リナリアの幻想 | ナノ

踏み込んではいけないその先【ドロテア視点】

 嫌われてしまった。──彼に失望された。

 あの女に醜い傷を負わせれば彼の心は変わると思ったのに、あと一歩のところで彼に妨害されて失敗に終わった。
 彼はわたくしのことを敵を見るような瞳で睨みつけ、責め立て、失望したと言ったのだ。
 ルークはわたくしに向けるべき視線をあの女へ向けていた。あの女を大切に抱き上げてどこかへと去っていく彼の背中にはわたくしに対する拒絶が伝わってきた。
 ぼろぼろ涙を流すわたくしに一瞥もくれなかった。

 大会で禁術に近い呪文を使ったことで警告を受け、審判の指示を無視して降参相手に攻撃しようとしたことで罰則を受けそうになったけど、家の力で揉み消した。
 失格になったことは構わない。あの女に一泡吹かせるために参加しただけで、賞品には興味がなかったから。わざわざ対戦表を書き換えさせるのにお金を積んだけど、その程度の負担は何ともなかった。

 あの女のために罰則を受けるのはわたくしの矜持が許せなかった。あんな平民女にルークが奪われそうになっているだけでも許せないのに、罰則なんか受けたらあの女に頭を下げていることも同然。
 わたくしはなんとしてでもこの状況をなんとか変えたかった。

 ルークへ手紙を送っても返事は来ない。最近では未開封で返送されるようになった。伝書鳩でも同様だ。内容を確認せずに返送されてしまう。
 休暇になってからお屋敷まで会いに行けば、ルークは不在で、どこかの別荘に出かけていると言われ、その場所は教えてもらえず会えず仕舞いと言うのが続いた。
 彼は意図的にわたくしと会わないようにしているのだとすぐに気づいた。


 珍しく屋敷にいたかと思えば、ルークは接客中だからと使用人に門前払いされたとき、なんだか嫌な予感がした。
 止めようとする使用人を振りほどき、勝手知ったる他人の庭とばかりに踏み込めば、使用人の言う通りルークは中庭のテラスで来客対応していた。
 しかし、その相手が問題だった。

 あの女は、わたくしの居場所にいた。
 おじ様とおば様とルークの中心にいた。グラナーダ出身であるおば様手作りのお菓子を囲んでお茶を楽しんでいたのだ。

 ルークの隣はわたくしの居場所なのに、彼は平民女を傍に置いている。おじ様もおば様もあの女の味方をするような態度を取るのだ。
 ルークはあの女を守るような素振りを見せて、わたくしに冷たく当たった。わたくしとは結婚しないと言い切ってわたくしの想いを拒絶したのだ。

 わたくしを邪魔者扱いして屋敷から追い出して、二度と敷地の中に入れないように許可の術を解かれてしまった。

 ひどい、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはいけないの。
 ルークだけでなく、クライネルト家からも拒絶されてしまったのだ。

 すべてはあの女のせいだ。
 あの女さえいなければこんなことにはならなかったはずなのに。


◇◇◇◇◇◇


 その日の晩に、お父様宛てにクライネルトのおじ様からお手紙が届いたそうだ。
 内容は家主の断りを得ずに家に侵入して来客対応を妨害したこと、止めようとした使用人への恫喝行為への苦言だった。

 なぜそんなことを注意されなくてはいけないのかがわからない。
 お父様の口から注意を受けたけど、わたくしは納得できなかった。
 わたくしは何も悪くない。それなのに……ぎゅっと身体の前で握り締めた手の平に爪が食い込む。

 ……痛い、手の平ではなく心が軋んで痛い。
 あの平民のせいで怒られるのは屈辱だった。
 わたくしは由緒正しきフロイデンタール候爵家の娘だと言うのになぜこのような仕打ちを受けなくてはならないの。

