自分で言うのも何だが俺は口下手だから、全てがきちんと伝わったかはわからない。ひどく訥々とした話し方だったと思うのに、ミノンはただじっと…真剣な眼差しのまま、目を逸らさずに聞いていた。

「……これで…終わりだ。」

「………。」

黙って頷くミノン。その顔付きは、初めて出会った時の人形味を帯びたそれとは違うが無表情で…ほとんど感情を悟らせない。やがてゆっくりと立ち上がると、俺にまっすぐ目線を合わせた。

「………何だ?」

「大好きです。」

一瞬柔らかい光が差したあと、視界が何かに覆われて暗くなる。

頭が彼女の腕(かいな)に抱かれているのだと気付くのには、少し時間がかかった。

「…大好き…あなたの全部が。」

「………。」

知らなかった…優しい温かな感触。…苦しくはない。ただ初めてのことに戸惑い、言葉を失ってしまう。抱き合うことはあっても…こんな風にされたことはなかったから。

ふわりと一瞬離れたかと思えば側頭部に胸元を当てる様に抱え直され、視界の端に光輝く白い翼が映る。

「……聞こえますか?」

とくとくと刻まれる拍…血の流れる音。そのテンポは俺のそれより速くて、しかし何故かどこか安らぎを感じた。

「もう、純粋なヒトではなくなって久しいけれど…私の心臓は動いてる。だから私はあったかい。だから私は、[私はここにいます]って、胸を張って言えるんです。…あなたの傍に…ずっといるよ、って。」

柔らかい声の中、変わらず脈打つ鼓動。小さな手が髪を撫でていく。

「…あのね……一緒にいる時は、隣に居られるだけですごく幸せ。それに、お話ししたり、撫でてもらったり…抱き締めてもらったりすると、怖い怖い世界も怖くなくなるの。…お留守番の時は心配だし寂しいけど、このお家であなたの帰りを待ってる。今どこで何してるのかなとか、帰って来たら何を話そうとか考えながら…お洗濯して、お掃除して、ご飯作って…。」

そよ風に乗る羽の様に離れて行くミノン。ソファに腰掛けた状態の俺と同じ位の背丈しかない彼女が床に足を着けると、闇夜の星空を嵌め込んだような瞳とすっと目が合った。

「…それであなたが帰って来たら、あなたに[おかえりなさい]って言うんです。…まだ、言ってなかった…

──おかえりなさい、サラマンダー様。」

その微笑みを目にした瞬間、何かが動く。

「…きゃっ…!?」

気付いた時には力のままに彼女を引き寄せ、抱き締めていた。

「サラマンダー様…?」

「…っ…悪い…何でも…ない…。」

何でもない、と口では言いながらも体が彼女を解放することを拒む。どうにも出来ずそのままでいると、ミノンは静かに…そして歌う様に言った。

「……いつもあなたが、私を守ってくれたみたいに…私も、あなたを守りたいの。それが…好きってことだと思う。」

再び背中に回される細い腕。すり…と肩の辺りに頬擦りされる。

「…もしも、あなたが辛くて…あしたが少し見えなくなった時は、私があなたの明日になる。頼りなく思えるかもしれないけど…本当だよ?いつだって、傍にいるわ。呼んだらどこへだって行く。」

俺の腕の中に収まったまま、顔を上げるミノン。その表情はいつもの…いずれは散りゆく花のような笑顔ではなかった。太陽とも少し違う──明るい星のような笑み。

そっと、柔らかいものが唇に触れる。

「…私、あなたの傍に居られて、すごく幸せなんだよ。生まれて…生きてきて良かったって、本気で思ってる。……帰って来てくれて…隣にいてくれて──ありがとう。」

「……っ……。」

不意に、すぅっ…と頬を伝う雫。

………俺はやっと、自分の不可解な行動のわけを解した。

「…サラマンダー様…?」

華奢な体。
不安定な心。
大きすぎる力。

支えるべき対象だった。守ってやらなければ崩れてしまいそうな気すらしていた。

昔を思えば信じられないほど安定はしたが…それでも彼女は、未だふとした瞬間に消えてしまいそうな雰囲気を纏う。

だから俺が、傍にいてやらなければと。
共に在って、笑顔で居させてやろうと。

そう思っていた。──だが、それは違った。

[いてやる][させてやる][なければ]…そんな感情は、ごく表面的なものでしかなかった。己の<本当の気持ち>に気付かない愚かな男の、独り善がりな思いでしかなかった。

なぜ昨夜ここに向かったのか。
なぜ彼女の存在を求めたのか。

それは、この温もりが欲しかったからだ。この少女に会いたかったからだ。触れて…確かめたかったからだ。


……本当の、俺は──傍にいたかったんだ。


ひとすじ零れた粒を追うように、雫が次々と伝っていく。苦痛以外で涙を流したことも、人前で涙を流したことも…今までただの一度とてなかったというのに。それは止まらず、頬を濡らす。

…──俺はようやく、この腕の中にすっぽりと収まるほど小さな…脆く儚いはずの存在が、これほど強く温かいことに──自分が支えられていたことに、気付いた。

「……だいじょうぶ。怖くないよ…一緒に、いるからね。…大好きだよ。」

安心させるように呟き、俺の背中を撫でるミノン。その手付きはひどく優しく…慈しみに溢れていた。

………つらい。

辛い。

この存在が愛しすぎて…辛い。

流れる涙もそのままに、口付けを返す。

「……俺も…おまえが好きだ。

──ただいま、ミノン。」



fin.



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