これ の続き





「なーなー角名」
「…」
「名前ちゃんとはどうなん」
「…」
「無視すんなや」
「いって」

視界をちょこまかと動き回る侑が煩くて見ないふり、聞こえないふり、知らぬ存ぜぬを通していたら叩かれた。
名前ちゃんとは、春高をきっかけにネット上で繋がって、この前の練習試合の際についに顔と名前を知った、俺を応援してくれている女の子。名字名前ちゃん。

「別に、ちょこちょこ話すくらいだよ」
「ハーーー女子と話したくらいで浮かれんなよこのクソ!ほんと、クッソ!…クッソ!」
「僻むな」

またべしべしと叩いてくる侑。正直めちゃくちゃ鬱陶しい。
それに、本当にちょこちょこ話すだけでそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

「ツム、そういうとこやぞ」
「なんやサム、お前まで」

今度は双子のどつきあいが始まった。本当に懲りない。




練習終わり、ギャラリーに上がってしまったボールを侑と二人で拾いにきた。

「はい、角名の話する名前ちゃんの真似します。ゲフンゲフン、ゴホン。あー、『わたし、バレーはそれなりに小さい頃から見てきたんですけど、稲荷崎の皆さんって本当に、それぞれ自由なのにまとまってるっていうか、こうやってバレーできたら楽しいだろうなっていうか!それに跳び方が本当に綺麗で…。あ、あとは角名くんがやっぱりかっこよかったです!』」
「侑しつこい!」
「『角名くんがやっぱりかっこよかったです!』」


あの練習試合の日、名前ちゃんが試合を見ていた位置まで走っていって、侑が精一杯の女声で名前ちゃんの真似をする。といっても俺は名前ちゃんが侑にあの日何か話してたことは知っていても、何を話してたかまでは知らないから、侑のこの真似は眉唾である。
からかってくる侑に今度は俺がパンチをお見舞いするけど、ひらりと避けた侑がケラケラと楽しそうに笑う。

「ええなぁ角名くん、かっこよくて」
「るさいな…」


部室で着替えて、一緒に帰る侑や治やらを待つ間、青い鳥のアイコンをタップしてつぶやきを流し見る。名前ちゃんの日常ツイートは春休みをエンジョイしているものでほっこりしていいねを押す。侑はよく俺のいいね欄をチェックして「また名前ちゃん!」ってちょっかいをかけてくるけど、ああいう低レベルなやっかみは無視だ。

…しかし。ここまでからかわれると、俺としても気になってしまうのだ。その、名前ちゃんがどういうつもりなのか。

俺はただの男子高校生で、強豪バレー部に所属しているせいでテレビや雑誌にちょこっと出たことはあっても、ただの一般人だ。芸能人とかではない。こういう風に、わざわざSNSアカウントをフォローしてくれて、さらに試合を見に来てくれる女の子は初めてなのだ。
ファン?
ファンってなんだ?それは恋愛感情とは違うものなのか?

かっこいい、という言葉を惜しみなくくれる名前ちゃんのことを、意識してしまうのは事実だった。「名前ちゃんとはどうなん」なんて聞かれても、そんなの俺が聞きたいくらいだ。
これ、どういう状況なんですか。




***



「で、やっぱ好きなのね、角名倫太郎」
「ううう」

オシャレなカフェのチーズケーキにフォークを突き刺した奈美が、によによ笑いながらわたしに言った。
先日の兵庫旅行で、生で角名くんを見ることができて、あろうことか直接お話できて、さらにトークアプリでお友達になれたことを話したのだ。

「まあね、私は最初からわかってたよ。あーこれはどうせ恋ですわ、恋する乙女ですわって」
「ううう…いや、本当に、最初はそんなつもりじゃなかったもん…」
「いーや、恋だった、目がハートだった、私にはわかる」
「ハートじゃないもん…!」

奈美は楽しそうに笑いながら、チーズケーキの最後の一欠片を美味しそうに咀嚼してから綺麗な赤色をした紅茶を一口飲んだ。
わたしはすごく恥ずかしくて、俯いたまま一足先に食べ切って何も乗っていないお皿を睨んだ。
仕方ないじゃないか、元々かっこいいって思ってた男の子を間近で見ることが出来て、くだらない世間話をぽつぽつとトークアプリで交わして、そういう「近い距離」に入れてしまって。そんなことになったら、もう、恋愛的に好きだって自覚しちゃうじゃないか。


「本当はね、応援してるだけでよかったんだよ」
「うん」
「でも実在するんだよ、手を伸ばせば触れられる距離まで来たんだよ…」
「はあ」
「こう、もっと、って思っちゃうじゃん」
「はいはい」
「ど、どうしよう!」
「や、知らんけども」
「奈美サン!」

紅茶を飲みきった奈美が、かちゃり、とソーサーにカップを置いた。

「好きなら、告白しろ」
「ひっ」
「それ以外にできることある?」
「…お、お話する…?」
「あー、じゃあ通話、通話しな。まず」
「つ、う、わ」


そんな、そんな、いいんですか?通話したいとか言っていいもんなんですか?部活で忙しいだろうし、私なんかと話すことなんてきっとないし。

「スマホ貸しな、通話しませんかってメッセージ送ってあげる。名前じゃ一生かかっても送れなさそう」
「うええええ、でもお忙しいよきっと、通話だなんてお時間取らせちゃうよ」

そう言いつつもカバンからスマホを出したタイミングで、スマホが通知を知らせて振動した。バナーで通知の内容を確認する。
『角名 さんと他2人があなたのツイートをいいねしました』

