7月10日 | ナノ
※『7月9日(泉三)』の続きです。
栄口視点で、泉×三←栄。悲恋。
金網がかしゃん、と軽い音をたてて軋んだ。
7月10日
昨日の豪雨が嘘のように今日はからりと晴れて、暮れていく空も綺麗だ。
日暮れ間近の屋上の扉を慎重に開けると、橙色の西日が溢れんばかりに降り注ぎ視界を奪う。
思わず目を細めた栄口の視界に、ぽつりと小さく彼の姿が映った。
こんなところでなにしてるの、三橋。
屋上の金網に両手をかけ、額を押し付ける三橋の背中が酷く儚くみえて、呼び掛けようとした声は喉の奥で詰まってしまう。
*********
放課後の廊下で偶然、三橋の後ろ姿を見かけた。
テスト週間で部活もないのに、図書室へ向かうのかと思った三橋の足はそのまま階段をのぼり続ける。
どうしたのだろう、と思った瞬間に見えた彼の横顔は暗く、張りつめていて、思わず追い掛けて来てしまった。
見慣れない表情はいつもの三橋らしくなくて、正直すこし怖かったけれど、だからこそ放ってなんておけない。
たどり着いた屋上で、俺に気付く様子もない三橋は、まだじっと外を眺めている。
小さく息を吸い込んで、足を踏みしめた。
「三橋」
俺の言葉は、屋上の強い風にも吹き消されず三橋に届いて、その肩を震わせる。
「栄口、くん」
怯えたように素早く振り向いた三橋の眼が、俺を見て少しだけ和らいだのを見て、追い掛けてきて良かったと息を吐いた。
「どうしたの、こんなとこで」
優しく話しかけながら近付き、三橋の隣に背中を預ける。しなやかなフェンスがぎしりと鳴った。
警戒されないように図って動く自分の表情と声は、もう板についたものだ。
「泉と勉強するんじゃないの?」
隣で、三橋がうつ向いた。
「ああ、別に俺は泉に言われて三橋を連れ戻しに来たわけじゃないから、安心して」
そう言ってにっこり笑うと、三橋の表情が少しゆるむ。
「い、ずみくんは?」
「教室に居たよ」
三橋を追い掛けている最中、廊下の窓から見えた教室で、泉は窓際の席にただ座っていた。何をするでもなく、何も見ていない目を外に向けて、ひとりで。
きっと今も三橋を待っている。たとえ三橋が行かなくても。
「泉と喧嘩でもした?」
三橋は無言で首を横に振る。
「そっか」
盗み見た答えに向かって、ただ公式を当てはめていくような行為だ。
二人の間に起きたこと。
それを知っていて問いかける自分はずるい。
でも俺だって三橋が好きなんだ、と心の中で呟く。
今だって、三橋の細い体を掻き抱いて柔らかな髪に顔をうずめてしまえたら、なんて頭の隅で考えている。出来るはずもないのに。
「あ、りがとう、栄口くん」
「……どうして?」
唐突な感謝の言葉に驚いて隣に目をやると、微笑んだ三橋と目があった。
「だって、俺のこと気にして、来てくれて、聞かずにいてくれるから」
違う。
理由を聞かずにいるのは三橋のためじゃない、俺のためだ。
三橋の口からそれを聞いたら、多分もう元には戻らないから。
黙った俺を、三橋が心配そうに見ている。何か間違ったことを言ってしまったのか、と思っているのだろう。取り繕うように、俺の口が半ば自動的に開く。
「うん、俺も追い掛けてきて良かったよ。三橋が変な顔してたからさー、何かあったのかと思って」
何でもないなら良かった、と笑いかけると、三橋もふにゃりと笑った。
「深刻な顔してたから誰かと喧嘩でもしたか、恋煩いかなーとか思っちゃったよ。巣山が昼休み、友達に恋愛相談されててさ」
三橋も、好きな子でもいるの?
慎重に、慎重に。
からかうように、軽く聞こえるように意識して発した言葉に、三橋は瞬時に耳まで赤くなった。
ああ、やっぱり。
予想はしていたけれど。
昨日、見てしまった光景が蘇る。
薄暗い教室で、真剣な瞳の泉と、その腕の中で戸惑った、けれど真っ赤な顔をした三橋が。
「なんて、冗談だよ」
口をぱくぱくさせながら、挙動不審になった三橋を見て笑ってしまう。
俺の言葉で一喜一憂する君が愛しい。
たとえ君が俺のものじゃなくても。
叫びたい言葉は喉元までせりあがり、ごうごうと嵐のように目からも溢れだしそうだった。
「ねぇ、三橋」
にっこりと笑って、三橋の背後の夕陽に目をやる。
強さを増す風に吹き消されないように、はっきりと言葉を発した。
「空が飛べたらいいのに、って子供の頃よく思ったんだ」
叶わない想いをこめて、精一杯の笑顔で告げる。
「一緒に、飛べたらいいのにね」
本当に、今すぐ。この金網の外へ飛び出せたら。
「俺も、思った、よ。飛べたらいいのに、って」
声をあげて泣きたかった。
でも、三橋と自分のために、俺は笑った。
(今すぐにここから二人で落ちてしまえたら、なんて、想像するのだけは自由だ)