※「ももいろのつぼみ→風を待つ」の最終話風もないのに散る花びらが三橋の髪に触れていく。
(泉くんの髪がすきなんだ)
その言葉を思い出しながら、泉は溢れる陽光に目を細めた。
校舎をつなぐ一階の渡り廊下、壁のない吹きさらしのそこは穏やかな初夏の日差しに包まれている。
少し前を歩く三橋の背中。白いシャツが目に眩しい。
薄い桜の花弁はすぐに蜂蜜色の髪を離れてふわりと落ちた。
数日前のことが今でも易々と脳裏に浮かぶ。
夕暮れの近い教室で、帰り支度をしなければと思いながらもなんとなく沈む夕陽を眺めていた。
整然と並んだ机の列。
どれも同じ材質で出来ているのに、三橋のものだけが特別に色付いて見えるのだから笑ってしまう。
行き場のない感情を抱えたまま何時まで過ごせばいいんだろうか。叶う見込みもないくせに。
タン、と短い間隔で上履きが廊下を叩く音が聞こえた。
眠ったふりをしたのは、小さく近付いてくる足音が耳慣れたものだったから。
足音ですら彼のものだと気付けるなんて、本当にどうしようもない。
教室の扉が開く。
視覚を遮断した暗闇で、全身の神経が三橋を追っていた。
淡い気配はすぐ近くでぴたりと止まり、少し躊躇うような間を置いて、髪に何かが触れる。
摘むとも撫でるともつかない微かな感触。
ゆっくりとまぶたを上げる。途端に、触れていたらしい三橋の指先は離れていった。
泉くんの髪が一番きれいだね。
その言葉に、泣きたいような気持ちになった。苦しい心臓がぎゅうっと縮んで悲鳴をあげる。
髪が黒いのは俺だけじゃない。そう思ったけれど、言わなかった。言えなかった。
一番綺麗だと思ってくれただけでいい。それだけでいいと、自分に言い聞かせて小さく笑った。
また、桃色の花びらがどこからか三橋の髪に降る。
今度はすぐに離れたりせずに、跳ねた髪の先にひっかかって、留まる。
明るいブラウンとピンクのコントラストが綺麗だ。
さらりと乱れた黒い前髪の隙間から、三橋の後ろ姿を見つめる。
俺なんかよりお前の髪のほうがよっぽど綺麗だ。
体育館でバスケをしている間中、感じていた視線が誰のものかなんて考えなくても分かる。当然だ。それをずっと俺は追っていたんだから。
叶わないと思って飲み込んでいた感情が溢れそうで、でも表面張力ギリギリのところでなんとか踏み留まっていた。
髪に触れられたあの日から、三橋の目が、あくまで無意識に自分を追っていることに気付くまでは。
なぁ、なんでお前は田島でも阿部でもなく俺の髪が綺麗だと思うんだ。
期待してもいいんだろうか。それとも。
おぼろげな境界が見えなくて、ただ足踏みを続けている。踏み込んだら元には戻れない。
桜の花弁はまだ三橋の髪に留まったまま揺れている。息が苦しい。
「なぁ、」
呼び掛けて、三橋が振り向く前に手を伸ばした。
指先で花びらを摘む。
初めて触れた髪は少し傷んでいて、でも想像していたとおりにやわらかい。指先から甘い痺れが体内に拡がる。
泣きそうだ。
「ずっと、見てただろ」
ややあって、三橋はこくんと頷いた。なんでもないことみたいに、自然に。
「いい加減に、気づけよ」
自分の気持ちにか、それとも三橋自身の気持ちになのか、自分でも分からないままするりと言葉が溢れた。
狂暴で切ない感情もついに溢れて、奪うような性急さで三橋の右手を引き寄せる。
薄い爪先の桜色。
そこに、唇を押しあてた。
皮膚越しに硬い爪の形を感じる。
欲深な行為はまるで神聖なものみたいに、美しい日差しに包まれて。
そのまま、歯の先で一度、柔らかく三橋の指先を噛んだ。
まだ胸は窒息しそうに苦しいけれど、触れたままの唇はとても幸せであたたかい。
「分かったか?」
爪先に触れている唇で囁く。か細く、風が吹けば消えそうな声音で。
三橋の頬が桜色に染まり、それからゆっくりと、だけれど確かに頷いた。
胸のつかえが初夏の陽に溶けて消える。
叶えた恋は花よりも甘く鮮やかな色をしていた。
花盗人(手折ってでも欲しいと、本当はずっと思ってた)─────────
三部作 完。遅くなりましたすみません。土下座!
テーマは「5月(初夏)くらい」「髪」「泉→(←)三橋が泉×三橋になる瞬間の話」
091224