リナリアの幻想 | ナノ
招かれざる客
「断ってくれ。彼女とは会わないと何度も伝えているはずだ」
「ですが……」
ルーカスは即断ったけれど、執事さんはなにか言いたそうにしていた。相手が貴族だから、ルーカスの幼馴染だから追い返すのは気が引けるのだろうか。
「約束せずに押しかけたんだ。別に追い返しても問題にはならないさ。お帰り願ってくれ」
年上の人に命令するルーカスという珍しいものを見てしまった私は、なんだか知らない人を見ているような気分だった。使用人相手にはそれらしい振る舞いをしなきゃいけないんだろうけど、その姿は貴族様みたいに見えて……え。ルーカスって平民身分だったよね? と再確認したくなってくる。
それにしても今日に限ってドロテアさんが来ているとは。気が合うというか間が悪いというか。
「困ります、現在お坊ちゃまはお客様を応対していらっしゃいますので」
「ならばわたくしもご挨拶するわ。そこをおどきなさい」
!?
思ったよりも近くで彼女の声が聞こえたので私は椅子の上で飛び上がった。…てっきり門の前でやり取りしているものだと思っていたら屋敷の敷地内にまで入っていたのか。
「あ、彼女には結界内に入れる術を施しているんだったな……」
クラウスさんがボソッとつぶやく声が聞こえた。
なるほど、ルーカスの幼馴染で仲のいいはとこだったから、制限なく入れるようにドロテアさんには入場許可していたのね。
「ドロテア様、いけません! 今日のところはどうぞお帰りください」
「おどきと言ってるのよ! いつからお前はわたくしに指図できるようになったの!?」
彼女のイライラした声がこっちにまで飛んできた。使用人を叱責する声がピリピリしている。それに執事さんが疲れた顔をして、クライネルト一家は渋い表情を浮かべていた。
──そもそも挨拶するって、ドロテアさんが私に?
ていうかルーカスのお客様はドロテアさんには関係ないのにどうして?
疑問が色々湧いてきたが、ここで考えることではない。今のうちにトイレとかに身を隠した方がいいだろうかと辺りを見渡していると、私が行動へ移す前に彼女が姿を現した。
「ルーク! あら、おじ様おば様もお揃いで……」
止めようとする使用人を振り払ってずかずかと入り込んできた彼女は、ルーカスの姿に表情を明るくしたが、同席しているクライネルト夫妻を見て不思議そうにした後、傍らに私が同席しているのに一瞬呆然とした顔をしていた。
「何故、その女が……!」
重苦しく、憎々しげな声だった。ぎらりと焦げ茶色の瞳が光ったように見えた。目と目が合った瞬間鋭く睨みつけられ、ぎくりとした私はさっと目をそらす。
無意識に身構えて息を止めていた。条件反射というかなんというか。
あからさまに嫌われ、悪意を向けられているものだから私もすっかり彼女のことが嫌いになってしまった。
今までのことを考えたら嫌いになるのは仕方のないことだと思う。
私は平民で向こうは貴族なものだからこっちは手も足も口も出せない。
圧倒的に私は弱者なので、彼女とは関わりたくないのが本音である。
ルーカスは私とドロテアさんを同じ空間に置いてはいけないと察知したのだろう。彼が私の前に立って彼女からの視線を遮ってくれた。
「いささか無作法じゃないか。ここは君の家ではないんだぞ」
「わたくしはおじ様に自由に入っていいと許可を頂いています!」
「それは結界の話で、先触れもなく家にやってきて来客中に妨害するような真似は許可していないはずだよ」
ルーカスに注意されたドロテアさんはムッとした顔で言い返すも、そこはクラウスさんにきっぱり否定されて、ぐっと口ごもっていた。
仮に自由に出入りしていいと言われていたとしても、お客様がいるときに割って入るのは非常識だと思うんだけどな。貴族と平民の考え方の違いだろうか。
「帰ってくれ。見ての通り今はリナリアを招いているんだ」
「何故! わたくしには会ってくださらないのにどうしてそんな平民女を」
「僕もリナリアと同じ平民だ。何か問題でもあるかい?」
ルーカスは彼女の発言を遮った。
声を荒げているわけじゃないのに、彼の声には確かな拒絶があった。ドロテアさんがそれに怯えた様子が伺える。
これまで、何度も同じようなやり取りを目にしてきた。
ドロテアさんにとって身分や生まれが最優先なのだろうか。ドロテアさんが見ているのはルーカスの家柄と彼の体に流れた高貴なる血なのだろうか。
「……君と会わないようにしている理由はこれまでに何度も話してきたはずだよ。どうして理解してくれないんだ?」
今のルーカスのドロテアさんに対する態度には低学年の時のような親しみはない。むしろ諦めてくれない彼女に苛立っている雰囲気すらある。
それは私のせいか。
それとも、私がこの場にいなくても避けられなかったことなのだろうか。
「いや! わたくしはあなたの花嫁になるの、お父様もお母様も賛成してくれていますわ! お友達だってお似合いだと」
「そこに僕やクライネルト家の意見は含まれていないよね? 身分の事もあるけど、君と僕は血が近すぎるんだ。僕が君と結婚することはありえないよ」
「嫌よ……わたくしがどれほどあなたを愛しているか知っていらして、そんな非道なことおっしゃるなんて……!」
ルーカスの口から出てきた拒絶の言葉に、ドロテアさんはブワッと泣き出してしまった。彼女の言葉の中にさりげなく愛の告白が含まれていたことに私はビクッと反応してしまった。
「とにかく帰ってくれ」
それを慰めるでもなく、絆されるわけでもなく、ドロテアさんを追い返そうと背中を押しているルーカスは首だけを回して、「すぐに戻るから待ってて」と私に告げた。
それに同行するようにクラウスさんがついていく。私は席に座って固まったまま、それを見送っていた。
その間一言も発せなかった。
ドロテアさんという嵐がやってきて、和やかな空気は一掃されてしまった。私は居心地悪くて身じろぐ。
「あの子もねぇ……諦めが悪いのよね」
この場に残っていたマリネッタさんがポツリと呟いたので、私はビクッと肩を揺らしてしまった。
「リナリアさん、学校でドロテアさんにいじめられているんでしょう」
「えぇと」
「ルーカスから色々と聞いてるから隠さなくてもいいのよ」
問いではなく、確認のために聞かれただけのようだった。マリネッタさんはため息を吐き出してここにはいないドロテアさんに呆れているようだった。
いじめ……? いじめなのかな?
