森宮莉子は突き進む。 | ナノ
湯上がり美人と襲い来るはんぺん
久家くんと途中で別れて女性専用大浴場に入ると、私は早速化粧を落として体を洗った。
さっぱり洗い流すといそいそと源泉かけ流しの浴槽に腰を掛ける。足先、下半身の順番で浸からせ、時間を掛けてゆっくり上半身まで浸かる。これはヒートショック予防である。
「はぁぁ゛ん……」
思わずオッサンみたいな声が出るが、ここには知っている人はいないからいいのである。長距離運転の疲れが取れる。緊張した筋肉が解れていくよ……
ちらっと温泉の説明書きを見ると、よくある効果効能、温泉の成分等が書かれていた。温泉に入るだけに5000円は少々財布に痛いけど、この心地よさを味わってしまえば、決して高くないと感じてしまう……
思う存分お風呂を楽しみ、のぼせる前に上がった私は備付けの浴衣を着用した。これ着るとなんか旅気分を味わえるな。
温泉すごく気持ち良かった。帰る前にもう一度お風呂を楽しもう。
鼻歌交じりに休憩用の客室に戻ると、もうすでに久家くんが戻ってきていた。彼は窓際のカウチでくつろいでおり、ぼーっと窓の外に見える日本庭園を眺めていた。
「いやーいいお湯だった」
肩に掛けたタオルを外しながら部屋に入ると、彼がゆっくり振り返る。
おや、湯上がり美人とはよく言ったものだ。目元をほんのり赤らめてぼんやりする久家くんは破壊力抜群な色気を発揮していた。
よかったな、一緒に来たのが私で。じゃなかったら喰われていたかもしれないよ……
「運転疲れがすっかり取れてすっきりしたよー。久家くん浴衣似合うね」
なんだろう、男性用の着物ってセクシーに見えちゃうのは私だけかな。帯を結ぶ位置が女性とちがうからかもしれない。普段はそんなにお披露目することのない胸板がチラリと見えて本当に危ない。
全くもう、色気の無駄遣いをするんじゃないよ。
「……っ!」
突然久家くんが真っ赤になった。顔だけでなく首から鎖骨付近まで真っ赤に色を変えたものだから私はぎょっとする。
持っていたポーチ類をその辺に置くと、小走りで畳を駆けてカウチに座っている久家くんに近寄った。
「どうしたの、のぼせた? 顔が赤いよ」
久家くんの頸動脈付近に触れて脈拍は大丈夫か、目の充血具合を観察する。少し脈が早いみたいだ。
「頭痛とか吐き気はする?」
「だ、大丈夫」
「ちょっと横になって安静にしてな。ほら、ゆっくり動いて」
彼の手を取って立ち上がらせると、畳の上に寝転ばせた。ふとんがなくて背中が痛いかもしれないけど我慢してほしい。タオルを畳んで頭の下に敷いてあげると、変化がないか凝視した。
「失敗したな……これは攻撃力が高い」
「なにと戦ってるの」
はぁーっと熱のこもったため息を吐き出した久家くんはなにやら意味深な発言をしていた。……温泉耐久チャレンジでもしていたんだろうか。温泉から出てくるのはどちらが早いか勝負してたの?
