人気の無い建物裏を、一気に静けさが包む。
「………。」
「……サラマンダー様、本当に…どうなさったんですか?」
しばらくサラマンダーの様子を窺っていたミノンは、随分経ってからやっと口を開いた。
「いつもなら、この様な所には…いらっしゃらないでしょう?…何か、火急の用件がおありなんじゃないんですか?」
「………。」
深くゆっくりと息を吐くサラマンダー。低く掠れた声で言葉を紡ぎ始める。
「……仕事が入った。………しばらくの間、ここには戻れない。」
「……しばらく?」
「………少なくとも…半月は。」
「っ…!」
大きく見開かれる夜空色の瞳。
「……断れなかった…。」
「…っ……あ、…の……頑張って、来て…下さい。…石も、ちゃんと…着けてって…下さいね。」
「……いつも着けてる。」
サラマンダーは無造作に髪をかき上げ、耳のピアスを見せた。
「知ってます…でも……長いお仕事は、やっぱり…心配で…。」
両手を胸に当て、俯くミノン。
「………。…舞台…。」
「……それは…仕方ない、ですから…。…もともと…お仕事がなかったら…って約束…でしたし…。」
「………。」
「…いつ…出発ですか?」
「……今すぐにでも。」
「今すぐ…!?」
ミノンはばっ…と顔を上げると、再び足下の地面に視線を落とした。
「…それで、わざわざ…。」
「………ああ。」
サラマンダーに長期の仕事は滅多に入らない。だが…全く無い訳でもない。
「……あ、あの……。」
その出立の度に、ミノンは同じ気持ちを隠し…同じ言葉を震える唇で告げた。
「…早く……早く、帰って来て…下さい…。」
「…善処する。」
「私……っ…私……良い子でお留守番、して…舞台も…頑張ります…から…。だから…。」
ミノンの視界が暗くなり、肩や背中に暖かいものが触れる。
「…サラマンダー、様…?」
「………。」
黙って抱き寄せたまま、動かないサラマンダー。
「…サラマンダー様…。」
やがてミノンも、ぽす…と逞しい胸板に身を預けた。煙草の微かな香りが鼻をくすぐる。
「……マリアも…ドラクゥに、こうやって慰めてもらったんでしょうか…。」
「………さあな…。」
「…さびしい…時にも…辛い時…にも…。」
「………。」
「空にふる…あの星を…あなたと思い……望まぬ…契りを…っ…。」
急に言葉を詰まらせるミノン。
「……どうした?」
「…何、でも…ありません…。」
「………言ってみろ。」
咎めたり強制したりする風ではなく、柔らかい口調でサラマンダーが言う。
「……き……嫌われる、から…言えません…。」
「…俺は今さら愛想尽かしたりしねえよ。お前が何と言おうが…。」
「……自分勝手な…わがまま…ですから…。」
「………。」
話そうとしないミノンを、サラマンダーはまるで幼子をあやす様に撫で始めた。
「………気にしねえ、つってんだろ…。」
「………。………行かないで…下さい。」
声を絞り出す様に告げるミノン。
「…行かないで…。」
もう一度、消えそうな声で呟く。
「……金がなきゃ…食ってけねえんだが。」
「…じゃあ、私を連れてって…。…あなたを、一人で危険な目に…遭わせたくない…。」
「……お前も危険な目に遭うだろ。」
「そんなの構わない…です…。」
沈黙が二人を包む。
「………お前は…連れて行けない。」
理由は言わず…しかし断言するサラマンダー。
「…………はい。」
ミノンも聞き出す事はしなかった。
「……帰って来る。」
「………。」
「…じゃあな。気を付けて帰れよ。」
ぽんぽん…とミノンの頭を軽く叩くと、サラマンダーは闇へと消えた。急な肌寒さに身震いするミノン。
「……行ってらっしゃいませ、サラマンダー様…。」
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