私はドロテアさんとの間であったアレコレを思い出す。あれは、いじめられたと表現していいのかな。うーん。
「先方から縁談を頂いたこともあったけど、義父もあの人も最初からドロテアさんとの縁組みには反対だったの。血が近い、濃くなるのは良くないからってね」
それはルーカスに教えてもらったことがある。神妙な顔で黙って頷くと、マリネッタさんは苦笑いを浮かべていた。
「ドロテアさんはちょっと自分本位が過ぎるところがあるのよね。……それに、クライネルト家の在り方が彼女には理解できないと思うわ」
「在り方……というのは?」
なんか難しいことだろうか。口からついて出た疑問にマリネッタさんは答えてくれた。
「クライネルト家は貴族の血を受け継ぎながらも平民身分のまま、平民の立場でこれまで続いてきたの。いざというときは立場が弱い平民の盾になるよう、普段は中立の立場を保ってね」
あぁそのことか。
確かに1年生のときにルーカスから似たような話を聞かされたことがある。他の平民にはない、隠れた権力を持ったクライネルト家が周りに目を光らせる目的があって、立場の弱い平民の代わりに不正や問題を見つけるためなんだと言っていた。
「だけどドロテアさんが嫁いできたら──…それが彼女によって崩される可能性がある」
言われてみれば確かにそうかも。
ドロテアさんは貴族であることに矜持を抱いている。簡単に特権階級や選民主義を捨てるような人じゃないと思う。
遠い過去にクライネルト家へ嫁いできた貴族出身の女性はどの人も穏健派や中立派だったそうだ。だからこれまでクライネルト家の主義は貫き通せたのだという。
ドロテアさんが嫁いだ場合、クライネルト家が築いてきたものを全てぶち壊してしまうこともあるんだ。
「私はルーカスの母親だから表向きは友好的だけど、彼女は根っからの貴族ですもの。なんとなく平民への差別心理が伝わってくるのよ。フロイデンタール侯爵夫妻も同様にね」
それは、マリネッタさんですらなにか嫌なことを言われた経験があるということだろうか……?
「私はこの体に流れる平民の血を恥じたことはない。だからそれを勝手に憐れまれて馬鹿にされるのは気分が悪いわ」
半分は平民で、もう半分は貴族の血が流れているマリネッタさんは、フロイデンタール候爵一家とは馬が合わないのかもしれない。
昔から家同士の付き合いがあったと聞くけど、子ども同士が仲いいからって親同士が仲がいいってわけじゃないものね。
人様のお家の事情を少し覗いてしまったような複雑な気持ちになりながらも、色々と考えさせられてしまった。
それから時間を置かずにルーカスとクラウスさんが戻ってきた。なんだか2人は難しい顔をしている。
「屋敷周辺の結界を強化した。彼女に施した許可呪文を解呪して、今後は許可なくこの敷地に立ち入れないようにしたよ」
ドロテアさんにはお帰り願ったようだ。その上、出入り禁止処分をしたらしい。厳しい沙汰に見えるけど、仕方のないことなのだろう。
「フロイデンタール家にも抗議の手紙を送ることにするよ。いくら旧知の仲でも家主の許可なく入ってくるのは失礼だし、彼女の言動でお客様に不快な思いをさせてしまった。こっちも立場があるからね」
楽しかった時間はぶち壊され、なんとも言えない気分にさせられた私はどんな反応すればいいのか迷った。
こんな空気になってしまったので、私はそこでお暇することにした。
クライネルト夫妻はなんだか名残惜しそうに引き止めてくれたけど、この状況でさっきまでの和やかな空気になるとは思えない。残されたのは気まずさだけだ。
また機会があれば誘ってくださいと言葉を残して、私はクライネルト家を後にしたのである。