重い闇に纏わりつかれ、動けない。
もう、何も……考えたくない。
W-@喪失
明るい。
横になっていた体を起こしてみる。
どこだろう……ここ。
「──……。」
「え?」
何て言ったの? 聞き取れない。
そう思ったら、急に酷い耳鳴りがした。思わず耳を塞ぐ。
「……──?」
目をギュッと瞑ると、突然それは治まった。そうっと手を離してみる。
「…………どうした?」
すると、さっきと同じ声で……でも今度は聞き取れる言葉が聞こえた。少ししても大丈夫だったから、強く閉じていた瞼も上げる。
「急に、耳鳴りがしたの。……?」
「…………何だ。」
光が眩しい。ボンヤリしていた世界が、だんだんはっきりしていく。すると──目の前には、とっても大柄な男の人がいた。珍しいな……真っ赤な髪の毛だ。
「ここ……どこ?」
周りを見渡してみる。船……かな。波立つ海に合わせて床がゆらゆら揺れている。辺りには誰も──この人以外には誰もいなかった。船を動かす音の他に聞こえるのは、波の音だけ……すごく静かだ。
「…………あなた、だれ?」
「……!」
あれ?
男の人の瞳は髪に隠れてよく見えないけど……何となく今、驚いた様に見えた。……でも、初対面……だよね?
「…………何かの冗談のつもりか?」
「……? どこかで……会ったっけ?」
初対面じゃ……ないのかな。──初対面?
「……おまえ……。」
「ごめんね、思い出せな…………っ!」
“思い出す”?
「…………どうした。」
「ね、ねえ……私が、さっきまで、……今、目が……覚める……まで…………何を、してたか……――知ってる?」
「…………は?」
思い出す、って──……
何を?
「……まさか、おまえ……。」
私の中は、空っぽみたいだ。
今まで何してたの?
名前は何ていうの?
真っ白だった。──心の中に問い掛けても、ただの一つだって答は返って来ない。
「わから、ない……思い、出せない、の……っ! あなただけじゃない……自分のことも、ぜんぶ……!」
「……何だと……?」
上にあるのは青い空、下にあるのは青い海。
よく考えればモノの名前はわかるのに、なのに……この人の、自分の、名前がわからない。
あなたはだれ?
わたしはだれ?
「……少し、待ってろ。」
「っ、どこに行くの……!? お願い、ひとりにしないで……っ!」
思わず逞しい腕を掴む。心細かった。だって、何もわからない。ここはどこなのか、どうしてここにいるのか、これまで何をしていたのか、これから何をしたら良いのか。……何の答えも、私の中には見つからない。
あなたは誰?
わたしは……何?
男の人はほんの少しだけ目を見開くと、ゆっくりとため息を吐いた。
「……人を呼んでくるだけだ……。」
諭す様な低い声にそう言われて、自然と手を離してしまう。少し経つと、言った通り金髪の男の子と一緒に戻って来てくれた。この人にも……会ったことがあるのかな。
「…………オレのこと、わかるか?」
「……ごめんね、わからない……会ったこと、あるの?」
「…………! ……あるよ……今まで、一緒に旅をしていた。ジタンっていうんだ。コイツはサラマンダー。」
「…………。」
一緒に旅をしていたの?
さっきまで、一緒にいた人を……どうして思い出せないの?
記憶ってなに? 私のはどこ?
どこかに消えちゃったの?
それとも……もともと……ないの?
すごく、胸が苦しくなる。悲しい……違う、寂しい……ううん、……不安?
笑顔に、ならなきゃ。
海は青、空も青。
不安なら──笑顔。
どうしてそう思うのかはわからない。でも、これはきっときっと、誰かが教えてくれた大切なこと。
「よろしくね、ジタン、サラマンダー!」
精一杯の笑顔でそう言った途端、二人して驚いた顔をされる。何か……変なこと言ったかな?
「ど……どうか、したの? 二人とも……。」
「っ、あ……いや、……何でもない。……おまえ、自分の名前は?」
「……わからないの。」
「そうか……オレ達と旅してた時は、ミノンって名乗ってたぜ。」
「ミノン……。じゃあきっと、私の名前はミノンって言うんだね。」
おかしな感じ。自分の名前のはずの名前なのに……何だか遠い。まるで他の人の名前みたいだ。
「ああ。ここはブラネの……つってもわからないか……オレの仲間の母親の、船の上だ。で、その母親っていうのが亡くなってな……今はその葬儀の為に、アレクサンドリアっていう、その人の故郷まで帰ってるんだ。」
「……そうなんだ……。」
「もうすぐ着くと思うから、ここにいてくれるか?」
「うん……わかった。」
「サラマンダー、悪いけど頼むわ。」
「…………。」
しばらくすると、建物の中に船が入った。何か大騒ぎだったけど……やっぱり私には全然わからない。
「あ、ミノンおねえちゃんだ!」
サラマンダーに「ここにいろ」って放置されたものの何もできることがなくて、一人でぼーっと石造りの内装を眺めてたら、とんがり帽子の男の子がこっちに走って来た。途中で思いっきり転んだけどすぐに立ち上がる。
「よかった、目が覚めたんだね。倒れたから心配したんだよ……どうしたの?」
「あ……えっと、あの……。」
どう言って良いのか迷う。──さっき「わからない」って言った時のジタンの表情が、忘れられなかったからだ。何て言えば良いのかわからないけど……すごく、ショックを受けたみたいな顔だった。この子にあんな顔を、……できればさせたくない。
だけど、どうやっても何かを思い出すことは無理だった。この子の──名前でさえ。
「……その……ごめんね。私、全部──忘れちゃったの。」
「えっ……!?」
どうにもならなくて正直に話すと、男の子はすごく悲しそうな顔をした。本当に、どうして思い出せないのかな……私も悲しくなる。
「だから、あなたの名前も……思い出せないんだ。さっき、ジタンに自分の名前は教えてもらったけど……。」
「そ、そんな……ボク、ビビだよ。」
「よろしくね、ビビ。」
また不安になったのを隠したくて、笑ってみる。
「わぁ……!」
するとビビは突然、その金色の瞳を大きくして驚いた。わ、私……何かした?
「ど……どうしたの?」
「あ、え……えと……おねえちゃん、話し方、変わったね。」
「えっ……そうなの?」
特に意識してなかったけど、それならジタン達が驚いたのもわかる気がする。……でも、前はどう喋ってたんだろう。見当もつかないや。
「前は全然違った?」
「う、うん……前は、もっとていねいな……っていうかひかえめな話し方だったんだけど……ジタンとか、びっくりしてなかった?」
「言われてみれば……うん、すごくしてた。直した方が良いのかな?」
「う、ううん! ぜんぜん、このままでいいと思う!」
「そう? ……じゃあ、このままにしとくね。」
しばらくすると、騒ぎが少しずつ収まってきた。ジタンがこっちに歩いてくる。
「ビビ。とりあえずここを出て、外で宿を探そう。……ミノン、オレと……一緒に来てくれるな?」
「うん。──ありがとう。」
私の知らない私をみんな知っている。
みんな知っている私を私は知らない。
私の知らない私は私じゃないのかな。
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