森宮莉子は突き進む。 | ナノ
マイナス×マイナスはなぜプラスになるのか。
最寄りの図書館に本を返却しに行ったその帰り道。土曜日なこともあり、大通りを沢山の人が行き交っている。
人混みに酔いそうだから寄り道せずにこのまま帰宅しようかと足を駅の方向へ向けた。
「──お待ちなさいな」
棘のある声で呼び止められた。それは私に対して発した命令なのだろうか。
聞き覚えのない声を怪訝に思いながら振り返る。
──そこにいたのは見知らぬ老婦人だ。つばの広い帽子を被ったその姿はベテラン女優さんみたいな雰囲気がある。私を見るその瞳は鋭くて少し威圧感があった。
その人は腕を組んで威圧的に私を見上げている。
…誰だろう。知り合いにいたっけ?
「あなたかしら? うちの拓ちゃんとお付き合いしている女性というのは」
「……」
拓ちゃん? ……お付き合い?
老婦人の口から飛び出てきた単語に私は戸惑い、首をかしげた。
考えを巡らせ、拓ちゃんというあだ名が久家くんのものであると推定すると、彼関連の人であると理解する。
「違います。私はただの同期です」
「まぁ! しらばっくれないで頂戴! 調べは付いているのよ!」
「そんなこと申されましても」
私は久家くんと交際した覚えは一度もない。
「あなた、拓ちゃんの特別な人だと紹介されたそうじゃない! 息子や息子嫁にも話は聞かされているのよ!」
この人にとっての息子ってのは…久家のおじさんの事かな? つまりこの人は久家くんのおばあさんって事か。……なかなか強烈そうな人である。
なんだろう、久家くんのお見合いを間接的におじゃんにしたこと(※向こうが喧嘩を売ってきた)を逆恨みしているのかな。実は澤井娘との縁談を推していたのだろうか。
「あの、それはお見合いを回避しようと久家くんが…」
私が弁解しようとすると、老婦人はすっ…と私に手のひらを見せて制止してきた。
「どうやらお話し合いが必要なようね。いらっしゃい」
「えぇ……」
こっちの都合は無視ですか。
拒否は許してもらえなさそうな空気だったので、私は仕方なく老婦人についていった。
そのまま連れていかれたのは個室があるカフェだ。一応プライバシーを守ろうとしてくれているらしい。
「紹介が遅くなったわね。私は久家絹枝。拓ちゃんの祖母に当たります」
飲み物を適当に注文し、店員さんが一度退室すると、目の前に座る老婦人が自己紹介してきた。
やっぱり久家くんのおばあさんだった。
「……K大学医学部医学科4年所属の森宮莉子です。久家くんの同期になります」
なので私も引き気味に自己紹介し返すと、彼女はふんと鼻を鳴らし、私のことをじろじろと観察してきた。
「見た目は悪くない。が、着飾ることはしない。同じ医学部生で学年トップレベルの特待生……」
どうやら品定めされているらしい。
口に出されるとなんか居心地悪くなるんですけど。
「母親は看護師、父親は会社員で、後ろ盾はない……」
「あの、私と拓磨さんは学友なだけです」
久家くんの相手として相応しいかどうかを見極めているようだが、私と久家くんはそういう関係ではないので時間の無駄なだけだと思う。そう思って口を挟んだのだけど、おばあさんはカッと目を見開いて叫んだ。
「しらばっくれるんじゃありません! 特別な感情を向けられていることはわかっているのよ!」
「ええ……」
特別……そういえば久家くんに特別な存在と言われたことがあるので、それは否定しない。
でも本当に私達の間に男女関係はないのだ。
「男女の垣根を超えた親友だと認定された覚えはありますけど……」
「大学生にもなってお友達ごっこのつもりなの!? あなたも大学4年生ならば恋愛の一つや二つしたことがあるでしょう」
「ありませんね」
こちとら医者になるため突っ走ってきたんだ。恋愛に現を抜かす暇などなかった。
胸を張って言うと、おばあさんは勢いが削げた様子で黙り込んでしまった。なんだか頭が痛そうな顔をしている。
「今の子は幼稚園児ですでに彼氏がいるって聞くのに……」
「それは一部の早熟の部類です。単純に私が恋愛に興味ないだけですから」
幼稚園児より子どもだと言いたいのだろうが、だからとなんだというのだ。生涯未婚率が上がっているんだから、私のような存在探せばいくらでもいるぞ。
「枯れてるわ……」
「よく言われます。ですけど今の私が集中するべきは学業です」
特待生の地位を維持するためにも、勉強だけに集中したい。恋愛に溺れてこれまでの努力が水の泡になることだけは避けたいのだ。
「生憎、私は勉強するために、医者になるために大学に通っています。恋愛は無縁で邪魔な存在だと考えております」
恋愛なんてしたい人だけがすればいいのだ。押し付けるものじゃないのだから赤の他人にどうこう言われようと知ったことではない。
おばあさんは背もたれにもたれ掛かると、深くため息を吐き出した。
「……森宮さん、あなたは拓ちゃんをどう思っているのかしら?」
「同じ志を持つ仲間ですね」
「違う、そういう事じゃなくて」