「莉子……」
「なに? 水でも飲む?」
呼ばれたので久家くんの顔を上から覗き込む。
するとじっと眼鏡越しに久家くんの瞳が見つめてきた。なにか物言いたげで苦しそうな表情で訴えて来るものだから気分が悪いんだろうかと心配になる。
持ち上げられた腕がこちらに伸びてきて、熱を持った指がふっと私の頬を撫でた
その触り方に私は小さく震えた。くすぐったいというか何というか。
男の人にそんなふうに頬を触れられたことがなかったからびっくりしてしまった。
「顔がなんかちがう」
「化粧してないからね。いつも以上に地味で驚いた?」
違和感があるのかな。
化粧上手というわけじゃないので、普段も嗜み程度にしかメイクしないけど、やっぱりすっぴんはわかっちゃうか。
「いや、こっちも可愛い」
甘い甘い声。
彼の低い声にドキッと心臓が跳ねて、びびっと全身に微弱な電流が流れたみたいに痺れた。
な、なんだこれは。
可愛いとか突然のお世辞言っちゃって。
その言葉を向ける相手を間違えていないだろうか。
「──失礼いたします」
部屋の外から飛び込んできた声に、私は一瞬で冷静になった。
すっと襖を開けて入ってきたのはこの旅館の仲居さんだ。オプションのお茶とお菓子を運んできてくれたようだ。
「まぁお客様、大丈夫でございますか?」
営業スマイルを浮かべていた仲居さんは畳に横になる久家くんを見ると心配そうに表情を曇らせた。
「湯あたりしたみたいで。だけど会話はできるので少し休めば大丈夫だと思います」
「そうですか。あとで冷えたおしぼりをお持ちしましょうね」
「……大丈夫です、だいぶ落ち着いたので」
先程より顔色が落ち着いたように見える久家くんは寝転んでいた畳からゆっくり起き上がる。
「左様でございますか? ご気分が悪くなられたらいつでもお申し出ください」
テーブルにお茶菓子とお茶を用意すると仲居さんはしずしずと退出して行った。
地元のお菓子とか、名産地のお茶とか説明されたけど、その説明がすべて右から左に流れてしまった。
……久家くんのさっきの顔やばぁ。
おもわずドキッとしちゃったよ。
思い出すと心臓が暴れ出しそうになるが、私はそれを表に出さぬよう冷静さを保った。
温泉に入って、おやつをお部屋でいただくプランは5時間程度の短い時間制限があったため、おやつを食べたあと私はもうひと風呂へと繰り出した。
18時頃には旅館を出て帰路についたが、帰りは久家くんが家までまっすぐ送り届けるというからそれに甘えて、私は助手席で呑気に寝ていた。
車の助手席って眠くなるよね。なんでだろ……
すっかり寝入っていた私は息苦しさを感じていた。柔らかい何かが口を塞いで呼吸を阻害しているのだ。何だこれは……はんぺん?
苦しいのではんぺんを避けようと顔を動かすと、はんぺんが更に追って口を塞ぐ。そしてもにもにと私の唇を食べようとするのだ。
何だこの夢は……はんぺんに喰われる夢?
「ん……んうぅん?」
自分のうめき声で眠りから覚めた私はゆるゆると瞼を開く。すると前で、何かが身じろぐ気配がした。
「!?」
目の前には私の顔を覗き込んでいる久家くんの顔。
助手席に座る私を覗き込む体勢で覆い被さっていたので、彼の眼鏡越しの瞳とぱっちり視線が合うと驚きすぎて固まった。
えっ……近ぁ。
なんでこんな近くに……あ、私を起こそうとしたのか!
私は現状を把握すると慌てた。
「ごめん! 寝ちゃった!」
サイドウインドウに目を向ければ、見慣れた近所のお宅が見えた。辺りはもうすっかり夜の色をしていた。
家に到着したのに、私が寝たままだから起こそうとしてくれたんだろうか。
「いや……」
久家くんはそっと私の上から離れると、なにやら難しい顔をしていた。
どうしたんだろう、見るからに様子がおかしい。
「……私が呑気に寝ていたことを怒っているの?」
「別に怒ってない」
否定するのに、私の顔を見ようとしない。どこか素っ気ない気すらする。
やっぱり怒ってるんじゃ。そりゃあ運転してるのに隣でグーグー眠られたら腹立つよね。小さい子供ならまだしも、同じ年の同期だし、親しき仲にも礼儀ありよね、本当にごめんよ。
「……私、いびきとかかいてないよね?」
「……」
聞き苦しいものを聞かせてしまったかと思って尋ねてみたけど、その問いには沈黙が返ってくる。
はぁ、とバカでかいため息をつかれ、久家くんが心底呆れている気がした。
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