森宮莉子は突き進む。 | ナノ
埋められない格差
澤井代議士はうつむいてしまった。
完全なる無駄骨であったと知って脱力しているのだろうか。
「──…死に物狂いで医師免許を取ったとして、就職先がなかったら君も困るだろう?」
ぼそり、と唸るような声で呟かれた言葉。就職妨害する的な発言をされた私の眉間にしわが寄った。
そうきたか。久家くんとは友人関係だって言っているのに、それでも私を潰すっていうのか。
それはハッタリか、それとも本気で言っているのだろうか。
この人はどこまで権力を持っているのだろう。
寄付するほど裕福なんだ。地元では多大な権力を持っているのかもしれない。そんな人からしてみたら私なんてプチッとたやすく潰せる存在なのかもしれない。
その影響力はどこまで……県外、はたまた僻地までも及ぶのだろうか……
少し怯みそうになったが、ここで負けるのは自分で自分を許せない。
ギッと前を睨みつけて口を開く。
「汚い手を使って私を引きずり降ろそうってわけですね。娘の色恋の為だけに、一介の医学生の未来を潰そうって魂胆ですか!」
私は周りの客に聞こえる様に大きな声を出した。
隣の席で友達と勉強していた見知らぬ学生が目を丸くしてこちらを見ていたが、それでいいのだ。
第三者の注目を向けるのが目的だったから。
「いいんですかぁ? 議員さんがそんな風に人を貶めて。もしかしていつもそうして政敵を葬っているんですか? 政治家ってこわいなぁ」
「はっ!? 失礼なっ撤回しなさい!」
わざと煽ってみると、相手は唾を飛ばす勢いで撤回を求めてきた。
その反応、もしかして図星だったりする?
私は机の上に置いていたスマホを持ち上げると、その画面を見せつけた。
大人なら、そして政治家なら尚更、自分の発言にはもっと責任を持たなきゃいけないよね。
「今の発言、録音させていただきました」
私が何の対策もせずにのこのこ付き合ったとでも思ったかな? このお店に入る前から録音アプリを立ち上げて会話すべてを録音していたんだよ。
「今までの会話がSNSで発信拡散されたらどうなると思います? 出るとこ出ても構わないんですよ?」
にっこり笑うと、澤井代議士は泡喰った顔をしてフリーズしていた。
いまのSNSは怖いぞぉ。あっという間に炎上しちゃうからね。もしかしたら辞任ってことになるかもしれない。
正義感の強い人はどこまでも拡散しちゃうからねぇ。どうなっちゃうかなぁ。
「澤井清治議員、女子大生を脅迫ってニュースになるかも」
「なっ、小賢しい真似を…! 録音を消しなさい!」
にゅっと腕を伸ばして私のスマホを奪おうとしたので、私はさっと避けた。
ゆっくり席を立つと、相手から距離を取る。
中腰になっている相手はこっちを睨みつけていた。そして私も相手を睨み返す。
誰が自分に不利になることをするっていうんだ。これは私の切り札だ。
政治家がなんだ、後ろ盾がないのがなんだ。
喧嘩を売ってきた時点で無傷じゃいられないと思え。
「お断りします」
「私を恐喝するっていうのか……!」
人聞きの悪い。恐喝していたのはそちらのほうじゃないの。
「お話は以上ですね? 帰らせてもらいます。私これでも特待生な上に大切な試験前なんで」
試験前なのに男につきまとって大学サボってるあなたの娘さんとは違うんだ。
「また私に接触しようとしたら弁護士に依頼して何らかの対応を致しますので、そのつもりで」
動き一つで録音素材を拡散する、とまでは言及しなかったが、状況に応じてこれは使用する。
焦った表情を見せる澤井代議士だったが、周りに大勢の人目があるのに気づいたのかおとなしくなった。
ここで私に手を上げればスキャンダルになるだろう。保身に走る人間なら引くと思ってた。
私はスマホを操作して録音データをしっかり保存すると、半分以上残っているコーヒーの乗ったトレイを持ち上げてその場から立ち去った。
外に出ると、冷たい風が顔に吹きつけてきた。空はあいにくの曇天で今にも雪が降りだしそうだった。
──知っていたよ、久家くんと私には格差があるってこと。
普通なら親しくなれなかった間柄だってわかっている。
医者というのは縦社会の世界なので、待遇に差は出てくることを理解している。
だけどそうだとしても、私たちは医学生という共通点を持ってお互いを尊重し合っている仲間だと思っているから……。
ふさわしくない、身の程知らず、か。
特待生の地位を維持していても、そこには依然として大きな壁が立ちはだかる。
赤の他人からの評価なんてどうでもいいはずなのに、なんでこんなに苦しいんだろう。
久家くんに直接言われたわけでもないのに。
◇◆◇
「莉子」
医学部キャンパス内を歩いていると、久家くんに呼び止められた。
「ごめん、ちょっと急いでいるから」
脊髄反射で私は彼から逃げた。彼の顔を一瞥せず、足早に立ち去る。
彼のそばにいたら澤井娘が現れる。一緒にいると自分が情けなく感じてしまうから一緒にいたくなかった。
