※「雨月」の続き














目覚めると艶やかな帯を抱いていた。
自分の夜着の飾り気ない帯ではなく、宵の空を溶かしたような深く染み渡る群青に銀糸の波が散っている。

光沢のある布地はほのかに暖かい。微睡む意識をそのままに、鼻先を帯に擦りつけた。


「お前さ、その癖、なんとかなんねーの…」


頭上から、絞り出すような呻き声が聞こえる。
ふと目線を横にずらせば、黒い着物の端から毛を逆立てた尻尾が見えた。群青の帯を絞めた、黒い着物の端から。

両腕を暖めていたのは彼の体温だったらしい。未だ寝呆けた頭で納得しながら、鼻先を帯に押し当てたまま三橋は「お早う」と呟く。
朝方の空気は冷たく、心地好い体温を手放すには惜しい。


「……はよ」


腰を抱き抱えられたままの泉が、再び呻くようにぽつりと挨拶を返す。
毛の逆立った尻尾は持ち主の心境をあらわに、薄い掛け布団を押し上げてぴんと立っていた。







「お前、いっつも寝呆けすぎ」
「夜中じゃなくて、昼間に来れば、いいのに」
「夜中のほうが動きやすいんだよ」


バリバリと焼き魚の骨を噛み砕き、泉はひとつ溜め息を吐いた。
ほぐした魚の身を口に運びつつ、三橋は欠伸を噛み殺す。高く昇った太陽の健やかな光が庭先から部屋へと射している。
いつも夜中に訪れる泉を待つのは中々に骨が折れるのだ。最近、朝食は泉が作ってくれるので、以前より楽にはなったのだけれど。その代わり、毎朝必ず立派な魚が皿の上に乗ることになった。

黒い着物を折り目正しく着付け直した彼は、畳にきちんと正座してぬるく煎れた茶をすすっている。
こうしていると人間にしか見えない、などと考えながら、三橋は浅く漬けた胡瓜をぱりぱりと噛る。漬物を切り分ける泉を想像してわずかに口元が弛んだ。


「今日は何すんの?」
「洗濯、かな」


咀嚼していた漬物を飲み込み、庭の木々を眺めながら答える。麗らかな日差しを喜ぶように煌めく緑。晩春の草木は我先にと芽吹き健やかに育っている。

茶を飲み干した泉は大きく伸びをしてから、ひとつ欠伸をこぼした。


「眠い」
「夜中に、動くからだよ」
「仕方ねぇよ、俺夜行性だもん」
「う、えっ」


ぽすん、と泉の頭が正座していた三橋の腿へと倒れこむ。
弾みで取り落としかけた胡瓜の切れ端を慌てて皿へと戻した。


「洗濯するころに起こして」


それだけ呟いた泉は、そのまま膝を枕にすうすうと穏やかな寝息をたて始める。
背筋を丸め、膝に鼻先をすりよせるような仕草が猫のようで、つい、顎の下を指先でくすぐってしまった。ゴロゴロと喉を鳴らすこともなく、泉は少し眉をしかめて身動ぐ。やはり猫とは違うらしい。


明るい庭先を眺めながら黒い着物に包まれた肩をそうっと撫でた。胸に暖かな何かが広がっていく。

舞い込んできた短い平和は、さながら花蜜のように甘い。






















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なんでもない日常。

10.0223

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