「ほら、TL見てるくらいだから通話する暇あるでしょ」
「うう…」

奈美がまたによによと笑う。
おずおずとスマホを差し出して、どきどきする胸をぎゅっと押さえて、奈美の指がメッセージをすらすらと綴っていくのを見守った。
ぽこん、と送られたメッセージ。取り返しがつかなくなった。いや、送信取り消しもできるけど、取り消した形跡が残ってしまうし、既読を付けていないだけで実は読んでるかもしれない。
すってはいて、意を決してスマホを奈美から受け取る。こうなったら腹を括る、乙女の生き様見せてやりましょう。

「通話、わたし、頑張る!」
「おーおー頑張れ」



***




正直、ギョッとした。

名前ちゃんから通話したいというメッセージが送られてきて、その通知にスマホを取り落としそうになった。一度深呼吸してから、バレないように辺りを見渡すと、一緒に帰宅中の他の部員たちは様子のおかしい俺に気がついた様子は無かった。一安心。侑なんかがこの通知を目にしようものなら、その後はお察しである。
通知を消して、スマホをカバンに放り込んだ。これで大丈夫なはず。

それにしても、通話、通話である。
女子と通話?
思い返してみても、文化祭準備で買い出しに行ったとき、ガムテを追加で買って欲しいという電話がかかってきたときくらいではなかろうか、女子と通話。
ちなみにその時は一緒に買い出しに来ていた治としりとりしてて、白熱しすぎてガムテは買い忘れた。しりとりで、「う」攻めする人をその時初めて見た。アンコール朝、パガン朝、クディリ朝、カペー朝…。無限に飛び出す世界史用語。爆笑した。どう返しても「う」で返してくる治。
思い出して笑ったら治が訝しげに俺を見てきた。

「治、しりとりしない?」
「なんや突然」
「急にやりたくなった」
「ええけど」



帰り道、侑や銀を巻き込んで白熱したしりとり。
自分の部屋に荷物を置いてカバンを開けてスマホをひらいた途端、名前ちゃんとの通話のことを思い出して、急に心臓がばくばくしだした。恐る恐るトークルームを開いて、平静を装って「いいよ、今晩?」と返す。
これで大丈夫だろうか。今の余裕の無い心がメッセージに滲んではいないだろうか。
スマホをベッドに安置して、その場で深呼吸してからスマホを睨む。返事が来ないかそわそわしてしまうからさっさとシャワーを浴びることにした。

ごしごしとタオルで髪を拭きながらベッドに腰かけてスマホを見ると、名前ちゃんから返事が来ていて、今晩通話することになった。
うわ、うわ。何を話すんだ、どうすればいいんだ。「異性と通話 何 話す」なんて検索してしまうくらいには狼狽えている。



そして夜、「かけてもいい?」という確認に「いいよ」と返すと、間髪入れずかかってきた電話にドッキドキで出る。


「こんばんは、角名くん」
「こんばんは」

女の子らしい声が耳をくすぐる。なんていうか、文字に起こしたとしたら丸文字っぽい、そんな声。

「今日も部活だったの?」
「うん」
「お疲れ様です」
「ありがとう。名前ちゃんは何してたの?」
「友達と遊んで、スイーツ食べたよ」
「いいな」

好きなお菓子の話、残り少ない春休みの予定の話、俺のバレーの話。
思っていたよりずっとスムーズに会話が続けられて、緊張していたのにどんどん肩の力が抜けていった。ベッドに寝転がって、通話はスピーカーに変えた。

「角名くん、次の大会はやっぱインターハイかな」
「そうだね、勝てば」
「応援、行くね」


春高のことを思い出した。
必死にバレーをした。そうしたら一人の女の子が俺を見つけて、かっこいいって、応援したいって思ってくれて、今こうやって通話するような関係にまでになった。
それってもしかして、すごく、凄いことなんじゃないだろうか。


「名前ちゃん、なんか、ほんとありがとう」
「えっ?」
「俺、こうやって直接応援してもらうの、今まで無かったから」
「そ、そんな、私が好きでやってるだけだよ」
「すす好き?!」
「あっいや、その、ファンだから!角名くんの!」
「あっああ」

恥ずかしくなった。過剰反応してしまった。
自意識過剰やめてください。思春期男子ですか。
…思春期男子ですけど。


「す、角名くん」

名前ちゃんが、おずおずと、俺に声をかけた。羞恥心を振り払って、今の恥ずかしい過剰反応は無かったことにして、落ち着いた声を作って「ん?」と返す。


「そ、その、好きだよ、角名くんのこと。…だから、応援、絶対行くね」



聞き間違いを疑った。

顔を手で覆って、深呼吸して、通話相手が名前ちゃんであることを確認して、頬を抓って、意味もなく立ち上がった。


「え、えと、突然ごめん、もう遅いし切るね」
「まって!」
「っはい!」

ベッドに腰かけて、もうひとつ深呼吸して、口を開く。


「す、好きなの?俺を?」
「…うん…」
「異性として?」
「そうだよ」


一旦マイクをオフにした。ぜいはあ、荒い呼吸。え?え?心臓を押さえる。顔はマグマだし、心臓は全力疾走中だし、足はバタバタと床を叩いた。ときめきの過剰供給に脳内麻薬が凄いことになった。多分今アドレナリンとか出てる。それと幸せホルモン。わかんないけど。

何とか落ち着いた心を作ってマイクをオンにした。
眉間に力を入れて、ふやけそうな顔を何とか押しとどめる。




「その、俺も好きです」



青くて甘い


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