嘆くように首を横に振るおばあさん。
どう思ってるかって言われたから素直に答えたのに……久家くんの印象といえばやっぱり……
「女性不信を拗らせた人だけど、一度懐に入れたら心強い味方」
「間違ってないけど、もっと深堀りしてっ!」
……どういう回答を求めているんだこの人は。
私は呆れを隠さずに居られなかった。
「……顔立ちが整ってますよね。イケメンだと思います。眼鏡も魅力の一つですけど、外すと印象が変わります」
「そうなの、あの子は賢くてカッコいい自慢の孫なの! 拓ちゃんの顔は好き!?」
「嫌いではないですよ」
「よっしゃ!」
見た目上品なおばあさんがガッツポーズする瞬間を見てしまった。アンバランスで見てはいけないものを見てしまった気分になる。
一体なんなんだ。
「だけど、顔が整ってると異性があちこちから寄ってきて大変そうではあります。本人も中身を見てほしい的なニュアンスで物を言っていたので」
「そうなのよねえ、あの子の父親みたいにどこにでも居そうな顔ならあそこまで女性が苦手にならなかっただろうに……」
この人、自分の息子の顔面を平凡だと言ってのけたぞ。まぁ、中立的な視点でモノが見れている証拠か……その割に孫バカ発揮してるけど。
「逆に考えたら、女遊びがひどい人間にならなくて良かったんじゃないですかね」
「……そうね、あの子が来る者拒まずな男にならなかった事に感謝しましょう」
私がフォローするとおばあさんは少し落ち着いた。
「私の夫や息子も医者という立場目当てで寄ってくる女に辟易していたから、あの子の気持ちもわかるの」
「女性にとって医者ブランドは大きいんでしょうね……」
一方の私には男が寄ってきた試しがないけどね。パパ気取りが近くにいるせいかもしれんが。
「私が夫と出会ったのは久家家が経営する病院。当時私は新任の看護婦で、彼は5つ上の院長子息。女性たちのあこがれの的だったわ」
聞いてもないのに、馴れ初め話をし始めたぞこの人。
看護婦呼びの時代か。呼び方を看護師に統一したのが2002年頃だから、その前に引退したのだろうか。
「院長夫人になりたいと夢見る面々が派閥となって水面下で争いが起きて……私はとばっちりを受けていたわ……」
──主に業務面で。と呟くおばあさんの目は遠くを見つめていた。
実習でも実習生が冷遇されてる姿を目にしたけど、新任の看護師も先輩に恵まれなかったら大変なんだろう。
「患者さんの為にと目を回しながら必死に頑張っていたところをあの人に見られていてね、頑張っているからって差し入れをくれたの。なんの変哲もない缶ジュースだったけど嬉しかった」
それがきっかけで親しくなっていく過程で、院長夫人の座を狙う未婚女性陣からイビられたそうだけど、乗り越えて行ったのだとか。
医師と看護婦の恋愛か。ドラマがあっていいと思います。
「森宮さん、あなたはさっき恋愛は無縁で邪魔な存在だと言っていたわね。違うのよ……恋は落ちるものなの」
「……はぁ」
「自分の意志とは関係なく好きになっているものなの」
なんかドラマのセリフみたいだな。
でも好きになろうとして好きになれる訳じゃないのはわかる。それは異性じゃなくても同様だもの。嫌いな人を好きになるって、きっかけが無いととても難しいと思う。人の心ってのは単純に見えて実は複雑だから。
そう例えば、私と久家くんのマイナス印象な出会いからして……
あの頃のことを思い出して、私はどこか引っかかった気がした。
私はいつ久家くんに好印象を持つようになったんだっけ?
安心して背中を任せられる存在になったのはいつだったっけ?
「だけど大病院を経営している久家家に嫁ぐならば、愛だけじゃ回らないの。器量が必要なのよ」
その言葉に私は思考の淵から浮上した。そして呆れる。
おばあさんはまだなんか誤解しているみたいだ。私と久家くんはそういう関係じゃないと言っているのに……
「大学のお勉強だけじゃ補えない事も多いの。お勉強ができるからといって、拓ちゃんのお嫁さんになれるとは思わないことよ」
「いや、あの…なる気はないですけど」
私たちの気持ちを確認せずに勝手に嫁候補にしないで欲しい。久家くん本人も困るだろう。
もしかして、久家くんが普通に話せる数少ない女友達だから、焦ってそんな気になってるの?
「あなた習い事の経験は?」
「……子どもの頃はガールスカウトと英会話教室を」
「華道や茶道の経験はお有りじゃない?」
「役に立ちませんからね」
「そんなことないわ。立派な教養よ。私のよく知っている先生を紹介するから……」
語り出したらおばあさんは止まらなかった。
私は帰るタイミングを完全に失い、こんこんと語られる嫁の心得的な話を拝聴させられたのであった。
ちなみに習い事先の紹介は丁重にお断りしておいた。
←
|
→
[ 79/107 ]
しおりを挟む
[back]
×
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -