森宮莉子は突き進む。 | ナノ
女性が一生で排卵する卵子の数は400個〜500個と推定されます。
他人の恋愛のいざこざは自分の知らない所で勝手にやってほしい。
そんな風に思っていた。
「妊娠したの! 先輩の子ですよ!」
そんな声が医学部キャンパスのカフェテリアで響き渡った時、私は脱力した。こんな状況で自習を続けられる訳がなく、シャーペンを動かす手を止めた。
テーブル何個かを挟んだ先に一組の男女が対峙している。その光景に過去のあの苦い思い出がフラッシュバックして息が詰まった。
しかも叫んだのがつい最近ちょっと接点のあった三輪さんという女子学生だし。関わりたくないなぁと思っていたけど、向こうが近くで騒ぎを起こしちゃってるし。
カフェテリア内で各々の時間を過ごしていた学生たちはどよめき、注目していた。
妊娠したと大声で訴えられた男子学生は複数の無遠慮な視線に耐え切れなくなったのか、がたっと荒々しく席から立ち上がると、叫んだ。
「俺の子供じゃないだろ! お前、色んなやつに声かけてたじゃないか」
「なっ……! あんたゴム付けずにしたじゃない! 私は付けてって言ったのに!」
「外に出したんだから問題ないだろ!」
馬鹿か。
あんたは医学部で何を学んできたんだ。
医学部生なのになんて馬鹿な真似をするんだ。妊娠をなんだと思っているんだ。
とんでもないおバカだ。私は我慢ならなかった。
「膣外射精は避妊方法じゃない! 妊娠確率は22%もあるの。5回中1回の行為で妊娠する可能性があるんだぞ!」
外野から私が怒鳴ると、彼らは目を丸くして固まっていた。
「性的興奮による男性器からの分泌液にも精子が含まれている! 自分は大丈夫と思うな!」
コンドームを正しく装着しても、2%の確率で避妊失敗するんだ。
何を根拠に自分は大丈夫だと思っているのかは知らないが、もっと勉強しろ。
医学部生でありながら、こんな無知な人間が存在するなんて同じ医学部生として恥ずかしい。
ふんっと鼻を鳴らすと、私はずかずかと騒ぎの渦中に近づいて行った。
そして三輪さんを背に庇う形で、目の前の男子学生を見上げる。
「殴るなよ!」
「な、なんだよあんた……」
突然割り込んできた私という存在に狼狽える男子学生。私は相手がどう動くかを注視しながら、グッと唇をかみしめた。
「妊娠疑惑のある女性のお腹を殴るのだけはやめてくれ、あの光景はもはやトラウマなんだ!」
二度と私に同じ光景を見せないでほしい。
あの痛々しい事件を思い出すと過去の事なのに現在起きている事みたいに錯覚して怒りが湧いてくる。
私はきっと複雑な表情を浮かべていたに違いない。その形相に男子学生が引いた顔をしていた。
「な、殴ってないですけど」
戸惑いとともに否定されたけど、私は安心できなかった。
そうなんだけど、人間誰しも何をやらかすかわからないから怖いんだよ。
この男も、後ろの三輪さんの身体目的で遊んでいただけだろうから、妊娠していたら中絶して終わり。殺した胎児のことは何も考えずにのうのうと生きていくに違いない。
中絶した女性の体がどれだけダメージを受けるか理解せずに生きていくと考えたら腹が立つ。
「森宮先輩、落ち着いてください」
睨むことで男子学生を威嚇していると、横から少年がストップをかけてきた。
ハッとして横を見ると、少年は私の背後にいる三輪さんを静かに見下ろしていた。
「……三輪さん、妊娠検査薬は試した?」
思わぬ問いかけに私は目を丸くした。
それは三輪さんも同様だった。
「まだ……でも生理が半月もこないのよ!」
「女性の体は繊細なんだ。ストレスで大幅に遅れることがあるし、他の病気の可能性もある」
感情的に返す三輪さんに流されることなく、落ち着いてやりとりする少年からは感情の揺れは伝わってこなかった。
そういえば婦人科希望だったね。まだ講義で医学を学べなくても、今の時代、本やネットでいくらでも学べるからそこから知識を得たのかもしれない。
……私は過去のトラウマを思い出して頭に血が上っていたので、そっちに考えが至らなかった。己を恥じる。
「落ち着いて婦人科受診しておいで。話はそれからだよ」
幼い雰囲気があると思っていたけど、落ち着いて諭す少年は本来の年齢よりも大人に見えた。
私が思うより、彼はしっかりした人間だったのかもしれない。
「それにこんなところで騒ぐのは拙すぎる。他の方々のご迷惑にもなっているし、君たちの評判にも今後影響してくるよ?」
「なによ、偉そうに。あんたは無関係でしょ!」
正論で諭されたのが気に入らなかったのか、三輪さんはカッとなって反論していた。
うすうす勘付いていたけど、この子は少年のことを見下している空気があるよね。この少年も三輪さんの彼氏(仮)と学年は違えど、医学科の人間で将来の医師になる人間なのに。
──そこにはもしかしたら、家柄や経済力が関わっているのだろうか。少年は私と同じで後ろ盾のない一般家庭の出身だから。
私もそれには覚えがある。それによって潰されかけた過去があるから。
三輪さんから拒絶の言葉を吐き捨てられた少年は諦めた様子でため息をついていた。
心底がっかりしたと言わんばかりのため息。
「僕は医者を目指している人間として言ってるんだよ。そして同じ医学部の仲間として心配して言っただけなんだけど、君には余計なお世話だったみたいだね。ごめんね」
もういいと関心を無くした様子で少年が目をそらすと、そのタイミングで「この騒ぎを引き起こしたのはどなたですか!?」と事務局の職員さんたちが割って入ってきた。
私が問題の人物を示して「このふたりです」と知らせると、彼らは事務局に連行されていった。
連れていかれる三輪さんの後姿を見送る少年の背中はなんだか悲しそうに見えた。
「少年、先輩は大いに感動したぞ」
声を掛けながらその後頭部をわしわし撫でてやると、びくっと彼の肩が揺れて慌てて振り返っていた。
「森宮先輩、からかわないでくださいよ」
「よしよしカッコイイぞ」
なんだろう、この感情。
あぁ、妹の成長を見た時と似たような感情だ。
困った顔をしている少年の頭をナデナデしてやると妹の姿と被った。
妹のひとつ年上なだけの少年は、いつの間にか私の弟分になっていたのかな……
「触りすぎ」
少年のカラーリングもスタイリングもしてない健康的な髪はつやつやで撫で心地がよかったのだけど、それを久家くんに妨害された。
久家くんこの間からやたら機嫌悪いよね。少年を敵視しているっていうか。
◇◆◇
三輪さんは婦人科を受診したそうだけど、妊娠ではなく、ただ単に生理が遅れていただけだったらしい。
これらの情報は騒ぎを引き起こした片割れの男が友人に暴露し、それが噂になって広まった形といえよう。
騒ぎを起こしたものの、それによって退校処分、停学などの処置はなかった。
しかし悪目立ちした彼らは、学部内で噂の的だった。
「ね、ねぇ天羽くん」
頬を赤く腫らした三輪さんが少年に声を掛けている姿を見かけた時、私はなんてタイミングだと自分の間の悪さを呪った。
1年生とは普段学んでいるキャンパスが異なるのに、どうしてこの広い大学構内で遭遇するのかなーと思いながら、気配を消して後退していく。彼らの会話が聞こえる範囲にとどまったままだけど。だって気になるもん。
「……」
「親に殴られたの。遊んでるなら大学辞めさせるぞって」
声を掛けられた少年は何も聞いていないけど、三輪さんが勝手に解釈して腫れあがった頬の理由を話していた。
「この間はありがとう。それと感情的になって八つ当たりみたいな真似をしてごめんね?」
「別に……何事もなくてよかったね」
どうしたのだろう。少年に対する三輪さんの態度が激変している。
この間まで歯牙にもかけない様子だったのに……まさか、ターゲット変更したとか?
「私、心を入れ替えて学業に専念する。それでさ……連絡先、交換しない?」
彼女の言葉に私がしょっぱい顔をしてしまったのは無理もない話である。
少年の恋心を利用して傷つけたくせに、何を言っているんだろう。
「ごめん、今スマホ修理に出してるから」
「あ、なら修理から戻ってきたら教えてねっ」
手元にスマホがないのだと説明された三輪さんはかわいく微笑んで手を振ると、小走りで駆けて行った。
──え、連絡先交換する流れなの?
これは……少年にとって良くないほうに進むんじゃないだろうか……
「あ、森宮先輩」
「やぁ」
気配を消したつもりだけど簡単に見つかってしまった。
私が軽く手を上げると、少年はおもむろにデニムの後ろポケットからスマホを取り出した。私はそれにぽかんとした。
「僕と連絡先交換しませんか?」
「スマホ修理に出してたんじゃないのかい、少年よ」
私の指摘に対して、少年は返事をすることなく小さく笑った。
この子は……割としたたかな奴だな。
スマホがないと嘘を吐くことでやんわりと連絡先交換を拒絶したんだ。
「森宮先輩、いい加減僕の名前覚えてくださいよ。天羽ですってば」
「あぁ、ごめんごめん」
少年……天羽くんに促されるまま連絡先交換することになった。
目の前の少年を私は見誤っていたのかもしれない。
割とメンタル強めだなこの子……いつか凄い人物になるかもしれんぞ。
──逃がした鳥はおおきいな、三輪さんよ。
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