紅色ソワレ | ナノ

※『黒猫のパスピエ』の少し前の話。
















妙なものを拾ってしまったのは、動物も熱を求めて身を寄せる、凍てつく季節のことだった。





紅色ソワレ





ゴミの分別や地域美化に関して、熱心な地区に住んでいる。燃えるゴミは火曜日、資源ゴミは金曜日。
その日の朝も『粗大ゴミの不法投棄は犯罪です』『分別・収集日は厳守』と赤字で書かれた、なにやら物々しい貼り紙がアパート一階の掲示板に掲げてあった。

さて。
つい今朝がた目にしたばかりの文字列をくるりと頭に巡らしながら、僕は目の前の物体を眺める。アパートの玄関横にあるゴミ捨て場は野ざらしで、コートの隙間から忍び込む夜風が冷たい。

さて、これは不法投棄か否か。
高価そうなチャコールグレイのスーツに包まれた肢体を投げ出し、ゴミ捨て場で大の字になっている、この男は。

固く閉じられた両目。ずれた眼鏡が辛うじて彼の耳にしがみついていた。ぴくりとも動かない様子はまるで死体のように見える。


「大丈夫ですか?」


安否を気遣う、というよりは生存確認のつもりで投げかけた僕の言葉に、薄っぺらい身体がもやもやと曖昧に動いた。どうやら生きてはいるらしい。
開いた彼の口元から微かに流れる声を捉えようと顔を寄せる。重くて、酷く甘ったるい匂いが僕の鼻先で拡散した。


「酒くさっ。ちょっと、本当に大丈夫ですか」

「だいじょーぶだいじょーぶ」


死体でも不法投棄されたわけでもなさそうなその男は、どうやら立てなくなるほどしこたま飲んだ酔っぱらいだった。
こんな寒い夜に泥酔して野宿だなんて、自殺行為だとしか思えない。同情も手伝って、仕方なく僕は呂律の回らない男の肩に手を掛けた。


「こんなとこで寝てたら死にますよ。家は?」

「ほっといてくださいだいじょーぶなんで、ていうか、ゆさぶるのやめてくださいはきそう」

「え、待って人んちの前で吐かないでください!あとちょっと我慢して!」


年端もいかない頃の記憶が、何故か現状とかぶって脳裏をよぎる。捨て猫や捨て犬を拾っては母親に渋い顔をされた、幼い頃の淡い記憶。

妙なものを拾ってしまった、とエレベーターに乗り込んでから疲れた肩を落とした。
僕に身体を支えられながら酒の匂いを振りまいている男は、犬猫の可愛らしさとは程遠く苦しげに息を吐いている。






「どうして助けてくれたんですか」


親切すぎやしませんか、貴方は。

ゴミ捨て場で拾ってしまった面倒事は、翌朝、床に寝ている僕を見て開口一番にそう言い放った。
ベッドサイドに置いておいたポカリを底まで飲み干し、ベッドの上で狭いワンルームアパートの内装を興味深げに見回しながら。昨夜の同情を返して欲しい。

失礼とも取れる言い草だったが、声が弱々しかったので目を瞑る。自業自得の二日酔いだとしても、一応病人には違いない。


「放っておいて死なれたら嫌だし、捨て猫っぽかったからつい」

「捨て猫!ったたたたた」

「大声出さないほうがいいですよ」


僕の皮肉に反論しようと声を張り上げ、自滅した彼が痛む頭を抱えている。どうやら二日酔いは深刻らしい。

気付けば、時計の針は刻一刻と出勤時刻に迫っていた。立ち上がってカバンから自宅の鍵を探り出し、ついでに冷蔵庫から水を取る。

両腕で顔をおおって横たわる彼の首筋に冷たいペットボトルを押し付ければ、ぽっかり開いていた口からひゃあと間抜けな声がこぼれた。
幾らか歳上に見える男のものとは思えない、可愛らしい反応に脱力しつつ、その胸元に鍵を落とす。


「とりあえず、落ち着いたら帰ってくださいね。僕これから仕事なんで、鍵はポストにでも入れといてください」

「不用心……」

「何か?」

「別に」

「ところで、貴方、」

「望、でいいです」

「望さん、仕事はいいんですか?」


自らを指差して望と名乗った男は、僕の質問をあからさまに無視してごくごくと喉を鳴らし水を飲む。
誤魔化しかたが子供みたいだ。寝かせる際に勝手に脱がせたスーツの上着がカーテンレールにぶらさがり、その存在を主張している。

