていく。
暴力は怖い。自分が殴られるのはもちろん、他人が殴られているのも、殴っているのも。
だけど、夏油くんは怖くない。
そうだ。私はただ、その暴力から助けてほしかった。
「げ、と……くん……」
もう既に全員倒れている。
なのに、執拗に一人の男を殴り続けている。
私を殴った男だ。
「夏油くん……夏油くん……!」
私は止めようと、彼の背に抱きつくと、やっとそれに気づいたように、掴んでいた男の胸ぐらを放す。
「猿が……」
「……夏油くん?」
「……ごめんね、怖いだろう」
怖かったのは、この人達。
夏油くんは怖くない。
「夏油くんが、助けてくれたから……怖くない」
「……良かった。帰ろう、出掛けるのはまた今度にして」
「うん……」
手に怪我をしていた。
私はハンカチをその傷に当てると、彼は私の手を取り、繋いで、そこから出た。
タクシーで高専に帰る間、私達は話さず、でもただしっかりと手は握っていて。
まだ自分の身体が震えているのがきっと夏油くんにも伝わっていた。
「……部屋、上がっていいのかい?」
「うん……」
部屋に上がってもらい、手を洗う。
家入さんに治療を頼めるだろうか。
そう考えていると、彼は血のついたハンカチを差し出す。
「すまない、新しいの買ってあげるよ」
「いいよ。ありがとう、助けてくれて。手、痛いよね……家入さんを呼んで、治療を……」
「後でいいよ。暫く、ここにいて?」
ベッドを背もたれに座る彼は、私の腕を引いて、隣に座らせた。
何故か、私よりもダメージを受けているような彼に、私は何と言葉を掛けていいのか分からなくなった。
「……夏油くん」
「ん?」
「私は、大丈夫だから……ごめんね」
「何故、涼華が謝るの?」
「辛そう……」
そうだね、と彼は私の手を握り、指で撫でながら、少し言葉を選んでるように見えた。
「好きな子を、守れなかったなって。怖い思いをさせたくなくて、大事にしてきたのに……今日で、台無しになった」
好きな子って、私のこと?
心臓の脈打つ音が速くなる。
夏油くんから目が離せずにいると、ふと顔を上げ、視線が合うと、私は逸らしてしまう。
「え、と……」
「……怖かったでしょ」
殴られた頬を、大きな手が包み込む。
人を殴っていた手とは思えないほど優しい。
「怖かった……でも、夏油くんは怖くないよ。いつだって、助けてくれた。今回も……夏油くんに助けてほしいって思ってた」
「……私はそんなに、優しい男でもないかもしれないよ?」
私がそっと彼の手にすり寄ると、彼は私の頬を指で撫でながらそう言う。
「……優しくない人は自分は優しいと言って、本当に優しい人は、自分は優しくないって言うんだね」
「……下心があるかも」
「夏油くんなら、いいよ……」
恥ずかしかった。でもこれが本音。
怖がらせないように優しくしてくれる夏油くんも、私の為に怒って怖がらせてしまったと後悔する夏油くんも、この優しい手も、何もかも。
「好き……」
その言葉がトリガーとなったのか、彼は頬に当てていた手に力を加えて、グッと私を引き込むと、キスをした。
初めてしたキスは、とても熱くて、激しくて、優しいものではなかった。
でも、幸せだった。
「っは……」
口が離れると、彼は至近距離で、私の瞳を覗き込んでくる。
「優しく出来ないよ?」
「いいよ……夏油くんなら、いいよ」
もう、それしか考えられなかった。
また深いキスをすると、ギュッと彼の背に手を回した。
ドキドキする。気持ちがいい。
その日、私達は身体を重ねた。
優しくない夏油くんも、私は好きだった。
***
「傑が恋人自慢してくんの、面倒くせーんだけど」
げっ、と苦虫を噛み潰したような顔をする五条くん。
顔が綺麗な分、そんな顔をすると余計に変に思える。
「わ、私に言われても……」
三年になって、会えない日も多くなっていた。
それでも私は任務が少ない方だったから、高専にはいて、夏油くんが会いに来てくれていた。
時々は一緒に出掛けたり、手料理を食べてもらったりするけど。
今日は夏油くんはおらず、五条くんがいて、そんな話を聞かされていた。
五条くんへの苦手意識も少しは残っているが、最初ほどではない。
何も変わらない日常だった。
それなのに。
「悟……あぁ、涼華もいたか」
厳しい表情で夜蛾先生が教室へ入って来た。
それに、ただ事ではない、と私も五条くんも感じていた。
そしてそれは本当にただ事ではなかった。
彼の口から聞かされたのは、夏油くんが任務にあたっていた集落の住人のほぼ全員を殺して逃げた、ということ。
両親も殺しているとのこと。
恋人である私に、何か知らないか、と問われたが、何ひとつ頭に入って来なかった。
何故、そんなことをしたのだろう。
何故、何も言ってくれなかったのだろう。
暫くすると、知らない番号から電話がかかってきた。
もしかして、と出てみると、私の大好きな声が聞こえてきた。
『やぁ』
「……夏油くん。どこにいるの?」
『言えないよ。それより、ごめんね。こんなお別れになってしまって』
お別れ。その言葉に拒否反応を起こす。
「お別れなんて言わないで。私も、私も連れて行って……」
『……私といても幸せにはなれないよ』
「私は、夏油くんといたいよ。いない方が不幸になる」
『……私はね、非術師のいない世界を作りたいんだ』
「だから、両親も殺したの?」
『親だけ特別というわけにもいかないからね』
「そう……」
『おかしいと思うかい?』
「……分からない。でも、これから分かっていけばいい。迎えに来て、夏油くん」
私は電話を切ると、任務に出る準備をした。
・
目の前には、非術師の両親の死体。
辛い。ごめんね、お婆ちゃん。
でも、この人達は助けてくれなかったんだ。
お婆ちゃんと夏油くんだけだよ、私を助けてくれたのは。
「……夏油くん。迎えに来て」
そう、呟きながら電話を掛ける。
すると、背後から着信音がして、振り返ると、夏油くんがいた。
「迎えに来たよ」
「……傑」
私は彼に手を伸ばすと、彼は嬉しそうに、でも少し寂しそうな、罪悪感すら残っているような笑顔を向け、私を抱きしめた。
「君にこんなことまでさせるなんて、私は優しくなかったろう」
「優しいよ。一人にしないでくれたから」
「共に行こう」
彼は私の手を引いて外へ出た。
あぁ、ごめんね。五条くん、家入さん、夜蛾先生、皆。
私はどうしようもなく、
彼を愛しているから。
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