「ドロテア、お前はまだ、ルーカス君との婚姻を望んでいるのか?」
「! 当然です! わたくしが前々から彼と結婚すると決めていたのはお父様もご存知のはず」

 再確認するように聞かれたのでわたくしは何を今更と語気強めに言い返した。
 この際王命でもなんでもいい。彼との婚約をなんとしてでも執り成してもらおう、と思いついてその考えをお父様に伝えた。どうせあと1年で学校を卒業する。そうすれば彼だって現実を見るに違いない。
 王命だと言われたら彼だってそれに従うはず……

「──あきらめなさい、先方には何度も断られているんだ」

 なのにお父様はわたくしに諦めろと言ってきた。
 一瞬何を言われたかわからず固まっていると、お父様はもう一度わたくしに言い聞かせるように「ルーカス君との結婚は諦めて、然るべき相手と婚約をしなさい」と命じてきたのだ。

「そんなお父様!」
「ルーカス君と結婚しても、お前は幸せにはなれないぞ」
「そんなことありませんわ! なぜお父様までそんなことを仰るの!?」

 お父様はご存知のはずなのに。わたくしの恋を見守ってくださったのに、今になってどうしてそんなことを言い出すのか。

「お前にちょうどいい縁談がある。一度会ってみたら気持ちも変わるかもしれない」
「嫌です! ルーカスの元に嫁ぐのがわたくしの夢なのです! 他の殿方との結婚なんて致しませんわ!」

 お見合い相手らしき数枚の姿絵を差し出してきたお父様の手を振り払うと、わたくしは父の執務室を飛び出した。
 そして自室に駆け込むと、寝台に倒れて啜り泣いた。

 なぜ、どうしてこうなってしまうの。
 わたくしのあたためてきた夢は叶うことなく、儚く散ってしまうというのか。

 しくしくと泣いているわたくしを心配したのか、お母様がお部屋まで訪ねてきた。

「しばらくドロテアと二人にしてちょうだい」

 お母様は部屋つきの侍女に人払いを頼むと、わたくしのいる寝台までやってきて寝台脇に腰掛けた。

「ドロテア、可愛いわたくしの娘。そんなに泣くことはありません」
「お母様……」

 わたくしの目元を指でなぞるお母様の指からは労りが伝わってきた。
 お母様、お母様だけはわたくしの味方よね?
 彼女に抱き着くと、お母様は優しく抱き返してくれた。

「ドロテア、よくお聞きなさい。一つだけ、ルーカスさんと結婚する方法があります」
「……! それは、それは一体どんな方法なのですか!」

 藁にも縋る想いでその方法とやらを聞いた。お母様は一瞬逡巡した後、小さく息を吐き出す。
 そしてわたくしにしか聞こえない声量で教えてくださった。

「既成事実を作るのです」

 わたくしは目を丸くして固まった。

「ですが、失敗すれば後はありません。……そして仮にうまく行ったとしても──彼の心は手に入らないでしょう。あくまでも責任を取って結婚するという形にしかなりません」
「……」

 心が手に入らない。
 それでも、それでもかまわない。
 わたくしと結婚しなくてはいけない状況を作りさえすれば、あとは時間と情が働いて彼の心を振り向かせられるかもしれないから。

 あの女にだけはルークを渡したくない。
 そのためなら、どんな手段を使ってでも、可能性に縋り付いてみせる。

「やります。わたくしは彼を手に入れてみせます」

 わたくしの決意にお母様は苦しそうにしていたけど、最後まで味方をすると言ってくださった。
 そして秘密裏に強力な媚薬を手配してくださることになった。
 問題はいつ飲ませるか。

 きっと今の彼はわたくしが差し出したものは何も口にしてくれないはずだ。
 どこかで別の誰かが出したものに仕込んで、薬が効いてきたところを見計らって部屋へ引きずり込むしかあるまい。

 わたくしは踏み込んではいけない一歩に足を踏み入れた。
 だけど不思議と罪悪感はなくて。
 これでわたくしは幸せになれるのだとその時は信じていた。


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