ここ最近の私は久家くんを避けに避けまくっていた。
澤井娘がいない場所でも逃げ回っているので、友人たちも異変を察知して私に「どうしたの?」と尋ねてくるが、本当のことは誰にも言わなかった。
キャンパスから出て、大学食堂のある建物に向かって私はとぼとぼ歩く。
私だって逃げる真似なんかしたくない。でも久家くんの顔を見ると悲しくなっちゃって平静を装うのが難しくなってしまう。
自分の中に湧いてきたこの感情は劣等感というものなんだろうか。
久家くんのような存在と自分の事は分けて考えていたはずなのに、今になってその格差に妬みのようなものを抱いてしまったのだろうか。
そんな自分が情けなくて恥ずかしい。
私に避けられて久家くんもきっと気にしているだろう。
申し訳なく思いつつ、私は逃げる真似をしていた。
「莉子!」
「!」
腕を掴まれて私はハッとする。
ぐるぐる考えながら構内を歩いていたからか、追ってきた久家くんの気配に全く気づかなかった。
「何故俺を避けるんだ」
「……」
その問いに私は目を泳がせた。
澤井(父)に色々言われたと言えばいいのに、告げ口みたいで言いにくかった。自分の中に湧いて出てきた負の感情を彼に知られるのも嫌で、口ごもるしかできない。
「何かあるなら話してくれ。……澤井さんの父親に何か言われたんだろう?」
「!」
なんで知ってるの。
もしかしてあのおっさん、久家家にクレーム入れたの? 私に脅迫されたって。
私がぎょっとして久家くんを見上げると久家くんの眼鏡越しの瞳が、なんだか泣きそうに緩んでいるように見えた。
「…やっと目を合わせてくれた」
つられて私まで泣きたくなってきた。
きっと今の私はひどい顔をしている。
「は、はなして、私急いでいるから」
「莉子、頼むから逃げないでくれ。澤井さんのせいで俺のことを避けているんだろう? 話を聞かせてくれ」
目をそらそうとすると、肩を掴まれて顔を覗き込まれた。
そんなこと言われたって久家くんにはわからないよ。私が今どんな気持ちと戦っているのかなんて。
こんな情けない感情を抱いていることなんて知られたくないのに。
「ちょーっぷ!」
「イッタ!」
ドゴスと久家くんの手のひら越しに鈍い衝撃があったと思ったら、久家くんの手が離れていた。
そこには手刀の構えをした北堀くんの姿が。
「婦女子の嫌がること禁止!」
どうやら久家くんの手にチョップをしたらしい。手首を抑えた久家くんが信じられないものを見るような目で北堀くんを見つめる。
北堀くんはそれに構わず、私の手を引っ張ると久家くんから引き離して背後に庇ってくれた。
「なんだ君は…今莉子と俺は話を」
「莉子ちゃんなら大丈夫って思い込んでおざなりにするのは良くないと思うな!」
久家くんの言葉を断ち切るようにして、北堀くんはいつになく強い語調で発言した。
「お前食堂や図書館で頻繁にあの議員の娘さんといちゃついているよね。それを見た莉子ちゃんがどう思うかなんて一目瞭然じゃない?」
「……君には関係ないだろ」
北堀くんの指摘に対して、久家くんは不快そうに顔を歪めていた。そこには苛立ちすら感じる。
怖い顔をする久家くんが怖くて、私は北堀くんの背中に隠れて視界に入らないようにした。
「……俺と莉子ちゃんの間には友情しかない。そこは誤解すんなよ。お前が莉子ちゃんと親しくなる前から仲が良かったんだ。友達が傷ついてるのを放置するなんて出来ないよ」
「北堀くん……」
君、そんな友情に熱い男だったのか。なんか嬉しいぞ。
北堀くんの友情を知った私は心が暖かくなったのを感じた。
「莉子ちゃんに付きまとうならあの女との関係を清算してからにしろよ」
「澤井さんと俺はやましい関係じゃない、親同士の付き合いで見合いをさせられただけの関係だ」
……じゃあなんで、毎日のように出現しては久家くんにくっついているの?
「そんなこと知ったこっちゃないね。賢くて、しっかりしてるように見えても莉子ちゃんは女の子なんだからな。強い訳じゃないんだぞ」
一蹴するかのように北堀くんは切り捨てた。
北堀くんにとっては久家くんのお見合い事情なんかどうでもいいらしい。彼の目には久家くんが女遊びの激しい男に見えているのかもしれない。
「……莉子とふたりで話したいんだ。頼む」
「……乱暴なことするなよ」
「するわけないだろう!」
私とどうしても一対一で話したいらしい久家くん。
それに対して北堀くんは念押しする。久家くんは声を荒げて否定していた。
「莉子ちゃん、何かあったら大声で叫ぶんだよ! 助けてじゃなくて、火事だーって叫ぶんだよ? そうじゃなきゃスルーされちゃうからね」
私にそうやってアドバイスしてきた北堀くんだが、それは変質者に出没した時のベストな対応ですよね……。
「俺は放火犯か」
久家くんの突っ込みに北堀くんはふん、と鼻を鳴らしていた。
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