身なりは整っていたけれど、無職なのかもしれない。嘆息しつつ、僕はワイシャツに袖を通した。益々ややこしいものを拾ってしまったような気がする。




始終不審げな表情でペットボトルを傾けていた彼は、しかしその夜、帰宅した僕を当然のように出迎えた。
お帰りなさい、と言う彼の背後では、賑やかなバラエティー番組が眩しく色を放っている。ローテーブルの上にはコンビニの袋と、お菓子の個包装が幾つか。

くつろぎすぎだろう。というか、なんでまだ居るんだ。

困惑してごちゃごちゃと浮かぶ文句を、その時の僕は飲み込んでしまった。
一人暮らしも数年目、誰かに出迎えられるのは久し振りだった。
待ってたんですよ、と目の前で彼が笑う。菓子をつまむのにも似た幸せな笑顔を向けられて、ついつい懐柔されたのが運のつき。

思えば彼の浮世離れした様子や、寂しがりなくせに不遜な態度は、同居前から顕在だった。













条件は家事分担、同居人ではなくペット扱い。
つまり我儘は聞かない、と言い渡したが、何ヵ月か経った今もそれほど改善されてはいない。

ひょうひょうと好きに振る舞う彼の様子は、やはり面倒をみてしまったばっかりに家に居着いた野良猫のようだ。あまり懐かないところも、放っておかれると寂しがってこっそりと鳴き声をあげるところも。

ここに置いて欲しいんですけれど、と僕に土下座してみせたしおらしさは、今となっては演技だったのではないかと思えた。
たとえ演技だったのだとしても、結局は情にほだされたほうが負け。現状はそんな恋愛の法則に似ている。負けてしまったのだから仕方ない。



珍しく陽のあるうちに仕事が終わり、主婦のように夕食の献立を考えながら僕は駅前の商店街に出た。照らす陽光がスーツを濃い茜色に染める。

歯磨き粉が切れそうだったことを思い出して入ったドラッグストアの入口近く、洗剤の棚の前で緊張感のない背中がふらふらと動いていた。
手に提げたカゴをのんきに揺らし、平日の夕方だというのにラフなジーンズ姿で。


「それ。上から三段目の、青いロゴのやつ」

「あれ、お帰りなさい。今日はずいぶん早いですね」

「望さんこそ、こんなところで買い物なんて珍しい」

「今朝買ってこいって言ってたじゃないですか。洗剤。」

「そうでしたっけ。歯磨き粉は?」

「言ってなかったですけど、切れかけてたから、ほら」


嬉しそうに彼が持ち上げてみせたカゴの中で、小さなチューブが転がった。
家事一般に無関心な彼にしては、珍しく気が利いている。感心しかけた僕を見て、思いついたように薄い唇がまるく開かれた。


「あ、スーパーに寄るんなら荷物持ちしてあげますよ」

「……何が食べたいんですか?」

「ロールキャベツ」


洗剤に手をかけたまま、眼鏡の奥の黒目が僕が頷くのを待っている。
交換条件として告げられたメニューは非常に面倒臭い。面倒臭い、が、買おうと思っているサラダ油やその他の重たい荷物と、デスクワークで凝り固まった両肩について考えた。

荷物持ち、という魅力的な言葉の響きに天秤が大きく傾く。渋々とひとつ頷いた。

せいぜい、普段買わない重たいものを思いっきり買ってやろう。牛乳も二本買ってやる。

胸の内でそうこっそりと誓った矢先、彼が持つカゴの中身に違和感を覚えた。
小さな歯磨き粉のチューブが、僕の視線の先で再びころりと転がる。
頷くなり軽くレジカウンターへと歩きだした彼を追いかけて、揺れる腕を後ろから掴んだ。服の布越しにぴくりと薄い筋肉が強張る。


「なんですか?久藤くんまさかロールキャベツ代は身体で払えとか言う気ですか。きゃあ怖い」

「誤魔化しても無駄ですよ。ふざけてないでさっさとその歯磨き粉を戻してきてください」


昼日中に放送されている時代劇の悪代官を真似たのか、声を低めてくるくると寸劇を演じてみせた彼は、看破されたことを悟って不満げに口を尖らせた。


「……歯磨き粉、これがいいんですけど」

「それ子供用でしょ」

「イチゴ味の何が悪いんですか!」

「開き直らないでください!全く、いい歳して甘いものばっかり……ほらさっさと戻して行きますよ」


虫歯予防に有効な成分を配合。
棚に戻した小さなチューブの代わりに、そんな謳い文句の歯磨き粉をカゴに放り込み、渋る彼の背を押す。

店の外では、鮮やかな夕陽がとろりとろりと街の裾野を溶かし始めていた。






















四万打フリリク文。
中途半端な関係が大好物です。色々と捏造しまくりですみません。



ご希望に添えているといいな……リクエスト、本当にありがとうございます!とても楽しく書かせて頂きました!


091018





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