ニルギリで微睡を


いつもより少し首元が開いた服を着た。
ほんのり色づいた頬と、丁寧なベース作りで上品な艶のある肌。
パレットで丁寧に作った瞼のグラデーションと、ほんの少し上向きなまつげ。
近づいた時にふわりと香るように、甘めの香水を足首にふった。
デコルテが美しく見えるように、ラメ入りのボディパウダーをはたいた。
足を綺麗に見せてくれる7cmのヒールを履いた。


玄関にある全身鏡で自分の姿を見る。

新しく買ったリップをぽんぽんと淡くつけた唇が、グロスのラメで煌めいた。


「かんっぺき。…いってきます」


玄関のタイルをヒールがこつりと叩く音がした。




「わ、ごめんね紬くん、お待たせしました」
「全然大丈夫だよ。それじゃあ行こうか」


マンションまで迎えに来てくれようとした紬くんを押しとどめて、天鵞絨駅で待ち合わせにしてもらった。

駅から劇場までの道を、紬くんと歩く。

さりげなく紬くんは車道側を歩いてくれた。

紬くんの隣を歩いてる自分の姿を、学生時代の私は羨ましがるだろうか。
あの頃の私は、紬くんと丞くんが並んで歩いているのに、後ろからついて行くような女の子だったから。



「俺、夏組旗揚げ公演は見たことがないんだよね。だから結構楽しみ」
「私もすごく楽しみ!」


隣の席に座る。開演ブザーがなって、幕が開く。

「『今宵も語って聞かせましょう。めくるめく千の物語のその一つ……』」





「わ、えー!わー、紬くん紬くん、すっごく面白かったね…!」
「うん…!」


興奮冷めやらぬまま席を立ってホールから出て、立花さんを探した。
夏組の皆さんへの差し入れと、立花さんへチケットのお礼を渡したい。


今回選んだ差し入れは、夏組と聞いてすごく南国のフルーツが恋しくなったので、パイナップルケーキを選びました。鳳梨酥ですね、台湾銘菓。ちゃんと私のイチオシのブランドのものをご用意しました。すっごく美味しいんだよ。

立花さんへのお礼の品は、自分用には絶対買えない異様に高いフェイスパック。女子へのプレゼントあるあるだと思う。自分じゃ絶対買わないような高級な美容アイテムとかアロマグッズとかをプレゼントに選ぶのって。


きょろきょろとしていたら、紬くんが立花さんを見つけてくれた。


「立花さん、今日もとっても良かったです!ありがとうございました」
「いえいえ、楽しんでいただけたなら良かったです!」
「これ、差し入れと、こっちは立花さんに、ささやかですけどお礼です…!」
「わ、ありがとうございます…て、これ、すごく人気のやつですよね…!」
「チケット、本当に嬉しくて!監督さんへのお礼は結構張り切って選んじゃいました!いや、差し入れは手抜きってわけじゃないんですよ?!」


慌てて訂正した私をみて、隣で紬くんがくすりと笑った。ちょっと恥ずかしい。


「立花さん、お時間あったら今度2人でランチでも行きませんか?」
「え!ぜひ!」
「茅ヶ崎から立花さんはカレーが好きだって伺いました!オススメのカレー屋さん教えて欲しいです」
「カレーお好きなんですか?!じゃ、じゃあ!駅近くのお店はスパイスが日本人向けに配合されてて、とっても食べやすいんです!そこはどうですかね?!あ、でも反対に、駅からビロードウェイと反対側に少し行ったところにあるお店は本場の味に忠実で、しかもカレーの種類も豊富なんです!しかも…」
「か、監督!名字さん明日はお仕事なので、俺が送っていきますね。遅くなるといけないので、カレーのお話はまた今度にしませんか?」
「わ、ごめんなさい、私ったら…」
「あはは、大丈夫ですよ。すごく愛が伝わってきました」


立花さんと連絡先を交換して、紬くんと一緒に劇場を出た。


それにしても、カレーの話になった途端、立花さんの顔がぱああっと明るくなって、すごく楽しそうに話し始めたのはすごく印象的だった。


「立花さん、すごいね」
「監督、ああなったら手がつけられなくなるから…。カレーの話は要注意だよ」
「あはは、なにそれ」
「笑い事じゃないんだよ。下手にカレーへの意欲を煽ってしまったりなんかしたら、そこからの10日間毎日カレーとかあるからね」
「…10日……??」
「スパイスの配合をあれこれ変えてみたり具材が変わったりの10日間」
「それは、すごいね」


カレー、せいぜい3日かな、って思ってた。世界は広い。


紬くんが私の歩くペースに合わせてくれてゆっくり歩いてくれる。それに気づいて、バレないように、ほんの少しだけ、歩くペースを落とした。


一緒にいる時間を少しでも伸ばそうなんて卑怯かな。



「ねえ紬くん」
「ん?なあに」


花浅葱の瞳が私を写した。身長差で自然と上目遣いになる私。不可抗力だけどちょっとあざとい気がしちゃう。


「また今日みたいにデートしようね!」
「で、デート?!」


頬を染めた紬くんに向かって、私はそのつもりで来てるんだからね、という意味を込めてニッコリと笑顔をお見舞いしておいた。


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